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<医療過誤防止策>

7月に、「病原菌あれこれ」というシリーズで医療過誤をとりあげていまし
たが、先日見ていたニュースの中で、ちょっと興味を引くものがあったので。

そのニュース自体は途中からしか見ておらず、しかも最後まで見ていたわけ
ではないので、事実の正確性が欠けています。
「たとえばこういうケースがあるとしたら」という仮定の話のレベルとして
読んでおいてください。


その病院で試験的に行われているミスの防止対策というのは、一言で言えば
バーコードによる管理です。
患者は一人一人、固有のバーコードを割り当てられており、薬剤、看護婦な
どもそれぞれバーコードでシステムに組み込まれています。

おそらくカルテとも連動しているのでしょう。
従来は名前や「顔」などで確認・管理していた作業を、バーコードとスキャ
ナで代用しようというシステムですね。

たとえば、点滴をするときにはまず患者のバーコードを読みとり(手首に巻
いたバンドに、バーコードが印刷されています)、次に薬剤のバーコードを
読みとります。
薬剤が違っていたり、患者が違っていればエラーの表示が出る、という仕組
みですね。

投薬する看護婦のデータも投薬の際に読みとらせることになっているので、
いつ、誰の、どのようなミスによって事故が生じたかも正確に記録が残るわ
けです。


システムとしては、非常によくできています。

第一に、ユーザー(看護婦など)にとってきわめてシンプルです。

マニュアルの話のときに書いていますが、人間というのは、たとえそれが確
認のためであったとしても、考えたり判断するべき事項が増えれば増えるほ
ど、ミスの確率は加速度的に増大していきます。

「マニュアル人間」といった言い回しのように、何かと否定的なイメージの
強いマニュアルですが、ある作業をするのに「アタマを使わなくてすむ」と
いうのは、労力の大変な軽減になります。


第二に、患者のデータを簡単に共有でき、担当でない看護婦や医師でも禁忌
やアレルギーなどの情報を瞬時に確認できます。

電子化されたデータの最大の利点は、再利用・再構築が飛躍的に容易になる
点にあります。
看護記録に手書きで残された資料は、あとからまとまった形で整理したり、
必要な事項だけを探して抜き出すためには、非常な労力を必要とします。


第三に、システムのソフトウェアの構築に、それほど額がかからないだろう、
という点です。

なぜかといえば、患者のデータや看護の記録の管理というのは、言ってしま
えば、倉庫や店舗の在庫管理ときわめて似通っているからです。
既存のパッケージにちょっと手を加えるだけで、簡単に稼働試験まで持って
いくことができるでしょう(現実問題としてのシステムの安定はともかく)。



しかし、第三の利点、このことが同時にこれまでこのようなシステムが病院
などで採用されてこなかった最大の理由でもあるわけです。

たとえば、患者の名前や顔を覚えなくてもすむ、これだけでも相当に労力は
軽減できます。
誰がどのような状態で、といったことに神経を使わなくとも、バーコードさ
えちゃんとチェックすればよいのですから。

この時点で、看護する人間は一つの選択を迫られます。

いちいち患者の名前や細かい事情を覚えなくてもバーコードさえ見ていれば
いい、つまり相手を人間として扱う「必要」がなくなったときに、わざわざ
労力を費やして相手の人格をちゃんと認識するか、という判断です。

コンビニの店員は、普通客の顔など覚えていません。
常連客しかこないような場合はともかく、わざわざ積極的に覚える必要はな
いし、覚えても仕方がないからです。

これに対して、一流の旅館や飲食店では、客の顔を覚えることはサービスの
基本となってきます。
「お客様の一人の**さん」ではなく、「**さんというお客様」として扱
ってもらえること、それが優れたサービスの一つの内容となりうるというの
は、そこに能力と労力が費やされていることが誰にでもわかるからです。



さて、ここからは提言として。

もう少し患者に人格権を与えるようなシステムがよいでしょうから、同じよ
うにバーコードを使うとしたら、スキャナを患者に持たせたらいいと思いま
す。

薬や看護婦のバーコードを、患者が読むようにするのです。

読みとったデータが病院に蓄積される辺りは同じですが、「患者が病院とい
うサービスを利用している」というというニュアンスが実現できるのではな
いでしょうか。

高齢者などでは「看護婦を疑っているみたいでいやだ」という方もいらっし
ゃるかもしれませんが、「いつ何をしてもらったか」記録するのだ、という
言い方をしてみたらどうでしょう。

ちょっとしたログ記録を患者も読めるようにすれば、どのような治療が行わ
れているか、薬の名前や量からまた情報を集めることもできるのでは。




<マスメディアこのごろ>

このごろ、現代的なテーマを扱うNHKの特番は、どれもなんとなく保守的
な傾向を強めていますね。
もう少し違う言い方をすれば、保守的な人々が受け入れやすいような番組の
作り方をしているような印象を受けます。

現代人とペットの関わりの特集や今日やっていた「出会い系サイト」の特集
など、番組全体の画像の作り方からBGM、演出の方法に至るまで、マイナ
スの印象を与える要素が必要以上に多い気がします。

特に何週間か前にやっていたのペットの特集は、見ていてかなり気分の悪く
なるようなものでした。
おそらく取材の時点では、非常に好意的な態度を装って対象の人物とコンタ
クトをとっていたのでしょう。

たとえば、「ペットの特番をやるので、あなたのペットとの暮らしについて
カメラの前でしゃべってください」と言われれば、誰だって、それがどれく
らい楽しいものかをがんばって語るはずです。

ここで、収録した素材を薄暗い色調でピントをぼかした感じにアレンジし、
薄ら寒い感じのBGMに乗せて淡々と流していけば、どうでしょう。

現実には明るい部屋の中でゆったりとくつろいでイヌと戯れているようなシ
ーンでも、映像の中では薄暗い場所でひっそりとイヌだけを相手にして暮ら
しているシーンに早変わりしてしまいます。

これでは、まるで、動物としかコミュニケーションできない「問題のある」
人物のような印象を生んでしまいます。

番組の趣旨は、ペットをもっと大事に飼おう、というものだったはずです。
上手に飼えないならば飼うべきではない、という主張は全く正しいものです
が、だからといってペットを飼うことがマイナスである、という視点を無理
矢理作るのは、本末転倒ではないでしょうか。


インターネットなどを取り上げるときにもこういう、ほとんど「情報操作」
の域に達している番組作りを見かけます。

1.インターネットをうまく利用している人々がいる。
2.インターネットでこんな失敗をした人がいる。
3.インターネットでこんなふうに生活がおかしくなってしまった人がいる。

という3つの項目立てで番組が進行したとします。

実際にネットを使っていない人間がこれを見れば、どうしたって不安感を抱
きます。
まるでネットを利用している人間の半分くらいは、なんらかのトラブルに遭
遇しているような印象を受けるはずです。

危険な運転を控え、少し注意をしていればほとんどの交通事故は未然に防げ
るように、ネットでの活動も、あえて危険なことをするのでなければ、トラ
ブルに合う確率はほとんど皆無といえます。

にもかかわらず、このように現状から離れた感覚で番組を作るのは、「ネッ
トをやらない理由」を、やっていない人々に与える為なのではないでしょう
か。

このところ、しばしば「自分は世間についていけない」という言い方を聞い
たり見かけたりします。

自分にはコンピューターや新しい技術は使えない、と思っている人間にとっ
て、これらの番組はある種の安心感を与えてくれるでしょう。
「ああ、うかつに手を出さなくてよかった」という類の感情です。

実際、ネットをやろうとしない人になぜやらないのか?と尋ねると、答えは
たいてい二通りのどちらかです。
「お金がないから」か、「面倒なことになりそうだから」です。
しばらく使ってみれば、どちらも事実ではないことがすぐに分かるでしょう。


今述べてきたようなメディアの姿勢は、目先の不安を和らげているのかもし
れませんが、なにかの問題を解決するものではありません。

テレビばかり見ていると、思考の能力が訓練されにくいのは事実でしょう。
しかし、だからといって「テレビを見ると思考能力が破壊される」と指摘し
たならば、これはもはや歪曲です。
テレビを見るのはどの程度にとどめるべきか、その判断さえさせないのであ
ればそっちのほうが問題だ、と。




<医療過誤・コンピュータ>

医療過誤についての話題はわりと頻繁に取り上げているのですが、またして
も悲劇が起こりましたね。

コンピューターを使って処方箋の指示を出すシステムで、薬品名を間違えて
クリックし、そのまま処方された結果、投与された患者が死亡するという、
ため息をつくしかないような事件です。

今回の件について言うならば、コンピューターのシステムができそこないで
ある、という点につきます。

確かに現場の看護婦などがチェックできなかったのか、というような批判も
あり得ますが、新聞の報道などを見る限りでは、現場での薬剤の確認まで含
めた大がかりなシステムを構築していた感じはないので、そのようなチェッ
ク機能は特に期待されていなかったと考えられます。


ちょっと回り道のようになりますが、なぜシステムが出来損ないであるかと
いうことを説明するために、コンピューター的な認識と人間的な認識の違い
ということを取り上げてみたいと思います。

コンピューター的なものの捉え方と人間的なものの捉え方の対照的な部分と
いうのは、あるものごとを最初から最後まで順番に確認する「デジタル」と、
あるものごとの全体を一度にとらえる「アナログ」の違いにあります。

デジタルな処理は非常に手間がかかるために高速な処理の可能なコンピュー
ターとセットになっているにすぎず、かならずしもコンピューターの専売特
許というわけではありません。

例を挙げますと、気質を分析するためのいろいろな心理テストがありますが、
あれも「指向」をデジタル化しようという試みです。

しかし、はい・いいえや程度を示す数値を選ぶような形式のテストでは、た
とえば「気が弱い」という印象一つを表すために非常にたくさんの質問を必
要としますね。

これに対して、人間の感性というのは雰囲気を一括してとらえて、この人は
「気が弱い」という風に表してしまいます。


もちろん、アナログとデジタルでどちらが優れている、というものではあり
ません。

大まかに言って、デジタルのほうが細かい情報まで表現でき、より正確にオ
リジナルを復元できます。
しかし、アナログの方がはるかに少ない情報量でそのものの本質を表すこと
ができます。

両者は何を重視するかによって向き・不向きがある、ということです。

「彼は気が弱い」という説明と、「彼はこういう質問に対してこういう回答
をしている、一方でこれについてはこう回答しているからこれこれこうとも
いいきれない、……総合的に、彼は気が弱いと一般に言われるような気質を
有しているが、以下に挙げるような状況下においては……」という説明、ど
ちらが有用か、というのは場面次第でしょう。


さて、今述べてきたように、デジタルな処理とアナログな処理があるとしま
す。

結局のところコンピューターを使うのですから、突き詰めていけばデジタル
な処理をしていることには変わりがないのですが、人間が利用するシステム
という場面では、人間寄りなインターフェイスとコンピューター寄りのイン
ターフェイスの二つの相反する方向性があり得ます。

一般論としては、人間寄りにするほど操作性が増し、コンピューター寄りに
するほど安定性が増します。

現在のウインドウズなどはとにかく人間寄りにすることを第一にしていたの
で、初心者にもとりつきやすくなった反面、安定性はかなり犠牲にされてい
るわけです。

そして、今回の事故の起こったようなシステムは、まさしくコンピューター
寄りのシステム構築であった、ということです。

数字やカタカナのような、それ自体は意味を持たない、それでいて一字一句
にきちんと役割のある記号の羅列というのは、人間の感性からは非常に処理
の苦手なデータです。

全体を一括してとらえる代わりに細部の違いにはこだわらない、というアナ
ログな認識が通用しないからです。

オフィス・オートメーションという言葉の流行った80年代には、すでにこ
れが原因でトラブルが引き起こされるようになっていました。

経理や在庫管理のシステムにおいて、数値を入力する際に「0の個数を間違
える」「数字を余分に入力してしまい、それを消し忘れる」といったことが
原因で、通常ではありえないような大量の発注をしたことになっていたり、
名前を登録する際に「ハナダ」と「ハマダ」を取り違え、間違った口座への
振り込みがなされてしまうといったトラブルです。

この種の処理を人間の目で見てチェックすることは非常に困難です。

大量の伝票とエクセルの巨大なワークシートを比較しながら確認する作業を
想像してください。
しばらく作業を続けたなら、「すべてミスのないように確認するくらいなら、
注意しながら打ち込みなおした方がマシ」と思うことでしょう。


つまり、薬品名のように無機的なカタカナの羅列のなかから正しい薬品名を
選んでクリックさせるようなデジタルな処理は、人間の認識のシステムには
根本的に向いていない、ということです。

にもかかわらず、アイウエオ順にすべての種類の薬剤を並列に並べ、選択が
正しいか否かを医師自身のチェック機能にのみゆだねるという点で、そのシ
ステムには欠陥があるのです。

たとえば、普通にパソコンを使うときにでも、すべてのファイルが一画面上
に表示されていたら面食らうはずです。
たとえそれがアイウエオ順に表示されていたとしても、ファイル名をいちい
ち確認して起動するのは苦痛を伴う作業です。

だからこそ、フォルダという概念やショートカットといった機能が発達して
きたのですね。

フォルダもショートカットも、実はコンピューターにとっては単なる余分な
データであり、回り道でしかありません。
画面上でフォルダに収めたからといって、実際にハードディスク上のデータ
の位置は変わりませんし、「こういう階層構造にあることになっている」と
いうパスのデータが加わるだけです。

しかし、こういう機能一つでずっと人間にとって使いやすいシステムになる
のです。

前々から書いているように、システムやマニュアルを導入する最大の目的は、
「いちいち考えなくて済むようにする」点にあります。

にもかかわらず、ちょっとうっかりしているだけで患者を死に至らしめるミ
スにつながるようなシステムでは、それを利用する人間はちっとも気が抜け
ません。

システムの目的を達成しているとは全く言えない、ということです。



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