あまり道徳的ではないクローンのはなし。
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| クローン [clone] | ||
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| 上記の定義ではなかなかわかりにくいが、一般的にライフサイエンスの世界で問題となるのは、「遺伝的に同一である個体や細胞(の集合)」としてのクローンである。 そして、クローンにまつわるバイオエシックスの問題について考える際には、いわゆる”体細胞クローン”と”胚細胞クローン”を区別する必要がある。両者はクローンであることには変わりないが、その技術によって生まれてくる個体群の持つ意味が大きく異なるからである。 ”胚細胞クローン”は、受精した胚に物理的・化学的な刺激を与えて胚を分割し、それぞれを単独の個体に発生させる手法である。ここで発生してくるのは確かに同一の遺伝子を持つ個体群なのだが、受精段階では通常の有性生殖が行われているため、その個体群がどのような遺伝子を持つかを正確に予測することはできない。優秀な男女がカップルになったからといって優秀な子どもができるとは限らず、優秀でなかった男女の間に優秀な子どもが生まれることもある。 ”体細胞クローン”は、受精卵から核を取り除き、代わりにドナー(提供者)の体細胞から抽出して処理した核を移植することによって作られる。基本的な遺伝子の塩基配列は、ドナーとほぼ同一になる。ここでやや曖昧な表現になっているのは、染色体の塩基配列はほぼ同一になるものの、ミトコンドリアやある種のたんぱく質の中にも遺伝子といえる物質があり、核移植ではこちらには影響がないこと、そして発生の際に子宮を提供する母体の側の影響も少なからずあること、などによる。つまり、体細胞クローンといえども、全く同一の遺伝子を持つわけではないのである。 が、ここで挙げている問題点は個体レベルのものであって、技術の不完全さとしての問題とするべきである。現実問題として、動物が生殖活動においては正常でない発生はいくらでもある。たとえば、人間の「精神薄弱」にしても、地域差はあれ3%程度に及ぶ。他の遺伝性不良形質に関しても、正常でない生物は発生させるべきではない、という理論は優生学として危険な要素をはらむ。したがって、障害を持つ子どもが生まれる可能性を理由にクローン技術を否定することには私は反対する。 ▼1000万円で人間のクローン(新生児)が作れるようになったとしても、社会には大した影響はない と私は考えている。
クローンの脅威について、「そのときあなたはもう一人いる!」なんてコピーがあったりするが、映画に出てくる”クローン”で最も非科学的な点は、成人である本人と全く同じ年恰好であることだ。 先ほども書いているように、体細胞クローンといえども遺伝子全てが全く同一になっているわけではないし、遺伝子がほぼ同じであっても、「遺伝子の働き方」が同じであるとは限らない。「遺伝子の働き方」は、外的な影響を受ける。人間のように広範囲の活動を行う生物において外的な影響まであわせて全く同一にするなどということは実験室でも困難であり、そのようなことが実現するのはスクリーンやB級劇作家の脳内においてのみである。 繰り返しになるが、クローンを作るということは「同じ人間をもう一人作る」ことにはならない。なんらかの目的をもって「なりすまし」を行いたいならば、クローンを作るよりもよほど簡単な方法がいくらでもある。クローンであっても指紋などは異なるし、汗などの成分も食生活によって大きく変動する。せいぜい双子を区別することの困難さと変わらないのである。 また、大量にクローンを作ることによって遺伝的多様性が損なわれる、という議論を持ち出す人間がいるが、ナンセンスである。山中でも孤島でも、辺境の地に行けば、数十家族の中だけで何世紀もの間婚姻と出産が繰り返されてきた集落がいくらでもある。遺伝子は相当均一化が進んでいるはずだが、たまに学会で報告されるような遺伝病をのぞき、深刻な問題となるほどのトラブルにはなっていない。現代のように人間の行動範囲が拡大してしまった状況下では、遺伝的交雑の範囲を狭めるような働きかけがあってもよいくらいであるし、通常の手段では子を残せない人々がクローニングによって遺伝子を残すとすれば、遺伝的多様性の維持に貢献するとも言えなくはない。 日本を含めたいくつかの国や地域ではヒトクローンの作成は禁止されているが、現実問題としてクローンは作られ、一般的になっていくだろう。少なくとも私にとっては、クローン技術によって生まれてきた子どもだからといって異端視されるような世の中よりは、そのまま受け入れるような世の中の方が柔軟性を持つ社会だと考えている。 悪意の関心よりは無関心の方がまだ付き合いやすいというのは、都市に住むの人間のエゴだろうか。 |
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