ベルガーのプロフィール

誕生日:1959年8月27日 

出身:オーストリア ヴィーグル(Woergl)

国籍:オーストリア

現住所:モンテカルロ

家族 妻アナ 長女 次女


経歴


1959年

1959年(昭和34年)8月27日 オーストリア、クーフシュタインでベルガー家の長男として生まれる、父親は一代で長距離運送業をおこして成功した人物、多少なりとも裕福な家庭に生まれる、両親と3つ下の妹の4人ぐらしで過ごす、

1970年

ゲルハルトが11才のときにスキー事故でギプスで足が不自由になったときに不憫に思った父親が以前からゲルハルトがねだっていたモペット(原付バイク)を買い与える、これが彼とモータースポーツをつなげることになった、しかし彼はこのパワーでは不満で自らモーターボート用のエンジンをつけ改造、時速80キロぐらいしか出ないモペットを110キロを出すようになり最終的には140キロまで出すようになった。

1981年

インターナショナルアルファスッド.ヨーロピアン.カップ エステライヒリンクで優勝

1982年

ドイツ.フォーミュラ3.チャンピオンシップ3位(Martini-Alfa)

1983年

ヨーロッパ.フォーミュラ3.チャンピオンシップ8位(Ralt-Alfa)
F3世界一を決めるレースマカオF3ではアイルトンセナ(ラルト-トヨタ)と熾烈な争いをしたが3位に終わった

1984年

ヨーロッパ.フォーミュラ3.チャンピオンシップ3位(Ralt-Alfa)
ツーリングカーレースにも参戦 BMW635csi
ATSよりF1ワールドチャンピオンシップに地元オーストリアより初参戦
ATS D7 BMW 1ポイント
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
12 オーストリア エステライヒリンク 20 12
14 イタリア モンツア 20
15 ヨーロッパ ニュルブルクリング 18 リタイア
16 ポルトガル エストリル 23 13

1985年

アロウズに移籍.F1チャンピオンシップに本格参戦。
スパ24時間レースにもBMW635csiで参戦 優勝を飾る
アロウズA8BMW カーナンバー 3ポイント獲得.総合17位 (最高位5位)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
ブラジル リオ 19 リタイア
ポルトガル エストリル 17 リタイア
サンマリノ イモラ 10 リタイア
モナコ モンテカルロ市街地コース 11 リタイア
カナダ モントリオール 12 13
アメリカ東 デトロイト 24 11
フランス ポールリカール リタイア
イギリス シルバーストーン 17
ドイツ ニュルブルクリング 17
10 オーストリア エステライヒリンク 17 リタイア
11 オランダ ザンドフルート 14
12 イタリア モンツア 11 リタイア
13 ベルギー スパフランコルシャン
14 ヨーロッパ ブランズハッチ 19 10
15 南アフリカ キャラミ 11
16 オーストラリア アデレイド

1986年

ベネトンに移籍.メキシコグランプリでタイヤ無交換作戦が成功し初優勝をとげる、そのときポディウムに立ったていたのはアランプロスト.アイルトンセナだった。
ベネトンB186BMW カーナンバー20 17ポイント獲得.総合7位(優勝1回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
ブラジル リオ 16
スペイン へレス
サンマリノ イモラ
モナコ モンテカルロ市街地 リタイア
ベルギー スパフランコルシャン 10
カナダ モントリオール リタイア
アメリカ デトロイト 12 リタイア
フランス ポールリカール リタイア
イギリス ブランズハッチ リタイア
10 ドイツ ホッケンハイム 10
11 ハンガリー ブタペスト 11
12 オーストリア エステライヒリンク
13 イタリア モンツァ
14 ポルトガル エストリル リタイア
15 メキシコ メキシコシティ
16 オーストラリア アデレイド リタイア

1987年

大抜擢フェラーリへ移籍、この年F1日本GP(鈴鹿)が初開催.その日本GPでポールtoフィニッシュ
低迷の続いたフェラーリにとっては2年半ぶりの優勝をもぎ取った
フェラーリ187 カーナンバー28 36ポイント獲得.総合5位。(優勝2回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
ブラジル リオ
サンマリノ イモラ リタイア
ベルギー スパフランコルシャン リタイア
モナコ モンテカルロ市街地コース
アメリカ デトロイト 12
フランス ポールリカール リタイア
イギリス シルバーストーン リタイア
ドイツ ホッケンハイム 10 リタイア
ハンガリー ブタペスト リタイア
10 オーストリア エステライヒリンク リタイア
11 イタリア モンツァ
12 ポルトガル エストリル
13 スペイン へレス リタイア
14 メキシコ メキシコシティ リタイア
15 日本 鈴鹿
16 オーストラリア アデレイド

1988年

フェラーリに在籍 フェラーリの創始者エンツオ.フェラーリが8月14日に逝去、
その後のイタリアGPモンツァでべルガー.アルボレートの奇跡的な1.2フィニッシュを決める、この年はセナ.プロストのマクラーレン.ホンダが全16戦中15勝、そのうちの1勝はべルガーがもぎ取った。
フェラーリ187/88C カーナンバー28 41ポイント獲得.総合3位(優勝1回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
ブラジル リオ
サンマリノ イモラ
モナコ モンテカルロ市街地コース
メキシコ メキシコシティ
カナダ モントリオール リタイア
アメリカ デトロイト リタイア
フランス ポールリカール
イギリス シルバーストーン
ドイツ ホッケンハイム
10 ハンガリー ブタペスト
11 ベルギー スパフランコルシャン リタイア
12 イタリア モンツア
13 ポルトガル エストリル リタイア
14 スペイン へレス
15 日本 鈴鹿
16 オーストラリア アデレイド リタイア

1989年 

フェラーリに在籍 この年よりF1GPはターボ全面禁止で全車NA3,5リッターになり、フェラーリはV12の640で参戦、この年は新たにナイジェル.マンセルがチームメイトになる、この年のサンマリノGPイモラの悪名高きタンブレロコーナーでメカニカルトラブルで270km/hからクラッシュ炎上するマシンから奇跡的に生還..以後べルガーは深刻なスランプに..
フェラーリ640 カーナンバー27 21ポイント獲得.総合7位 (優勝1回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
ブラジル リオ リタイア
サンマリノ イモラ リタイア
モナコ モンテカルロ市街地コース 欠場 欠場 欠場
メキシコ メキシコシティ リタイア
アメリカ フェニックス リタイア
カナダ モントリオール リタイア
フランス ポールリカール リタイア
イギリス シルバーストーン リタイア
ドイツ ホッケンハイム リタイア
10 ハンガリー ブタペスト リタイア
11 ベルギー スパフランコルシャン リタイア
12 イタリア モンツア
13 ポルトガル エストリル
14 スペイン へレス
15 日本 鈴鹿 リタイア
16 オーストラリア アデレイド 14 リタイア

1990年

マクラーレンに移籍、この年からセナがチームメイトとなる、プロストとトレードという形だったがチームとしては以前のような深刻なチーム内の争いが消え、生来の陽気なべルガーはセナとも摩擦を起こさず(いたずらは別だが..)チームとしても大歓迎であった、しかし天才ドライバー.セナのNO2に徹し、7戦トップを走ったが優勝なし
マクラーレンMP4/5Bホンダ カーナンバー28 43ポイント獲得.総合3位 (最高位2位)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
アメリカ フェニックス リタイア
ブラジル インテルラゴス
サンマリノ イモラ
モナコ モンテカルロ市街地コース
カナダ モントリオール
メキシコ メキシコシティ
フランス ポールリカール
イギリス シルバーストーン 14
ドイツ ホッケンハイム
10 ハンガリー ブタペスト 16
11 ベルギー スパフランコルシャン
12 イタリア モンツア
13 ポルトガル エストリル
14 スペイン へレス リタイア
15 日本 鈴鹿 リタイア
16 オーストラリア アデレイド

1991年

マクラーレンに在籍、この年もセナの陰に隠れた存在であった、その日本GPで感動か屈辱か?の出来事が起きた、べルガーのポールで始まったレースだが前半戦のセナのチャンピオンシップ貢献のために尽くしてくれたお礼にとセナがトップを走っていたが、それをべルガーに譲り優勝をプレゼントされる、この出来事には物議を醸し出した。
マクラーレンMP4/6ホンダ カーナンバー12 43ポイント獲得.総合4位 (優勝1回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
アメリカ フェニックス リタイア
ブラジル インテルラゴス
サンマリノ イモラ
モナコ モンテカルロ市街地コース リタイア
カナダ モントリオール リタイア
メキシコ メキシコシティ リタイア
フランス マニクール リタイア
イギリス シルバーストーン
ドイツ ホッケンハイム
10 ハンガリー ブタペスト
11 ベルギー スパフランコルシャン
12 イタリア モンツア
13 ポルトガル エストリル リタイア
14 スペイン バルセロナ リタイア
15 日本 鈴鹿 10
16 オーストラリア アデレイド

1992年

マクラーレンに在籍、この年ホンダが参戦休止発表、最終戦のオーストラリアのホンダ参戦休止の最後のGPを優勝をかざったのがセナではなくべルガーであった、3年間マクラーレンにいてセナとも摩擦を生じることなく、セナとしてもレース界で初めての親友を得たが、この年ホンダの撤退とともに翌年フェラーリへ移籍を決めた。
マクラーレンMP4/7ホンダ カーナンバー2 49ポイント獲得.総合5位 (優勝2回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
南アフリカ キャラミ
メキシコ メキシコシティ
ブラジル インテルラゴス リタイア
スペイン バルセロナ
サンマリノ イモラ リタイア
モナコ モンテカルロ市街地 リタイア
カナダ モントリオール 10
フランス マニクール リタイア
イギリス シルバーストーン
10 ドイツ ホッケンハイム リタイア
11 ハンガリー ブタペスト
12 ベルギー スパフランコルシャン リタイア
13 イタリア モンツア
14 ポルトガル エストリル
15 日本 鈴鹿
16 オーストラリア アデレイド 10

1993年

フェラーリへ移籍、1度フェラーリを去ったドライバーが、迎え入れられるのは、ことフェラーリにとっては異例の話だった、この年からジャン.アレジがチームメイトとなる。
 
当時のフェラーリは最悪な状態であった、ウイリアムズやマクラーレンに遅れをとり、チャンピオンを獲得するのは至難の技であった、べルガーにとっても不調のどん底であった。
フェラーリF93A カーナンバー27 12ポイント獲得.総合8位 (最高位3位)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
南アフリカ キャラミ 15
ブラジル インテルラゴス 13 リタイア
ヨーロッパ ドニントン リタイア
サンマリノ イモラ リタイア
スペイン バルセロナ 11
モナコ モンテカルロ市街地 14
カナダ モントリオール
フランス マニクール 14 14
イギリス シルバーストーン 13 リタイア
10 ドイツ ホッケンハイム
11 ハンガリー ブタペスト
12 ベルギー スパフランコルシャン 16 10
13 イタリア モンツア リタイア
14 ポルトガル エストリル リタイア
15 日本 鈴鹿 リタイア
16 オーストラリア アデレイド

1994年

フェラーリに在籍、この年のサンマリノでは大事件が起きた、予選では同郷の後輩R.ラッツェンバーガーが事故死、そして決勝では親友A.セナがタンブレロコーナーで激突死..皮肉にもベルガーが89年に炎上事故を起こした場所であった..その後のモナコでベルガーは緊急記者会見を行った悲劇が相次ぐ中、もう引退か..と皆に言われてきたが、それをきっぱりと否定!悲しみや苦しさを超越し、誠実なレースへの愛情と意欲で人々を感動の渦へまきこんだ..
この年から最年長ドライバーとなったベルガーはドライバー協会のまとめ役として、マシンへの安全対策へ尽力をつくした
ベルガーは各GPで大健闘6戦トップを走り、ドイツGPホッケンハイムではフェラーリにとって4年ぶりの優勝をかざった。
フェラーリ412T1 412T1B カーナンバー28 41ポイントを獲得.総合4位 (優勝1回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
ブラジル インテルラゴス 17 リタイア
パシフィック TI英田
サンマリノ イモラ リタイア
モナコ モンテカルロ市街地
スペイン バルセロナ リタイア
カナダ モントリオール
フランス マニクール
イギリス シルバーストーン リタイア
ドイツ ホッケンハイム 10
10 ハンガリー ブタペスト 12
11 ベルギー スパフランコルシャン 11 リタイア
12 イタリア モンツア
13 ポルトガル エストリル リタイア
14 ヨーロッパ へレス
15 日本 鈴鹿 11 リタイア
16 オーストラリア アデレイド 11

1995年

フェラーリに在籍、この年よりエンジン排気量が3.5Lから3Lへと減少され、V10エンジンが多数を占めるなか、フェラーリはV12エンジンに固執した苦しい戦いが続いた前半戦はアレジと共にポディウムの常連だったが、後半戦からパッとしない成績だったイタリアGPモンツアでは前をゆくアレジの車載カメラが脱落、それがベルガーに当たるハプニングもあった。
フェラーリ412T2 カーナンバー28 31ポイント獲得.総合6位 (最高位3位)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
ブラジル インテルラゴス
アルゼンチン ブエノスアイレス
サンマリノ イモラ
スペイン バルセロナ
モナコ モンテカルロ市街地
カナダ モントリオール リタイア
フランス マニクール 12
イギリス シルバーストーン リタイア
ドイツ ホッケンハイム
10 ハンガリー ブタペスト
11 ベルギー スパフランコルシャン リタイア
12 イタリア モンツア リタイア
13 ポルトガル エストリル
14 ヨーロッパ へレス リタイア
15 パシフィック TI英田
16 日本 鈴鹿 リタイア
17 オーストラリア アデレイド リタイア

1996年

ベネトンへ移籍、2年連続チャンピオンのシューマッハがフェラーリへ移籍が決定、アレジ.ベルガーがベネトンへ移籍、実質1:2のトレードの形となった、10年ぶりにベネトンに再加入したが、シューマッハの影響のつよいマシンに悪戦苦闘、しかしドイツGPホッケンハイムでは終盤までD.ヒルを従えてトップを快走しかしレース終盤、痛恨のエンジンブローで勝機をのがす。
ベネトンB196ルノー カーナンバー4 21ポイント獲得.総合6位 (最高位2位)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
オーストラリア メルボルン
ブラジル インテルラゴス リタイア
アルゼンチン ブエノスアイレス リタイア
ヨーロッパ ニュルブルクリンク
サンマリノ イモラ
モナコ モンテカルロ市街地 リタイア
スペイン バルセロナ リタイア
カナダ モントリオール リタイア
フランス マニクール
10 イギリス シルバーストーン
11 ドイツ ホッケンハイム 13
12 ハンガリー ブタペスト リタイア
13 ベルギー スパフランコルシャン
14 イタリア モンツア リタイア
15 ポルトガル エストリル
16 日本 鈴鹿

1997年

ベネトンに在籍、アレジとのコンビが5年目になり、因縁深いサンマリノGPモンツアで200戦目を迎える、この年の初夏に鼻を患い、カナダGPより3戦欠場、同郷のA.ヴルツが代走し好成績を残し、そして父親の飛行機墜落事故で他界、パドックでは引退がささやかれたが、復帰第1戦のドイツGPではポールポジション、ファーステストラップ、優勝とハットトリックを成し遂げF1GP界と全世界ファンが久々の感動に包まれた、まさにベテランの意地を見せつけてくれた。
最終戦も間近の10月17日ウイーンにてF1参戦一時休止を正式発表、全世界中のベルガーファンがうなだれた時でもあったが、また彼が戻ってきてくれることを説に願う
最終戦は今年度チャンピオンジャックヴィルニューブに0.4秒差の4位でチェッカー 210戦出場は歴代2位の記録、10回の優勝 総獲得ポイント385点 ポールポジション12回 フロントロー32回 ファステストラップ21回という記録を残し一時F1サーカスの舞台から降りた。
ベネトンB197ルノー カーナンバー8 27ポイント獲得(優勝1回)
Rd 開催国 サーキット 予選 決勝 Pt
オーストラリア メルボルン 10
ブラジル インテルラゴス
アルゼンチン ブエノスアイレス 12
サンマリノ イモラ 11 リタイア
モナコ モンテカルロ市街地 17
スペイン バルセロナ 10
カナダ モントリオール 欠場 欠場 欠場
フランス マニクール 欠場 欠場 欠場
イギリス シルバーストーン 欠場 欠場 欠場
10 ドイツ ホッケンハイム 10
11 ハンガリー ブタペスト
12 ベルギー スパフランコルシャン 14
13 イタリア モンツア
14 オーストリア A1リンク 18 10
15 ルクセンブルグ ニュルブルクリンク
16 日本 鈴鹿
17 ヨーロッパ へレス

1998年

本年度F1サーカス3戦目のブラジルGPにて今年初めて姿を表した、数戦のレースに姿を表し、行く先々で様々な噂が出てくる、7月8日ドイツBMW本社にてBMWのスポーティングディレクターに就任、2000年にBMWはウイリアムズとのパートナーシップを結ぶ為ベルガーが大抜擢、今後が非常に楽しみな組み合わせとなる。

1999年

BMWのテストが本格化、内密のうちにテストを続ける、ルマン24時間レースではBMWモータスポーツチームの監督も勤めトヨタチームと激しいバトルを繰り広げ見事15号車(ピエロルイジマルティニ、ヤニックダルマス、ヨアヒムウインケルホック)が優勝、日本のお茶の間にも久しくベルガー監督のインタビューが見れた、来期のBMW&ウイリアムズ復帰に弾みがつく。

2000年

ベルガーがBMWモータースポーツディレクターとして活動する、BMWウイリアムズが2000年3月12日開幕戦オーストラリアでデビュー、周りからは最後まで走れないのじゃなにのか?と囁かれていたBMWウイリアムズチームのラルフシューマッハが3位表彰台を獲得、BMW13年ぶりの復活に花を添えた、その後も確実にポイントをGETしていく。
驚異の二十歳の新人ジェンソンバトンも3戦目にて史上最年少ポイントゲッターとして活躍、現在(スペインGP終了時)コンストラクターズ3位