CHU-YA & De-LAX

ORIGINAL De-LAX '85

アレルギーを解散した宙也は、85年の3月になると、ちわきまゆみのユニット"MENU"をサポートしていたベーシスト鈴木正美 とドラムス京極常世の3人で新たなバンドを結成することを決意する。ここに、"PERSONZ"のギタリスト本田毅、"メトロファルスの"キーボーディスト小滝満が加わり、CHU-YA&De-LAX(当初はDe-Lux)が結成された。

アレルギー時代の宙也を求めるファンの声を意に介せず、10月以降は、ライブハウスツアーを行うまでになった。既にレパートリーには、1stアルバム収録曲である熱帯LADY突然炎のごとくGOLDEN NEW AGESERIOUS MOODBLUE HEARTが含まれていた。また、EMOTIONAL MARKETで日の目を見たONE PLUS ONEもこの時期のライブで演奏されていた。

バンド名を単にDe-LAXとしてしばらくし、本田の所属する"PERSONZ"もブレイクし始め、両立が困難になったため脱退、サポートに友森昭一や"ローザ ルクセンブルグ"の玉城宏志を迎え活動を続けて行くが、小滝満も"戸川純&ヤプーズ"に専念するために脱退。京極がコンバートし、永井利充がサポートとして加わるものの、正式なギタリスト、ドラムスが不在のままであった。

"BOOWY"のドラムスだった高橋まことの元にDe-LAXへの参加要請があったのは、87年暮れのBOOWY最後のツアー中だった。その頃、新宿ロフトに出入りしていた榊原秀樹は、ギタリスト募集を聞きつけ、バンドのオーディションに参加することとした。

翌88年、最強の5人が集まったバンドは、2月18日、深夜の新宿ロフトに登場した。