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 企業倫理の話


<ターニング・ポイント>

ごく近い将来、我々は時代の一つの転換点を見届けるかもしれない。


先日、雪印食品の解散が発表された。
解散そのものについてはビジネス関連の記事でいくらでも優れた読み物が
あるので、それらを参照願いたい。

今回は、雪印食品(あるいは雪印ブランド全体)の崩壊の意味について。


上場企業が「事件」からわずか1ヶ月あまりで消滅するという事態をどう
受け止めるかは、まだ個人差が大きいだろう。

「主婦」的な発想で言えば、消費者や国に嘘をついて儲けようなどという
のは言語道断、そんな企業はなくなってしまえばいい。
シンプルである。

「サラリーマン」ならば、主婦と同様の感想を抱きつつ、一方では自分の
姿をかえりみて「じゃあ自分が同じことを指示されたら拒絶するか?」と
いう考えに至らずにはいられないだろう。
一段階のねじれが加わる。

実際に指示に従った人間はどうだろうか。
サラリーマンと同様の悩みを乗り越え(?)、不正に手を染めることを決
意した場合(大多数の例はこのようになるだろう)、おそらく「どこの会
社でも多かれ少なかれやっていることだから」と自分を納得させるしかな
い。
ねじれを自己暗示で解決しているが、ねじれは解消されていない。
二箇所をねじってつながるようにした、だけだ。


「どこの会社もやっている」というのは、ただのお題目ではない。
「商習慣」として解釈されれば、一般的な法と異なる結論を導く内容が法
的な効力を持つこともありうる。

そして、社会全体の持つ風潮として、たとえばラベルについて「虚偽であ
る可能性を十分に認めつつ、あまりうるさく言わない」という方向性が確
かにある。

安価な回転寿司のカウンターで、「このエンガワはヒラメじゃないだろう、
エンガワなんて名乗るな!」と問いただしても始まらない。
そして、事実を書くことが正だとしても、少なくとも私は、鮨屋のお品書
きに「ティラピア」と書かれるのを歓迎しない。


日本においては、食にしろ消費財にしろ耐久財にしろ、最低限をはるかに
上回る機能を備えており、付加価値と呼ばれるような「雰囲気」「気分」
以外にはもはや価値の差異はない。
つまり、事実を書いた結果雰囲気や気分が壊れるのでは、そもそもその鮨
屋の存在価値がないのである。

大多数の消費者は、「巧みな演出」によって自分たちを満足させてくれる
よう望んでいる。それは、女性的といえる感情であり、「オンナゴコロ」
と類似の心理だ。

「本当に価値のあるもの」を手に入れることができればそれに越したこと
はないが、そうでなければ手に入るもので我慢するしかない。

ここで、「コレで我慢しろよ」と言ってしまうのは「もてない」人間であ
る。
夢を与えることをしていない。雰囲気を生み出すものがない。

オンナゴコロは、しばしば言葉やモノを求めるが、モノ自体を崇めている
わけではない。
そのモノを通して、それが暗示している未来を見ているのである。

素晴らしいものを貰って喜ぶのは、その「素晴らしいモノ」が「素晴らし
い未来」の象徴であるからだ。
だからこそ、たとえそのモノがチープな品であっても、それにすばらしい
未来を示唆する意味付けを与えられれば、素晴らしい贈り物になりうる。

逆に、未来を断ち切ってしまう言葉はそのモノの付加価値を殺してしまう。
残るのは、せいぜい「売ればいくら」という数字でしかない。
贈り物をするのが下手な人間は、贈り物の生む「未来」を想像する力のな
い人間である。


雪印乳業が、業務用冷凍バターの品質保持期限を書き換えていたという事
件もすでに知られているだろうか。
一応ニュースのリンクを貼っておく。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20020223&j=0022&k=200202233263

期限切れの食品でも、まったく問題なく食べられるということはいくらで
もある。
ことに、ドライフード、レトルトや冷凍食品では十年単位で可食なものも
多い。しかし、消費期限を長期間にしすぎると、「強力な保存料が使って
あるのかもしれない」などと消費者の勘繰りを招くので、適当なところで
3年などと記載していることがある。

このニュースで乳食品事業部長が問題ないとしているのも、こういった事
情を踏まえてのものだろう。

しかし、先ほどのたとえで言うならば、この発言は「もてない」人間のも
のである。

「期限切れだけど十分食べられる」
この台詞とともに提供された食品で、どんな未来を見ろというのか。
格安商品ならばまだしも、仮にもブランドで売っている企業の人間には、
この台詞をいうことは許されないはずだ。


食中毒、日常的な虚偽表示、そしてオンナゴコロのわかっていない発言。
ビジネスとしての雪印ブランドはもはや価値をもっていない。
だが、それと雪印のブランドが消滅するかどうかは別な問題だ。
別な問題として扱われてしまうことも、日本のビジネスの非常に危うい要
素ではあるが。

雪印のブランドが消滅するかどうかで、時代の「転換点」がどの程度近い
のかがわかる。

もしも週明けすぐにでも雪印のブランドが下ろされ、各グループ会社がそ
れぞれの道を歩むことになるとすれば、「転換点」はすでに過ぎており、
以後の社会は今までの路線から異なる方向に向かって進むといえる。

雪印ブランドが壊滅的な打撃を受けつつも残存するならば、転換点はもう
しばらく先である。

ありえないことを祈るが、「もしも」マスコミが一斉に無数の企業の「悪
事」を暴露し糾弾し始め、相対的に雪印の報道がほとんどかき消されるよ
うな事態が生じたならば、転換点は相当先になる。

自力で走り続けられない者を「脱落者」にしないためにはどうするか。
先を行く集団が走るのをやめればいい。

転換点は、遅ければ遅いほど悲劇的な影響を生じさせるだろう。


「なぜ雪印だけが集中攻撃されなければならないのか」という発言がしば
しば見受けられる。
この発言は、本質を見誤っている。

「ハインリッヒの法則」は、あらゆる種類の「悲劇」についてヒントを与
えてくれる。

▼一つの重大事故の背景には29の小事故があり、さらにその背景に300のニ
 アミスがある。

ある社会的な事象が発生するときには、それを醸成する空気がとっくに充
満している。
それが「悪いものだ」とわかっていても、適切に対処することは難しい。
焦げ臭い匂いが部屋に漂っているようなものだ。


人間や事件の蓄積が歴史なのではなくて、歴史が人間や事件を作り上げる
のだという。
確かに、雪印が「役者」に選ばれたのは、偶然の要素が大きい。
しかし、たとえ例の倉庫会社の社長の告発がなかったとしても、遅かれ早
かれどこかの似たようなことをしていた企業がつるし上げられていただろ
う。

時代の空気が、役者に立候補してくる者を待っていたのだ。
役者に割り当てられた役は、飛び切りの悲劇のヒロインだったわけだが。


雪印食品の解散に至る一連の動きを、「企業活動に対して消費者の目が厳
しくなってきた」と評価する人が多い。

それは違うと思う。
もう、どの企業の社員も、不正にうんざりしているのだ。

客をバカにし、だまし、落としいれることは、結局自分で自分の仕事を貶
めることだ。
自分の仕事を念頭において、親友に「この仕事をいっしょにやろうぜ」と
誘える人間がどれだけいる? かけがえのない友人を、自分の「客」とし
て勧誘できる仕事をしている人間がどれだけいる?

息子にはこんなことをさせたくないと願い、ひねくれていじけたような若
者を前に「じゃあ、自分みたいになれと本気で言えるのか?」と自問して
しまうような状況を、終わらせたいのだ。

仕事をしている人間ならば、会社が潰れる、仕事がなくなるということを、
ものすごい重さで受け止める。
雪印以外の企業の人間にとっても、今回のことはまったく他人事ではない。
だからこそ、多くの社員が、悲痛な思いで願っているに違いない。

不正を止めてくれ。
堂々と仕事ができるようにしてくれ。
社員として胸を張れる会社でいてくれ。


▼時代は変わっており、不正行為によって消費者の信頼を失った企業は、
 淘汰される

という表現は、社員の思いを必死でビジネスの殻にくるんだものなので
はないだろうか。

社員が企業を変えることはできない。
だから、消費者に代弁してもらっている。

雪印のブランドは、スケープゴート<生贄の山羊>となりつつある。
そして、それを捧げて祈っているのは、実は「消費者」ではなく、むしろ
仕事に尊厳をもつことのできない会社員たちなのではないだろうか。




<バニシング・ポイント>

どうやら、「転換点」は当分先になりそうです。

前回配信より。
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200202250110000000018110000

> 雪印のブランドが消滅するかどうかで、時代の「転換点」がどの程度近
> いのかがわかるはずだ。
>
> もしも週明けすぐにでも雪印のブランドが下ろされ、各グループ会社が
> それぞれの道を歩むことになるとすれば、「転換点」はすでに過ぎてお
> り、以後の社会は今までの路線から異なる方向に向かって進むといえる。
>
> 雪印ブランドが壊滅的な打撃を受けつつも残存するならば、転換点はも
> うしばらく先である。
>
> ありえないことを祈るが、「もしも」マスコミが一斉に無数の企業の
> 「悪事」を暴露し糾弾し始め、相対的に雪印の報道がほとんどかき消さ
> れるような事態が生じたならば、転換点は相当先になる。

週明け以降、雪印関連どころか食肉、狂牛病の報道全体がぱったりとやん
でしまいました。
もちろん、外務省や鈴木宗男議員の話題で持ちきりだったということもあ
りますが、食用牛関連に限っても重要な動きがいくつかあったのです。

たとえばこんな記事があります。
『加工大手など3社が未検査牛肉を一部出荷』
 → http://www.yomiuri.co.jp/04/20020222i401.htm

検査を受けずに流通している牛肉がある。
それではあの全頭検査と「安全宣言」はなんだったのか、と問われて農相
は「消費者の不安を払しょくするための制度で、申し出に応じて隔離する
方法をとった。絶対に流通していないということではない」と述べていま
す。

未検査牛肉が流通していることを認めつつ「不安を払しょくするため」と
いうのは、欺瞞を容認しているとしか言いようがありません。
そして、この「開き直り」とも言える発言に対して、批判をする報道がな
かったというのはどういうことでしょうか。

また、新聞によっては、今になって「狂牛病を今後はBSEと表記する」
と告知しているものがあります。
「狂牛」という表現が無用の誤解を招く恐れがあるため、という理由が付
してありました。

この呼称についての議論は何年も前からあったもので、「いきもののはな
し」でも少し取り上げたことがあります。結論として、「いきもののはな
し」では狂牛病という言葉を使っているわけですが。
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200109302140000000018110000

しかし、これだけ騒ぎが大きくなるまで放置しておきながら(そして、牛
肉を食べると脳障害が起こる危険性がある、という短絡的な印象を植え付
けてしまってから)、突然表記を変えるというのはどういうことでしょう
か。

勘繰りかもしれませんが、狂牛病関連の記事を目立たなくさせる目的があ
るように感じられて仕方がありません。

と、ジャーナリズムの下手な真似事はこのくらいにしておきます。


批判し、強硬に追求したいと思う一方で、現実問題として今すぐに食肉産
業が自分自身で構造を変えることができないことも認めるしかありません。
構造や体質を、そんなに簡単に短期間に変えられるわけがないです。

では、前回から言っている「転換点」とは何なのか、と。
簡単に言ってしまえば、「不正をするのはやばい」という規範が成立する
かどうか、という分岐点です。

規範が成立し、トップがそれを意識して危機感を持ち、舵を切れ、と命令
があってそこでようやく「現場」が舵を切ることができます。
ゆっくりと、船は方向を変えていきます。
新たな針路上では、新たな種類の人や荷物を載せることになります。
その針路に沿った意識をもつ人間が育つようになります。
そして、新たな針路に従って育ってきた人間が現場を担当するようになり
ます。

ここまでの過程を経て、ようやく企業の文化が変わるのです。
何年も、かかるのです。


おそらく、今回は食品業界の「パンドラの箱」を開けることを回避したの
でしょう。その主体が何かは私の知るところではありませんが、この不況
下だから今はまずい、という判断は妥当かもしれません。

さしずめ、「転換点」は最後に残る「希望」に当たるのでしょうね。

パンドラの箱の説話というと、残っていた「希望」を強調する文脈である
ことが多いです。
でも、忘れてはいけませんよ。
パンドラの箱の本質は、世の中のありとあらゆる災厄を閉じ込めていた点
にあるのですから。

「転換点<ターニング・ポイント>」を求めて箱を開け、希望が出てくる
より先に経済が「消失点<バニシング・ポイント>」に至ってしまったら、
目も当てられない、わけで。


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