夢のしずく



戦後、プリベンターの機能が休まることはない。
一見平穏に見える世界の裏側では、絶えず暗躍する存在がある。
世界各地の内紛が収まることもなく、『平和』と呼ばれているのが不思議なほどであった。
けれど、表面上の平和も続ければいつか本当になる。
その時の為に、その時を目指して、プリベンターは裏世界の不穏分子を突き止め抹消するための努力を惜しまなかった。
戦争が終わって2年、マリーメイアの乱から1年。
まだ世界は不安定なままで、けれど着実に一歩ずつ、平和への道を歩もうとしていた頃である。
そんな中、『ガンダムのパイロット』という存在の立場は微妙だった。
彼らを平和へと導いた者だと言う者もいれば、家族を殺された私怨を抱く者もいる。
戦争の申し子のように考える者もいれば、コロニーと地球の対立構図の象徴だと言う者もいた。
様々な考えの中、共通していた認識が一つ。
―――彼らの存在が、現在の世界にとって酷く危険だということ。
それは、平和にすごす者たちにとって不安を抱かせるものであったし、現在の政府に不満を抱く者たちにとっては利用すべき存在だった。
だから、彼らは姿を消した。
巧妙に仕組まれた情報操作によって、ガンダムパイロットが何者なのかを知ることすら出来る者は少ない。
また、たとえ知り得たとしても彼らに手出しを出来る者はまた限られてくる。
そうして、手出しを出来たとしてもそれは未然に察知され、彼ら自身の手によって潰されるのが関の山だった。
いたちごっこだということは理解していても、いかに彼らとはいえ全ての痕跡を消し去ることは不可能であったのだ。
彼らは、それぞれがそれぞれの身に降りかかる火の粉を払っていた。
だから今度のカトルの召集は異例の事態………それまでとは桁の違う騒動の存在を予感させるものだった。


「久しぶり、ヒイロ。元気そうで何よりです」
召集場所はプリベンター本部の会議室の一つだった。
特殊な壁により防音効果の高いこの部屋には、すでにヒイロを除く3人の姿がある。
「さすが、時間ぴったりですね」
非常事態との連絡を疑いたくなるほど、カトルの表情は明るい。
久しぶりに会った友人の姿に、純粋に喜んでいるのがわかる。
ヒイロは、もう一度部屋を見回した。
狭い室内には確認するまでもなく、デュオ・マックスウェルの姿がない。
不定期に見続ける夢の中に出てくる彼の存在。
何故だか疚しいものを感じて、ここに来るまでの間ずっと気重だった。
ドアのロックに手をかけた瞬間に僅かに腕が強張ったのは、この中にデュオがいることを予想してのことだった。
ヒイロが辿り付いたのは指定された時間丁度。
けれどそこにデュオの姿はない。
―――あいつに、何かあったのか?
それで、カトルが自分たちを集めたのだろうか。
デュオ一人では対応不可能で、あるいは彼自身の身に何かが起こって今回の事態へと相成ったのであろうか。
エージェントにとって、時間とは一秒を争う。
一秒の差が命に拘る自分たちにとって、約束の時間とはけして破られないものだった。
見るからにルーズそうなデュオにしても、それを破るような真似はしなかった。
彼の任務にかけるプライドは、人一倍だったから。
そのデュオが指定の刻限に現れていない。
しかも、これはただの集まりではなく非常事態が起こったことを示唆してあった。
考えられる可能性は…………。
「デュオが今サリィさんの所に行っているから始められないんだ。ちょっと待っててくださいね」
暗い方向に進み始めたヒイロの思考を留めるように、カトルの声が響く。
「………驚きますよ、ヒイロ」
続けて困ったような面白そうな…複雑な表情を浮かべて綴られた言葉に不可解なものを感じながら、室内に踏み込み空いたイスの一つに座り込んだ。
見れば、トロワも五飛も緊張感に欠けた、なんとも微妙な表情をしている。
――――なんだ?
本題とは別の位置にありそうな、全員の何かを含んだ表情に落ち付かないものを感じる。
場の空気は困ったような、対処に困るような空気を醸し出していてなんとも居心地が悪かった。
「………おい、」
苛立ち、状況を尋ねるため声をかけようとした時に、丁度ノックの音が響いた。
「はい、ちょっと待ってください」
それが誰なのか確認もせず、カトルが素早くドアロックを解除する。
「お待たせ。待たせちゃったみたいね」
そこにいたのは1年ぶりに見るサリィの穏やかな顔。
そして………
「これで全員揃ったか?」
変わらない明るい笑顔をした……どう見ても、女性としか言い様のないまろいラインを纏ったデュオ・マックスウェルが、その腕に、可愛らしい赤ん坊を抱いて立っていた。



その姿を見たときに、ヒイロは目の前が歪むのを感じた。
脈が早くなり、鼓動が不規則に乱れる。
―――呼吸が苦しい。
「ヒイロ?」
平行感覚すらおかしくなりそうになったときに、その当の本人から声をかけられて一瞬にして現実へと返るのを感じた。
けれど、目の前にある現実こそが彼の心を乱す。
変わらない、明るい茶色の長い三つ編み。
声は以前より少し高いだろうか。
ざっくりした素材のシャツ、洗いざらしたジーンズ。
無造作とすら言えるその服が包むのは、どう見ても…少女のライン。
顔の造作が変わったわけではない、纏う気配が変わったわけではない。
なのに、変わってしまったやわらかなラインがその全てをまろく変えてしまっていた。
夢の中の少女がダブる。
現実には、いない筈の。
―――ありえない。
ヒイロは、無意識に首を振った。
「ひーいろ、どした?そんなにビックリした?」
くすくすと笑いながら首を傾げる。
その仕種にさえ見覚えがあるのに、何故こんなにも違ったふうに見えるのだろうか。
「誰だって驚きますよ。デュオったら、何にも言わないんだもの」
カトルが憤慨したように口を挟む。
デュオと親しかった分気がつかなかったというショックも大きかった彼は、何故何にも相談してくれなかったのだろう、という表情を隠さなかった。
「だってさ、言うと気にするだろ?お前」
「当たり前です!!」
調子だけは昔のままに、じゃれる二人を複雑そうにトロワと五飛が見ている。
こちらはヒイロと同様、未だ衝撃から立ち直っていないらしい。
「……気がついていたか?」
「……いや」
「……考えもしなかったぞ、俺は」
ぼそぼそと話す3人は、複雑そうな眼差しを弛められず、またデュオを見た。
突然言われて、一体誰が信じられるのだろう。
あの頃……15歳のあの頃、任務を受けて地球へと降り立った。
その際に得た仲間は、皆がそれぞれに大事だと思っているし信頼している。
それは、その人間性と同時に工作員としての技量も含むのだ。
自分と対等だと、認めている。
だが、そのうちの一人は実は女性だった。
女であるというハンデを押し隠し、闘っていたエージェント。
女であるということのリスクは限りない。
もちろん、能力的なものもある。腕力・筋力はどうしたって男のそれに及ばない。
他のことでカバーするにしても、その差を出来るだけ縮めるためにかけられた努力はいかほどのものだったのだろうか?
また、デュオは敵に二度捕まっている。バルジで、月面基地で、一度もその性別がばれなかったとは考え難い。
だが、終戦して今に到るまで、誰もデュオが女性であることを知らなかった。
それは、つまりデュオがたとえバレたとしてもそれをフォローし、表に出る前に揉み消していたということだ。
ガンダムパイロットたる他の4人にすら気づかれず、疑問を抱かせず。
それは、並大抵のことではないはずだ。
―――信じられない。
それは、信じたくないということではなくて、ただまだ驚きが強すぎるのため。
けれど、それぞれの思惑はともかく共通する思いはそれだった。
「だってさ、それがオレの任務だったんだからしょうがないだろー?」
「それでもです!」
「はいはい、その辺にしてね。赤ちゃんが起きちゃうわよ?」
サリィのその一言でぴたりとカトルが口を閉じる。
そおっと覗き込めば、赤ん坊はすやすやと寝息をたてていた。
ほっとしたように笑えば、デュオも優しい瞳でその子を見つめていた。
「……ヒイロ、トロワ、五飛。今まで黙ってて、騙しててごめん。許せないというならしょうがないけれど……オレの話、聞いてくれないか?」
改まったように、デュオが3人を見る。
「……今回の召集は、本当はデュオから連絡が入ったんです。僕は、デュオとこの子の身柄を保護してここまで連れて来ました…本題は、デュオから話があります。どうします、聞きますか」
選んでください。
そう言うカトルも、先程までの明るさを消し、真剣な表情で彼らを見る。
その突然の豹変ぶりに驚きを覚えたけれど、二人の表情の真剣さは本物であり。
三人は、デュオのことはとりあえず横に置き、今回の召集の本題を聞くことにした。

…………デュオのことも。
…………その腕に抱かれた赤ん坊のことも。
追求するには、彼らの頭はまだ混乱していたのである。

そうして、ヒイロは。
デュオの姿を食い入るように見つめながら、胸に広がる漠然とした不安を感じていた…




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