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◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「もし〜も願〜いが〜〜
か〜な〜う〜なら〜〜
吐息を白〜い花にかえ〜て〜〜え〜」
深夜、野営地中に響き渡る地鳴りのような歌声。
このところ連続連夜でもはやおなじみとなっている。
声の主は、ビーナス。
そのたくましい胸を焦がす恋の炎が、せつなさ余って歌声になったらしい。
「恋に〜落ちて〜〜〜
恋に〜落ちて〜〜〜
あああああっ!! 太公望さまああああああっ!!!」
最後は絶叫でしめ。
人を想う気持ちは本当に素晴らしい。
恋の力に、その歌声に、星々は天上で紺碧の涙を流す。
しかし、地上では・・・
「だああっ、眠れねえっ!」
ふらふらとやって来た武王の声に、見張りと称して焚き火のまわりに集まっていた男達のげんなりした顔が
無言の同意を表していた。
天国のような一瞬の静けさの後、再びビーナスの歌声が響き渡る。
どうやら第二部に突入したらしい。
「お願いだからさ、誰か行って止めてきてくれよ。こんなんじゃ俺達、殷と対決する前に全滅しちまう!」
「その勇気があるなら武王が行って下さいよ!」
楊ゼンが、意味がないとわかっていながら思わず耳を塞ぎながら怒鳴り声で言った。
声を張り上げなければ近くにいる者同士でも話も出来ない。
「太公望は? そーいや黄一家もいねーけど」
「寝てる。グーグー寝てる。俺はあいつらがある意味一番怖ーよっ」
これは土行孫。その隣に座るナタクは無表情。だが、こめかみがピクピクと震えている。
「宝貝人間はやけにおとなしーじゃんよ。いつもなら『殺ス!』とか言って一番に暴れてそうなのにさ」
「・・・・母上がオンナにはやさしくしろと言っていた」
「はああ?! 女かあ? あれが!」
「まあ、どっちにしろ早いとこアレをどうにかしなければいけないのは確かですね。睡眠不足で兵もフラフラですよ」
「そうだ。楊ゼン、お前があのアホ軍師に化けてビーナスの相手をしろっ。これは王の命令だ!」
「・・・・ほお。そういうこと、言うんですね。武王」
やけににこやかに楊ゼンが答えた。目が全然笑っていない。
しかし、一瞬はりつめた殺気は、さらにボリュームアップした歌声にかきけされた。
歌は山場にさしかかり、そして男達のイライラも頂点。
「ギャ――――!! もうだめだあっ! こんなん聞いてたら死んでしまうぅぅ!!」
「やっぱり殺ス!」
「誰かあの怪物を止めてくれええええっ!!」
「なんで僕がこんな目に!! 玉鼎真人師匠――――!!」
男達が歌声に耐えきれず絶叫したその時。
五光石が煌めいて全員にクリーンヒットした。
突如表れた蝉玉がぱしっと五光石をキャッチして、目をうるませながら叫ぶ。
「ひどいっっ! どうしてみんなそんなこと言うのっ!? 恋する気持ちは神聖なのにっ!! ビーナス、本気なのにっ!!」
そして雄々しく涙を拳でふくと、はしっと男達を睨みつけて言い放つ。
「見てなさいよっ! いつかアンタ達なんて、恋する乙女の前にひれふすんだからぁぁぁっ!!!」
そしてダッと駆けさる。
男達は濃ゆい顔のまま、呆然とその後ろ姿を見送った。
デカイ鼻。デカイ口。発達しまくった頬骨。
眼光だけで何人か封神できそうな、その目。
蝉玉が感心したように、失礼なことを口走った。
「・・・・やっぱり、問題は顔かしらねえ」
「まあ、ワタクシのこの完璧な顔のどこをこれ以上直すべきとおっしゃるの?」
暗い天幕の中で蝉玉とビーナスが顔を突きあわせている。
蝉玉が言いわけするように首をふった。
「あ、いや別にあなたの顔が良くないとかそういう訳ではないの。ただね、太公望の好みかどうかってことよ」
「太公望様の好み? そ、それはかなーり興味がありますわね。婚約者として」
「私が思うにね、やっぱり太公望は今にも折れちゃいそうな儚い感じの女が好きだと思うのよ。
だって自分があんなに細くて小っちゃくってひ弱じゃない? ほら、男ってバカだからさ。
自分よか背の高い女はヤダとか言うやつよくいるし。ま、ハニーはそんな奴とは違うけどさ」
さりげなくのろけを絡ませながら蝉玉が説明する。
ビーナスは頷きながら聞き入っている。
「私に任せてよビーナス。あなたをばっちり太公望好みの女にしてあげるから。太公望があなたを無視できなくなっちゃう位のね」
「あら、太公望様は照れてらっしゃるだけですわ」
「・・・・そ、そうかしら。ま、そうだとしても、私に任せてくれたらより二人の仲が進展するってこと」
「まあ、それはなんだか楽しみですわ。ふふ」
女二人は顔を見合わせて笑った。
それから数日間、ビーナスの姿を見た者はなく、やっと平和が戻ってきたと軍の誰もが手を取りあって涙した。
楊ゼンと武王もすれ違い際に、やけににこやかに挨拶などをしちゃったりしている。
「いやー、いい天気ですね、武王。昨日もよく眠れました?」
「おう、楊ゼン。そりゃあよく眠れたぜ―――――? もう怖いぐらい。うーん、爽やかな朝じゃないか」
「僕もよく眠れすぎて、今日も寝坊ですよ。まったく」
ハハハハハ、と爽やかに二人が笑う。
蝉玉はあきれながらその様子を物陰から見ていた。
「ア、アホすぎる・・・・」
そして蝉玉の目が、陽ゼンと武王が立ち話している方向にフラフラとあぶなっかしい足取りで歩いていく女の姿をとらえた。
人々を魅せる春という季節そのものが人の形をとったようなその姿。
なめらかな褐色の肌に、それによく映える蜜色の髪。
儚げな表情の中にも、華やかさと気高さが感じられる端正な顔立ち。
そして透けるような新緑の瞳が何よりも目を引く。
すんなりと伸びた手足はひどく華奢で、たどたどしく歩みを進める。
思わず無言でその女を見送ってから、武王がぽかんと口を開けたまま陽ゼンに尋ねた。
「おい・・・・今のプリンちゃん、誰だよ」
「見たことない顔ですねえ」
「くっっはあぁあぁあ―――!!!すっげ――――上玉。な、名前を聞かねばっ!!!」
「まあ、確かに美人でしたね。でも僕と比べたら・・・」
「ふっふっふっふっ!!」
自身過剰ぎみな楊ゼンの発言は、いきなり二人の間に出現した蝉玉の鼻息に消された。
「うおうっ、びっくりした。なんだよ、蝉玉」
「ほっほっほっ。あんた達、よく聞きなさい。あれはビーナスよ、ビーナス!」
武王が鼻で笑った。
「ウソつけ。それならまだ太公望が実は女だった、って方が信じられるぞ」
「いや、ちょっと待って下さい・・・・武王」
楊ゼンが目を細めて、ヨロヨロとどこかに歩いていく女の後ろ姿をじっと見つめた。
「そういえば・・・身長も肌の色も髪の色も骨格の張り方も・・・寸分違わず僕の記憶の中のビーナスと同じ・・・」
「あ、あんた結構チェック細かいのね」
ちょっと引きぎみな蝉玉。
「おいおいおい、陽ゼンまで何言ってるんだ。あんな国宝級のプリンちゃんのどこをどう見ればビーナスだってんだよ」
「ま、間違いないですよ、武王・・・。信じられない・・・」
楊ゼン汗ダラダラ。
と、三人の視線の先で、ビーナス、だという美女が天化とすれ違った。
耳を澄ます三人。
「おはよーっす。・・・・あれ、ビーナスちょっと痩せたさ? 下痢?」
「い・・・いやですわ。天化様ったら・・・・」
か弱い声でそう言って、赤らめた頬に手をやる姿がなんともかわいい。
楊ゼンは口が半開きになっている。
「そんな・・・声まで変わって」
「ある意味恐ろしいのは、一目でビーナスだとわかって驚きもしない天化の突き抜けた天然ぶりよね・・・」
「おいおい・・・やめてくれよ・・・本当なのかよ・・・」
顔面蒼白な武王。
蝉玉が勝ち誇ったように武王に向き直った。
「ほほほ。敗北を認めなさいよ、武王! ビーナスの中に眠っていた美しさが太公望への愛のパワーで輝きだしたのよっ」
「蝉玉・・・・一体どうやって・・・・。雲中子様のくすりでも使ったんですか・・・?(汗)」
「ううん。あの筋肉が全ての問題だと思ったから、五日間筋肉を使わないようにずっとベットに固定して寝させてただけ。
顔の筋肉も絶対使わないようにして。はっはっはっ、私もまさか筋肉が落ちただけであそこまで変わるとは思わなかったけどね」
三人につぶさに行動を観察されているとは露とも知らず、ビーナスは力の入らない足に鞭打って、
ただ愛しい人の姿を探し求めていた。
完全な断食状態の五日間のせいで頭までぼんやりして、とりとめもない意識の表層でただ太公望のことばかり考えている。
ワタクシは本当に前よりもっと美しくなってしまったのかしら・・・・?
そ、そんな神のレベルにまで達した美しさだなんて、最早犯罪だわ・・・
ああ、神様ごめんなさい・・・
恋に盲いた憐れな女をお許し下さいな・・・・
・・・そういえば筋肉こそが美の極みだって、お兄様はおっしゃってらしたわね。
・・・・ま、まあいいわ。
とりあえず、思わず太公望様が守りたいと思うようなワタクシであったら良いのだけど・・・。
ああ、そんなことより、太公望様はどこ?
どこにいらっしゃるの?
さらにパワーアップしたワタクシを早く見て下さいな・・・
「た・・・太公望様は・・・ドコに・・・」
ちょうど通りかかった兵士に尋ねようとした瞬間、猛スピードで風のように宿営地に駆け込んできた武吉に、
羽のごとく軽くなってしまったビーナスはふっとばされた。
貫一に足蹴にされるお宮よろしく地面になよなよと身を沈め、ビーナスは血を吐いた。
(た、耐えるのよ・・・ビーナス。これもか弱き乙女の宿命・・・)
自分にそう言い聞かせていたビーナスは、しかし次の瞬間、武吉の大声にその美しい目を丸くした。
「大変です!! お師匠様がさらわれてしまいました―――!!!」
「な、何ですと―――――??」
あわてて武吉に走り寄った楊ゼンが絶叫。
「先程、さらったことを知らせる脅迫状が届いて、『命の保証はしない』って・・・・!!!
どうやら周を憎む殷側の人間の仕業のようです! 僕が臭いで追跡するので、皆なで早く助けなければ!!
人間相手ではお師匠様は絶対戦わないでしょうから!」
「いや、大勢ではかえって効率が悪い! 僕が一人で行きます!」
「何言ってるのよ楊ゼン! 私が行って、誘拐犯なんてこの五光石のサビにしてやるわっ。
そんでもってハニーが私に惚れ直すのよ!!」
その時。
ゆらり、と、思わず混乱していたその場の全員が動きを止めるほどのオーラを発しながら、ビーナスが無言で立ち上がった。
その身から陽炎をたちのぼらせているのではないかと錯覚する、聞仲もビックリのその迫力。
芸術的な鼻の穴からもくもくと霊気を発しながら、ビーナスが一言のたまった。
「ワタクシが、まいります」
「・・・・は、はい」
思わず頷いてしまう一同。
くるりと後ろを振り向くと、ビーナスが鬼神のごとく土煙とともに猛ダッシュ。
そして、武吉は見た。楊ゼンも見た。蝉玉も武王も見た。
美しい肌がさけ、むっきんむっきんと変形を始める様を。
柳のように細くたおやかだったビーナスの手足が、走り出すにつれ、みるみるうちに内側からにょきにょきと生えてくるように、
見事な筋肉で武装されていくその様を。
ビクリビクリと筋のたった、美しいとすら言えるような筋肉の躍動。
10メートルも行かないうちに、華奢だったビーナスは元の姿のビーナスに変わっていた。
華麗なる蝶から再びごっついサナギに還っていくように。
そのほんの瞬きするような瞬間の変身ぶりに、一同は感無量の涙を流しながら呆けたように彼女の姿を見送った。
もはや楊ゼンの変化なんて目じゃなかった。
床をうつ水滴の澄んだ音が、均等な間をあけて耳に届く。
伏せたまぶたの裏で繰り返される、同じ問い。
一つきりの、問い。
いや、問いなどではないのだ。答えなど始めから求められてはいないのだから。
・・・アンタだけが、アンタの信じる未来だけが正しいのか?
ぶつけられた言葉の裏にある、ちぎれるような彼らの思いの、まっさかさまに落ちていくようなその深さ。
悲しいだろうね。苦しいんだろうね。
そして、死にたいぐらい悔しいんだろうね。
人間ですらない、自分たち仙人達に掲げられたわけのわからない美しい大義の元に、大切な誰かを失ってしまって。
太公望が目を開けた。
閉じこめられた古い牢獄跡の崩れかけた天井を見上げる。
捕まらずに逃げ出すのは簡単だった。
でも、体が動かなかった。
こちらが道士だと知っていながら、命をはって憎しみを向けてくる彼らの目に射すくめられた。
何を思ったんだろう。何を感じたんだろう。彼らにきつく腕をつかまれたあの時。
ああ。わしは。
・・・・彼らが怖くて。そして、ちょっとだけ羨ましかったのかもしれない。
そう太公望は思った。理由なんてなかったけれど。
「みなに心配をかけてしまったのう」
呟いてみたけれど、何もする気がおきなかった。
とりあえず何も考えず眠ってみようかと考える。
ただ、眠い。自分を閉じこめた彼らの言葉の単調な繰り返しが頭を巡って、やがて真っ白になっていく。
わしは、眠いよ・・・・
「お助けに参りましたわっ・・・・・!!!」
聞き覚えのある大音量でしかも重低音な声に、ずぶずぶとのめりこんでいく霞のような眠りのふちから
太公望は無理矢理たたき起こされた。
ととっ、と座ったまま前につんのめる。
うろたえる男達の声と、建物が破壊される音がどんどん近づいてくる。
「太公望様、ご無事っ!?」
牢獄の厚い壁をあっさりとつきやぶって、ビーナスが駆け込んできた。
「あああっっ、なんておいたわしいお姿!!」
揉み合ったときに刺された太公望の足の傷を見て、ビーナスが両手を頬にあて叫んだ。
なぜかうろたえる太公望。
「ビ・・・ビーナス・・・どうしてここがわかったのだ」
「乙女の勘ですわっ」
おろおろと涙にくれるビーナスは、しかし背中に人間達の視線を感じると、きっと振り返った。
「あっさりと返すわけにはいかないんでね」
中心人物らしい男が刃物を構えてすごむ。
「・・・・ワタクシは仙女でしてよ。しょせん敵わぬ相手に刀をむけたらどうなるか、おわかりでしょう?
悪いことは言いませんわ、今回は目をつぶりますからもう立ち去って下さいな」
「俺達も命がけなんだよ」
こめかみから汗をたらしながら男が言った。
「あなた方、死にたいんですの?」
「もう、無いも同然の命なんでね。この世の中には生きる意味なんてもうどこにもない・・・・・。
どうせなら死んだ者たちの仇でもとって戦って死ぬさ」
「仇? 仇とおっしゃるの? 太公望様はあなた方人間達のために長く苦しい戦いをしているのに」
「そうやって振りかざされる正義の犠牲になるヤツラは掃いて捨てるほどいるってことを忘れちゃ困る」
「自ら命を捨てようとしている人にそれを言う資格はないですわ。
そんなことをしてあなた達の死んでしまった愛する人たちは喜ぶのですか?」
「うるせえっっっ!!!!」
男が激昂する。太公望は無言でやり取りを聞いている。
「もう話はお終いだ」
男達がビーナスににじりより殺気ばしった目を太公望に向けた。
ビーナスが太公望を庇うように彼を後ろに隠して立ちはだかる。
「ビーナス・・・・宝貝は駄目だ」
「わかってますわ」
男達が次々と手にしていた小刀をビーナスにむかって投げつけた。
よけもしないビーナスの胸に、手足に、それらがまともに深々と突き立った。
「・・・・やったか?!」
ビーナスが体中小刀だらけで艶然と微笑む。
「ほほほほほっ、痛くもかゆくもないですわっっっ!!!!」
高笑いをしながら、ビーナスが腰に手を当て小さく身震いを一つすると、
確かに刺さっていた無数の小刀がせりだした筋肉に押し出されてぽろりと床に落ちた。
ビーナス、無傷。
「く、くっそう!!!!」
化け物じみたビーナスの無敵ぶりに恐慌をきたした男達がやみくもに飛びかかる。
しかし、次の瞬間にはビーナスの回し蹴りが宙を舞い、総勢7人もいた男達はふっとばされて壁に激突した。
ビーナスはそんな彼らに向かって、胸の前で手を組んで涙ながらに訴える。
「もう、もう、お終いにしましょうっっ・・・・・!!」
呆然とした顔で、壁にめり込んだままの男達がビーナスを見た。
「何が正しいとか、正しくないとか、そんな基準なんて世の中にないんです!!
何かを成し遂げようとしたら犠牲になる者は必ずいるし、その犠牲を怖れたら何もできない。
ワタクシ達にできることはその犠牲についていっぱいいっぱい考えて、思って、決して忘れないことですわ。
だからワタクシ達の正義が唯一の「正義」なわけではないし、あなた方だって何も悪いことをしたわけではない。
アナタ方なりの正義を求めようとしたのならば」
ビーナスは滂沱と流れる涙をそっとぬぐった。
「でも、生きなきゃ。生きなきゃいけないんです。
どんなに絶望したって、狂うほどつらくたって、生きなきゃ・・・・だから。もう、やめましょう・・・」
「なぜ?」
問いを発したのは、太公望。
「なぜ、人は生きねばならぬのか」
ビーナスは太公望に背を向けたまま振り返らずに答えた。
「それが唯一の『正しさ』の証明だから」
その言葉の意味も、意味するところの思いも。
男達は黙ってその言葉を受け取った。それぞれの解釈で。
「そうだね」
太公望がやるせなく笑って頷いた。
「本当に、そうだね」
「・・・・あまり急がずともよいよ。ビーナス」
「まあっ、それでは傷の手当てが遅くなってしまいますわっ」
「おぬしもつかれておろう? 別に死ぬよーなケガじゃないし」
「そ、そうですわね。そうおっしゃるなら。わたくしもなんだか足がフラフラしますし」
太公望を背負ったビーナスが宿営地への帰り道を走っていく。
地獄の変身計画のせいで落ちきった体力の上での先程の戦闘が少々こたえていたビーナスは、
太公望の言葉通り少しスピードを緩めた。
「10分とかからないと思いますけど、でも何かつらかったら、絶対絶対すぐにおっしゃって下さいましね」
「ああ、わかったよ」
答えてから、ふいに太公望は趙公明のことを思って少し笑った。
「おぬしの兄は封神台に行ってもあの調子でやってるんだろうな」
ビーナスは少し黙ってから答える。
「お兄さまは・・・・お星さまになりましたわ」
「・・・・星、というかブラックホールにでもなってそうだが・・・・」
「お星さまになってしまわれたけれど、でもきっと微笑んでいらっしゃいますわ。
最後に太公望さまのような方と闘えて何の悔いもないって」
「それだよ、それ。わしが不思議なのは。志半ばにして死んでしまった者をつかまえてどうして『悔いがない』と言えるんだ?
わしがもし誰かに殺されたりでもしたら、恨んで恨んでそやつのことをネチネチと末代までたたってやるのにのう」
「まあ、太公望さまったら」
ビーナスがくすくすと笑った。
「だって、そうでも思わなければ、残された者たちはつらくてつらくていつまでも悲しいままですもの。
だから『悔いがなかった、だからあの人は死んでも幸せなんだ』ってことにしちゃうんですわ。きっと」
「なんちゅーいい加減な・・・」
「いいえ。それでいいんですわ。死んだ人の気持ちなんて本当の意味では誰もわからないし、
誰を殺したって誰に逝かれたって、残ったものは這ってでも生きていかなきゃならないんですものね。
だからいいんです」
「ふーん・・・・這ってでも、か」
太公望は、もしかしなくても武成王よりもたくましいビーナスの背中にゆられながら、目を閉じた。
「おぬしは以外といろいろおもしろいことを知っておるのだな」
「軍師の妻・・・・キャッ・・・になるものとして、とーぜんですわっ」
ふふっ、と笑って太公望は心地よい揺れに眠りの淵へと落ちかける。
いつか。そう遠くないいつか。
自分はこの今日の日のことを思いだすだろう。
あの人間達の哀しい目と、揺らいでいた弱い自分を。
そして、ビーナスの言葉を。
・・・・・どんな道とて、生き続けることが唯一の『正しさ』の証明だから。
誰を殺しても、誰に逝かれても、
自分は、這ってでも生き続ける。
選び取った道だから、
どんな道とて。這ってでも。
そう。誰に逝かれても・・・。
何をなくしても・・・。
まどろみながら太公望がビーナスへと呟く。
「わしは、好きだよ。そういうのが好きだ。・・・そういう強さ・・・・。そして強いおぬしも・・・」
言葉がとぎれ、消える。
ビーナスは眠る太公望を背負って走りながら、ほんの少しだけ泣いた。
この、あきれるほど強くて脆い、この人をずっと守ろうと思った。
守られる自分に少し憧れたりもしたけど。
儚い折れそうな女性になってみたりもしたけど。
守られるよりも守る自分でいようと思った。
それが自分の正しさの証明。
ただ一つを決めろというのなら、それが私のただ一つの生きる意味。
太公望の体は、驚くほど軽かった。
小さな寝息に、一瞬だけでも彼が穏やかな夢を見れたら、と思う。
一歩一歩皆が待つ宿営地に近づく。
一歩一歩逃げられない現実に近づく。
ビーナスは走りながら空を見上げて大きく息を吸い込んだ。
どうしてだろうね。
ここまで誰かを愛せることを、泣いてしまうぐらい幸せに思うよ。
幸せになって下さい、とは言えないけど。
あなたが望むこと。震えながら求めること。
小さなその手で掴めますように。安らかな答えが見つかりますように。
迷わないで。壊れないで。
守るから。私が守るから。
あなたが行くなら、私も行くの。
あなたが行くから、私は行くの。
そして、ずっとずっとあなたを守るの。
「・・・・結局、ビーナスが美しかったのも一瞬でしたねえ・・・」
太公望が無事帰還し、日常が戻った。
相変わらず太公望を追い掛け回すビーナスを遠目で見ながら、楊ゼンが蝉玉に言った。
「あーら、でも前よりもあの二人、いい感じじゃない?」
「・・・僕には決してそうは見えませんけど」
「ふふふ、あんたガキねえ」
「ガ、ガキっ?」
「ねえ、楊ゼン知ってる? 男の価値は顔だけどね」
すがすがしく伸びをしながら蝉玉が言った。
「でもねっ、女は度胸!!! ドキョーなのよ!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あとがき
しょうやさんのSSRに載せて頂いているものを、再録してしまいました。
すいません。あまりにも手持ちが少ないので。
これを読んでもらえばわかるように・・・・ビーナス、好きです。
しかも太公望と幸せになってもらって一向にさしつかえないぐらい好き(変な表現だが)
しっかし・・・・こんなことしてるヒマなんて、彼らにゃなかったでしょうに(笑)
しょうやさん、載せて頂いて本当にどうもありがとうございました。