薄桃の髪に目を合わせてはいけない
狐にココロを読まれてはいけない。
何故なら、それが深く私を傷つけるから。
癒えない指先の傷を苛むから。
あの艶やかな朱唇が、私を奪ってしまうから。
そのすべてが痛いから。



けれど、繰り返される。
離れないのは、何故?



繰り返したら、私のココロは溶けてしまう。
薄桃の狐に混ざって、いなくなってしまう。



だから。
これは、抱いてはイケナイ感情。














+ + 真実と幻想と + +
















<夢の中:竜吉公主の場合>

 



「──月を見てきた。ただそれだけだよ、公主」

あの夜。
結局見つからなかった太公望は、夜更けをはるかに過ぎた頃に帰ってきた。
私を呼ぶ声は変わっていなかった。
それが、安心。
けれど

「月なら此処でも見られるのでは?おぬしの行動は少し自分勝手すぎる。
 たくさんの者がおぬしを捜し回ったのに」

これは建前。
なんだかとても、自分が卑しい女になった気がする。

「どうして意味を付けたがる?」
「──え?」

肩透かしを、食らった。

「全てに意味を求めたのなら」

私を見つめる瞳。
いや、私を通り越して、貫いて、もっと別なものを見つめている。
けれど真っ直ぐ、変わらないもの。

今はそれが──痛い。


──何故、痛いの?


不意に湧いた疑問には、答えられなかった。



「おぬしは何故問う?
 おぬしは何故そのような瞳をする?」

痛い。
その視線。

「そして、何故此処に生きる?」

痛い。
そのココロ。

「わしならそれは考えられない。
 ずるい奴だろう。
 逃れられない恐怖から、それでも足掻いて逃げているのだ」

痛い。
彼が内側を曝け出す事が。

「おぬしは、確かに強いし気高い」

痛い。
私を認めるその言葉が。



──けれど、己の中の隠しきれぬ欲望を見つめられるか?



その後、彼は何も言わずに部屋に引きこもった。

ゆっくりと、朝日が昇る。










それから何度目かの、よく晴れた朝。
爽やかな風が吹いて、長い髪が揺れる。
回廊を歩きながら資料をめくる彼を、私は呼び止めた。

「公主?」

「話がある──」





人目を避けた城の裏側。
陰に面した壁は冷たく、うっすらと苔が生えている。

「──太公望、妲己に会わなかったか?」

口に出すのも苦々しい名前。
けれど問わずにはいられなかった。


──何故、私は問う?


「否──どうして?」
「それは」

妲己に会ったからとは言えない。
相手は敵で、もし言っても信じてもらえないだろうから。

「夢を」

そう、夢にしよう。
私は悪い夢を見たのだ。

「妲己がおぬしをさらう夢を見たから、だから」
「けれどそれはマボロシだろう」

答えは、あっさりと。

「仮にそれが、おぬしの見た『夢』が『現実』だったとしても」

突き刺さる視線。
どきりとした。
ココロの中を、見透かされている、気がした。
彼は続ける。

「その『過去』は、おぬしの記憶。それは偽りかもしれない。
 何故ならそれは過去のコピーだから。
 それを確かめる一番方法は、オリジナルである『過去』と
 照らし合わせること。
 けれど時は過ぎ、照らし合わせるべきオリジナルは存在しない。
 つまりコピーはオリジナルを失い、コピーがオリジナルとなってしまう」


──何故、彼はこんな話をするのだろう?


ああ、さっきから私は自分に問ってばかりだ。

それも、答えの無い問いを。


「おぬしの記憶それは本当に正しいのか?」

聞かれて、ぞくっとした。
この間から、彼の言葉はとてもとても痛い。
そしてやっと紡いだ言葉は、所々掠れて、弱くて。

「もしもしも、それが正しいのなら、私の」



私のすべては夢の中?







世界が反転した。
目の裏に映る色は、薄桃を煮詰めた──血に似た、赤。

あの夜の、妲己と会った夜の月と似ている──



森?

赤い血の赤に染まった──私のココロ。
狐が荒らしてそのまま。
血の匂いが漂っている。
光さえ差し込まない、閉ざされた森。

此処には、私しかいない。
傷つけるものも。
護るものも。

他には、誰もだれも

だから、ここは私そのもの。

私の望むものだけが


何故、赤いの?


望んではいない──はずなのに。



その中で、繰り返される。

『ごちそうさま』

蠢く朱唇。

『美味しかったわ』

なびく薄桃。

『また、会いましょう』

噎せ返るような、花、花、花──



──貴方が欲しいのは、誰?







「──?」

『それ』は、突然現れた。
光のない森でさえ目立つ、薄桃。

「お久しぶり」

言葉を発する甘い朱唇。
繰り返す夢と同じ。

「何故何故ここに」

そして、繰り返す夢と同じ噎せ返るような、花、花、花──

「何を──言っているの?」

くすりと微笑む。
また、花の香り。

「だって、呼んだでしょう?」

指先が疼く。
とうに癒えたはずの、人差し指の傷。

「貴方が」

いつまでも残る、傷痕。

「この、ワタシを」




──何故、私は問う?
──何故、痛いの?
──何故、彼はこんな話をするのだろう?
──何故、赤いの?


こんな問いをぶつけるのは──

それは、私が認めたくないから。


あの女に狂わされた事を。


その微笑みを見た時。
花の匂いに酔わされた時。

解った。


そして、認めたくない。






「ワタシのこと、好き?」

だから、答えられない。

「ワタシのこと、嫌い?」

だから、答えたくない。

「ワタシのこと、好きじゃない?」

多分。
でも、答えない。
拒絶するのは簡単なのに。
だって、此処は私のココロ。
望んだものは手に入り、いらないものは捨てられる。


──それなら、ここに妲己がいると言う事は


「何も教えてくれないのね、貴方は。でも、良いの」

──全部、知ってるもの

「──それなら」

それなら、ただ一つ。
これだけ聞きたかった。


「私のこと──すき?」


「キライ」

その言葉に、極上の微笑みを浮かべながら。












「嫌」

瞳から、一筋の──










涙。



















<夢の後先:太公望の場合>



「忘れぬと言ったのに」

戻った部屋で、そっと呟いた。
どうやら妲己には見えていないらしい。
口元が緩むのをおさえられない。

「全く、面白い奴じゃ」

わざわざ赤い月を見に、太公望は城を抜け出した。

「あれで、本当にわしを殺せるのか」

そんなに隙を見せていたら。

「──こちらが殺してしまうぞ」


だから早く。
逢えないと、欲しくなるから。






あの夜、空を見上げたら。
ココロを掴んだ、赤い色。

「今宵の月は赤いな」

その月は、まるで生き血を映したように。
赤く、紅く、緋く

「魔女の、月だ」

今夜なら、逢える?



赤い月は静かな夜に、そっと彼を呼び覚ました。
呼ばれた気がしたら、本当に呼ばれていた。

「だから、逢いに行ってやったというに」


差し伸べた腕は避けられる。
手を離したら近づいてくる。
中途半端で曖昧な関係。


「──すれ違ってしまったではないか」

その声は、嘲るように。

そして僅かに、切ない色。



どうしてだろう。
明らかな優位だ。
手の内になくても、すべてが見えなくても。
それなのに──










泣きたいのは。




その髪に、身体に。

ココロに、触れたくて。


















END.




忍さんのあとがき

なんだか凄く時間がかかってしまいましたっ。
今回のテーマは『ココロ』と『脆さ』です。
好きなんだけど認めたくない公主さまと、
遊んでて感情を故意に無視してる師叔。
公主さまを書くのが楽しくて、肝心の師叔が書き切れてません。
どうなるんでしょう?(汗)
忍でした。









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