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第5回  「ウイルス起源論・利己的遺伝子説」

   ……すべての生物は、DNAの乗り物にすぎない

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▼全の「ひとかけ」たる個、個よりなりたる全

第6回から数回にわたり、進化論について連載していくつもりです。が、その前に、進化論を含め、生物というものすべてを考えるに当たって、根本的に異なる二つの視点がある、ということを紹介しておきたいと思います。

以前に紹介した「ウイルス進化論」は、生物の本質を「種(あるいはより大きな概念である「超種」)」に求める考えで、いわゆる「今西生物学」と同じ側に立つモノです。

これらの説では、種というものは、この世界を構成するパズルのピースのようなもので、生物相、生態系という全体があり、その一部として生物、つまり種がある、そしてその種の中に個体がある、という視点を持っています。この世界のひとかけらである個体、です。

これに対して、利己的遺伝子説およびウイルス起源論は、すべての生物相、生態系は、一体一体の生物の活動の結果できあがったものであって、生物の本質は「個体」、そして個体を構成する「遺伝子」である、とするのです。つまり、個体があるがために結果として世界があるのです。

まだこれだけでは何のことかわからないと思いますが、これからひとつひとつの説や概念を検討していくうちに、何となくわかってもらえるのではないかと思っています。気長に行きましょう。

世界が先にあって個体があるのか、個体が先にあって世界があるのか、という、ある意味では東洋思想と西洋思想の対立にも通じるものがあると私は考えているのですが、ただの思いつきでしかありません。反対意見を求む、ということでここでは措くことにします。

 

さて、今回の内容に入ります。まずはウイルス起源論です。

これは、

▼生物の起源はウイルスである

という説です。論理としてはどんな感じでしょうか、考えていきます。

 

▼すべての生物の根元は遺伝子である。

まず、この辺は科学と言うよりは哲学に近くなってしまう気がするんです(つまり、「モノは言いよう」という部分です)が、生物の本質を自己複製という点に求めれば、自己複製が遺伝子によってなされる以上、生物の本質は遺伝子といってもいいことになるのでしょう。

 

遺伝子は普通DNAによって維持されています。

DNAからRNAに塩基配列によって保存されている遺伝情報が転写され、この伝令RNAの情報を基にリボソームでタンパク質が合成されるわけです。

▼DNAからRNAへ塩基配列が転写され、それが翻訳されてタンパク質が作られる、この流れは絶対的で、生体内では逆になることはあり得ない。

クリックという人が提唱したこの一般原理を「セントラルドグマ」といいます。ところが、このセントラルドグマの図式に当てはまらない例があります。それが、レトロウイルスなのです。

レトロウイルスは逆転写酵素を持ち、RNAからDNAを構成することができます。自己の遺伝情報を、一本鎖のRNAで保持しているのです。とすると、RNAが存在すれば、自己の遺伝情報の複製・保持が可能なわけです。であれば、

▼レトロウイルスの本質はRNAである

という言い方もできますね。

 

ここで、<番外編その2>で紹介したイントロンの話を。DNAの塩基配列には、タンパク質の設計図としては余分なものが入り込んでいる、ということは説明しました。このイントロンを取り除く塩基の編集作用を、スプライシングといいます。このスプライシングは酵素によってなされるのですが、ある生物ではこのスプライシング酵素をタンパク質ではなく、RNAで構成するのです。

遺伝情報はRNAで保存できる。生命活動の基礎である酵素も、RNAで構成できる、とすると、RNAがあれば生命が単なる情報としてだけではなく、実体としても存在できる可能性があるわけです。

このような、RNAからなる生物相、RNAワールドが最初に誕生したのではないか、ともいわれています。

そして、これも第1回で紹介した「共生説」で説明するとすれば、たとえばウイルス、つまりRNAが「細胞」という栄養のかたまりに住み着いたのが「核」で、ミトコンドリアや葉緑体という「エネルギー生産装置」をその入れ物に引き込み、リボソームという「タンパク質生産装置」を運び込み、効率のよい自己増殖の「工場」を作ったのだ、ということになります。それで、以下の結論です。

▼ウイルス(RNA)は生命の起源である。

 

 

 

タバコモザイクウイルス

最初にウイルスの結晶化が確認されたタバコモザイク・ウイルス。

らせん状のRNAの外側に、タンパク質の外殻(カプシド)がさらにらせん構造を作っている。核酸とタンパク質の外殻をバラバラに解離させ、その後に再構成する事もできる。結晶になっている間及び解離している間は毒性を持たないが、同時に外部から確認することもできない、「無機物」的な存在になる。

 

 

 

さて、ここまででウイルス起源論を紹介しました。ウイルス進化論とどちらが正しいのだ、ということはここではまだ論じません。とりあえず次の利己的遺伝子説の紹介に進みましょう。

利己的遺伝子説において前提となるのは、先ほども登場した「生物の本質はDNAである」という仮定です。利己的遺伝子説は、一言で言えば

▼すべての個体はDNAの容器にすぎず、遺伝子は自らのコピーを最大限に増加させるために行動する

といった感じでしょうか。

利己的遺伝子説は、読み物とするのにおもしろいために日本でもいろいろな著作が出ています。ただ、本当に「読み物」になってしまっているモノも多く、そのために、「刺激的でおもしろいがあまり科学的ではない仮説」、といった扱いになってしまっている印象もあります。

利己的遺伝子説の生まれたきっかけは、「ライオンの子殺し」などの現象の研究にありました。これは、ライオンやサルなどのいくつかの種類のほ乳類で見られる現象で、ハーレムを形成していたオスを倒した新たなオスが、前のオスの子どもをすべて殺してしまう、というものです。

生物が種の維持を第一に考えているとしたら、このような現象は説明が付きません。同種の子どもを殺して、種の個体数を減らし、将来的な増殖の可能性も減らしているのですから。そこで、まず生物は「種」ではなく「個体」の維持を本質としているのだ、という仮説が生まれました。

ところが、いくつかの鳥類などで、外敵が近づいてきたときに、親鳥がひなを隠れさせた上でわざと騒いで敵をおびき寄せる、という行動をとることが確認されていました。自己を犠牲にして子どもや仲間を救う、という「利他的行動」です。鳥にも子どもや仲間に対する愛情があるのだ、と永らく説明されていたのですが、ここで「個体」ではなく「遺伝子」に着目した新たな見解が生まれたのです。

それは、子どもや兄弟というのは自分と同じ遺伝子を持っている。DNAを基準とすれば、自分と同じ一部でさえある。親鳥と子どもで、今後の寿命や増殖の可能性を考えると、たとえ親鳥が死んでも子どもや兄弟がたくさん生き残れば、遺伝子の絶対量はより多く残ることになる。だから、親鳥を殺してあとの個体、つまり自分の遺伝子のコピーを守ろうとしているのだ、という説明です。

この仮説は、人間関係にも簡単に当てはめられるために、いわゆる「道徳観念」もすべてヒトのDNA上の命令から生まれたものにすぎない、などという主張もなされ、一時は週刊誌などにもたくさん登場しました。

いわく、「オトコが浮気をするのは自己増殖を目指す遺伝子の命令なのだ」、「母親が子どものために命を投げ出すのは、DNAによる一種の洗脳だ」、などなど。。。

このあたりの話は竹内久美子さんという方がいろいろと書いておりまして、私もいくつかは目を通したことがあります。ただ、最初の頃の作品はともかく、最後の頃には「嫁姑の仲が悪いのもDNAの戦略」などという話がえんえんと続くようになり、ヘキエキした覚えがありますが・・・

少し話がずれましたか。ともあれ、この仮説はいくつかの不可解だった現象を説明できるものですし、原理的な部分では十分科学的であり、かつ極めて独創的です。DNAを中心として世界を再分析すれば、非常に異なったものとなるでしょう。

▼個体は、DNAを保護するための容器であり、拡散させるための移動手段であり、複製を作る生産施設である。

すべての生物は、DNAの戦略に基づいて行動しているのでしょうか・・・

 

利己的遺伝子については、その関連書籍があまりに玉石混淆の状態にあるので、いまいちおすすめできる書物が見あたりません(というか、Yossie自身も「気に入らない」仮説なので、熱心に調べる気にもならなくて・・・)。

が、現在の生物学界では結構安定した支持を得ているんでしょうか?カタそうな本にもそれらしい表現をちょくちょく見かけます。利己的遺伝子、という言葉を使うとちょっとイロモノ風になるからか、遺伝子の拡大戦略、あるいは生物のもつ経済性、といった感じで扱えば、まだ客観性があるように感じますか。

 

次回以降は、いよいよ進化論に入っていこうと思います。

 → 第6回 「ダーウィニズム小考(1)」

   ……優れたるモノの生き残りしか、生き残りたるモノの生き残りしか

「進化論」といえば、ダーウィンを無視して論ずるわけにはいきません。ところが、この「ダーウィニズム」、弟子、孫弟子と伝えられているうちに、一言で片づけられないほどに多様になってしまったのですね。

一体ダーウィン自身は何を言ったのか、ダーウィニズムはどう変化してきたのか。

ちょっとのぞいてみることにしましょう。

 

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