○本を読むこと
 
 世の中には無数の本が出ている。ジャンル・文体・書いてあることは様々だが、これらはみな「表現」である。読者はこれを通して世の中を見、知り、経験する。

 数学の教科書、映画の評論、物語、ドラムスの教本、随筆、新聞記事、ドライブインプレッション…。描き表わされたところのものを受けとめる。
 字面を感じて楽しむ受けとめ方もある。巧みな言い回しに感心する。エッセイのものぐさな漂いをかみ締める。硬い学者風の文体に勇み心を誘発されたり、あるいは拒絶を感じたりする。
 イメージに酔うことは悪いことではない。悪いことではないが、それはより受動的な本への向かい方だ。本はたとえば音楽よりずっと具体的にものを描写する表現ジャンルである。音楽よりずっと、想像力を働かせなければならない。


 <図:表現活動における精神の働き


  上の図を見て欲しい。この図は何か表現の送り手と受け手の関係とそれぞれの精神の働きを示したものである。表現活動における人間の精神の働きには、「感(受)性・想像力・知性」として捉えることが出来る側面がある。やってきたものを承る感(受)性。それがどんなものか捉えようとする想像力。把握し自分の中の尺度に照らし合わせ、意味や価値を規定し命名する知性。

 人が書いた本を読んで、その人が言わんとしていることを想像する。もし自分が全く経験不足であれば、それが何だかよく判らないが、自らの経験から敷衍して理解したり、知識を動員したり、逆に本を手がかりに自分の手でそれを探してみる。
 もし、書いた人が自分の何かと同じ物を持っていたとしたら、自分が探しているものを持っていたとしたら、それが何か疑問や不安や問題であったりすればなおさら、それを強烈に受けとめることになる。そういう部分を寄せ集めてみると、そこに自分の一面が浮き上がったりする。自分が探しているものや抱えているものがほかにもあることを知ると勇気づけられるし、その何かに対してどのように振る舞えばいいのかが判ったりする。
 いずれにしても大事なことは、語句や言い回しによって感心したり陶酔したり拒絶したりすることよりも、描き表わされたものを受けとめ、探り、知ることである。自分の経験や感(受)性を無視することなく、他人の経験(著者や著者が描いている人物・事柄)や感(受)性を無視することなく。
 
日本の表現へ
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元版1990−1991
本版2003