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 海と生命の話



<海のはなし>

今回からは海のはなしです。

ご存じの通り、地球表面の7割は水域です。
そして、水深200m以深の区域を「深海」と呼びならわしますが、水深2
00mよりも浅い水域というのは、いわゆる大陸棚くらいで、ごく狭い範囲
でしかありません。

よく国際的な漁業交渉のニュースで、200カイリという数字が出てきます。
200カイリは約370kmで、これがどのくらいの距離かというと、17
インチのモニターに世界地図を全画面で表示した場合、1センチにもなりま
せん。

領土沿いのこの細い「帯」が、よい漁場、つまり大陸棚の狭さを示している
わけです。

つまり、

▼地球の過半区域が「深海」である

のです。


ちなみに、名古屋から東京の都心部までもちょうど370kmというところ
です。関係ありませんが。(^^;


1980年代には深海の調査が非常に活発に行われ、海底の鉱物や燃料資源
が発見されたこともあって、学術面でも産業面でも深海の可能性が大変はな
やかに語られていました。

当時のSFなどでは、海底牧場やドーム型の海中都市などが取り上げられ、
水族館でも水中回廊をイメージしたような作りが流行りました。
観光用潜水艇が登場したのもこの頃ではないでしょうか。

深海は、宇宙と同じように無限の広がりを持っているかのごとく扱われてい
ました。


ところが、現状を見ると、「深海」はちっとも身近なものになっていません。
どうしたことでしょうか。

原因はいくつかあると思いますが、大きなものとしては、三つくらいでしょ
うか。

80年代の後半にはアメリカは未だリストラクチャリングのさなか、コスト
削減とダウンサイジングが至上命題になっています。
このような状況にあっては、宇宙や深海といった、膨大なヒト・モノ・カネ
を要する「ビッグ・サイエンス」を押し進めることはなかなか困難です。

日本は島国でして、海洋への興味も強かったのでしょうが、同じく90年代
に入ってからは経済が失速してしまいます。


もう一つの要因は、環境問題でしょうか。

開発というのは結局環境破壊と同義です。
ただ、開発によって人類や市民にもたらされる利益が、環境を破壊するデメ
リットより大きい場合には、相対的に「よいこと」となる、というだけです。

企業による開発の場合、「経済的利益」が第一にくるのが原則ですが、90
年代に入ってから、欧米の企業には環境保護に関する厳しい規制が次々と課
されていきます。

森林を伐採した場合、別な場所に同面積を植林しなければならないとか、資
源の掘削が終わったあとは、再び現状に復帰させなければならない、といっ
た非常に重い責任です。
違反には厳しい罰則が定められているほか、消費者による不買運動も盛んで
す。

環境保護に巨大なコストをかけねばならなくなったため、自然のまっただ中
を開発する、というのは利益の上がらない商売になってしまったわけです。


そして、深海に特有の問題としては、「公海」上の資源の分配の問題もあり
ます。

「公海」はどの国の領土でもないわけですが、ではそこから採掘される様々
な資源はどのように分配すべきでしょうか。

資金を出した国のもの、というようにしたのでは、あらたな領土を金で買う
ことを認めるようなものです。
といって、開発資金を出したのに自分のものにならないのでは、誰も資金な
ど出さないでしょう。

国連はどうだ、という方もいらっしゃるかもしれませんが、国連が本当に中
立の存在であるわけがありません。

なぜか。
第二次世界大戦において、たとえば日本やドイツは「連合国」側と戦ってい
ました。

「連合国」は、英語では"United Naatons"です。
では「国連」は?
同じく"United Nations"です。

「連合国」、つまり戦争に勝った国の同盟グループで作ったのが「国連」な
のです。
もちろん、国連の職員がそのような意識で働いているわけではありませんが、
国連が大国のエゴで動く、というのはそもそも設立の経緯からして避けがた
いところではあります。


ちょっとはなしがずれましたか。
とにかく、90年代に入ってからは水域の開発はすっかりブームが去ってし
まい、深海の学問も以前のようにどちらかといえば地味な、学術的なものが
中心になっています。

しかし、社会的な話題にならなくなったからといって、学術的な価値が変わ
るわけではありません。
深海の持つ意味を、次回から取り上げていきたいと思います。




<非光学系食物連鎖>

深海の調査によって発見された事実は、さしあたり二つの結果を生み出した
と考えています。

まず、一つ目は

▼非光学系食物連鎖の可能性

ということです。


ご存じの通り、我々の周囲の食物連鎖、生態系というのは太陽の光をベース
に成り立っています。

光合成により植物の内に有機物が蓄積され、それを草食動物が食べて取り込
み、草食動物を食べて肉食動物が存在する、と。

ところが、陽光の届かない海底にも、突如として生物群集が存在し、食物連
鎖が認められたことから、光合成以外の食物連鎖の可能性が仮説として登場
したわけです。

結論としては、この生物群のエネルギー源となっていたのは、海底から噴出
している熱水の中の多量の硫化水素でした。

もっとも著名な深海特有の生物、チューブワームは、この硫化水素から有機
物を作る硫黄酸化細菌を体内に無数に共生させて栄養源としています。
そのため、チューブワームには消化器官もありません。


さて、この深海の熱水噴出域の生態系は硫化水素をベースに成り立っている、
と今書きました。

当初、このような生態系は熱水噴出域独特の物と思われていたのですが、実
際には硫化水素さえ存在すればこの食物連鎖があり得るわけです。
そこで、あらためて調査をしてみたところ、予想もしていなかった事実が実
はつながりを持っていたことが判明しました。

その例の一つが、クジラの背骨の形成する生態系です。

クジラの骨というのは、かつて鯨油がごく一般的な漁業資源であったことか
らもわかるように、大量の脂肪分を含んでいます。

魚油や鯨油には不飽和脂肪酸が多く含まれるため、酸敗するとその一部は硫
化水素を生成します。
それで、前述のように、硫化水素さえあれば小規模とはいえその区域に生態
系が形成できてしまうわけです。

鯨遺骸骨生態系、などというといかにも奇妙な存在のように聞こえますが。


そして、もう一つの意外な発見です。

硫化水素さえあればどうやら光合成に依存しない独特な生態系を形成しうる
とすると、硫化水素の存在するような環境ならばこのような生物群がおり、
逆に言うとこのような生物群がおれば硫化水素が存在するわけです。

すると、たとえば日本の相模湾にもこのような生物群集が発見されていまし
た。調べてみると、熱水ではないものの、硫化水素が湧出している場所が見
つかりました。

このメタンを含む冷水湧出は、「西相模断裂」とよばれる活断層がその地下
にあるためです。
つまり、地震の震源となりうる活断層の位置が、生物群集によってかなり正
確に推測できるかもしれないのですね。




<母なる海のはなし>

海の話の3回目です。


▼母なる海

などということを言うわけですが、実際のところ、これは単なる比喩でしょ
うか。あるいは、実際に生命が海から生まれたのでしょうか。

前回取り上げた「硫化水素」が、実は生命の誕生に非常に重要な意味を持っ
ていたかもしれない、という話がありますので、まずそれを簡単に。


藤本太一郎氏らの研究によれば、炭酸(またはギ酸などのカルボン酸類、ホ
ルムアルデヒドなどのアルデヒド類)とアンモニアに硫化水素を作用させる
と、常温下において、わずか数時間で各種のアミノ酸構成を持ったポリペプ
チドが生成されるというのです。

オパーリン以来の生命誕生学説では、長い時間的経過の間に、きわめて小さ
い確率で起こった過程の積み重ねによって生命が誕生した、という観念が中
心的でした。

天文学的な確率をくぐり抜けて生命は誕生した、それ自体がまさに生命の奇
跡である、というスタンスです。


ところが、前述のような実験では、普通の海水(滅菌はしてあります)中で
硫化水素とありふれた無機物を混合し、反応させるだけでいわゆる「細胞様
高分子」が沈殿するのです。

細胞様高分子というのは、昨年の第一回配信でも簡単に扱っていますが、生
命ではないものの、一定の安定した膜構造を持ち、物質代謝を行う、いわば
生物のような無生物です。

しかも、このような反応は常温でも起こるため、熱水域を生命の起源とする
学説では説明の難しかった、生成されたポリペプチドが、どうやって高温の
中で機能を維持できるのか、という問題点もクリアしています。



> 最新号の配信(相模湾の硫化水素湧出地域で見られる生物群集)を
> 拝見していまして、ハタと思い出した光景があります。
>
> 私は釣りが好きで、長崎在住時は火山で有名な雲仙・島原地方に
> よく出かけていたのですが(だって釣りの後に温泉入れるんだもん)、
> 雲仙を擁する小浜町の港に近隣の温泉が注ぎ込むポイントがあり、
> そこにいつもうんじゃらげーと集まっている魚たちがいるのです。
>
> 最初は、湯気の立ち上る水域に居てだいじょうぶなんかと他人事ながら
> 心配していたのですが、数回見るうちに、ハハン水温が高いから
> きっとプランクトンだとかなんかの餌がうんじゃらげーといて、それを
> 目当てに(半煮えになりそうな温度でも)集まってるのね、と思ってました。
>
> ちなみに小浜温泉は、硫黄の臭いのキツイ温泉です。
> これが硫化水素と関係あるかどうかは私の頭じゃさっぱりわかりませんが、
> 少なくとも彼らの行動が少しは理解できたような気が。気のせいですが。
>
> ところで、私はそれらの魚を釣ったことがありません。
> だって湯気出てる水の中で泳いでた魚、刺身で食べる気がしないんだもん。


これは以前にいただいたお便りの一部なのですが(Kanaさん、無断転載
をご了承ください(^^;)、これもおそらく同じ話だと思われます。

硫化水素の発生している水域で、周辺の環境自体はそれほど特異なものでは
ないのに、その湖だけ非常に魚介類が豊富である、という場所があります。
島根・鳥取の県境の中ノ海、宍道湖などが他にも例に挙がると思うのですが、
このような水域では、太古の昔から「細胞様高分子」が生成され続けてきた
のではないでしょうか。

このような細胞様高分子は、現在ではプランクトンや小魚の格好の餌となっ
ているわけですが、そのような天敵のいなかった時代には、「生命」の誕生
を支える有力な培地となり得たのではないかと考えております。


とすると、実際に生命の誕生を考えた場合、別にそれは「海」でなくとも、
硫化水素の湧出地であればどんな水域でも可能性があるわけです。

「母なる海」といえばなんとなくロマンティックですが、「母なる温泉」
「母なる沼」というのはどうもいい感じがしない、というのは偏見でしょう
か?

いずれにしても硫化水素が欠かせないわけで、生命誕生には「におい」がつ
きまとうことになりますが。(^^


次回は、「閉ざされた海」としての生物を考えてみます。




<閉ざされた海、生命>

前回は

▼生命は海でなくとも誕生しうる

というようなことを書いていたわけですが、それでもやはり生命は「海」と
深い関わりを持っている、という話を。


生命は、「海」をその内側に閉じこめている、というような表現をすること
があります。

進化、とくに海から出ていく過程で、生物にとっては「海」をどうやって海
以外の空間に持っていくか、ということが最大の問題でした。

もう少し科学めいたコトバで言えば、最初に浸透圧の問題、次に耐乾燥の問
題です。
結局のところどちらも水分の保持の問題ですが、順に考えていきましょう。


浸透というのは、生物についてごく簡単に言えば、「薄い」液体から「濃
い」液体の方へ水分が移動してしまう現象のことです。

たとえば、ナメクジに塩をかけると「溶ける」という言い方をしますが、あ
れは大量の塩によって体外に高濃度の塩化ナトリウム水溶液ができるために、
それよりも濃度の低い体内から水分が体外に移動してしまい、水分がなくな
って体が「しぼんで」しまうわけです。

ただ、出てきた水分とナメクジの粘液と塩が混じって、ナメクジがどろどろ
のものに変わってしまったかのように見えるので、「溶ける」ように見える
だけです。


浸透圧がどのような場面で重要になるかというと、塩分濃度の異なる(変化
する)環境です。

海水域にすむ生物が淡水域に行く場合、あるいはその逆、汽水域のように、
めまぐるしく塩分濃度の変わる地域。
あるいは干潟や潮だまりのような場所でも海水の入り込んでいるときと、水
分が蒸発しているときでは、どんどん塩分濃度が変わっていきます。

体液よりも濃い濃度の液体中にいる場合、どんどん水分が体外に出ていって、
細胞が収縮してしまいます。
逆に、体液よりも濃度の低い液体中にいる場合、細胞内にどんどん水分が入
り込んできます。
細胞がふやけるだけならともかく、場合によっては膨らみすぎて破裂してし
まうこともあります。

つまり、そのような環境に進出する過程では、浸透圧の調整の機能が欠かせ
ないわけです。
そのために脊椎動物では腎臓やえらなどの器官を発達させてきたわけですが、
この辺の詳しい話は、興味があればまた適当な本の方で読んでみてください。


次に、陸上にあがる場合、今度は蒸発によって細胞の水分が失われていきま
す。
成体であれば、水分は飲んで補給すればよいのですが、簡単には水分を補給
できない場合がありますね。
歩くこともできない状態、つまり卵や初期幼生の時期です。

水分のない場所でも子供を産めるようにするために、羊膜を持つのが爬虫類
です。
もちろん、原始的な羊膜ではその機能も低く、爬虫類でも水辺に卵を産むも
のはたくさんいました。

また、羊膜の有無で両生類と爬虫類が区別されるため、絶滅した動物の中に
は、外見はどう見ても爬虫類な両生類や、両生類っぽいけど羊膜を持ってい
るから爬虫類、というものが出てきます。

ヘビの形をした両生類など、サイトの「進化系統図鑑」にもちらっと載せて
ますんで、暇があればどうぞ。


さて、生物が「海」から出ていくために体内に海を閉じこめ、あるいはそれ
が「出ていってしまわないように」様々な機能を発達させてきた、というの
はどちらかといえば「生物学的」な視点です。

生存領域の拡大、という視点ですね。


しかし、非学術的読み物であるところの「いきもののはなし」であればどう
見るか。

昨年末頃の配信になりますが、

> そして、ここからはYossieの空想です。
>
> いきものは、自己のコピーを最大に増やすことを行動原理とするという。
> なら、地球も自分のコピーを欲しがっているのかもしれない。
>
> すると、地球は、宇宙空間に自分のコピーを作り出すために、あるいは自
> 分のコピーを探しに行くために、35億年をかけて「宇宙に行ける生き
> 物」を作り出したのだろうか。。。

なんてことを言っていました。

こんな視点からすると、生物は「海」を運んでどんどん外へ向かう「運び
手」なのではないだろうか、なんてことを考えるわけです。


「海」を細胞膜という入れ物に収めた最初の生命、
「海」を移動できるようにした単細胞生物、
「海」を淡水域にも移動できるようにした魚類、
「海」を陸上へ持ち出すことに成功した両生類、
「海」を地上のほとんどの地域へ持ち込んだ爬虫類。。


人間は、地球上に広がるウイルスである、なんていうことを言う人がいます。
その通りでしょう。

ただし、私はウイルス進化論を知っています。
ウイルスは、確かに病原となることもありますが、それは本来の機能ではあ
りません。
本来の機能は、遺伝情報の「運び手」なのです。

ウイルスはDNAの断片を運ぶだけでした。
人間は、地球からどんな「海」を誰に伝え広めるのでしょうか。

そして人間は、「そら」にも「海」を広げていく、と。。。


「海」は「生み」で、それ自体生物の本質をずっと表していたのかもしれま
せん、なんて。


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