波紋




たおやかなりし水の乙女

憂愁に揺らめく深淵の瞳、麗しの面は血を透かしてほの紅い
か弱き現身に白魚の如き両の腕
健気に抱くは何の祈りか願いかと、問う声にも幽遠たる、
その心こそ神秘の極み───悟りの至り。

たおやかなりし、純血の
仙の粋、粋の粋たる、水の仙女。


‥‥崑崙の住人たちは、彼女をそう称える。




間一髪辿り着いた愁嘆場。
火炎の獄、囚われびと。

介入に、手段を選ぶ余裕はなく‥‥
彼女の同胞にして僕なる、自然にして自然ならざる水流は
いともたやすく、場を制した。

ひとまずの有利、向けられる敵意。


力を振るうのは心地良くないか?
自ら望んで修練の果てに得た力、望まずとも備わる天性の力
望んだ己の在り様を、生まれ落ちた己の存在を
証立てるが如く、確かめるが如く───


否応無しの戦いに心がざわめく。高ぶる。


「公主‥‥おぬし体は大丈夫なのか?」


まして己を認めてくれるひとの
受け容れてくれるひとの、‥‥己が受け容れるひとの、ためならば。

心を暖める好意が、理性の裏の燠火に大義を与える。

射干玉の黒髪が、蒼い陽炎にかすかに舞い、漂い、泳ぐ‥‥‥。


『宝貝・霧露乾坤網!』


過度に動かず流されず、在りて在れる己の力に心に、溺れることなく。
立ちはだかる者を見据え、真白き繊手に死を紡ぐ。

燃え盛る業火にさえ、染み透る凍気。

場の趨勢は決し、火炎の獄は打ち破られる。


「殺生は好まぬ」


けれど、力を惜しむことも恥じることもしない。

弟子の恩人、一途な少女、囚われ捕らえしこの獄卒。
見て取れる状況が哀惜を誘う。

あるいは己こそ己の性に囚われたかと、
感傷はとりとめもなく巡る。


それでも。
純粋なゆえに脆いこの身にも‥‥‥抱く想いはあるのだから。




「なんつーか‥‥凄味があるさね。攻撃も、本人も。」

刹那の水槍。
見事に制御された力を、天化はそう評した。

「公主はたおやかなだけの仙女ではないよ。」

そうでなくば、あれほど静かな、あれほど厳しい力を、振るえるものか。

滲み出た内心の色に驚いたように、天化がわずかに眉を上げる。

「そ…りゃ、そうだけんどね師叔。」
「‥‥見習うのは至難の技だぞ?」

もちろん気づいた太公望だったが、事も無げに意地悪く茶化してしまうのだった。
仙道というより人間に近いような道士とはいえ、見た目通りの少年ではないのだ。
そうそう隙はないし、作っても取り繕う術を知って久しい。

「んな言い方ってないさ〜、俺っちだって‥‥」
「判った判った、しかし気を抜くものではないわ。いくら公主が強いと言っても、な‥‥。」

なおも食い下がる天化を遮り、太公望は戦場へ視線を戻した。
ったく、とか何とか呟きながら、天化もそれに習う。
もとより気を緩めてなどいなかったが、正論ではあったので。


純粋ゆえの鋭利、しなやかゆえのしたたかさ
兼ね備えてどこまでも澄明な、ときに清冽な、すべての水性持つ純血の仙女。

かのひとが、
蒼焔より毅く、激しく‥‥それでいてなお静かになお己らしく在れる、類い稀なる水の現身が。
炎獄なぞに囚われることなどあろうはずがない。

偶像に惹かれたわけでもない、はじめから見て取ったわけでもない。
けれど、ただ‥‥あの日々、かのひと自身を目の当たりにしてきたから。
それだけのこと。その稀少さを知らぬとは言わないけれど、それだけのこと。
理解を自負してしまうのも、思い入れるのも。
均衡を失わないかの誇り高き女仙でなければ、いや、かの存在なればこそ‥‥‥


‥‥脳裏をよぎった想いは、泡沫のように儚く溶け消える。
一時伏せた面も、上げられた時には何の乱れもない。
冷徹冷静な、軍師の顔。




そして、囚われびとは、解き放たれた。




飛び去った魂魄の軌跡が、戦跡の惨状を照らし出す。
血痕、水溜り、黒ずんだ岩塊‥‥。
かすかな光が拡散し降り注ぐさまを、誰もが見届け、瞑目した。
時が、ようやく動き出すまで。

「かたじけない。‥‥大丈夫か?」

空を滑り来た竜吉公主を、太公望は心からの微笑で迎え…しばし言い淀んで付け加えた。
穏やかな表情のままかるくひそめられた眉が、笑みを誘う。
そっと下ろした指をその頬に添えると、竜吉はにじむ血を拭ってやった。

「ああ…大丈夫じゃ。おぬしにそのような顔をさせに来たのではないのだから。」

汚れるぞ、と呟いて一歩退いた太公望に構わぬと答えれば、仕方なさそうなため息が返る。

「心配ぐらい、させてくれても良かろう。確かに、力もあり己を知ってもおる大仙道に対するには僭越であろうし、脆くも鋭い純血の仙女に対するには軽侮となろうが‥‥。」

「拗ねるでないよ、太公望。私を、気遣ってくれてのことだと判っておる。だが、そのためにおぬしの表情が曇るのもいただけない話。‥‥それとも、判っておると判っていながら恨み言を止められないほど、心配したのか?」

私が想うのと同じように、ただただどうにも心を惹かれて?

「‥‥言うな。」

意地の悪い切り返しに、憮然と目を逸らしてしまう太公望。
舞い降りた仙女は、ほんとうに満足げに薄くまろい紅唇をたわめ‥‥
ゆったりと、伸べられた腕に身を預けた。










End.



*あとがき*
いつかの約束通り、書いてみましたよ草子さん。
草子さんちには太竜の方がいいんだろうなあと思いつつ
竜太に修正してしまったんですが、気に入ってくれたかなあ‥‥(おそるおそる)
シチュエーションは一応11巻の劉環戦SSです。
脚色入ってますのでコミックスを読み直さないでね(笑)
って、読み直すまでもなく覚えてそうだな草子さんなら‥‥^^;;)

ちなみに、今回のタイトルは「竜太だから水と風」という連想。安易?(爆)




おおお! ダークブルーさん、html編集までしてくれて・・・・感激っす! 
文章が格調高く典雅で、竜吉公主の存在そのもののようです。本当にかっこいい。
色彩が目の前にあざやかに浮かび上がるようですね。 りんとしていて。
11巻・・・ふふふ。もちろん。持ってます。だってあの巻しかまともに赤雲ちゃん出てないのお(泣)

私はこのお話の最後の部分がとても大好きなのですよ、「言うな」ってところ。あの二人のやりとりが(草子)




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