黄昏の憂鬱
at闘技場
神界にある広大な石畳の広場。この世界が出来て以来、ここではいつもなにか固いものを打ち合う音が響いている。
今は、聞仲が黄氏に棒術を教えていた。彼女は武家の血を引いているだけあってなかなか筋がよく、のみこみも早かった。難点といえば、女性であれば仕方のないことではあるが、持久力と基礎体力が少ないことくらいである。
しかし、そんなことに聞仲は不満を覚えなかった。黄氏の溌剌とした姿を見ているだけで自分も気分が良くなるし、幼い頃の飛虎の話なども聞けるので、彼は一緒にいる時間を充分に楽しんでいた。
ただし最近、聞仲を悩ませている事がある。彼女のある『要求』だ。どうしても、聞仲には受け入れられない難題である。彼は受け入れ方など知らないのだ。若い内から責任ある役職に就き、300年間ずっと王に仕えてきたことが、そういったことを経験する機会を妨げてきたのである。
聞仲が困った顔をするたび、黄氏は口をとがらせて文句を言っていたものだったが、最近はただ、隠れてため息をつくようになった。文句を言われるよりも、そんな寂しそうな顔をされる方が辛い。
「自然にすればいいのよ。そんなに堅くなることはないってば」
彼女はこともなげにそういうが、自分にとっての自然な行動は、その『堅い』ことなのだ。
自分が異質であることを、聞仲はあらためて思い知った。自分には『ゆとり』というものがない。他の仙人達は、それぞれ趣味や道楽がある。しかし、自分は余暇の過ごし方がわからないし、趣味などない。
『私は仙人ということ以外でも、人間らしさから離れてしまったのかもしれない・・・・・・』
相変わらず苦労性な彼は、一人、悶々と悩んでいる。
in地后星
神界には、封神された者達の住む建物がある。家と言わないのは、なんと形容したらいいかわからない形の物も多々あるからだ。
仙人以外の「神」達は、比較的まともな建物に住んでいる。そんな建物の中の、とある瀟洒な家に、大柄な男が入っていった。
「なあ、黄氏、お前聞仲に何か言ったのか?」
飛虎がどすどすと無遠慮な足音を立てながら黄氏の側に来た。露台にいた黄氏は苦笑して、外見と行動に反して、繊細な優しさと気配りを持つ兄を迎える。
「うーん、迷惑といえば迷惑かもしれないけど・・・」
黄氏は自分の言ったことで最近深く悩んでいる風の聞仲を思い浮かべた。考えてどうにかなることではないのに、生真面目に、眉間にしわを寄せて考え込む彼がおかしかった。
クスリ、と軽く笑った妹を見て、飛虎はちょっと眉をしかめた。
「あのな、あいつはからかわない方がいいぞ。生真面目で融通が利かないから、冗談と本気の区別ができねえんだ」
「違うわよ、兄さま」
遠目に見たときは悩んでいるようだったのに、幸せそうに笑っている妹のことが飛虎にはよくわからない。
「なんだってんだ?」
「うーん、兄さまには、わかんないかも・・・ね」
「はあ?」
間の抜けた、口を開きっぱなしの顔に、黄氏はさらに笑いを誘われた。飛虎はむっ、としながらも、口では勝てない妹をそれ以上深く追求せず、
「賈氏から伝言だ。夜になったら東の丘まで来てくれ。一緒に梅を見ようとさ」
と言って、そそくさと去っていった。心配して来てはみたものの、自分には手に負えないと悟ったのだろう。
『兄さまったら、気の回し過ぎだわ』
黄氏はふわりと笑い、身を翻す。そして再びしかめっ面になって、衣装ダンスの前で悩みはじめたのだった。
in霊霄宝殿
「李興覇、どうだった?」
四聖の溜まり場に帰ってきた李興覇に、王魔が気ぜわしげに尋ねる。もともとせっかちな性格であるが、今はさらにそわそわとして落ちつかない。
「今日もお悩みになっていたようだ。修練をしている時は気力が満ちて『格好いい』いつもの聞仲様だけど、少し手を止めたときなんかは、いつの間にか下を向いて考え込んでいらっしゃるんだ」
四聖はいち早く聞仲の変化に気づいていたが、忠実な『部下』という垣根をこえられず、相談にも乗れなくて、ただただ見守っているだけだった。分をわきまえすぎている彼らには、茶や菓子などの差し入れをして、それとなく様子をうかがうことしか出来なかったのだ。
しかし、最近は聞仲も彼らの気遣いを察していて、日参することはかえって気を重くさせてしまう。それで今は四人が一人ずつ交代で、こっそり聞仲の様子を見に行っていた。
「やはり、黄飛虎を頼るか・・・・・・」
楊森が言うと、高友乾が立ち上がって怒鳴った。
「だめだ!あの男は確かに聞仲様が認めておられるけれど、一度聞仲様を裏切ったじゃないか!そんな奴に聞仲様を任せられるか!!!」
王魔は一応、リーダーとして高友乾をなだめにかかったが、こういう相談は今に始まったことではなかった。聞仲の様子がおかしいことを知って以来、四人はこういうことを続けてきたのである。いい加減、うんざりしてきていた。
「高友乾、お前の言うことももっともだが、黄飛虎が西岐についたのは妲己のせいだ。聞仲様を裏切ったわけではない」
「しかし・・・・・・」
「いい加減にこだわりを捨てろ。俺たちの好みは問題ではないのだ。聞仲様にとってなにが良いのか、そのことを第一に考えるべきだ」
聞仲の名を出されては、高友乾もいつまでも抗ってはいられなかった。渋々引き下がるが、小声で『黄飛虎は認めない』等と言いながら、部屋を出ていった。
at南の草原
ある時期から、四聖でなくてもわかるほど、聞仲のおかしさは顕著になっていた。
まず、飛虎との試合では、あっさりと一本取られてしまうことが増えた。
次に、夕日を見てぼんやり思索することが、七日に一度、三日に一度と頻度が増えてきて、しまいには毎日といっていいくらい、ぼんやりする時間が多くなった。
そして、これが一番おかしなことであったが、趙公明の茶の誘いをほとんど断らなくなったのだ。
「ふふふ、変われば変わるものだのう」
不気味な笑いを草原に充満させているのは、すでに出来上がっている太公望である。側には、楊ゼン、白鶴童子、四不象、韋護、太乙真人、?ケ蝉玉、土行孫、そして普賢真人がいた。酒盛りにつられてきた者、暇つぶしに来た者、ここにきた理由は様々であるが、今は太公望の出した話題に全員が耳を傾けている。
「これはやっぱりあれよねー」
蝉玉もニヤニヤ笑っている。彼女は夫に酌をしているので、あまり飲んではいない。
「アレってなんのことッスか?」
昆布茶を飲み干した四不象が無邪気に尋ねる。と、酔っぱらった土行孫が、
「ポルシェ、お前ももう少し人生経験積んだ方がいいぞ」
などと師匠を真似て説教をした。
「渋いわハニー。ス・テ・キ」
キスしようと迫ってくる妻を、土行孫は酌をしろと騒いで押しのけようとした。何回目かの夫婦喧嘩が始まったのを横目に、太乙が解説に入る。
「あの堅物が、柄にもなくそわそわしたり、夕日を見ながら物思いに浸る・・・これはもう、あの有名な草津の湯でも治らない♪という『恋煩い』だろうね!」
「恋煩いぃ!?」
四不象が素っ頓狂な声をあげたが、他の者は誰も驚いていない。他の連中が聡いというのではなく、四不象が純情すぎるのだろう。
「はぁー、あの聞仲さんが・・・・・・」
唖然としている四不象に梅昆布茶を注いでやりながら、白鶴は疑問を呈した。
「でも、趙公明の誘いを断らない、というあたりはなんですか?なにか間違っているような気がするんですが」
「う、う〜ん」
「そうなのだ。そのあたりがわからん。合理主義の聞仲が、何故に回り『くどい』ようでいて、実は世間一般とはだいぶずれた常識を基準に、自分に素直すぎる人生を送っている趙公明のところへ行くのか・・・・・・」
太乙も太公望も眉を寄せた。あの行動のおかげで、聞仲の恋わずらい説はいまいち確信が持てないのだ。
「それほど意外でもないと思うよ、望ちゃん」
普賢真人は、いつもと変わらない慈悲深い笑みをたたえ、静かに語りはじめた。
「聞仲はね、きっと『普通の生活』というものを知らないと思うんだ。彼は若い内から城に上がって仕事をしていたから、望ちゃんみたいに遊んでなかったんだろうね。だから黄氏に気持ちを伝えられない――――方法を知らないんだよ。だから、不本意だけど、趙公明に『生活の中のゆとり』というものを教わりにいってるんだと思う」
落ち着きのある声が、説得力を持って皆の耳に入ってくる。
「うう、理にかなっているけど腑に落ちない・・・・・・趙公明以外に選択肢はなかったのか」
太乙は理解したものの、さらに苦悩した。
「友人が少ないですからね、彼は」
楊ゼンはあっさり言ってのけ、フッ、と笑った。
「仕方がない・・・この僕が協力してあげましょう」
「おや、楊ゼン、あんた聞仲のことを嫌いじゃなかったのか?」
いい気分で寝そべっている韋護が聞く。楊ゼンはふあさっ、と髪を掻き上げる。
「彼には借りがありますからね。返す方法は、闘いで勝つ事ばかりではないでしょう。僕は知性派で穏健ですから」
「おぬし意外としつこいのう。負けたことをまだ根に持っているのか」
「封神されなかった時点で勝ちなんじゃないかな?」
「・・・・・・僕のセリフ、聞いてました?」
楊ゼンはジト目で太公望と普賢真人を見やる。が、二人は全く意に介さなかった。
「ふふふふふふ、白鶴!時が来たぞ!」
「なんのですか?」
ゆらり、と立ち上がった太公望に怯えながら、白鶴は仕方なく聞いた。聞いてはいけなかったような気がして、言った瞬間から、白鶴は後悔の嵐を心に抱え込んだ。
「決まっておろう!『新婚さんいらしゃ〜い』パート2だ!!」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
白鶴は青くなって絶叫した。さすがの楊ゼンも、少々うろたえている。
「ぶ、聞仲を乗せるんですか?彼が素直に参加するわけありませんよ!武成王から話を聞いているでしょうし――――」
「大丈夫、望ちゃんは口八丁だから。だまくらかして何とかするよ」
親友のあたたかい応援に鼓舞され、太公望はスッと彼方を指さして宣言した。
「では、さっそく作戦会議をするぞ!」
at東の丘
夜も更けた頃、黄氏は賈氏に誘われて、東の丘に来ていた。
この東の丘には沢山の花や木があって、よく宴会に使われる。おととい大宴会が行われたので、今は飲んべえの仙人達もおとなしくしているらしく、二人の女性の他には人影がない。
「梅も、もうそろそろ終わりなのね」
「あっという間に消えていく感じだわ・・・どんちゃん騒ぎで忙しかったせいかなぁ」
屈託のない妹に、賈氏は微笑みを向ける。
「あなた、随分一生懸命だったわね。いつもはこういう事に乗り気でないくせに」
「姉さまはいつも大変よね。御馳走の用意をほとんど頼まれるから。料理が上手いのも困ったもんだわ」
黄氏がからかい口調で言う。二人は笑いながら、一番高いところに座って茶器を取り出した。そして、梅の花びらを浮かべたりして茶を楽しみながら、しばしたわいもないことを話す。
――――ふと、話がとぎれた。花の舞う音まで聞こえそうな静寂を愉しむ。
しばらくして、賈氏は先程までの他愛ない話と同じ口調で、ゆっくり黄氏に尋ねた。
「ねえ、聞太師と何かあったの?」
黄氏の弛緩していた表情が、ほんのわずか強張った。
「なんでもないわ。兄さまにも言ったけれど、からかってるわけでもないわよ」
「そんなことを聞いてるんじゃないわ。うちの人が何を言ったかは想像がつくけれど、私が心配しているのはあなたの事よ」
「え?」
意外な言葉だった。聞仲のことは皆が気にかけていたが、黄氏は特に変わった様子もないと思われていた。それに聞仲を慕う者達からは、聞仲の悩みの根元として睨まれることもあった。黄氏は、周りから見て『被害者』とは正反対の位置にいることを自覚していた。
「あなた、最近痩せたでしょう?食も細くなったし、憂い顔が多くなったわ」
義姉の言葉に、黄氏は一言も返せなかった。確かに痩せてきたことは自覚していて、服や化粧で隠すようにしていたからだ。
しかし、身を縮こませる義妹に、賈氏は柔らかい笑顔を向ける。
「でもね、それがまったく悪いことだとは、私は思わないわよ」
「え?」
義姉の柔らかな言葉に、思わず黄氏は面を上げた。
「だってあなた、急に綺麗になってきたもの。表情も、前は子供っぽいところが多かったのに、大人の魅力が出てきて――――」
「義姉さま!」
くすくすと笑われたことで、からかわれていると気付いた黄氏は、軽く義姉の腕をつついた。賈氏も肩を軽く叩いて、少女のように戯れる。
怒った顔がいつの間にか崩れてきて、笑い疲れたころ、黄氏は満足そうに息を吐き出して寝転がった。
「ねえ、義姉さま。自分の気持ちが分からなくて、あんなに一生懸命悩んでいる姿って、かわいいと思わない?」
「そうね。歳は向こうのほうが上だけど、あなたのほうが中身が大人みたいね。頑張りなさい」
星の輝きが、近くに見える。いつもよりぼやけた星を、黄氏はきれいだと思った。
in金光洞U
太乙のラボはとてつもなく広大である。ラボ自体は以前とあまり変わらない造りだが、建物全体が大きくなっている。仙界大戦の時のことを教訓にし、三重の隔壁を作っているのだ。
「作戦会議はいいけど、どうしてわざわざ私のラボにまで来るんだい?」
太乙が心底嫌そうな顔で座っている。彼のラボ全体は大きいが居住区は小さい。だから、集まった者たち――――太公望、普賢真人、楊ゼン、白鶴童子、四不象、韋護、蝉玉、土行孫の、三日前と同じメンバー――――は必然的に研究室の方にくることになった。
律儀にもお茶を出してしまった太乙は、いつ大事な道具にこぼされてしまうかと気が気でない。しかし、図太い老人ども・・・もとい、常に平常心を失わない仙道や神達は全く気にしていない。客達を代表して、太公望は茶をすすりつつ言った。
「ここが一番セキュリティシステムに信用がおけるからに決まっておろう」
「えへへ、やっぱり君もそう思う?セキュリティの中でも一番外側の壁がすごいんだよ!新しく作った素材『アパエペグン・シイレト』を『エキチャクテイ』で強化したんだ。この『エキチャクテイ』っていうのがね」
おだてられ、太乙は照れていたが、すぐにいつも通り説明を始めた。もちろん、皆の耳を素通りしているが。
太乙の所に行くとちゃんとお茶と茶菓子が出てくるから、という場所選びの真の理由は、参加者全員が心に秘めたままである。
「では、さっそく作戦会議といきましょうか」
無情にも、楊ゼンは太乙の楽しみをさえぎった。太乙はカメラ位置をずらされてオタオタしている。楊ゼンはさらりと髪をかき上げると、行書体で『火曜サスペンス・赤い糸伝説殺人事件』と書かれた計画書を取り上げた。
「その前に聞いておきたいんですが・・・この計画書は誰が作ったんです?」
「はーい!あたしが作ったの。今までの火曜サスペンスを全部見返して研究したから、どんなシチュエーションがあってもバッチリよ!!」
「じゃあこれは却下ですね」
楊ゼンは計画書を壁際の『シュレッダー大佐』(特許出願中)に向かって投げ、計画書は細い細い短冊になった。
「ひっどーい!一行くらい見てくれても良いのに!!」
謙虚な蝉玉の抗議を、太公望も無視した。もっともらしく腕など組んで話をつなげる。
「この『聞黄の黄は黄氏の黄!』作戦だが、場所は趙公明の邸宅が一番だろう。聞仲も通い慣れておることだし、ここに黄氏を呼べばいい」
「趙公明の横やりがはいりませんか?師叔」
白鶴がもっともな質問をする。
「確かに趙公明は変わっておるが、申公豹のように出歯亀ではない。もっと盛り上げようとはするだろうが、阻止はせんだろう。いざ、危ないとなったら、十二仙全員で止めればよい」
「・・・・・・それより、彼を仲間に引き込んだ方が作戦としては良くない?」
普賢真人の言葉に、皆が一瞬引きつった。
「いやあああああ!あの濃ゆい顔と協力するなんてえええええ!!!!」
「ぐええええ!腹を締めるな!蝉玉!!」
予想通りに蝉玉が叫び、その大声に頭を打たれて、四不象は名案を思いついた。
「ご主人、太極図を使えば被害も少ないッスよ!」
「疲れるからイヤだ!」
「ご主人!言い出しっぺのくせに、また怠けるッスか!!」
きっぱり返した太公望に、間髪を入れず四不象が突っ込む。白鶴も四不象に加勢する。
「でも『真剣に遊ぼうと思ったら、それなりの苦労も覚悟しなきゃ』という格言があるじゃないですか、師叔」
「何処の格言だ!わしはやらんぞ!」
「では、趙公明の押さえは師叔に一任するということで決定ですね」
「仕切るでない!!楊ゼン」
太公望が無駄に叫んでいると、雲中子がやって来た。
「ふふふ、楽しそうだね」
徹夜明けらしく、健康的な顔はしているものの、目つきがとてもアヤシイ。そして、目よりも更に怪しく恐ろしげな小さい箱を持っている。普通の白い厚紙で作った箱にしか見えないが――――
「や、やあ。徹夜明けかい?雲中子」
ビクビクしつつ、トリオを組んでいるよしみで太乙が話しかける。すると雲中子は嬉しそうに、ビブラートでクレッシェンドするという、世にも恐ろしい笑い声をあげた。
「やあ、太乙。この間話していたものが出来たよ。この会合の話を聞いてから作ったから、制作時間が短くて大ざっぱなつくりになってしまったけどね」
言いながら雲中子は箱を開く。
「こ、これは・・・」
意外にも見た目はまともだったため、全員が一度ほっ、としかけた。しかし、雲中子の作るものは、見た目よりも中身が問題なのだ。
念のため、太公望はコレの効能を聞いてみる。雲中子は何をいまさら、という顔をした。
「もちろん、アレだよ」
「いかん!クスリだけはダメだ!!ばれたら聞仲がどれだけ怒り狂うか・・・しかも四聖やら張桂芳・風林などが騒ぎ出して、第二の仙界大戦がおこるやも・・・」
「今更そんなこと言われてもねえ。これ、新作だからって趙公明にあげて来ちゃったよ」
「だあああああ!どうしましょう師叔!そろそろ月一のお茶会がある頃ですよ!」
白鶴が青筋を立てて悲鳴を上げると、太公望もきりりと軍師らしい顔になってしまう。
「正確なところはわからんか!?」
「解りません。趙公明はきっちり30日ぶん間をおくというより、聞仲の機嫌のいい頃を見計らって招待していますから・・・ひょっとすると間に合わないかも」
真っ青になり、楊ゼンもうなだれる。
「うう、仕方がない。こうなったら天化も助っ人に呼ぶ!」
「師叔、あの人の力も借りるんですか?」
太公望が重々しく頷くと、四不象と白鶴はその意を汲んで飛び立っていった。
at闘技場
白い特殊な鉱物が敷かれた闘技場。聞仲は、そこでただひとり、棒の型を繰り返していたが、きつい匂いがしてきたので腕を止めた。
「・・・趙公明」
一ヶ月ぶりの迷惑な香り。百合の匂いを遠慮なくばらまくのは、この男しかいない。
しかし、聞仲は顔をしかめもせず、昼を少し過ぎた日の光を背中に据えた、派手な男を見上げる。趙公明の今日のスーツはレースをあしらってみたらしく、たくさんのビラビラしたものがなびいている。それが太陽と一緒になって、余計にまぶしかった。
「聞仲!僕の邸宅に来てアフタヌーンティーを楽しまないか?今日は特別に竜吉公主とその弟子達がクランペットを作ってくれるそうだよ!」
「わかった」
聞仲は簡潔に返事を返すと、軽く体操をして控え室に向かった。この闘技場には選手控え室のような場所があり、更衣室にはシャワーなどがついている。聞仲はそこで汗を流し、着替えるために自分の庵に帰っていった。
in華麗なる大邸宅
闘技場をあとにしてから約2時間後、聞仲は趙公明の邸宅で、アールグレイのミルクティーを飲んでいた。最初プレーンでこの紅茶を出されたときには、入れたヤツと同じで個性が強すぎると思った。しかし、ミルクとの相性を知ってからは、二番目のお気に入りになっている。一番はイングリッシュ・ブレックファストだが、ケーキなどを食べるときは、こちらの方が良く合うと思っている。
『何事も、適した場合があるものだな』
聞仲は静かな気持ちで感心したものだ。紅茶のことだけでなく、今のこの付き合いのことにも。趙公明と向かい合っていても、怒鳴るどころか何も語ることなく、心地よく時を過ごせるなど、思ってもみなかった。
『自分が変わってきたのか?』
自分の事はよくわからないものだが、変化しているとしたら嬉しいと思う。
「聞仲、ジャムとバター、どちらにする?」
趙公明の言葉とともに、ちょうどよく聞仲の側にメイド達がやってきた。聞仲と趙公明の前に、小さいパンケーキのようなものがのった皿と、ちいさい小瓶に分けたジャム、バターを置く。
「クランペットでございます。ジャムかバターを付けてお召し上がり下さい」
静かに言うと、メイドはすぐに下がった。
『竜吉公主の作った物なら、味も大丈夫だろう』
そう自分に言い聞かせながら、聞仲はジャムに手を伸ばした。異様に手つきが慎重である。
実は前回のお茶会で、聞仲は行儀悪く食べ物を吹き出してしまっていた。原因は、趙公明の妹が作ったという苺ケーキで、そのこってりした甘さと、言い表しようのないスポンジは、趙公明ですら言葉に詰まるシロモノだった。プライドの高い彼は、趙公明が自分の落ち度を認めて謝ったにも関わらず、数週間ひどく落ち込んだままだった。
不自然には見えない程度にゆっくりと、聞仲の持ったフォークが、クランペットのひとかけを口に近づけたその時――――
「ちょっとまったぁ!!」
闖入者の大声と共に、扉が蝶番を跳ね飛ばして転がった。
「お待ちください!聞仲様!!罠です!!」
「太公望達がまた悪巧みをしていたんですよ!!下手人はこの通り捕まえました!!」
息を切らして飛び込んできた張桂芳と風林は報告をし終えて聞仲を見――――そのまま、呼吸も忘れて固まった。
聞仲の口の中にフォークが入っている。ということは――――
『ぶ、ぶ、ぶぶぶっぶぶ、聞仲様ぁ!!!!』
二人は一斉に絶望の叫びをあげた。
「ああああ、聞仲様!ご気分は悪くありませんか!?」
「死なないでください聞仲様!!」
「申し訳ありません!俺達がもっと早く気がついていれば!!」
「いま仙丹を持ってまいります!!」
「静まれ!」
聞仲はすっくと立ち、縁起でもない事を言う部下を諫めた。
「どういうことだ。ここの食べ物に薬が入っていたとでも言うのか?」
急に襲ってきただるさをこらえつつ、聞仲は問いただした。罪悪感に真っ青になりながら、張桂芳が答える。
「太公望達が、聞仲様に一服盛る計画を立てていたのです。四聖の方々が太公望達を締め上げ、薬はこの雲中子がつくったという所までは聞き出しました」
「それで、ここまで、騒ぐからには、薬は大変な、毒なのか?」
頭から、腹のほうに移ってきただるさを声に出さないように務めたが、聞仲の声は区切りが多くなってしまった。
「やだなぁ。毒じゃないって。それはただの――――だよ」
紅珠の中の雲中子がのほほんと説明した。しかし、声がくぐもっていて肝心の部分が良く聞こえない。もう一度聞き出そうとした時、荒々しい足音が聞こえてきた。
「――――だから誤解さ!」
「貴女しか頼める人はいなかったッス!」
「お願いします。このままじゃ、第二仙界大戦が起こってしまうかも――――」
数人が喋りながら近づいてくるようだ。はっきりと会話がわかるようになった頃、夕刻の薄暗い部屋に、太陽のような光が入ってきた。
「痛いったら!離しなさい!!」
引きずられるようにして入ってきたのは、ずるずるとした、女性特有の着物を着た黄氏だった。彼女は利き腕を痛いほど掴んでいた天化を怒鳴りつけ、やっとの事でしがみついていた甥っ子を振り払った。
「なんなのよ、もう!」
黄氏が入ってきた途端、聞仲はぐらりと上体を傾けた。
「危ない!!」
張桂芳と風林が駆け寄る。それより早く黄氏が聞仲の下に滑り込むが、体重を支えきれず、黄氏は彼の下敷きとなってしまった。手を貸そうとする甥や張桂芳、風林を押し退け、なんとか自力で聞仲をソファーに寝かせる。
「・・・呼吸は普通ね。脈もしっかりしてるわ」
とりあえず聞仲の無事を確認して、黄氏は全員に事の次第を質した。
「誰から説明してもらおうかしらね」
珍しく怒気を含んだ表情が、非常にとげとげしくなっている。普段滅多にこんな顔をしないから、余計に怖い。天化はこそこそと隠れてしまった。
聞仲の容態を気にしながら、張桂芳は説明を始めた。
「四聖の方々が太公望達の不振な動きをキャッチしたのです。彼らは聞仲様に毒を盛ろうと、雲中子に薬の発注をしていました。それをくい止めようとしたのですが、一足遅く・・・うう、聞仲様」
「違うさ!スースはそんなこと企んでないさ!」
「そうッスよ!ご主人はセコイ悪事はたくさんしてるッスが、毒を盛るような陰険なことは多分しないッス!!」
「信用できるか!」
「まったくだ。さあ、聞仲様に盛った毒の解毒薬を持ってこい!」
「だから毒じゃないさ!そんな悪事を働く才能があったら、仙界大戦はもっと早く終わってるさ!」
「・・・・・・私が思うに、天化、衝立の後ろから出てきた方が説得力があるのでは?」
「・・・・・・」
白鶴にツッコミを入れられたが、天化は黄氏をちらりと見て、さらに奥に引っ込んでしまった。
「肝心の薬について聞きたいわ。これを作ったのは雲中子よね?」
黄氏がにらむように風林を見る。その視線を避けるようにして、風林は雲中子に尋ねた。
「この薬は何なのだ?雲中子」
「だからさっきから言ってるでしょ。それは自白剤だよ。これ説明書」
「自白剤ぃ!?」
全員、開いた口がふさがらない。黄氏も怒りを忘れて、おとなしく説明書を受け取ってしまった。
「てっきり毒だと思っていたのに・・・・・・」
「惚れ薬の類じゃなかったんですか」
張桂芳と白鶴が、かろうじて感想を述べた。ただ一人、優雅にマイペースを保っている趙公明は、紅茶の香りを楽しみながら頷いていた。
「なるほど!聞仲が誰にかは判らないけれど、恋をしているのは確かなのだから、自白剤を使って聞き出そうという計画だったんだね!恋の後押しか・・・友情は美しいけれど、やり方がエレガンスにはほど遠いところが残念だよ」
思わぬところから同意者が出て、雲中子は満足そうににやりと笑う。
「趙公明、あなたは雲中子さまから薬について聞いていたんじゃなかったんスか?」
四不象が尋ねると、彼は高らかに笑って答えた。
「はっはっはっは!僕は雲中子から新作のジャムをもらっただけだよ!彼の作ったものだから、何か副作用があるんじゃないかと思っていたけれど、意外と普通のジャムだったんだね。自白剤しか入っていないなんて」
「十分異常さ!!」
「そうだ!現に聞仲様は倒れてしまわれたではないか!!」
「そういえば、自白剤なのに、どうして眠っているだけなの?」
黄氏が聞くと、雲中子がのほほんと答えた。
「それは・・・ああ、この中からだと聞こえにくいんだっけ?じゃあ・・・よいしょっと」
「うおっ!」
パリーンという小気味良い音をたて、雲中子はあっさり紅珠を壊して出てきた。
「・・・どうして最初から出てこないさ?」
「んー、徹夜してたから、ちょっと休ませてもらおうと思って」
気持ちよさそうにのびをする雲中子の後ろで、風林ががっくりとしている。自分の宝貝があっさり壊されてショックらしい。
「徹夜続きで眠かったせいかなぁ。自白剤にも睡眠効果をつけちゃったんだよね。よく眠ってすっきりしたところで質問されると、自制が効かずに何でも答えちゃうんだよ」
「なるほど!寝起きが悪くないなら、自然でいいね!!」
すべての事情を聞き終わり、黄氏はこめかみを押さえ、怒りの言葉を飲み込んだ。
趙公明に悪意はない。彼は全て善意でやっているのだ。善悪の基準が周囲の人々(妹たちを除く)と違うので、親切による迷惑が撒き散らされる率は98%もあるのだが。 雲中子は・・・彼の場合、犯罪と認識しているか怪しい。
「僕は竜吉公主が意中の人かとも思ったんだけどね!」
「どう考えたって意中の人は黄氏さまでしょう。竜吉公主とはつながりがありませんよ」
「竜吉公主さまは崑崙から出たことがあったんッスか?」
「ああ、君たち若い連中は知らなかったんだねぇ。説明してあげなよ、趙公明。あの話面白いし、私も細部までは知らないし」
男どもは馬鹿馬鹿しい話で盛り上がりはじめてしまい、黄氏は彼らを怒鳴りつけるのを諦めて、聞仲を引きずるように抱えて華麗な部屋を出た。
at地后星
聞仲が目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入ってきた。ゆっくり瞬きをして、なんとか自分が見知らぬ部屋にいることを確認する。
「――――聞仲、聞こえてる?気分はどう?」
耳元でささやかれ、驚いた聞仲は一気に上半身を起こした。おそるおそる横を向くと、心配そうな黄氏の表情が見えた。
「・・・・・・黄妃?」
しっかりした声にほっとしたらしく、黄氏は頬を紅潮させて満面の笑みを浮かべた。
「良かった、意識ははっきりしているみたいね。身体の方はどう?だるいとか、吐き気を感じるとか、具合の悪いところはない?」
聞仲は、身体に少々だるさを感じていた。まだ完全に覚醒していないせいかと思ったが、眠る前に薬をもられていたことを思い出して、苦い顔になった。
『ひょっとしたら、妙な姿に変化してしまうのかもしれない』
聞仲の思考は、自然と悪い方向に向かう。が、黄氏は彼の自己申告を聞いて素直に喜んでいた。
「だるさ以外はないのね。良かった。じゃあ変な副作用はないわね」
「副作用ですか?」
「そう、雲中子の薬ってただの眠り薬だったんだけど、ちょっと不完全らしくて、目覚めた時に体がだるくなるんですって」
それを聞いて、聞仲はもう薬について考えまいとした。雲中子のすることに、いちいち神経をとがらせていては身が持たない。
「ずいぶん長いこと眠っていたから、のどが渇いたでしょ。お茶にしましょう」
「ありがとうございます。黄妃」
礼を言われると、何故か黄氏は固まった。不審に思いつつ、聞仲は寝台からおりる。窓の外を見ると、夕日がもう少しで完全に沈むところだった。
『趙公明のところに行ったのが夕刻の少し前だったな・・・自分はそれほど寝ていなかったのか?』
「丸1日寝ていたのよ」
聞仲の心の問いが聞こえたかのように、黄氏が言った。
「前にもお願いしたけど・・・・・・どうしても、その馬鹿丁寧な言葉遣いはやめられないのね?」
黄氏の口調が強い。怒っているようなニュアンスを感じて、聞仲は言葉を返せなくなった。
「兄さまと同じような親しさまでは求めないわ。でも、もう少し気安くしてくれてもいいんじゃない?そんな畏まった話し方をされると、どうしても窮屈な生活を思い出しちゃうのよ」
聞仲は黄氏の強い言葉の中に、震えているような部分を見つけた。
『自分は無意識に黄妃を傷つけていたのか』
聞仲はうなだれた。自分を苛んでいるものが、非礼をはたらいたための罪悪感だけではないことが、さらに彼の心を重くする。自分の心が解らないまま、聞仲は謝った。
「申し訳ありません、黄妃。私は、これ以外の話し方が出来ないのです」
しばし、重い沈黙があった。聞仲が黄氏の動いた気配を感じ取り、目を上げると、予想に反して彼女はニッコリとほほえんでいた。
「とりあえず、むやみやたらと敬語を使わないことで許してあげる。丁寧語くらいならいいわよ」
罵倒の言葉を覚悟していた聞仲は、呆気にとられた。黄氏に苦笑されるが、どういう思考をたどってそうなったのか、聞仲にはまったく解らない。
「あーあ、まったくあたしもバカよね。こんな鈍い男の面倒見ちゃうなんて」
「申し訳ありませ・・・あ、いや、すみません」
聞仲は自分の不器用さを嫌悪したが、黄氏は優しく笑っていた。
『許された・・・ということなのだろうか』
聞仲には宮中の決まり事からはずれた対応はまったく解らない。が、黄氏の顔が憂いを帯びていないのだから、良かったのかとも思う。
「とりあえず、それでいいわ。お茶にしましょ。それとも食事の方がいいかしら」
夕日の残滓に顔を染めながら、二人は仲良く部屋を出ていった。共に、顔の紅さを光に紛れさせてくれる太陽に感謝しながら・・・・・・。