「……ん……」
大きなベッドの上、仔猫がじゃれつくように口唇を合わせる。
恋人の口付け、というよりただ触れることを楽しんでいるかのように繰り返されて、デュオの身体に張っていた力が抜けていく。
自然とヒイロの背中へ回していた腕が、シャツにゆるやかな皺をつくった。
「……………っ」
額へ、目許へ、頬へ、口唇へと徐々に落とされていった口唇が、やがて首筋へと辿り着く。
やはり邪魔だったのか、そのままの態勢で指がシャツのボタンにかかった。
緊張しているのか、ビクッと跳ねたデュオにヒイロの口許に笑みが浮かぶ。
「ヒイロ…もしかして、さ……」
おっかなびっくり。
そんな形容が一番似合うような表情で、デュオはもしやの可能性の確認をとってみた。
「ああ」
即答。
どうやら彼の、これ以上先に進めようかという意志は固いらしい。
「うー…でもさぁ」
「……黙れ」
それ以上の言葉を遮るように、口が塞がれる。
まあ、状況的に止めるのは今更だという事は言った本人とてよく知っていた。
だけど。
そう、だけどなのである。
ヒイロがやろうとしてる…まあ、文字通りやろうとしているわけだが…ことは、はっきり言ってしまえばキスとかとは次元の違う話なのだ。
キスすることや抱き合うこと。それは、とても気持ちがいい。
人肌というものは苦手という人もいるが、デュオにとっては安心出来る、好きなものの一つ。ましてそれが特別な人ならなおのこと。
そうしてキスという行為は挨拶とは違う意味合いを含ませれば、それだけでうっとりするようなもの。
だけど今ヒイロが推し進めている態勢とゆーのは、なんだか非常にナマナマしい行為を連想する。
と言うか、それが目的。
ぎゃーーーーーーっ!!
色気のない叫びがデュオの中でこだました。
「…くぅ………」
なんだかヒイロは妙に楽しそうで、とてもじゃないが今更嫌だなんて言えない。
いやもちろんヒイロが嫌というわけではなくて、ただ気構えというものが必要と言うか…。
とにかく、今はまだ絶対に嫌なのである。
でも、触れてくる指先はやさしくって、見つめてくるヒイロの瞳は吸い込まれそうなくらいに真剣で。
気がつけば流れに乗せられている自分がいる。
―――このまま、流されるとか……?
やばい。
それは、すごく困る気がする、なんとなく。
まだそれは怖いんだ。
感じる体温を、確かめるように触れる。
ほのかに温かいそのぬくもりは、基本体温の問題ではなくて多分デュオの精神的なものからの発熱だと思う。
いつもより温かい身体、ほのかに染まった白い肌を丹念に辿っていく。
これは、ずっと触れたかった身体。
触れられればどうでもいいというわけではなかったけれど、それでも欲しいという気持ちを押さえることすら出来なかった存在。
ようやく、腕の中に堕ちてきたという事実は嘘のようで、実はまだあまり実感が沸かない。
―――でもこうしていると自分のものだと思えてくる。
見下ろすこれは、獲物を捕らえた獣の姿勢。
目を合わせ、そして首筋へと歯をたてればそれだけでわずかな反応が返る。
首筋なんて、見事に急所の一つだ。その皮膚を食い破って血管を切れば、簡単に命なんて奪うことが出来る。
そこを委ねられているという現実。
…………満たされる征服欲に、目眩がする。
邪魔なシャツのボタンを一つずつ丁寧にはずし、胸元をはだけていけば組み敷いた身体がすくんだ。
それを横目に、さらされた肌に口付けをおとしながらその手を、そのままもっと下へと降ろしていく。
留め具に触れただけで怯えたように震えたその反応に、ヒイロの口許に笑みが浮かんだ。
ついにズボンへとかかった指先に、やっぱりもうダメかな、と覚悟を決める。
今更お互いに止めようがない。肉体的に、というより精神的に。
嫌だし、まだ怖い。
でも同時に、触れてくるヒイロのぬくもりは離したくないな、なんて思っている。
結局、自分は強欲だ。ヒイロの望むものは与えたくないけれど、自分の欲しいものは手に入れようとしてる。
それは取引きとしてフェアじゃあない。
だったら、与えるべきなんだろうか。だけど、男のオレが男に抱かれるっていうことは何だかやっぱり異質な気持ちが消えない。
痛いんだろうなぁ。
なんか妙な話だけはいろいろ聞いたけど…どう考えてもやばい感じだ。
「…ヒイロ、あのさやっぱり…………」
止めちゃダメ?
そうお伺いをたてたくて名前を呼んだが、顔を上げたヒイロにその先が言えなくなる。
すっごい、嬉しそうだ。
表情そのものが変わっているわけじゃないんだけど、放つ気配ですぐわかるくらいに。
「デュオ?」
黙ってしまったデュオにヒイロが不思議そうに声をかける。
その瞳の真剣さに気圧されて、曖昧に笑ったデュオは本格的に覚悟を決めようと一度目を閉じ、祈るような気持ちで視線を室内に逃がした。
ヒイロ越しなのでそれほど広範囲が見えるわけではなく、自然枕元のほうを見ることになる。
そうして、デュオの視線はそのまま一箇所で止まった。
「………デュオ?」
「………雪…」
そのまま止まってしまったデュオに、ヒイロが再び声をかける。
それに対しデュオは、ヒイロの言葉になんて気付いていない様子でぽつりと呟いた。
「雪?」
「雪、止んでるっ!!」
デュオは嬉しげに叫んで、そのままの勢いでヒイロを押し退け窓に駆け寄った。
「うわー地面が白いッ!!オレ実は見るの初めてなんだよ雪景色。さっきまで周り中真っ白でよく見えなかったんだけどさ、結構積もってるんだな。キレイな白だなーあれってやっぱりすげー冷たいんだろ?」
頬を紅潮させて子供のように嬉しげにはしゃぐ。
見入られたように窓の外を眺め、手を叩いて喜ぶデュオを前に、しばらく沈黙をまもっていたヒイロが深い、それはもう深い溜め息を吐いた。
「ヒイロ?」
くりっ、とデュオが振り向き、それから一瞬の思考の後に「しまった!」という顔つきになる。
「え、えーとヒイロさん…その、……あ、あははははははは……」
相当いい具合だったムードは、ちょっと修復不可能な雰囲気だった。
「えと、えとその、さ………ごめんな?」
困ったように、でももう続ける意志はなさそうに可愛く謝られてしまって、ヒイロは一体こいつのこの性格はなんとかならないのかと真剣に考えてしまった。
結局、世の中全て惚れた者の負けである。
「俺は、休暇中のはずなんだが」
「まあ、そんなことを私に言われても困るわ。恨むなら運と間が最悪に悪い自分を恨んでくださいな」
ヒイロとデュオが休暇に入った翌夕、急遽とある会議に出席が決まったリリーナの為にヒイロは休日返上で呼び出された。
暗〜い面持ちのヒイロをにこにこと送り出したデュオの、どこかほっとしたような顔に返す返すも腹がたつ。
「まあ、急な話だということは認めますけど。いいじゃない、お願いしたいのはたった2日間だけよ。それとも何か困るのかしら?」
事情を知った上で、本当に心底楽しげに問いかけるリリーナを、ヒイロは嫌なものでも見るように睨んだ。
機嫌は最下層を爆走中である。
「可愛い想い人と二人きり、ドラマティックな雪国で昨夜は何をしていたのかしら?まさか何もなかったなんて言わないわよねー」
リリーナはころころと笑いながらそう言って、探るようにヒイロの顔を覗き見た。
しかし、あっさりと目が反らされる。
「………まさか、本当に何一つ無かったの」
「答える義務はない」
「まあ、私は最初に、有用な情報の見返りに報告してもらうと言ったハズよ。これからのことを考えるなら多少なりとも言わないと、酷いわよ?」
むうっ、と顔を顰めてみせて脅しをかけるリリーナに、ヒイロはこいつなら何かしかねないと思った。
たとえばガードと称してデュオをずーーーーーっとはべらせておくとか。
立場上、有能なボディガードは必要だから充分実行可能な可能性である。何故かリリーナと仲の良いデュオは、多分断らないだろうし。
「……何もしてないわけじゃない」
「そう、良かったわ。キスは出来たのね」
「………」
譲歩する気持ちで少しだけ答えれば、正確な答えをはじきだされてしまった。
―――やっぱりどことなく嫌味な女だ。
気付いても、言わないでいて欲しい。これでも傷心の身だ。
「……時間だろう。とっとと行け」
「はぁい。でも、ちょっとだけ安心したわ。少しは進展したのね。ホントに、じれったくて嫌になるのよあなたたち」
「うるさい」
「いいこと、デュオを不幸にしたら私が許さないですからね」
「言われなくてもそうする」
ヒイロの返事に満足したのか、ようやくリリーナはドアを開けて出ていった。
嵐の去ったような室内で、すぐに戻るとはいえ一人残してきた存在に思いを馳せる。
「今度こそ、覚悟してろよ」
「今度こそ」が多いとさすがに自分でも情けなくなるが、多分強引に迫らないと先に進みそうに無い。
繰り返すが、この休暇中が鍵。逃がせばきっと逃げられるに違いなく、それを捕まえるにはとんでもない苦労と時間がかかるのだ。
でも、まあ。
「とりあえずは、あそこから逃げ出しはしないだろ」
任務を終えたら必ず会える。
少なくとも、今はそれを幸せと思っていいのかもしれない。 ささやかではあるけれど。
そうして、ヒイロも彼自身の任をこなすべく、リリーナの後を追うようにその部屋を出た。
「少しくらいのいじわる、許されていいと思うの」
最初に好きになった人はつれなくて、次に惹かれた人は最初の人を見ていた。 どちらも恋と呼べるほどまで感情は育たなかったけれど、それよりも前に摘み取られてしまったのだけれども。
それでも、やっぱりまだどこかであの二人の人を見ていたい。
「幸せになって欲しいわ、二人共に」
でもちょっとだけ悔しいから、まだ少しだけ引っ掻き回してあげる。
からかいながら、この先を見守っていきたい。そうして、紡がれる未来を見てみたい。
「そんな関わり方も、きっとアリよね」
ヒイロが好き。
デュオが好き。
それは、せつなさと共に自分の中に在り続ける。
きっと、一生。
「…でもやっぱりデュオでヒイロを遊ぶの、楽しいわ。くせになっちゃいそう」
怪しい趣味に目覚め始めた無敵の外務次官。
彼女に目をつけられてしまったヒイロの先行きは、もしかすると、暗いのかもしれない……………。
友達以上、恋人未満。
まだまだこの先、わからない。
end.
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