戯れ言
色々思った事とかを日記代わりに書いてみる。 11月23日 二日連休一日目。昼過ぎに、街の本屋にでも行って、ついでに先日のうどん屋にでも寄るかとチャリで外出。 しかし、先週の日曜にそのうどん屋に行ったら閉まっていたので、ひょっとしたら日曜は定休日なのかも知れんなぁ、と思い、途中で方向変換。街とは全然違う方向に適当にチャリを走らせる。 途中、食堂もある弁当屋で飯を喰って外に出ると、もう日が暮れようとしている。流石にこの季節になると日が落ちるのが早い。 そこは全然知らない道であったが、先に行くと海があるはず。そうだ、水平線に沈む夕日でも見に行こう。と、適当にチャリを西に向けて走らせる。 川の土手を夕日に向かって走る俺。一つ学んだ。夕日に向かって走ると眩しくて敵わん。 と、気が付いたら川の流れの方向が変わって、少し北にずれていた。しかも思っていたよりも日が落ちるのが早い。そして未だに海に着く気配は無い。 これは不味い、と、土手から左に外れ、畑と農家に挟まれた小道を抜け、左手にある更に大きい川の土手に登る。ああ、もう河口付近だ。 急いで河口までチャリを走らせ、堤防の上に登る。そして水平線に落ちる夕陽を! 「………って、島やん! 天草やん!」 そう、目の前に広がっているのは水平線では無く、海の向こうにある陸地だった(天草諸島だと思っていたが、後で調べたら島原だった)。 と、横のテトラポットのある辺りから 「なーーー」 とおっさんの声が聞こえた。見たが、別に誰も居る気配は無い。空気の流れでそう聞こえたのか、ホントにどっかにおっさんが潜んでいたのかは解らぬが、こういうのが続くと、昔は怪異と呼ばれたのだろうな。 テトラポットの上に移動し、暫くぼーっと茜の空を眺め、ここんとこ色々あって疲れた精神を癒した気分になる。島の向こうに沈む夕陽も、そう悪くは無い。 日も沈んでしまって暫く経った頃、帰路につこうと土手を戻る。暫く進んでふと斜め後ろを見て驚く。川が光ってる。 恐らくは少し移動した事によって、さっきは島のに隠れていた光が川に反射していただけなのだろうが、それにしても眩しすぎる。しかも、先程完全に暮れたのをこの目で見た後だったので、狐につままれた気分だ。本日二度目の怪異。 その後、知らん道を適当に走りながら、何とか帰路に着く。 …街の本屋に行こうと外出したら、何故か海に出る。我ながら油断のならない物よ。 11月10日 昼休みに家から職場に戻り、職員用の玄関を開けると、玄関先で同僚が外仕事に行く準備をしていた。のだが、俺がドアを開けた瞬間に、玄関の電気が消えたと云う。 二人で 「あれ? 壊れた?」 と云いながらスイッチをパチパチやっていると、暫くして 「ポッ」 と一瞬付き、次に 「ぼや〜」 っと付き、その後普通に付いた。 今までに横を通った途端に街灯が消えた事は3回ほどあったが、蛍光灯が消えたのは初めてだ。それにしてもタイミング良すぎだ。 11月9日 せっかくの日曜であるが、これといって予定も無く、空模様もどんよりとして俺を外にいざなう事は叶わず。一日家でゴロゴロしていようと思ったら、今日が選挙の投票日であった事を思い出し、のっそりと外出。 しかし投票会場に行くも、相変わらずこれと云った候補者も政党も無く、俺の中では良くある様に無記名投票である。 そして、無記名の癖に記入場所に行き、書く振りをしながら、折っても形状記憶合金の如くすぐ広がる投票紙を折って遊んでいたりする。意味もなく四つ折りにしては 「ぐぐっ…」 と広がる様を、にまにま眺める有権者(つまりいい年こいた大人)。駄目臭い。 11月3日 連休二日目にして最終日。昼過ぎにもっそり起きて県立美術館の古代エジプト展などに赴く。 本などで良く見る壁画なども、実物だとレリーフの立体感まで解って新鮮。 死体の詰まったグルグル巻きを、老若男女が興味深そうに見ていたのがある意味興味深い。この中に窮屈そうに入っている主も、恐らくは復活を願ってこういう処置を施されたのだろうが、よもや数千年後に見せ物にされるとは夢にも思わなかったであろうな。 しかし、みんな彫刻などは説明書きの書いてある表面からしか鑑賞しないのな。裏から見ても面白いのは面白いのに。明らかに後から書き足されたであろう謎の数字とか(穿った見方)。 入館料はちょっと高め(1050円)ではあったが、まぁそれなりに楽しめた。 美術館を出て、建物の横に止めたチャリを出している時、壁に珍しいカタツムリを見つけて思わず写真に撮る。
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