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第8回  「ウイルス進化論(2)」

   ……伝染する進化

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そのゾウは、鼻の伸びるのを止められなかった。
そのシカは、角の伸びるのを止められなかった。
そのキリンは、首の伸びるのを止められなかった。
 
一頭が、「そう」であるならば、それは「異常」である。
その場にいる、すべての個体が「そう」なったら。


さて、第3回で取り上げたウイルス進化論(1)の続編です。
あれからちょうど2ヶ月ほど経っていますが、様々な意見を聞き、いろいろな
文章を読んだためか、私の中でもウイルス進化論の位置づけがやや変化して
います。おそらくバランスのとれた方向へ向かっているのでしょう(^^;)。

前回の結論部分を二点。

▼すべての生物において、ウイルスやプラスミドによる「水平遺伝」の可能性がある。

▼ウイルスは、生物が進化するための小器官である。

ということをまず簡単に思い出してみます。

まず、ウイルスやプラスミドを使って遺伝子を個体から個体へ移転させることが
可能である、ということ。現代ではごく一般的なバイオテクノロジーの基礎技法
ですね。

で、物理的に可能であるならば、そのような現象は自然界でもおこりうる、と。
たとえばヒトの場合、DNAの塩基配列の中のイントロン部分には、レトロウイルス
と共通する配列がたくさんある、といいます(番外編その2参照)。
これは、ウイルスによってヒトのDNAが書き替えられたことがある、という事実の
証拠にならないでしょうか。

そして、ウイルスというのはなんであろうか、ということについて、この説では、
生物の一器官である、というのですね。
単独では増殖も活動もできないこと、生物の細胞の中でのみ機能を発揮すること、
ウイルス以外のあらゆる生物にそれぞれ感染しうるウイルスが存在すること、
ウイルスはウイルスに感染しないこと、などがその根拠です。

では、なんのための器官か。
前述のように、ウイルスは個体間、時には種の壁を超えて遺伝子をやりとりしている。
そして、ウイルスには感染域があり、ある特定の種だけが感染することも多い。
つまり、ウイルスは、「感染」によって、遺伝子の平均化・共有を図るための器官
なのではないだろうか、ということになります。

ここからが今回の内容です。

ウイルス進化論の主張する「水平(感染)遺伝」は、進化という現象においてどの
ような意味を持つのか。

水平遺伝という概念があれば、ある新しい遺伝情報(変異)はそこで一緒に生活する
感染域の同じ個体すべてに、一気に伝達することができます。あるいは、変異の起き
ている個体が、本来の遺伝子を取得できるかもしれません。

しかし、従来の考えでは、新しい遺伝情報を他の個体に伝えることができるのは、
交配・出産(垂直遺伝)によってのみです。
確かに、垂直遺伝によっても徐々に変異は伝わります。
だだ、これだけでは、環境の変動に対応して変異が起こり、それが種を変化させる
ほどのスピードにはなり得ません。
それに、優れた形質のものがその種の大勢を占めるようになることは確かですが、
必ずしも劣った形質のものが消滅してしまうわけではなく、一定の割合で存続して
いく、というような傾向もあります。
だとすると、ある種が異なる種へと変わっていくプロセスを説明するには、自然淘汰
だけではどうも不足なのではないでしょうか。

S.J.グールドなどによれば、種の変化というものは生活領域の「辺縁」部で
起こるので、個体数が元々少なく影響も速やかに伝わるし、変化途中の化石も残り
にくいのだ、と説明します。
確かに、この説明でなされているような現象もあったでしょうが、それよりは感染
遺伝の概念に依った方が、ある「種」が別な「種」へ変化する、という現象を自然に
説明できると思います。


もうひとつ、水平遺伝には変異の伝達を速めると同時に、変異の拡大を抑える働き
もありえます。従来の自然淘汰の理論では、、枝分かれの過程で、いったん
分かれて(生殖隔離)しまうと、基本的に元の枝に戻ることはできないのです。
しかし、水平遺伝では、感染域が同じである限り、生殖隔離が起こったあとでも
遺伝子の交換が可能なのです。近似種に生じた有利な変化は、その種にとっても
有利なことが多いでしょう。そういった変異を取り込むことができるわけです。
結果として、枝分かれのあとも、変異を共有できるのですね。つまり、水平遺伝を
前提とすれば、

▼生殖隔離による「分岐」後も同じ感染域に属する種は平行的に進化し、その差違が
拡大に向かうとは限らない

ことになるわけです。


そして、利己的遺伝子との関わりでもちょっと考えが変わってくると思います。
なぜかというと、水平遺伝を認めれば、遺伝子は、子孫や血縁者でなくとも共有
しうるからです。
だから、私としては、利己的遺伝私的な考え方は「高度な」生物にしかあてはまら
ないと考えています。
ここでいう「高度」というのは、「巨大な遺伝子を持つ」と言い換えてもいいです。
ウイルスがやりとりできる遺伝子の量はたかがしれてますから、遺伝子量が絶対的に
大きくなれば、水平遺伝の影響力は反比例して小さなものになるはずです。
そして、水平遺伝の影響力が無視できるほどに小さくなってから、初めて「利己的」
傾向が現れるのだろう、と。
その意味では、すべての生物(遺伝子)が利己的である、という意見には賛成でき
ません。

また、自分のコピーを保護するということは、変化したものを排除する、ということ
も意味します。なぜかというと、自然淘汰がある以上、より優れたものの出現を認め
るということは、自己のコピーの減少を意味するからです。
だから、利己的であるということは、保守的である、ということと同義であって、
それは進化、すなわち変化しつづけることと相反します。

つまり、進化する生物は利己的ではあり得ず、

▼利己的になった生物(遺伝子)は進化しない

のです。



人間が、自分のコピー以外の人間を否定するものであるならば、人間としての進化は
止まっているのでしょう。
さて、どうでしょうか。。。


 → 第9回 「今西進化論」

   ……種は、変わるべき時が来れば、一斉に変わる。

  東洋的生物世界観といわれることもある今西進化論は、分子生物学一極集中の
  現在の生物学では、ほとんど語られることはありません。
  しかし、そこに描かれている生物世界は、決して幻想や文学ではなく、冷静で
  偏見のない、いきものの「そのままの姿」です。



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