page view;since 2003.01.06

▼「いきもののはなし」トップへ戻る

 ”インフォームド”な合意  生きるのが大変な人のための話  大量絶滅の話
 教育の話  海と生命の話  病原菌あれこれ
 エコ・ビジネス、公共事業  人間とデジタルの話  企業倫理の話
 琵琶湖をめぐる思いつきモロモロ    
 病原菌の話


<アユ冷水病>

もう結構前のことになってしまいましたが、NHKのちょっとした特番で取
り上げられていたので。


現在日本で重大な問題となっている養殖業関連の異変として、アコヤガイの
大量死、ヒラメの貧血症、そしてこのアユの冷水病があります。

アコヤガイの大量死については昨年の配信(番外編<その7>)の中で真珠
養殖場での異変を取り上げました。
行き過ぎた選抜育種の弊害と、それがわかっていながらコストや流通、消費
者のニーズとの関係で選抜育種をせざるを得ない業界のジレンマについては、
いろいろな意見もいただきましたので、見ていない方で興味があればサイト
の方でバックナンバーを確認してみてください。


今回のアユ冷水病は、アコヤガイの問題に比べるともう少し原因が複雑なよ
うで、今のところ対症療法以上の対策がなかなか見えてこないようです。

NHKの番組では比較的問題を単純化して解説していましたが、水産庁の研
究機関などが報告している文書を見る限り、かなり原因の特定は難しそうで
す。
順番に見ていきましょう。


まず、冷水病というのは細菌感染症の一種で、アユの場合に限っても、平成
10年には30都道府県で発生が確認されており、ほぼ日本全国に広がって
いると言っていいでしょう。

アユの他サケ、ニジマスに始まり、ドジョウやフナにも見られますが、アユ
やサケでの冷水病原因菌と、ドジョウなどでのそれが同一種かはまだ確認さ
れていません。
このことは非常に重要な問題を含んでいるのですが、また後述します。


冷水病に感染・発症すると皮膚やエラ、下顎などに潰瘍が生じたり、溶けた
ように穴があいたりして衰弱し、やがて死に至ります。

原因菌は感染力が強く、養殖場や自然河川で80%ものアユが死んだという
事例も報告されています。

ただし、条件性病原菌、いわゆる日和見感染症というやつでして、健康体で
は感染しても発症しないことが多いようです。

ではなぜ80%もの個体が死ぬのか、という疑問が湧くのですが、感染が確
認されても死亡率は1%に至らずに治癒する事例もあり、条件の多様さとも
あいまって、解析が非常に困難になっています。


原因菌そのものはアメリカやカナダなどで昔から知られていたのですが、日
本で確認されたのは昭和の末期、今から20年ほど前のことです。

アユでの検出は87年が最初ですが、その後全国に発生域が拡大、6年前か
ら研究部会が結成され、水域での「全滅」に近い事例の報告などがあった頃
から危機感の高まりとともに、より高度な研究機関が対策に乗り出しました。


感染症の防疫では、ワクチンや治療薬の開発・改良ももちろん重要なのです
が、感染経路の特定ということがより重要な場合も多々あります。

冷水病については、海外からの菌の侵入という可能性が高いわけですが、こ
のあたりの経路はいまからでは特定はかなり困難でしょう。


注目されている事実として、アユの養殖・放流において琵琶湖産の稚魚が圧
倒的なシェアを占めていることがあります。

NHKの番組でもこのことが取り上げられていますが、実際には養殖場で発
生した例を解析した結果を見ると、人工種苗(46%)、琵琶湖産種苗(35%)、
海産種苗(15%)などとなっており、琵琶湖の稚魚が感染源と特定することは
できません。

人工種苗でも保菌魚が見つかっていることから、養殖場や魚を移送する過程
で感染する可能性も指摘されていますが、一方で放流を行っていないとされ
る河川でも感染が確認されていることから、河川水に限らず、地下水までひ
ろく冷水病原因菌に汚染されている可能性があると言えます。

もしも最初の方で書いたように、ドジョウやフナでの冷水病菌がアユのもの
と同一だとすれば、水系のきわめて広い範囲で、冷水病菌が常在する事にな
ります。

こうなると、そこら中にどかどかと薬剤をまき散らして殺菌するわけにもい
きません。

冷水病は条件性の病気ですから、健康なアユならば感染しても生き残ること
が多いはずです。
すると、健康な個体を増やせば良いわけです。
健康な個体でいるためにはどうするかといえば、良い環境で育てれば良いわ
けですね。
良い環境というのは何かといえば、ストレスのない環境です。

そこで、アユにストレスを与えない養殖・移送手段というのを工夫する必要
があるのですが。。。


魚心あれば水心あり、なんてコトバがありますね。

もともとは「魚、心あれば、水、心あり」という言い回しで、魚に心がある
とすれば水にも心があるのだろう、魚が水の中を泳ぐことを欲するように、
水にも魚を泳がせたいという心があるはずだ、という意味です。

環境の延長が生物であり、生物の延長が環境である、というと例の今西生物
論になりますね。

強い魚、弱い魚がいれば、同じように「良い水」「良くない水」があるわけ
で。

生物を守るために生物に着目するのも当然必要なことですが、生物だけに注
目していたのではその生物を守ることはできない、という前回からの話にも
つながりますか?

今までは魚の増やし方だけを考えてきたわけですが、今度からは「水心」を
考えて行くことになりそうですね、なんて。



<病原菌あれこれ(1)>

このところの、互いに関係のあるような、ないようないくつかのニュースに
ついて。
長くなるので3回くらいに分けます。

最初にそれぞれの事件について、それから全体を見てみたときに、というこ
とで。


そのいち。
雪印大阪工場の製品回収にまつわる騒動。

まず、単純に事実を追ってみると、

1.乳製品の生産ラインの衛生管理というか洗浄がいい加減だったため、細菌
が繁殖していた。

2.検査が規定通り行われていなかったため、細菌による汚染がちゃんと検出
されなかった。

3.細菌の毒素に汚染された製品が市場に出回り、購入・飲用した消費者が健
康に被害を受けた。

4.被害が大規模なものだったため、保健所その他の機関が動き出し、雪印製
品が原因との結論に至る。


5.雪印の広報による最初のプレスリリース。自社での調査によれば、として
被害報告の出ていた製品に相当する製造時期のものについて、細菌による
汚染がある、と発表し、自主的に回収の指示を出す。

6.その後、当初被害報告で示されていた製造時期よりも広い範囲で細菌汚染
のあることが判明。雪印の報告との食い違いがあったことから、立ち入り
検査が行われ、その結果製造ラインそのものの汚染であることが公にされ
た。

7.このことは、報告の出た時期より前から汚染が進行していたことのほか、
生産ラインを共有する他の製品でも汚染があり得ることを意味している。
また、自社の製品の製造過程を把握していないはずはないから、最初の発
表は雪印が嘘をついていたとしか言いようがない。

8.さらに、この前の段階で、小売や末端流通(宅配業者など)が、雪印に対
して汚染されている可能性のある製品の問い合わせを行っているのだが、
発表されている以外の事は何も言えない、という回答しか返ってこなかっ
た、とされている。


9.ここに至り、汚染の可能性のある製品すべてについて、公的な回収命令が
出される。雪印は、大阪工場で製造された、該当する期間の製品すべて
(汚染されたラインではないものも含め)を回収または廃棄することを指
示。

10.大阪工場の営業禁止処分が下される一方、コンビニ・スーパーなどで雪印
製品すべてを棚から下げる(廃棄処分)という動きが広がる。今後の取引
停止や、雪印系の牛乳販売店で廃業が相次ぐ。今後雪印製品がいつになれ
ば店頭に並ぶか、見当もつかない、というコメントなど。

11.さらに、まだ終わらない被害の拡大。近畿地方で被害者が1万人を超えた
という報告がなされる一方、今日(6日)になって、実は大阪工場から東
海地方へも出荷されていたという事実がでてきたのである。

12.電子化が進み、在庫管理のしっかりしているコンビニやスーパーでは対象
となる製品の回収が速やかに行われたようだが、アナログが普通のレスト
ランや小規模小売店では回収がうまく行われていないという話もあり、し
ばらくは被害者が増え続ける、という観測もある。

さて、この事実の流れをざっと眺めてみると、大きく三つの段階がある。
まず、1〜4までの、単純な「過失による事故」の段階。次に、5〜8の
「故意のある人災」、9以降の「事実を超えた被害の発生(パニック)」と
いう段階である。

工場の立場から見ると、この段階がもう少しわかりやすくなると思うので、
視点を変えてみます。


まず、消費者からのクレームがくる。
もともと乳製品というのは、正常な製品でもお腹の緩くなったりアレルギー
が出たりすることは多いもので、ましてや梅雨時ともなれば、ふだんよりク
レームが多くなるのはちっとも不自然なことではないでしょう。

「おたくの製品のせいで健康を害した」というクレームは、食品業界にとっ
ては永遠になくすことのできないものです。

腹痛や下痢などは、公害による後遺症などにもまして非常に反証が難しいも
のですから、恐喝まがいのクレームもしょっちゅうでしょう。
当然、その対応もかなりマニュアル等が整備されているはずです。

従って、今回の事件でも、最初はすべてマニュアル通りに対処されていたと
思われます。

ところが、ある時点を超えたあたりから急激にクレームや問い合わせが増え
て行くわけです。

当然、社内でも問題になるでしょう。
緊急の会議や社内での調査が行われ、どうやら最近は洗浄や検査が手抜きさ
れていたらしい、という事もすぐにわかることです。

しかし、一方で食中毒といえば食品業界にとって致命傷にもなりかねない
「汚名」です。
できればここは大騒ぎにならないようにしたい。

そこで、「個別の被害には手厚く対処するが、全体としては大したことのな
い事故だった」という方向で解決しようとしたのだと思います。

最初の時点で実際より狭い期間を発表していたのは、「対処すべき」である
「消費者」を、比較的被害報告の多い日時に限定し、他の期間の消費者につ
いては通常のクレーム扱いにする、という判断だったのだと思います。

政治的、経営戦略的な判断としては正しかったと思います。
しかし、雪印の大きな誤算は「今時の消費者」と衛生関係の公的機関の「メ
ンツ」、あるいはプライドを過小評価していたことでした。
これをまとめて、「雪印はテレビをなめていた」という言い方をしていた評
者もいます。

雪印の判断は、内部的・結果的には正しくなるはずのものでした。
しかし、その情報の判断やコントロールの過程が外部に公開されなかったこ
と自体が、いろいろな方向を刺激することになってしまったのです。

企業としては、方針が決まった以上は余計なことは発言しないし、うかつに
質問を受けたり、といったことは避けたかったのでしょう。
自分たちの中では、あとは個別の被害に対して誠実に処理をしていけばいい
だけで、わざわざ世間にたいして自分たちの失敗をさらけ出すことはない、
という思いこみがあったのだと思います。

しかし、その態度がまず「報道を馬鹿にしている」ととられてしまいました。
ここで、マスコミの報道に火がつきます。
いずれも「雪印、何様のつもりだ」という論調で、たまたま他に大きな事件
が少なかったこともあって、一面を飾ることも少なくありませんでした。

先ほども、食品による被害は反証が難しい、ということを書きましたが、こ
こから「事実」を超える「被害」が発生しはじめます。
雪印といえば乳製品では相当なシェアを持っています。

1週間暮らすうちに、雪印製品に一度以上出会っている人がたとえば3割く
らいいたとします。
そのうち、2割くらいの人間がなんとなく体調の不良を感じていたとします。

だいたい、普通に健康な人でも、一週間ずっと「今日は快調だ!」と感じて
いられることは珍しいことでしょう。

すると、報道を見て自分の体調を振り返るわけです。
そういえば、このところ目が覚めると腹の調子が悪かったよな、とか、どう
も朝の電車で吐き気がしていたような、とか。

「思い当たるふし」なんてのはいくらでもあるわけで、単純に言ってこれで
700万人に「思い当たるふし」があることになります。

もちろん、ぼちぼち冷静な人間なら、たいした実害がない以上、「ま、気の
せいだろう」、と放っておくところです。

ちょっと事態が深刻だったり、やや心配症な人でも、ニュースなどを見て、
自分の住んでいる地域とは関係がない、と知れば、まあこの事件とは関係な
いな、と考えるでしょう。

ところが、非常に心配症であったり結構大変な症状なんかだったりすると、
「自分の不具合について何か原因を見つけないと気が済まない」という心理
状況に陥ってしまうわけです。
ましてや、それが被害報告のたくさん出ている近畿地方だったりしたらどう
でしょう。

そういうことを考えてしまう人がたとえ100人に1人の割合であっても、
なんと7万人が「被害」を感じてしまうのですね。

もちろん、この中には実際に被害に遭っている人も含まれてくるわけですが、
そうだとしても「事実」を超えた「被害」が発生してくることは確かでしょ
う。
これが、「パニック」です。


ここまでくると、もはや雪印がナニを言おうと泥沼です。
パニックを抑えるために情報をコントロールしようとしたこと自体が裏目に
出て、「事実を隠そうとした」ということになってしまいます。
報道も敵に回してしまっていますから、会見なども、繰り返せば繰り返すほ
ど攻撃される場を作るだけになってしまいます。

もともと、事実を隠すことなんてできるわけないんです。
雪印もそれは分かっていたでしょう。
ただ、ちゃんとしたかたちで事実をまとめてから、「学術報告」のように冷
静に処理しようとしたのだと思います。

ただ、そういう判断の裏側には、上層部の「生産現場の連中のやらかしたこ
とであって、俺達も迷惑している」という思いが反映されています。
いうなれば、子供の非行で呼び出されて謝っている親や教師の気分ですね。

なんか事件があったらしい、だからお前謝ってこい、といきなり命令される。
犯罪者扱いでテレビに大写しになったあげくに、そこら中でさんざん攻撃さ
れる。
会見に出ていた人々は、「そんなもん俺の知ったことか!」と叫びたくてた
まらないでしょう。

そこそこの規模の企業になれば、同じ会社であっても誰がどこで何をしてい
るかなんて、全く互いに知らないものです。
それなのに、事件や事故があれば「あんたの会社は」と言われてしまうので
すね。

学校だって役所だってそうです。
ま、責任というのはもともとそういうものなのですが。


結果として雪印は実際に与えた被害以上の大損害を被り、それで得をした人
間がどこかにいるわけでもないわけです。(ま、ライバル会社が「特需」に
あずかる、と言うことはあるかもしれませんが)

役に立つと言えばせいぜい、「他山の石」として教訓とするくらいでしょう
か…
批判精神を持つことは重要ですが、批判そのものが目的になってしまっては
いじめと変わりません。
マスコミが煽るのにあわせて無責任に攻撃するようなことはやめて欲しいで
すね。

雪印はとっくに「反省」しているでしょうから、ここからはさっさと騒ぎが
沈静化することを祈っておきます。


次は、埼玉県のO157誤報騒ぎを取り上げてみます。




<病原菌あれこれ(2)>

今度は埼玉県の「O157誤検出事件」について、ですが、その前に雪印事
件のフォローを少し。

前回の配信では、最初の事実の羅列以外の部分はほぼ想像と推測によるもの
でした。
それがどれくらい事実に近かったか、ということをちょっとだけ検討しとき
ます。

> まず、消費者からのクレームがくる。
> もともと乳製品というのは、正常な製品でもお腹の緩くなったりアレルギ
> ーが出たりすることは多いもので、ましてや梅雨時ともなれば、ふだんよ
> りクレームが多くなるのはちっとも不自然なことではないでしょう。

この辺はやはり食品業界の宿命ですが、ちょっと問題の発言もありましたね。

「黄色人種や黒人は牛乳を飲むと腹が痛くなる」、この際これが科学的な事
実であるかどうかはとにかく、食中毒事件を起こした責任者のいいわけとし
てはお粗末すぎます。

> 従って、今回の事件でも、最初はすべてマニュアル通りに対処されていた
> と思われます。

この辺は当たっていたようで、課長クラスの人間が、菓子折もって被害者宅
をお見舞いに行っていたようです。

> そこで、「個別の被害には手厚く対処するが、全体としては大したことの
> ない事故だった」という方向で解決しようとしたのだと思います。

> 政治的、経営戦略的な判断としては正しかったと思います。
> しかし、雪印の大きな誤算は「今時の消費者」と衛生関係の公的機関の
> 「メンツ」、あるいはプライドを過小評価していたことでした。

新聞に、雪印の人間が立ち入り検査に訪れた職員を激怒させた経緯が取り上
げられていました。

食中毒菌による汚染が、製品段階ではなく製造段階のものであるという疑い
が出てきた時点で、職員が加工製品などについてもいったん製造中止、回収
などを勧告したそうです。

ところが、加工製品については製造を中止すると他の食品メーカーへの影響
が大きいから見逃してくれ、と雪印の社員が主張したのですね。
そうはいっても汚染の疑いがあるものを業務に差し障りがあるからといって
見逃すわけにはいきません。

ようやく職員が説得して回収する方針を認めさせたところで、こんどは「回
収はうちが自主的に言い出したことにしてくれ」と社員が発言した、という
のですね。
これで職員が「ふざけるな、何様のつもりだ」と激怒し、報道陣に洗いざら
いぶちまけていく、と。


> なんか事件があったらしい、だからお前謝ってこい、といきなり命令され
> る。
> 犯罪者扱いでテレビに大写しになったあげくに、そこら中でさんざん攻撃
> される。
>
> 会見に出ていた人々は、「そんなもん俺の知ったことか!」と叫びたくて
> たまらないでしょう。

実際、「私は寝てないんですよ」といった愚痴も飛び出していましたね。

これに対して記者の1人が「私だって寝てないですよ!」と怒鳴り返してい
ましたが、ま、それはあなたが勝手に忙しいだけでしょう、なんて思ってし
まいました。(^^;

> 結果として雪印は実際に与えた被害以上の大損害を被り、それで得をした
> 人間がどこかにいるわけでもないわけです。(ま、ライバル会社が「特
> 需」にあずかる、と言うことはあるかもしれませんが)

明治乳業や森永乳業はかなり増産体制ですね。。。


といったところで、埼玉の事件の方です。

また事実だけを簡単に追いますと、

1.埼玉県の衛生関係の役所が、通常の食品検査においてハムなどの肉製品の
いくつかからO157を「検出」。

2.「検出」された製品を生産していたいくつかの工場に操業停止命令が出さ
れ、製品も回収へ。

3.ちょうど中元商戦の寸前だったため、300万本以上の製品が廃棄処分に。
安全とわかっている企業・製品に関しても、扱いを減らしたり宣伝を休止
する小売りサイド。

4.工場側は「潔白」を主張、工場の立ち入り検査でもO157は検出されず。

5.「検出」されたO157の分析を進めた結果、3カ所の工場から検出され
たはずの菌のDNAが一致。
大腸菌は非常に多くのDNAパターンを持っており、異なる地域から全く
同じDNAを持つ菌が検出される、ということはほぼあり得ない。

6.検出されたO157はじつは検査を行った機関が菌の特定のために保有し
ていた「サンプル」が混入したものであった、という発表。
埼玉県は対象となっていた企業及び業界に対して謝罪。

7.廃棄処分などの直接の損害は約100億円、中元商戦を含め売り上げが例
年の6割減となったこと及び、イメージの低下による今後の経営への影響
などの逸失利益を含めると、総額400億円程度の被害が発生したものと
言われる。


さて、この事件での問題点は3つあると思います。

まず、検査及びその後の行政処分の手順が適正であったか。
次に、O157という強い毒性と感染力をもつ病原菌の扱いが適正であった
か。
そして、このような企業から自治体に対する損害賠償請求をどう扱っていく
か、という問題です。


検査の時点で、もう少し慎重に結果を確認していれば、当然あとの騒ぎはあ
りませんでした。

しかし、一方で、慎重を期するあまり結果の確認を優先しすぎて、疑いがあ
ったのにすぐには警告を出さず、結果として被害者が出てしまってはこれも
良いこととは言えません。

雪印の件では毒素や病原菌についての発表の動きが鈍かったのですが、これ
は、この埼玉の誤検出事件があったからではないか、という話もあります。

病原菌の話に限らず、「不幸の予言」というのは常にこの種のジレンマに悩
まされるものです。
地震の予知、火山活動の警告、Y2K対策、金融危機に対する政策。

手遅れのリスクと、不幸が実現しなかったときのリスク。
結局は、どちらが大きいかを判断しなければならないのですが、一方が人命、
もう一方が巨額の経済的損失、なんてことになるとなかなか難しい部分があ
りますね。

O157は何年か前にも近畿地方などで猛威を振るい、数千人が被害を受け
ました。
乳幼児や高齢者では死者も数多く、ほとんどパニック寸前の状態でした。
それをふまえれば、早期の警報もあながち勇み足とは言い切れないわけです
が。。

判断の是非をいうにはまだ事実の整理がなされていませんが、企業からの損
害賠償請求の調整において、事実の整理もされていくことでしょう。
また詳しいことはその頃に。


ところで、マスコミなどではあまり取り上げられてはいませんが、そもそも
O157が「誤って検体に入り込む」とはどういうことだ、という問題もあ
ります。

O157はごく少数の菌からでも増殖していくため、病院や研究機関でもそ
の管理はかなり厳重になされています。
特別危険なウイルスを扱っているような特殊な施設を除き、一般的な医療衛
生機関で扱う病原としてはもっとも危険なレベルに当たるのではないかと思
います。

それが「誤って」そこら中に漏れだしているとしたら、研究員や周辺の人々
の健康にも影響が出るでしょう。

この点に関しては、単純に管理体制の不備が指摘されるべきです。


最後は、このような事件が発生した後の処理の問題です。

公的機関の過失によって製品の廃棄処分やイメージの低下が引き起こされ、
企業は大損害を受けました。
このような場合、過失による不法行為として、監督する自治体は損害賠償責
任を負います。

厳密な損害の算定の話はおくとしても、数百億円規模の損害賠償請求がなさ
れることは確かです。
そして、それが支払われる場合、自治体の財政から、ということになります
から、結局は税金です。

ここで、微妙な問題が生じてくるのですね。
間違った検査によって損害を受けたのですから、企業としてはそれによって
被った損害を賠償してもらう権利があります。
当然、自治体の方には賠償すべき義務もあります。

ところが、実際数百億円という損害賠償請求をなした場合、企業イメージと
してはマイナスになってしまう危険性があるのですね。

本来全く別な次元の問題なのですが、昨今では「公的資金導入」とか「税金
をつぎ込んで救済」なんていうと非常によろしくないイメージがあります。

ただでさえ税収が減って財源の苦しい自治体事情ですから、仮に損害賠償額
の算定でもめるようなことになると、「企業の損害と市民の負担のどっちを
優先するのか」という議論にもなりかねないのです。

自治体も企業側もそれはわかっているでしょうから、この当事者間ではかな
り慎重に合意の形成がなされるでしょう。

しかし、「税金の使途」という意味では市民に全く恩恵がありませんから、
NGOや市民オンブズマンなどは、厳しい目でその合意を見届けることにな
ると思います。

ニュース性はなくなったために報道はいったん落ち着いていますが、まだま
だ問題の解決には時間がかかりそうです。。。




<病原菌あれこれ(3)>

今回こそ口蹄疫の話です。

口蹄疫は、ウイルス性の獣畜感染症で、牛、水牛、鹿、山羊、豚、猪などの
偶蹄類の動物に感染します。

増殖力が強いこと、水や土壌、ときには大気中の飛沫など様々な物を汚染す
ること、1週間から10日と潜伏期間が長めであること、成畜では死亡率が
低いことなどから非常に感染性が高く、対策が難しい病気です。

その地域が高濃度に汚染されると空気伝播もおこり、陸上で60km、海上では
なんと250km離れた場所で同じ株が検出されたという報告もあります。

成畜では死亡率が低いと書きましたが、口や舌に症状が出るとまともに物が
食べられなくなり、肉も乳も著しく生産性が低下してします。

人間にはこのウイルスは感染しないので、汚染された製品を食べても問題な
いのですが、汚染された食品からさらに別な偶蹄目の個体に感染する危険が
あり、いったん口蹄疫が確認されると、その地域から製品を出荷することは
できなくなります。

症状が回復した後にもウイルスが体内に残ってキャリアーとなってしまうこ
とがあり、この場合も感染力は残るために、多くの場合は感染した動物を処
分することになります。

ウイルスなどの病原は、その管理体制の指針とするためにランク付けをする
のですが、「動物に対する危険度」では最高ランクに位置づけられます。
4ランクを設定した場合で、狂犬病が二番目に来るというのを聞けば、その
警戒度が感じられるかと思います。

このように、酪農や牧畜業にとっては悪夢のような病気なのですが、実際に
は世界中でしばしば発生しており、数十年にわたって発生のないのは、オー
ストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、スウェーデン、ノルウ
ェー及びその他の数カ国にすぎません。

そして、日本においても今年3月、ほぼ一世紀ぶりに口蹄疫が発生しました。

口蹄疫と疑われる「口蹄疫疑似家畜」の報告から4日後には報道に公表、発
症確認農場から半径50km以内で生きた家畜の移動を制限、半径20km
以内を「汚染区域」として出荷等の制限、これらの地域の全農家に対して清
浄度を調査するとともに、半径3km以内では飼養全個体の厳重な検査が行
われました。

発症農場の周囲50mで通行を遮断し、飼養家畜の全処分、汚染物質の焼却、
施設等の消毒も同時に行われています。

また、この際検出されたウイルス株が、中国などで確認されていた株とごく
近縁の物であると判明したため、5月には法律が改正され、中国からの生き
た家畜の移入の制限がより厳しくなっています。


さて、ここまでの事実をふまえまして。

県の対応は迅速かつ正しい判断であったと言えるでしょう。
えてしてこういった「汚染」においては、イメージの低下を恐れるあまり事
実を隠したり、発表が遅れたり、ということになりがちです。

しかし、今回はウイルスそのものが確認される前からウイルス発症の場合と
同レベルの警戒態勢をとり、その結果3カ所で感染が起こっていたにもかか
わらず、処分された家畜は合計でも30頭あまりで済みました。

97年に台湾で口蹄疫が発生したときには、発症から一月あまりで13万頭
以上が死亡、なんと200万頭以上が殺処分されましたから、それと比較す
れば、どれほど被害を抑えられたかがわかると思います。
口蹄疫は、世界でもっとも恐れられている家畜伝染病なのです。


ところで、今回の「いきもののはなし」で取り上げたいのは、こういった防
疫体制の話ではありません。

もちろんそれも重要な話なのですが、それはあちこちのメディアですでに取
り上げられていますし、それを参照してもらった方がよほど正確な事実を掴
むことができると思うからです。

ではなにかというと、これほど恐ろしい威力を持ったウイルスでさえ、それ
が「人間には直接の影響がない」というだけで、ほとんどの一般の人の意識
にとどまらない、という事実です。

少し立場を変えて、考えてみましょう。
自分が豚だったとして。

ある朝、どうも体がだるく、熱っぽい。
鼻も詰まる。咳も出る。
風邪かなあ、などと思いながらいつものように動き回っていると、翌朝には
もっと体調が悪くなっている。

さらに2,3日が経過すると、唇や鼻、手足の指先がぼろぼろになって、大
量の膿が出てくる。
入院し、点滴を受けたりはするけれど根本的な治療法はないという。
しかも、このときにはすでに家族や同僚、近所にも汚染は広がっている。

体液に接触することはもちろん、咳やくしゃみから感染する恐れもあり、医
師も看護婦も宇宙服のような防護スーツを装着しなければならない。
病室も密閉されており、もちろん移動の自由などない。

汚染された自分の家や近所の家並みは、すべて薬剤まみれになって生きるも
のの声もしない。
ペットや野鳥も手当たり次第に殺処分されている。

半径10kmに住んでいた百万人が隔離病棟で検査を受けることになり、半
径50km以内に住んでいた人間は、移動に制限を加えられている。
制限区域内からの移動を「防ぐ」ために、自衛隊が化学戦用防護服を身につ
け、境界線を警備する。

いまだかつて、この国は「国境」を警備したことがない。
しかし、今初めて、国が「国」でいるために、この境界線を守らなければな
らない。。。



牛や豚ならば、「迅速に処分」してその周辺まで焼き払い、消毒すればそこ
でくい止められます。
まさに、牛や豚が「人でない」がゆえに。

人類は、人権と言われるようなものが成立して以来、本当に恐怖するような
伝染病、治療する人間にも容赦なく襲いかかるような疫病の大規模な流行に
は出会っていません。

「アウトブレイク」「合衆国崩壊」など、致命的なウイルスを扱った作品は
やまほどありますが、はっきり言ってどの作品の「解決策」も、医学的な現
実を無視しています。

どんなワクチンも抗生物質も、すでに昏睡状態になった出血熱の患者を復活
させるようなことはできません。(^^;

ウイルスを殺したり動きを止める薬はありえても、ダメージを受けた血管や
内臓を回復させるには、細かな処置や地道な治療しかないのですから。

「レインボーシックス」や「MI:2」なんかではウイルスがテロの兵器と
して使われそうになりますが、これもまたテロリスト達が非常にアタマが悪
いから助かっているだけで、あんな致命的なウイルスが存在したら、誰にも
絶対に「大量の死」を止められません。

ほんとに。

ちょっとずれました。
次回は院内感染の話で、今までの病原菌の話を総括した内容も交えるつもり
です。




<病原菌あれこれ(4)>

院内感染の話をしようかと思っていましたが、もう少し広げて「医療過誤」
全般ということで。

院内感染についても、問題が提起されてからすでに何年も経っており、本来
ならば予防・対応のマニュアルも訓練もできあがっているはず、です。

にもかかわらず、院内感染が毎年起こり、死者すら珍しくない、というのは、
医療過誤一般に共通の原因によるもの、ということが言えるでしょう。

いままでの2回の話と絡めながら、まずは思いつくまま。


病院でも研究施設でも、病原菌のコントロールの基本というのは食品工場と
同じです。
菌を持ち込まないこと、増やさないこと、汚染を防ぐこと、の三段階です。

一つ目と三つ目は似てますが、最初の方は建物や部屋のレベルのコントロー
ル、後者は製品や器具のレベルのコントロールです。

具体的には、最初の段階が衣服や手の消毒・洗浄の徹底、次の段階が施設内
の清掃・消毒の徹底、最後の段階が器具の洗浄・消毒の徹底、ということに
なると思います。

そもそも菌を持ち込むことがなければ汚染はあり得ず、仮に菌が入り込んだ
としても増殖できる場所がなければ自然に死滅してしまいます。
増殖を防ぐことができなかったとしても、増殖した菌が製品や患者に接触し
なければ、やはり被害の発生には至りません。

それなりの対策が用意され、それなりの対応がなされ、それなりの管理がな
されていれば、普通は被害は発生しないのです。

つまり、被害が発生するときには、単なる一つのミスだけではなく、ミスを
チェックする機能の麻痺、そしてチェック機能の麻痺を問題としない組織機
構、も同時に意味しているわけです。

たいていの事故では、マスコミの報道の際には「ずさんな管理体制が厳しく
問われる」ことになっていますが、この場合「ずさんな管理体制」、という
のはトップダウンの組織を前提としています。

ところが、食品工場であるとか病院などというのは、実際にはちっともトッ
プダウンの組織ではないのですね。
「現場」と「上層部」が全く別になっているのです。

もちろん、現場での事故は上層部にとっても重大ですから、がんばって管理
しようとするわけですが、上層部の場合「ミスをさせないようにする」とい
う発想から始まるために、実効性を欠くことが多くなってしまいます。

具体的な例を挙げていきましょう。
たとえば、現在、医療ミスを防ぐために様々な取り組みが各地の病院で行わ
れていますが、その柱となっているのが「ミスに関わる情報の収集・分析」
です。

どのようなミスがあったか、どのようなときにミスが起こりやすいと感じる
か、などの「現場の声」を集めて分析し、それをフィードバックさせる形で
現場のシステムや器具を改善しよう、という動きですね。

いかにもコンサルタントの考えそうな手法ですが、私自身はこういった動き
の効果をあまり評価していません。
それは、「現場の人間も、好きでミスをしているわけではない」ということ
を全く考慮に入れていないからです。


もう少し身近に考えるために、また違う例を出してみましょう。
ある航空会社では、お客様により喜ばれるサービスを提供しよう、という方
針が決定されました。

コンサルタントの助言に従い、様々な角度から従来のサービスに対する意見
や今後その会社に希望することなどのアンケートを作成し、乗客に回答して
もらいました。

コンサルタントはそれをもとに今後の改善案をいくつかまとめ、オプション
として幹部を相手にプレゼンテーションを行います。
いかにもそれらしい項目がいくつか選択され、実行に移されました。

さて、この流れを、今度は現場の人間、そして顧客の側から見てみましょう。

本社からの通達で、新たにサービス改善のためのキャンペーンを行うという。
その一環として、お客様との意思疎通を密にし、本当に望まれるサービスと
は何かを確認しよう、というアンケートがまわってきました。

数ページにわたり様々な項目が設定され、乗務員はそれを丁寧に解説したの
ちに乗客全員に配布し、回答してもらった上で集計することになっている。

原則として乗客全員を対象としているため、書く気のない乗客にもなだめす
かしながらペンを受け取ってもらい、眠っている客は起こさざるを得ず、書
き上がるまで根気よく客席の間を回り続けなければならない。

乗客の方は乗客の方で、自分にはなんの関係もない書類を何枚も書き上げな
ければならず、断っても断っても「申し訳ありませんが」というちっとも申
し訳なさそうでもないスチュワーデスのマニュアルめいた「お願い」を聞き
続けるはめになる。

かくして集まったアンケートの結果をもとに、乗務員のマニュアルには新た
に細かな項目がいくつも加えられ、仕事の手順は複雑になり、ますますマニ
ュアルをこなすことが作業の中心となっていく。

「お客様のために」などという言葉が白々しく響くばかりである……


と、病院の方の話に戻りましょう。

看護婦も医師も人間であって、その頭脳や思考はコンピューターとは違いま
す。
プログラムならば、新たな命令を足していけば、ちゃんと作業が積み重ねら
れていきますが、人間の頭脳というのは命令が増えたからといってそれを順
番に正しく処理できるものではないのです。

なぜミスが発生するかといえば、それはミスをただす余裕がないからです。
人間はある確率でどうしてもミスをします。
しかし、それだけで実際の被害に至ることは少なく、いわばこの段階は「ニ
アミス」です。

このニアミスを完全になくすことは、人間が生き物である限り不可能です。
そして、このニアミスが「うっかり」起こるものである限り、それをマニュ
アルに組み込むことは、マニュアルというものの性質とは相反するのです。

マニュアルを作ること自体が悪いのではありません。

マニュアルは、たとえば信号機のような物です。
自動車を運転していて、すべての交差点に信号機がないとしたら、交差点に
さしかかるたびに速度を落として左右を確認する必要があるでしょう。

しかし、赤の場合は止まれ、青ならば進んでも良い、という決まりがあって、
信号機が設置されれば、それを守っている限り効率よく、事故も起こらずに
自動車が運行されるわけです。

わざわざ細かい判断をしなくとも、ちゃんと守りさえすればうまくいく、そ
れがマニュアルの最大の利点です。


そして、マニュアルの最大の欠点である、「マニュアルを破る存在を想定で
きない」、という点も、それが予測されてマニュアルに組み込まれれば、そ
の時点でもはや「マニュアルの想定しなかった事態」ではなくなります。

その意味では、多くの事態を想定すれば想定するほどマニュアルは完成度を
高めることができます。
これを「危機管理」といいますね。

しかし、その時に忘れがちなのが、それを実行する現場の処理能力なのです。

上層部から降りてくる完成されたマニュアルが現場で処理しきれない場合、
現場ではそれをもとにして簡略化された新たなマニュアルが作られます。

もちろん、文章としてちゃんと作られるとは限りませんが、作業をしている
人間達の間では、おおむね共通の認識ができあがるはずです。

コンビニのバイトから銀行の融資部まで、あらゆる業態でこのような「事実
上のマニュアル」が存在し得ます。

そして、このときにできあがる事実上のマニュアルこそが、現場の処理能力
を如実に反映していると言えます。


さて、ある事象に対する注意能力というのは、その事象をどれだけ理解して
いるかにかかっています。

「洗剤や漂白剤を混ぜると、危険なガスが出るかもしれない」という事象を
考えてみます。

高校レベルの化学をやっていれば、身の回りの物からでも危険な物質ができ
ることがある、というのはわかっているでしょう。

中学レベルの理科でも、漂白剤などの中には強い効果を持っているものがあ
り、説明をちゃんと読んで使わないといけないんだ、くらいの認識はあるか
もしれません。

小学生ではどうでしょうか。
洗剤は飲むと危険、くらいのレベルがせいぜいでしょうか。
たくさんかけたり、いろいろ混ぜたらもっと良く汚れが落ちるかなあ、と考
えて実行してしまうかもしれません。


ある物事を理解していれば、その物事について「推測」が可能になり、その
理解がちゃんと身に付いたものであれば、この推測はほとんど無意識のうち
になされるようになります。

ぱっと物事に直面した瞬間に、ちょっとまてよ、こういうこともあり得るん
じゃないか?と、浮かんでくるわけです。
いったん浮かんでしまった発想やギモンというのは、何らかの形で処理しな
ければいけません。

別にいいや、と切り捨てるにしろ、どうだろう、と改めて考えてみるにしろ、
この時点ですでにある程度の判断は入ってきているわけです。
これが注意能力、というわけですね。


現場で事実上のマニュアルが作られるときには、この注意能力と処理能力の
バランスが重要になってきます。

処理能力に極端に余裕があれば、たとえ注意能力が低くとも、あえてマニュ
アルを極端に圧縮するようなことはないものです。

また、注意能力が十分に高ければ、マニュアルの過程の中でも重要な物につ
いては「それを削るのはまずいだろう」という注意を喚起されるはずです。

しかし、処理能力の不足が深刻であったり、注意能力が不足している場合に
は、マニュアルの圧縮が必要不可欠のラインを超えてしまうのですね。

そして、処理能力の不足や注意能力の欠如をそのまま放置していること、そ
れ自体がすでにその組織機構の監督・運営能力の問題点を示しています。

人手が足りないこと、従業員の質が十分でないことに気がつかないというの
は、その時点で組織の運営が破綻していることにほかならないのです。


 ”インフォームド”な合意  生きるのが大変な人のための話  大量絶滅の話
 教育の話  海と生命の話  病原菌あれこれ
 エコ・ビジネス、公共事業  人間とデジタルの話  企業倫理の話
 琵琶湖をめぐる思いつきモロモロ    

▼「いきもののはなし」トップへ戻る