沖縄・ひき逃げ事件を考える






沖縄の女子高生が、
米軍兵士にひき逃げされる事件が起きました。
犯人は特定済みです。
沖縄県警は犯人の身柄引き渡しを求め、
書類送検に踏み切りました。

ところが、日本政府の高官は
「犯人の兵士の身柄引き渡しは
特に求めない」
と言ってのけたのです。
日米地位協定によれば、
米軍関係者が日本国内で犯罪を犯した場合、
起訴されるまでは身柄は米軍の側に置いておける、
とあるから、と。
何より恥ずべきことに、あろうことかその政府高官、
私が住んでいる京都府選出の代議士なのです。

自国内で起こって、犯人が判っている犯罪について、
犯人の身柄を確保することができない。

内乱で無政府状態になっているか、
他国に占領されたり植民地になったりしているか、
不平等条約を押し付けられているかでもしなければ、
考えられないはずの事態です。
今から約100年前、
列強との間の不平等条約を正すために奮闘した
明治時代の政治家や外交官がもし今よみがえったら、
日米地位協定に憤り、件の高官を叱ることでしょう。

さて、沖縄に限らず、
日本国内での米軍の事故や米軍兵士の犯罪は、
昔から後を絶ちません。
先程の日米地位協定などを楯に犯人がさっさと帰国してしまったり、
起訴できても何故か無罪に持ち込まれたり、と、
犯人が然るべき罰を受けなかったケースは無数にあります。
1995年の少女暴行事件にしても、
将来を心配する両親をおして告訴に踏み切った少女の勇気や、
それをきっかけとした沖縄県民をはじめとする国民の世論、
それらがなければ、闇に葬られていたかもしれないのです。

そのような事件が昔から繰り返される。
米軍から犯人の身柄がすぐには引き渡されない。
いや、犯人の兵士が日本の警察にすすんで出頭しないこと自体、
おかしいではありませんか。
今回の事件にしても、
兵士がひき逃げ事件を起こしたのは米軍基地内ではなく、
日本の警察が治安を担当している公道なのです。
※米軍基地内だとしても、日本の法律が全く摘要できないと
決め付ける必要や根拠はありません。
基地の敷地といえども、日本の領土であるには違いないのです。
政府高官の発言の後も、
沖縄県警は身柄引き渡しの要求を取り下げていません。
市民の安全を守る立場からすれば、至極当然のことです。

米軍が日本に居るのが良いか、悪いか、は、
確かに私達の中でも議論が分かれます。
「基地周辺の地域は、基地が無いと生きてゆけない」とか
「米軍が居るから、北朝鮮は大胆には日本を攻撃できない」
という考えの方々も少なくないのは、事実です。
しかし、米軍兵士が本当に日本を守るという意識を持っているのなら、
どうしてひき逃げをやった時点で自首しないのでしょう?
米軍関係者に日本を尊重する気が少しでもあるなら
どうして明確なひき逃げ犯を日本の警察に引き渡さないのでしょう?

率直な話、
在日米軍の感覚は、
植民地を支配している占領軍の感覚
と大差ないのです。
日本国民を見下してこそおれ、
敬意を払っているなどということは、まずありえません。
だからこそ、ひき逃げ犯は基地に逃げ込み、
レイプ犯は裁判の判決言い渡しの時に
裁判長の情実に訴えようという魂胆から
母親を隣に座らせることの許可を求めたりするのです。

米軍側の意識がそのような有様なら、
独立国である日本の政府としては
そのような意識を正すような対応をするべきでしょう。
ところが実際は「身柄引き渡しを特に求めない」などと言い、
地元の警察の職務に水を差すことまでしでかしてくれました。
いまだに生死の境をさ迷っている(10月13日昼現在)女子高生の苦しみや
彼女の家族の悲しみを、一体何と心得ているのでしょうか。
少女暴行事件の直後、沖縄県の太田知事は、
「少女を守ることができなかったことをお詫びしたい」
という趣旨のことを公の場で述べていました。
どちらが日本の政治家として
責任ある態度をとっているでしょうか?

件の高官、「
責任政党」を自称する政党の元幹事長代理です。
彼等が言う「責任」とは、実は国民の安全に対する責任ではなく、
アメリカとの約束に対する責任なのではないか?

外交のやり方や経済運営や、今回の件を見るにつけ、
そう思えてなりません。



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