女王蜂




「いいもんだのう、おぬしらみたいな夫婦も」
そう言って太公望は列車の椅子に座りなおした。
うしろのシートには高蘭英。
窓の外では彼女の夫の張奎が聞仲に別れをつげている。
「あら、あなたはまだ結婚してないの?」
「してるように見えるか?」
「ぜんっぜん」
「……はっきり言うのお」
蘭英の言葉に、太公望はイヤな顔をする。
「だって実際そうなんでしょ?」
「う、まあな……仕方あるまい、オンナに縁がないのだから」
「まあ、縁があったらとっくに結婚ぐらいしてるって言い方ね」
「ふ、そりゃな……」
「ムリよ」
蘭英の言葉がさっきより近くから聞こえた。
太公望が上を向くと、さっき自分がしていたように蘭英が椅子の向こうからこっちを覗きこんでいた。
妲己に負けない派手な顔である。
「言い切るのお……」
「だって、男として見るにはお子様すぎるんですもの」
欄英の顔には極上の笑顔。
悪意は表面上、微塵も感じさせない。
ハツラツすぎてこっちが悪いような気がしてくる。
「合ってるでしょ?」
「…………」
確かに間違ってははいないので言い返せない太公望。
無言になる。
「カワイソ、あなた。地位と名誉だけはあるのにね」
「…………」
「将来性だって私のダンナ並にあるんだし、見た目の青臭さぐらいガマンすればいいのにねえ、みんなも」
「なんだ、おぬし……」
「ん?」
「さっきから慰めてるようでけなしておるだろう」
「あら、そんなことないわよ? 私あなたのためを思って言ってるんだけど」
「……!!」
急に太公望は下あごを撫でられた。
当然、撫でたのは蘭英だ。
「なっ……!!」
蘭英の気配を感じて隣を見ると、いつのまにやら太公望の隣に座っていた。
「ふふふふふふ」
怪しげに笑いながらそのまま太公望の肩に手を置く。
「な、なんだ……?」
そして顔を近づけ耳元で呟く。
「カワイイ」
「へ?」
「カワイイっていってるのよ」
蘭英はさらに体を密接させてくる。
胸が腕に当たる。
「さ、さっきは青臭いとかガキ臭いとかなんとか言っておらんかったか……?」
「そーゆーのが好みなの」
太公望はチラと窓の外を見る。
張奎の横顔が見えた。
確かに童顔というかなんというか……
「わかった? 私の守備範囲なのよ、あなた」
「だ、だから?」
「私どう?」
「へ?」
「だからあなたの結婚相手になってあげてもいいっていってるのよ」
「へえ? え、ああ? お、おぬし張奎が……」
なんだか何に驚いていいのか分からなくなってきた太公望。
「あら、一夫多妻の逆っていうの? 一妻多夫でもいいじゃない、あなたそーゆーの認めないタチなの?」
「まあ本人たちがいいなら……」
「じゃいいじゃない」
「って、この場合に当てはめるか……?」
「あらやだ、結構いいかもって思ってるでしょう?」
楽しそうに蘭英は言う。
実際、太公望は蘭英の行動の予測がつかなくてドキドキしていたりする。
「どう?」
蘭英はさらに体を寄せてくる。
すでに窓と椅子との隅におしこめられてる太公望。
「どうって……」
「私、いいかんじでしょう?」
「う……」
「ねえ」
「う、うむ……」
推し切られたかたちで頷く太公望。
しかし、あながち心にもないことではない。
結構やっぱり結婚に憧れてたりするのだ。
「ふふふ……」
勝ち誇ったように微笑む蘭英。
「じゃ、もう、おしまい」
「へ……?」
最後に蘭英は太公望の頬にキスして体をパッと離した。
「気分よかったでしょう? 女性に迫られるっていうのも」
蘭英は立ちあがり、太公望を見下ろす。
太公望は今にも椅子からずり落ちそうな格好でかなり情けない。
「げ……もしかしてからかわれておったのか? わしは……」
しかし、なんとか頭は回るようである。
正しい状況判断。
「もしかしなくても、そう」
蘭英は唇に手をあてて再び笑う。
「……くそ、本っっ気でやられた……」
「ほほほほほほほほ、だってあなた私のダンナにイジワルするんですもの。
 私がお返ししてもなんの文句も言わせなくてよ」
「…………」
見上げた欄英に、ある意味完璧負けを感じた太公望だった。



「蘭英……」
「おかえりなさい、あなた」
蘭英が肘掛にヒジをつきながら車両に戻ってきた張奎を迎え入れる。
「……どうしたんだ? 太公望は?」
笑顔の妻とは正反対に太公望の表情は暗い。
「張奎よ……」
その暗いモードもままで太公望は呼びかける。
「最高のオンナだな、蘭英は」
「……? 当然だ」
素で答える張奎。
「…………」
ある意味、最後までこの夫婦に勝てなかった太公望であった。
独り者の淋しさが身にしみた日だった。

 

 

 

 

 




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