沖縄県警は身柄拘束を待たずに犯人を書類送検、
犯人はようやく逮捕されました。
しかし、被害者の高校生の少女は亡くなりました。
犯人の米兵は、ひき逃げ直後
まっしぐらに基地へ逃げ込んだといいます。
犯人が少女をすぐに病院へ担ぎ込めば
助かっていたかもしれない------
地元の人達、高校のクラスメート、先生方、
そして何より、御両親の悲しみと無念を思うと、
これを書いている私も怒りの涙を禁じ得ません。
合唱団で知った歌のひとつに、
笠木 透というフォークシンガーがつくった
「少女よ」という曲があります。
1955年に起こった米兵による少女誘拐・暴行・殺害事件、
いわゆる「由美子ちゃん事件」を題材にした歌です。
由美子ちゃんを殺した米兵は、
罪を償うことなく帰国したといいます。
当時を知る沖縄県民にとって、
1995年の少女暴行事件は
由美子ちゃん事件の再来を見る思いだったことでしょう。
「今度こそは犯罪者に罪を償わせなければならない。
由美子ちゃんや由美子ちゃんの家族の無念を
これ以上繰り返してはならない」
それが政治的立場の違いを超えた
沖縄県民の思いだったに違いありません。
その気運を受けて、わたしたちの合唱団は
昨年('97年)6月の定期演奏会で「少女よ」を演奏しました。
「・・・あなたを 守ることが できなかったのは
安保条約を 結んだ 私達
沖縄にとって 日本は 何なのだろう
誰が 何を 守るというのだろう・・・」
------戦争が終わって50年、
沖縄が日本に復帰してほぼ四半世紀、
なのに私達は今もこの歌を口にしなければならない。
改めてその現実を前にし、私は胸を痛めました。
この歌の世界が過去のものとなる日、
「基地のない平和な島を」という沖縄県民の願いが
一日でも早く実現することを
私は願わずにいられませんでした。
しかるに、直後に母子ひき逃げ事件。
そしてまた、今回の事件で、尊い命が奪われました。
これを書いている今、私は「少女よ」を口ずさんでいます。
日米地位協定があるがために、在日米軍基地は
米軍関係者にとってひき逃げ犯やレイプ犯や殺人者の
“駆け込み寺”にもなっています。
その日米地位協定は、日本のどこでも有効です。
今回のような事態は、沖縄だけではなく、
日本中のどこでも起こりうるのです。
起訴された米兵がちゃんと裁かれるかどうか、
日米地位協定がどうなっていくか、
沖縄や、その他の在日米軍基地がどうなっていくか。
このホームページでは、それを見守っていきたいと思います。
「少女よ」を歌わねばならない現実を
二度と繰り返さないためにも。
少女の冥福を、心から祈ります。
黙祷