それは、ヒイロとデュオの追いかけっこから1ヶ月ばかり経過したある日。
その日は珍しくカトルも出向いてきており、ヒイロはデュオとカトルのあいかわらずの仲の良さに一日中不機嫌だったという、そんな日が終わろうという頃だった。
「それじゃあね、デュオ」
「ああ、気をつけて。またな」
ようやく帰るのかとほっとしたヒイロの目に飛びこんできたのは、カトルの頬へと口付けるデュオの姿。
一瞬で眉を吊り上げたヒイロは、途惑うデュオを無理矢理引きずって自室へと戻った。
「おい、痛いって。なんだよヒイロ」
「うるさい」
そのまま強引に口付けられる。突然のキスに、デュオはそれでもいつものことかと素直に受けとめた。
「二度とするな」
「…え?」
「二度と、俺以外の奴に口付けるな」
「え……って…あんなの、ただのあいさつだろ?」
そんなことになんでヒイロがそこまで怒るのかわからない。けれどデュオの途惑いを無視するかのように、ヒイロは続けた。
「うるさい。二度とするな、いいな?」
「…………ん…」
それは、確認というより命令だった。
「嫉妬だね」
先程の謝罪をと思い、連絡をとったカトルがモニター越しにあっさりとそうのたまった。
「ヒイロってばどう見ても独占欲強いじゃない?きっとじきにデュオが自分以外の誰かとしゃべるのも嫌がりだすよー、うわっみっともない」
「か、カトル…それは言い過ぎじゃ…」
さきほどのヒイロのセリフを相談したのは間違いだったのかもしれない。
デュオの脳裏にほんの少し後悔の二文字がよぎった。
「甘い!甘過ぎるよデュオ!!ああいう輩はほっとくとどんどんつけ上がるんだからね。まったく、僕のデュオを一体なんだと思ってるんだか…」
拳を握りしめ力説するカトルにデュオが困ったような笑みを浮かべた。
デュオとカトルの友情は深い。故にカトルにとってヒイロははっきり言って邪魔なのだが、デュオが彼を好きだというのでしょうがなくバックアップの姿勢をとっている。
ちなみに最近は、『腹いせにヒイロのみを引っ掻き回して遊ぶ』ことを趣味に上げている、なかなか豪気な人物である。
「いい、デュオ。そういうわがままは聞いちゃダメだよ。つけあがらせたら終わりなんだから。そういう相手にはね…」
「うんうん」
その日のひみつの通信は、日付が変わる頃まで続いた。
夜が明けたことを告げるように、窓から朝日がさし込んでくる。
不思議と鋭いその光から腕の中の存在を護るように、ヒイロは少し身体の位置を変えた。 ぬくもりが離れるのを拒むようにデュオがその身体に擦り寄る。
それにあたたかいものを感じつつ、その身体を再び腕の中に抱き込んだ。
「ん……」
その動きに、デュオの意識がゆっくりと覚醒する。
寝惚け眼のまま、ヒイロへとにこりと微笑んだ。ヒイロは実はこのときの笑顔がすごく好きだったりするのだが、それはデュオの知らないことである。
「おはよ、ヒイロ」
今度こそぱっちりと目を開けたデュオがそうあいさつをする。ここまではいつも通りの朝。けれど、ここからはいつもと少々違っていた。
「……おい」
そのままベッドを抜け出て衣服を身に着け始めるデュオに不審気な視線をむける。いつもなら、ここで『おはようのキス』があるはずなのだ。
「なに?ヒイロ」
「………」
わかっていて問い掛けていることがわかる、いたずら気なデュオの表情に無言で詰め寄る。そのまま顔を寄せていくと、途中で口許を手の平で押さえられた。
「『あいさつのキスはなし』、だろ?」
「………『俺以外』、と言った筈だ」
「んー、でもそんなの不公平だろ?こういうのは平等でなくっちゃ。それに、それ以外のキスならいっぱいしてるしな」
昨夜も、と言外ににおわせる。
「とにかく、あいさつのキスはなし。O.K?」
「………」
まだ何かいいたげな、不満そうな顔をしているヒイロを残して素早くその部屋を出た。
「あー、なんか気持ちいいかも」
めずらしくなんとはない勝利感がある。
さて、ヒイロはどうでるだろうか?
「カトル、よく来たな!」
「デュオに会いたくて会議すっぽかして来ちゃった。元気?」
今日も今日とてカトルがやってきた。昨日の今日なのでヒイロとしては切れる寸前である。
それでなくとも朝のデュオの宣言で苛々していたというのに、その当のデュオとはしゃいでいる様を延々と見せつけられるのだ。しかもヒイロでは絶対に浮かべさせられないだろう類の笑顔をもって。
「昨日あんまりゆっくり出来なかったでしょ?今日は時間たっぷりとって来たんだ」
「いっそのことオレの部屋泊まってくか?宿舎のベッドだから固いけどさ」
「デュオと一緒ならどこでも天国だよ」
「なーに言ってんだよー」
その場の空気はどう贔屓目に見ても一つの雰囲気で統合されていた。
すなわち。
『ヒイロ邪魔』
である。
明らかにシカトされている空気を感じ、ヒイロは溜め息を吐きつつミーティングルームを後にした。
「………………行った?」
「……行ったみたいだね」
途端に今まではしゃいでいたのが嘘のように二人が静まる。
念の為にと気配も探ってみたが、ヒイロは本当にいなくなったようだった。
「で、どうだった?」
「ん、まだわかんないんだけどさ。とりあえずなんか悔しそうだった」
「ホント?いい気味だね」
「か、カトル……」
「嘘だよ、やだなぁデュオったら。本気にしたの?」
どうも目が笑っていないような気がするのだが。
ヒイロがいなくなった二人きりの部屋でこそこそと内緒話を続ける。内容はもちろん、昨日の夜話し合った『あいさつのキス』について。
「ヒイロの方から折れてくるまで絶対に続けるんだよ?それと夜も一緒に過ごさないこと。ヒイロが折れてくるまで1回もキスさせてあげちゃ駄目」
「ムズカシイなぁ…」
「デュオはヒイロのものじゃないんだから。あんまり自分勝手言わせちゃダメだってば」
「それは……」
「そういうことか」
なんの感情もうかがわせない無機質な声がその場に響きわたった。
凍り付いたような沈黙がその場におちる。
ヒイロは無言で二人の傍まで進み、先程まで座っていたイスを引く。彼の動きを目で追っていた二人の目が同時に見開かれた。
「迂闊だったな」
そこにあったのは小型の機械。
「話は全部聞かせてもらった。ずいぶんおもしろいことをしてくれたな、カトル」
「カトルは悪くない、オレが…」
「うるさい」
デュオの発言は即座に叩き落された。ヒイロの表情は微かに微笑んでいて、どうやら相当頭にきているらしいことがそれで伺える。
「まず言っておく。こいつは俺のものだ。お前に口を出される謂れはない」
「君のもの?そんなことない。誰かが誰かの所有物になるなんてことないんだから」
この場はすでに一色即発、ヒイロVSカトルの構図が出来あがっていた。デュオははらはらしながら二人の様子をうかがう。
「うるさい奴だな。なら、証拠を見せてやる」
「え?」
今まで二人の様子を横で見ていたデュオの腕が引かれる。
自分の身に起こったことを認識するよりも早く、口唇にあたたかいものが触れた。
「う………ぅうーーーっ!」
暴れるデュオを無視して、傍で呆然とするカトルを無視して、口付けはどんどん深くなる。デュオが息苦しさに腕を突っ張ると一度だけ解放され、そしてまた重ねあわされた。
続けられる口付けにデュオの抵抗が弱まっていき、カトルの存在が頭から消えていく。気付けばヒイロのシャツに皺をつくっていた。
やがて縋るようにしがみ付いていた姿勢から、自ら強請るように腕がまわされていく。
ヒイロが口付けを続けながら、デュオを見つめていた視線を横へ流した。
カトルと視線があると、目で勝ち誇ったように笑んでみせる。
カトルは溜め息を一つ吐くと、静かにその部屋を出た。
「デュオったらやっぱりヒイロに甘いよなぁ…。もう手遅れなくらいつけあがっちゃってるじゃないか」
苦虫を噛み潰したような表情で、ミーティングルームに続く通路に清掃中の札を立てておく。
「ホント、僕っていい人」
この精神的疎外感はやっぱりヒイロに償ってもらうしかないよね。
と、懲りないカトルはこころに誓ったのだった。
「…あ……」
「俺は、言ったはずだな?後悔するなと」
「やぁ…ヒイロ……」
「その時から、お前はもう俺のものなんだ。諦めろ、お前が悪い」
「ん……………」
たぶんもう聞いていないだろうデュオに、ヒイロは優しく口付けた。
end.
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