「──月を見てきた。ただそれだけだよ、公主」
あの夜。
結局見つからなかった太公望は、夜更けをはるかに過ぎた頃に帰ってきた。
私を呼ぶ声は変わっていなかった。
それが、安心。
けれど
「月なら此処でも見られるのでは?おぬしの行動は少し自分勝手すぎる。
たくさんの者がおぬしを捜し回ったのに」
これは建前。
なんだかとても、自分が卑しい女になった気がする。
「どうして意味を付けたがる?」
「──え?」
肩透かしを、食らった。
「全てに意味を求めたのなら」
私を見つめる瞳。
いや、私を通り越して、貫いて、もっと別なものを見つめている。
けれど真っ直ぐ、変わらないもの。
今はそれが──痛い。
──何故、痛いの?
不意に湧いた疑問には、答えられなかった。
「おぬしは何故問う?
おぬしは何故そのような瞳をする?」
痛い。
その視線。
「そして、何故此処に生きる?」
痛い。
そのココロ。
「わしならそれは考えられない。
ずるい奴だろう。
逃れられない恐怖から、それでも足掻いて逃げているのだ」
痛い。
彼が内側を曝け出す事が。
「おぬしは、確かに強いし気高い」
痛い。
私を認めるその言葉が。
──けれど、己の中の隠しきれぬ欲望を見つめられるか?
その後、彼は何も言わずに部屋に引きこもった。
ゆっくりと、朝日が昇る。
それから何度目かの、よく晴れた朝。
爽やかな風が吹いて、長い髪が揺れる。
回廊を歩きながら資料をめくる彼を、私は呼び止めた。
「公主?」
「話がある──」
人目を避けた城の裏側。
陰に面した壁は冷たく、うっすらと苔が生えている。
「──太公望、妲己に会わなかったか?」
口に出すのも苦々しい名前。
けれど問わずにはいられなかった。
──何故、私は問う?
「否──どうして?」
「それは」
妲己に会ったからとは言えない。
相手は敵で、もし言っても信じてもらえないだろうから。
「夢を」
そう、夢にしよう。
私は悪い夢を見たのだ。
「妲己がおぬしをさらう夢を見たから、だから」
「けれどそれはマボロシだろう」
答えは、あっさりと。
「仮にそれが、おぬしの見た『夢』が『現実』だったとしても」
突き刺さる視線。
どきりとした。
ココロの中を、見透かされている、気がした。
彼は続ける。
「その『過去』は、おぬしの記憶。それは偽りかもしれない。
何故ならそれは過去のコピーだから。
それを確かめる一番方法は、オリジナルである『過去』と
照らし合わせること。
けれど時は過ぎ、照らし合わせるべきオリジナルは存在しない。
つまりコピーはオリジナルを失い、コピーがオリジナルとなってしまう」
──何故、彼はこんな話をするのだろう?
ああ、さっきから私は自分に問ってばかりだ。
それも、答えの無い問いを。
「おぬしの記憶それは本当に正しいのか?」
聞かれて、ぞくっとした。
この間から、彼の言葉はとてもとても痛い。
そしてやっと紡いだ言葉は、所々掠れて、弱くて。
「もしもしも、それが正しいのなら、私の」
私のすべては夢の中?
世界が反転した。
目の裏に映る色は、薄桃を煮詰めた──血に似た、赤。
あの夜の、妲己と会った夜の月と似ている──
森?
赤い血の赤に染まった──私のココロ。
狐が荒らしてそのまま。
血の匂いが漂っている。
光さえ差し込まない、閉ざされた森。
此処には、私しかいない。
傷つけるものも。
護るものも。
他には、誰もだれも
だから、ここは私そのもの。
私の望むものだけが
何故、赤いの?
望んではいない──はずなのに。
その中で、繰り返される。
『ごちそうさま』
蠢く朱唇。
『美味しかったわ』
なびく薄桃。
『また、会いましょう』
噎せ返るような、花、花、花──
──貴方が欲しいのは、誰?
「──?」
『それ』は、突然現れた。
光のない森でさえ目立つ、薄桃。
「お久しぶり」
言葉を発する甘い朱唇。
繰り返す夢と同じ。
「何故何故ここに」
そして、繰り返す夢と同じ噎せ返るような、花、花、花──
「何を──言っているの?」
くすりと微笑む。
また、花の香り。
「だって、呼んだでしょう?」
指先が疼く。
とうに癒えたはずの、人差し指の傷。
「貴方が」
いつまでも残る、傷痕。
「この、ワタシを」
──何故、私は問う?
──何故、痛いの?
──何故、彼はこんな話をするのだろう?
──何故、赤いの?
こんな問いをぶつけるのは──
それは、私が認めたくないから。
あの女に狂わされた事を。
その微笑みを見た時。
花の匂いに酔わされた時。
解った。
そして、認めたくない。
「ワタシのこと、好き?」
だから、答えられない。
「ワタシのこと、嫌い?」
だから、答えたくない。
「ワタシのこと、好きじゃない?」
多分。
でも、答えない。
拒絶するのは簡単なのに。
だって、此処は私のココロ。
望んだものは手に入り、いらないものは捨てられる。
──それなら、ここに妲己がいると言う事は
「何も教えてくれないのね、貴方は。でも、良いの」
──全部、知ってるもの
「──それなら」
それなら、ただ一つ。
これだけ聞きたかった。
「私のこと──すき?」
「キライ」
その言葉に、極上の微笑みを浮かべながら。
「嫌」
瞳から、一筋の──
涙。
<夢の後先:太公望の場合>
「忘れぬと言ったのに」
戻った部屋で、そっと呟いた。
どうやら妲己には見えていないらしい。
口元が緩むのをおさえられない。
「全く、面白い奴じゃ」
わざわざ赤い月を見に、太公望は城を抜け出した。
「あれで、本当にわしを殺せるのか」
そんなに隙を見せていたら。
「──こちらが殺してしまうぞ」
だから早く。
逢えないと、欲しくなるから。
あの夜、空を見上げたら。
ココロを掴んだ、赤い色。
「今宵の月は赤いな」
その月は、まるで生き血を映したように。
赤く、紅く、緋く
「魔女の、月だ」
今夜なら、逢える?
赤い月は静かな夜に、そっと彼を呼び覚ました。
呼ばれた気がしたら、本当に呼ばれていた。
「だから、逢いに行ってやったというに」
差し伸べた腕は避けられる。
手を離したら近づいてくる。
中途半端で曖昧な関係。
「──すれ違ってしまったではないか」
その声は、嘲るように。
そして僅かに、切ない色。
どうしてだろう。
明らかな優位だ。
手の内になくても、すべてが見えなくても。
それなのに──
泣きたいのは。
その髪に、身体に。
ココロに、触れたくて。
END.
忍さんのあとがき
なんだか凄く時間がかかってしまいましたっ。
今回のテーマは『ココロ』と『脆さ』です。
好きなんだけど認めたくない公主さまと、
遊んでて感情を故意に無視してる師叔。
公主さまを書くのが楽しくて、肝心の師叔が書き切れてません。
どうなるんでしょう?(汗)
忍でした。
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