「あ、その辺に適当に座れな」
別にヒイロがこの部屋に入るのは今日が初めてなわけではないのに、妙に緊張してしまってデュオは咄嗟に言わずもがななセリフを吐いていた。
その辺に適当、とか言っても物の少ないこの部屋で座れるのはデスクチェアーかベッド位しかない。現在のヒイロの定位置はベッドの方だ。
気にした風もなくそこへ座ったヒイロの横に自分も座りながら、さてどうしたものかとデュオは考えた。
実は単純に、普通に話がしたかったのだ。
『渡すものがある』とか言ってしまったがあれは何故かふいに口をついたセリフであって、実際に何か用意してるとかそういうわけじゃない。
それとも無意識であるだけで本当に渡したい何かがあったのかな、と考えながらデュオはちらりとヒイロを見た。
デュオの心中など知らぬヒイロはいぶかしむ様子もなく、無言でデュオを見ている。
そのまっすぐな視線についいつもの展開を想像してしまったデュオは、自分の雑念を振り払うようにぶんぶん首を振った。
「あのさ、ヒイロ」
「なんだ」
既に慣れているのかヒイロはデュオの唐突な行動に疑問を抱くことはなかったらしい。あっさり返されて、逆にデュオの方が言葉に詰まった。
「えーーーと、あのさぁ…うん」
「………」
「あ、いや。久しぶりだよな」
「ああ」
「………」
「………」
途端に話題が尽きた。
言葉を探して頭をフル回転させながら、デュオは自分はなんでこんなヒイロを呼んだりしたんだろうとか既に後悔し始めていた。
何か話したかったのだ、何かを。
―――それは一体なんだったんだろう?
考えれば考えるほど混乱してきてしまって、デュオはえーとえーと、と場を繋ぐ為の話題を考えた。
ふいにヒイロがデュオの肩に手をかけた。
え?と思い顔を上げると、間近に迫ったヒイロの顔が傾けられるところだった。目尻に軽く口付けられ、左手が頬に触れる。
思わぬやさしい接触にデュオが途惑っていると、肩が押されて、ヒイロに上にのしかかられた。
服にかかった指に、ああいつもの構図だな、と思いながらデュオは目を閉じた。
特に抵抗の意志はなかった。
ヒイロの手に、指に、口唇に。愛してるという囁きに慣れた。
慣らされたという方が正しいか。
話をしたかったのだが、それが見つからない以上特にやることもなくて、沈黙が痛くない相手の筈なのに恒例となった時間の潰し方。もうそれを当然のように自分は感じている。
―――ああ、そっか。
思い出した。話したかったこと。
―――『何で、いつから、オレなわけ?』
自分はヒイロを何も知らない。だから、話すことから始めようと思ったのだ。
知っているのは、触れる指のやさしさだけ。
「や…だっ…」
背中に回された腕の感触に、ヒイロは目を細めた。
こんな風にデュオに触れたのはもう数え切れない回数。消えない羞恥や抵抗感があるのか、始めデュオはいつも瞳を伏せている。
始まりの合図はいつも、首筋へ口付けることから。
動脈近くのそこに噛みつくことを許すデュオは、その時間違いなくヒイロに全てを委ねている。
噛みつく瞬間の痛みよりもその後の宥めるように辿る舌の感触により反応するデュオは、いつだって感覚に流されることはない。
委ねながら線を引く。どこか冷静な光を残し、身体の反応に途惑うような揺れを見せる瞳はいつもヒイロを許しながらも拒んでいた。
触れてみたいと思った最初の気持ちに偽りはない。
何をしているかわからなかったが、やってみたいと思ったものが「キス」と言う行為だと知り、デュオと何度もそれを交わした。
始めは途惑いをみせたデュオが、馴染むまでに数週間。
今回も同様だ……始めに身体に触れたあの日から、少しずつ。本当に少しずつ距離が縮むのが実感としてわかる。
最初の頃拒むように肩に添えられた手がすがるようになり、やがて自分を引き寄せるようになる。
怯えたようにちぢこまっていた身体が委ねるようにほぐれていく。変わらないのは、声を洩らさないよう噛み締められた口唇だけだ。
デュオの気配が馴染んでいくのがわかる。
縮むのは現実の空間ではなく心の距離。
「……ぅ、ん…っ」
既にもう意識がぼんやり霞んでいるだろうデュオを、さらに追い詰めるように舌を絡める。思考力を奪わない限り、デュオが本当に自分にすがることはない。
熱に染まる身体が縋りつく。拒む代わりに自分から望むように押し付けてくる熱に、焦らすことなく応えてやりながらそれでも焼けつくような焦りを感じている自分にヒイロは気付いていた。
足りない。
ついこの間までこんな感覚は自分になかった。手に入るデュオに欲が出たのか、どこまで求めれば気が済むのか。
足りない。
何が足りないのかもわからない。デュオはここにいる、今自分の手の中に。
足りない。
焦る気持ちが指の動きにも現れるのか、デュオが悲鳴のような声を上げて果てた。
急かしたせいか息はいつもより荒く、しがみつく指には力がない。
腕の中でがくりと力尽きるデュオに、確かに胸に満ちるなにかを感じるのに、熱を感じるのに、何かがもの足りないとそれだけがはっきりと浮かぶ。
「………デュオ」
足りない何かを知りたくて、ヒイロはそっと囁いた。
汗で張りついた髪をかきあげてやろうと伸びあがった、その時。
「!あっ……」
デュオがびくりと大袈裟な反応をした。
……………何だ?
ヒイロは訝しげに眉を顰めた。
「………デュオ」
けだるい身体に、ヒイロの声が染みとおるように響く。
なんだかもう恥ずかしいとかいうランクは越えていて、馴染んでしまった微妙な空気。それでも羞恥心が湧き起こらないかと言えばそういうわけでもなくて、デュオは返事を返さず荒い息のまま視線を逸らした。
これで、あとはヒイロが自分のものの始末をつければ終わりだ。
その後くっついて眠るかどうかはいつもその場の雰囲気次第だけれど…今日はなんだか酷くだるくて身体が動かないから、多分このままになると思う。
デュオはぼんやりとする頭で浅く息を吐いた。
身体の上でヒイロが動く気配がする。服は脱いでしまっているから、裸の肌と肌の擦れる感触が心地いい。
安らぐような感覚に、デュオは息を吐いた。
ヒイロの腕が動いて、顔の方に伸びて……その時。
「!あっ……」
デュオは唐突に触れた熱に怯えたように、反射的に身体を震わせた。
……え?え?え?!
――――熱の出所は……あ、脚?脚の間?!
先程までの余韻などぶっ飛んで、デュオは慌ててヒイロを押し離そうとした。
もしかしなくても凄くやばいかもしれない、その位置はその位置は、いや別に突っ込まれてないけど位置関係がっ!!
何が起こったのかわからない、とにかく早くヒイロから逃れなくてはという気持ちが先行する。
焦っていたデュオは怪訝そうなヒイロの瞳に気付かなかった。
「やっ…!ちょ、待てヒイロ。待てってばっ」
「………」
闇雲にじたばた暴れるデュオの手首をヒイロが邪魔そうに掴み、ベッドに縫い止めた。
―――まさか、まさかまさかまさかっ?!
その体勢にもしやの予感が確信に変わる。
「う…嘘だろぉ……っ」
デュオはぎゅうっと目を閉じた。
何か言いかけたヒイロの口が、言葉を発しないまま閉じる。怪訝そうだった瞳が細められ、少し考えた後探るような眼差しに変わっていった。
「………デュオ、どうした?」
あまり体勢を変えないよう少しだけ身体をずらして、ヒイロが囁きかけた。
声に含まれたからかいの響きに、デュオはヒイロが『知っている』と確信した。
「………いつから知ってたんだよ…」
「何をだ?」
「………お前、やな奴」
口調も見下ろす眼差しも、ヒイロのそれはデュオをからかうものだった。デュオの中で確信が深まっていく。
自ら踏み出した過ちに、デュオは全く気付かない。
「最近だよな、知ってたら前回何もアクションなかったのおかしいし。やっぱトロワか?この間なんか言ってたし…あいつ、余計なことを…」
「……お前が言わないからだろう?」
当り障りのない言葉を紡ぎながら、ヒイロはデュオの言葉を分析していく。
―――何か隠してるな。
それも重大な何かを。
デュオが視線を逸らしているのを確認してから、ヒイロはざっと自分達の体勢を確認してみた。
デュオの上にのしかかる自分、多分それではなくて…そう、デュオが反応したのは………。
「ひゃっ」
唐突に動かされた腰に、デュオが情けない悲鳴を上げた。びくっ、と震えたその反応にヒイロは確信を得る。
「や…だ、ヒイロ、オレさすがにそれはやだよ……」
急に弱気になったらしく、デュオが胸の辺りにあるヒイロの頭に指を滑らせた。
くせのない強情なまでにまっすぐな髪を掴むと、指の間からそれがさらさらとこぼれる。緊張しているのか、デュオの身体は強張っていた。
「何故?」
なんとなくだが少しずつ見えてきた答えに、ヒイロが慎重に言葉を紡ぎ出す。
「だって、すげぇ痛いらしいし…さすがに男とやっちゃうのはシャレになんないし。絶対オレ突っ込まれる側っぽいし」
「『突っ込む』?」
「…………………………え?」
「……やる、か。……なるほど、そういうことか」
得たりと、ヒイロがにやりと笑った。
ヒイロのがらりと変わった口調に、デュオがはっとして逸らしていた視線を合わせる。ヒイロのそれは何かを掴んだ確信的なものになっていた。
「お前、まさか…」
「さて、説明してもらおうか…デュオ」
「え、え…?まさか、え、いや………え?」
「つまり、いれられるものなんだな?……お前の、ここに」
「…ッ!!」
指でなぞられて、息を止めたデュオは呆然とヒイロを見た。
ヒイロが身体を離して、正面からデュオと視線を合わせる。言い逃れは許されないだろう、多分。デュオは情報を与え過ぎた。
「お前……」
「手順は?」
「………」
「わかった。このままで大丈夫なんだな」
「わーーーーっ!!!わわわちょっとタンマ待った待てぇえええっ!!!!!!」
言葉と同時に脚を抱え上げられて、さすがにデュオが声を上げた。
先程の余韻はまだ残っていて、けだるい身体はあまりいうことを聞いてくれそうにない。早鐘のように打つ心臓はさっきまでよりも早いくらいだ。
「……………………。慣らして、からでないと」
果てしない逡巡の末、デュオは小声で呟いた。
「どうするんだ?」
「ゆ…………いや、やっぱいい。自分でするから、うん」
デュオは逃げ出したい気持ちいっぱいのまま真っ赤になった顔を横向けた。
ヒイロに指を突っ込まれるなんて、冗談じゃない。
自分はバカじゃないだろうか。一番避けたい事態を自ら招いた気がする。
しかも絶対逃げられない上、リードをとるのは下と決定してるらしい自分だ。
どうせこんなことになるなら最初からマニュアルでも見せとけば良かったかもしれない。そうすれば、こんな一人で恥ずかしい気持ちを抱えなくても良かった筈だ。それは酷く無意味な仮定であるのだけど。
―――どっちだろう。
内心で、デュオは呟いた。
今自分は後悔しているけど、本当に嫌なんだろうか。いや、嫌だとは思うけれどそれはヒイロとすること自体をか、それとも痛そうなことだろうか。
今状況に流されているけれど、自分から流れに乗っていないか?
自分に問いかけながら、少し伸びあがるようにして手を伸ばす。
すぐ手の届く枕元の棚に、先日怪我をした際使ったまま放置してあった薬があったはず…あった。確かこういったものは、無いよりあった方がずっといいと聞いたことがある。
ヒイロの目の前でそれを使ってというのはぞっとしない想像だけど、と考えてデュオはふと大人しくデュオの動きを見守っているヒイロに視線を戻した。
「あのさ、ヒイロ」
「なんだ」
「………キス、しててくれる?軽いやつ」
「………」
デュオの申し出に、ヒイロがそっと顔を寄せてきた。
ヒイロもデュオがどうしようとしてるのかは掬い取った軟膏からそろそろ予想がついているだろう。
多分、明日になったら、こういったことは男同士でも可能なんだと学んだヒイロは色々調べだすんだろう。
何も知らない男を相手にリードしてそんなことをする今の自分と、多分次にそんなことになったときヒイロにいいようにされるだろう自分と、どちらがましなのかな、とデュオはぼんやり考えた。
どっちにしても痛いんだろうし、そしてどっちにしても許してしまう自分は変わらないだろうと、ただそれだけはわかった。
「………そっか…」
「…なんだ?」
キスの合間の囁きに、デュオは何でもないと軽く首を振って瞳を伏せた。
結構、嫌じゃないかもしれない。
渡したかったものを、ようやく見つけたような気がした。
「あ…っ、ん……」
「く…っ」
それが予想より困難なことは、挿れ始めてすぐにわかった。
力を抜け、と言ったところで苦痛を感じているらしいデュオが緊張を解くことは難しそうだったし、呼吸さえもままならない様子の彼には自分の声も届かない。
かといって今更止めることも出来ないし、ヒイロは緊張をほぐすように痛みで萎えたデュオのものに指を絡めた。
快感など感じる余裕もないデュオが、それでもヒイロの手の感触にびくりと反応を返す。
「やっ……!!」
気が逸れて力が緩んだところを、ヒイロが一気に腰を押し進めた。
ずるり、とのめり込むような感覚に思わず身体を強張らせたデュオが、逆にその自分自身の動きでより苦痛を感じてしまってうめく。
「……デュオ」
息を詰まらせたヒイロも、強烈な苦痛と快感をやり過ごすとそっとデュオの髪をかきあげた。
きれいに編み込まれていた髪はすでにぐしゃぐしゃになって端々がほつれている。汗で湿った額から前髪を払ってやると、そのまま手を頬へ滑らせて顔を傾けた。
「ん……」
少しは衝撃も薄れたのか、呼吸を落ち着かせようとしていたデュオが、静かにとはいえ変えられた体勢にうめく。
宥めるように手を重ね合わせて、ヒイロは間近から苦痛に青ざめたようなデュオの顔をじっと見た。
足りない、と。
さっきまで飢えたように沸きあがっていた感情が今は嘘のように静かだ。
これを求めていたんだろうか、それとも終わってしまえばまたこの先を求めるんだろうか。それは今はわからないけれど。
「………デュオ」
苦痛の中、しっかりとしがみついてくる腕がある。名前を呼ぶと、苦しげに、でも確かにまっすぐヒイロを見つめる澄んだ青い瞳。
ああ、多分。
―――求めたものは、手に入った。ついに捕まえた。
ヒイロは口元に微かな笑みを浮かべた。
デュオが深く息を吐き、ぎゅうっとしがみつく。
「………デュオ」
「あ…っ……」
囁くと、ヒイロは軽く腰を揺らした。痛みにデュオが息を飲む。
「あ…、あっ…やぁ、ヒイロ……んッ」
あとは、もう止め難いかのようなヒイロの動きに、痛みと熱ともしかしたら少しの快感と。全てごちゃごちゃになったような熱に浮かされて、デュオの意識は闇に落ちた。
それは、プリベンターの任務の帰りのことであった。
「………」
「ヒイロ?」
唐突に立ち止まったヒイロにデュオがいぶかしげに顔を向ける。
ヒイロの視線の先を辿ると、どこにでもある平和な公園の風景。前に通った時と違うことと言えば平日なのであまり人気がない、という事くらいだった。
「?」
一体何がヒイロの意識に触れたんだろうと考えて、ふと視線が一箇所で止まった。
そう、全ての事の起こり。先日いちゃついてたアベックがいた場所。
普通の人間だったらあんまり気付かないだろうと思われる、死角と呼べそうなその場所。
デュオは横目でちらりとヒイロを見た。何か、検討しているような顔。
「………………。ヒイロ」
嫌な予感に、デュオはヒイロを引っ張って早々にここから立ち去ることにした。
最初に甘やかしたのがいけなかったのか、自己学習を始めたヒイロははっきり言って何をやりだすかわからなくて恐ろしい。
そう、デュオももうわかっている。ヒイロに欠けているのは情操教育じゃない、欠けているのは『常識』だ。
―――もうこの道は二度と通るの止めよう…。
ヒイロの腕を引っ張って歩きつつ内心で誓いをたてるデュオを横目に、ヒイロは彼に見えないよう微かに、けれどはっきりとタチの悪い笑みを浮かべた。
end.
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