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●2002/06/30〜2002/07/06 念願の北の大地へ









ここに一冊の本がある。



「わたしのラベンダー物語」文・写真 富田忠雄(1993年6月 誠文堂新光社)
http://www.lavender-club.co.jp/s_tactile_bk0111.html



この本を手に取ったのは震災復興真っ只中の1995年4月ごろだったと記憶している。
当時わたしはやっと通勤が可能になり大阪から姫路に戻っていた。


わたしの富良野に対する印象はもともとラベンダーであった。

「ラベンダーが咲く美しいところ」

漠然としているが、比較的良いイメージであった。
富田氏が経営するファーム富田についてもいちおう名前だけは知っていた。
行ってみたい、という想いはあったが特別な印象はなかった。

偶然この本を手にとってみた。
今まで知らなかったことがわかってくる。
そして何より氏が撮られた数々の写真。すばらしい。
文章と共に思いが伝わってくる。

この本が、北海道へ行きたいという決定的な動機付けとなった。


ちなみに富良野といえばTVドラマ「北の国から」のイメージがある方も多いと思われるが、
TVドラマはほとんど見ないわたしの性格のせいで、
そちらの知識はほとんどないということを付け加えておこう(爆)





美瑛について知ったのはもっと後の話で、
1998年ごろにJR北海道旭川支社のサイトを見つけたことに始まる。
そこにある「美瑛の丘写真館」というページを開いた。→ http://www.jrasahi.co.jp/under/ensen1.html



なんだこれは!



こんな風景が日本にあるというのか。すぐにでも行きたくなったのは言うまでもない。



さらに美瑛を知る過程で外せないものがある。
写真家・前田真三氏。美瑛の丘を表現したすばらしい作品の数々。

中でも、氏の代表作に「麦秋鮮烈」という作品がある。
このサイトのCDジャケット→ http://www.synforest.co.jp/cdrom/sf-068/ がそれである。



・・・・・・この麦畑なんでこんな色になるんだ!?



これで北海道に行く時は美瑛と富良野にできるだけ長く滞在しよう、と決めた。


しかし、なかなか仕事との折り合いがつかず、本を手にとってから7年、ようやく念願の北海道旅行となった。



■旅の計画

いつもの旅行の場合ならもっとあっちにフラフラ、こっちにフラフラするものだが、今回は趣向を変えてみた。
7月の第1週にべったり休みを取って、美瑛にできるだけ滞在する。今回は4連泊とした。
そして最終日あたりにUKOZのお二人と札幌でオフ会、というもくろみである。
・・・なんか最近こんなパターンばっかりっすね。旅のどっかでオフ会の予定を入れるというのが(笑)


宿は、美瑛をメインに動けて中富良野(ファーム富田)にも楽に行けるポイントとして、
美馬牛(びばうし)駅付近を選択。
Web検索で宿を当たってみる。宿ははずれるとがっかり度も大きくなるので慎重に選ぶ。

お決まりのパターンとしてユースホステルを狙う。ユースは当りはずれが比較的少ない。
・・・・・・あった。美馬牛リバティユースホステル。
美馬牛駅徒歩1分。外観もなかなか良い。決まりだ(笑)
しかしオンシーズンの始まりか、予約状況はかなり微妙である。
とりあえず予約メールを入れておく。


・・・次の日返事が来る。6/30と7/3が空いているとのこと。4連泊予定の最初と最後である(^^;;;
次候補はあらかじめ探しておいた。
出会いの郷とぅもろう。いわゆるペンションである。美馬牛駅徒歩2分。

実はこの付近はペンションが結構多い。しかしペンションは特に当りはずれが大きいので注意が必要である。
だが、駅に至近距離という条件、ペンションを始めて10年という経験、Webの情報での雰囲気の良さで決めた。
早速TELにて4連泊を申し込むが、7/3は×で、6/30〜7/2の3泊ならOKということで予約。
残る7/3はリバティユースホステルに予約を申し込み、無事OK。
ちなみにとぅもろうとリバティとの距離は徒歩2分なので、実質4日間美馬牛に滞在することとなる。


ここまで固めておいて、次は飛行機のプランの選択である。
鉄道ファンであるがゆえ、当然ながらトワイライトエクスプレスがらみのプランを探すが、
全て予約済みということで断念。ということでやむなく飛行機単独のプランにする。

今回使うのは宿泊がセットになっているプランであるが、
日にちにかなり幅を持たせてくれる全くのフリープランがあり、非常に柔軟に予定が組むことができる。

例えば、行きを千歳着便として札幌で指定されたホテルに1泊して、
もう1泊を旭川の友人の家に泊まり、最終日は旭川発便で帰る、なんてことができる。
ちなみにトータルの最長期間は2週間ぐらいにできる。


わたしの場合、まず関空は遠いので(笑)伊丹発とする。
行きは美瑛に非常に近い旭川空港着にしたかったので、自動的に伊丹−旭川便のあるJAS利用となった。
最初に美瑛の4連泊を持ってきて、札幌宿泊を2泊にして余裕を持たせる。

だいたいの予定は下記のようになった。

●6/30    伊丹→旭川。いったん美瑛で情報収集して富良野線で美馬牛入り。
●7/1〜7/3 美瑛の丘とファーム富田。天気の具合によって回る場所を変える。
●7/4     美瑛最終日。天気の具合によっては再度ファーム富田か。富良野線から旭川経由で札幌入り。
●7/5     札幌と小樽。洋館を見たいので札幌は北海道大学付近か。午前中のうちに小樽入り。
         夜にUKOZのお二人とオフ会。どうやらジンギスカンらしい(笑)
●7/6     たぶん力尽きているので(汗)おみやげタイムのみ活用。午後に千歳→伊丹。

都合6泊7日の、国内旅行としては長い部類である。
もっとも今年の2月に東京に6泊7日してますが。出張で(^^;;;

飛行機プラン関係はJR姫路駅のTisで予約。
札幌のホテルの数が多すぎて悩む(笑)
しかし札幌のホテルは稼働率が高いのか、希望のところはなかなか取れない。
4つ目の「ホテル サンセリテ札幌」で決定。
ちなみに5つ目は「KITA HOTEL」にしていた。こんのさんファンなら何を意味するか分かるであろう(爆)



■6/30

自宅付近は雨だった。しかしそんなことはどうでもいい。北海道さえ天気がよければいいのだ(笑)
とりあえず期間中の週間予報はおおむね晴れ傾向で問題なし。
しかしのちのちこの情報の変化に一喜一憂することになる・・・

持って行く荷物はさすがに多い。
衣類が多くなるのは仕方がない。大きいが軽めのアウトドアリュックでなんとかする。
しかも今回は撮影メインなので機材用のデイパックと三脚。これから一体どうするんだ(^^;;;
とにかく大量の荷物を抱えて地元をあとにする。

網干8:49→8:59姫路9:07→(ひかり150)→9:38新大阪

大荷物のときは新幹線利用が常套手段である。
大阪まで定期券を持ってるのでいつもの「定期券用の新幹線自由席回数券」を活用。


新大阪からは空港までのリムジンバスに乗る。
実は飛行機に乗るのは12年ぶりだが、伊丹空港までのリムジンバスは何回か乗ったことがある。仕事で。
当時いろいろな洪水のデータを調べているうちに、
「確か伊丹空港の地下室沈んだことありますね〜(^^;」
ということで空港内の測候所=豊中測候所に行ってデータを調べたことがあった。
なんと時間91ミリ。しかも3時間の間に連続して。まさに想定外の降雨。沈むわけだ(^^;;;


それはさておき、新大阪から25分で伊丹空港着。
チェックインや手荷物検査にドキドキする(笑)
早く着いて時間を作っておいたので早速空港内を探索する。

伊丹空港 2002/06/30
雨は結構降っている。
4Fに屋外デッキがあるが、この雨ではどうしようもないので退散。

・・・・・・しかし広い。こんなに広かったっけ(^^;
端から端までゆうに10分は歩いたぞ・・・・・・

11時、空港内の店で早めの昼食。
たぶん向こうでは食べないだろう、ということでうどんにする。
速攻で食ったあと、すぐに出発ロビーへ。
検査でまたドキドキする(笑)


11時45分、伊丹空港を飛び立つ。
万年頭痛の持病持ちのため、離陸時にかかるGに不安を覚えるがとりあえず問題なし。
水平安定飛行まで約10分。外は真っ白。雨雲をかきわける、といった状況である。

信濃川分水路付近
飛び立って40分、ようやく視界が開ける。
海岸線や地形を見ると新潟上空のようだ。信濃川の分水路がはっきりわかる。

佐渡島、鳥海山、遠目に田沢湖、秋田、大館、十和田湖・・・・・
みんなよく見える。
しかし北海道ははっきり見えなかった(汗)
雲がかかって海岸線がわからないうちに北海道到達。

着陸間近で美瑛の丘が見えてくる。起伏がいくつも重なって見える。

13時55分、定刻通り旭川空港到着。
手荷物受け取りでまたドキドキする(笑)

さあ、いざ北の大地へ!
































































・・・なんかものすごく
      暑い
んですけど・・・(^^;



旭川空港ターミナルビル旭川空港。気温25度(^^;
せっかく北海道に来たのに違和感全くナシ。勝手が狂う。
強いて言えば地元のようなねっとりした暑さとはちょっとちがうところか。
戸惑いを感じながら、最初の目的地・美瑛に向かう。

・・・が、空港連絡バスや近くを走る富良野線の接続はなかった。
まともに行けば1時間待ちである。
おそらく東京発着便優先のようだ。許さん(怒)
仕方なく美瑛の街までタクシーで運んでもらう。



思いのほか時間はかからず、15分でJR美瑛駅前到着。
近くにある「四季の情報館」で情報収集する。すぐに借りるであろうレンタサイクルのある場所もチェック。

JR美瑛駅
JR美瑛駅。非常に珍しい石造りの洋館風駅舎である。
1951年(昭和26)建築、といわゆる新築の観光駅ではない。
石は近くでよく取れた安山岩ということである。
駅そのものの開業は意外にも非常に古く1899年(明治32)。
100年以上の歴史がある。
これは、富良野線が当初は帯広・釧路へのメインルートとして
(当時釧路線)開通したことによる。
メインルートはその後現在の根室本線、
そして石勝線へと変わっていく。


鉄道の解説はとりあえずおいといて(汗)

美瑛からひと駅、しばらくお世話になる美馬牛(びばうし)駅へ向かう。
ホームに列車が入ってくる。


見慣れない車体。

・・・・・・って、これはもしかして
 ノロッコ号なのでわ・・・・・・(^^)











現在は観光路線の1つである富良野線。
この時期にはJR北海道の名物列車である「ノロッコ号」が運転される。
「トロッコ」と「ノロノロ運転」をひっかけているのはいうまでもない(笑)
この列車の運転のおかげで、本来は運転本数が少なくなる美瑛−富良野間も1時間に1本の運転となり、
利用しやすくなる。

1区間だけではあるがノロッコ号乗車。
美瑛15:08→(富良野・美瑛ノロッコ5号)→15:24美馬牛


ノロッコ号車内
ノロッコ号車内。全席オープンデッキの客車である。
左の向かい合わせの3人がけと外に向かって2人がけ。
気軽にトロッコ気分が味わえる。


オクハテ(^^;





鉄道ファンには驚異の形式記号「オクハテ」である(^^;;;
オは車両の重量、クは駆動車(運転席がある)、ハは普通車、
テは展望車を表す。
特に「ク」は通常、客車の記号には使わないだけに珍しい。


ゆるりと美瑛駅を発つ。
時速30キロで走る。意外にもノロノロとは感じない。風がとても心地よい。



しばらく走ると、教会のような塔が見えてくる。

ノロッコ号から美馬牛小学校
実は知っていたのだが、これは小学校である。
美馬牛小学校。

前田真三氏を始め、写真家の方々がこの小学校をテーマにした作品を多く発表している。
わたしも楽しみにしているポイントの1つである。

早速車内から狙ってみる。







JR美馬牛駅
ほどなく美馬牛駅に到着。
小さな駅だが、何か懐かしい雰囲気である。
宿は駅舎の向きとは反対方向になる。








歩くこと2分で「出会いの郷とぅもろう」に到着。

出会いの郷とぅもろう

いちおう富良野線の線路際にあるのだが、すぐそばに防風林があるためにそれを感じさせない。

しかし警笛や走行音はわりとよく聞こえる。
鉄道と離れつかず、
という点ではわたしにとってぴったりのところかも
しれない(笑)

この画像で見える林が富良野線の防風林である。







宿主さんにごあいさつ。いろいろ説明を受ける。
かなり自由に動けるようでとりあえず安心。

宿主さんの勧めもあって、早速散策に出かける。もちろん撮影も込みである。


       丘 その1 丘 その2

・・・・・・それにしてもわたしの知っている日本とは全くちがう風景がどこまでもどこまでも続いている。
それでいて懐かしい雰囲気。実に愉快な気分になる。夢中でシャッターを切る。

結局2時間くらい撮影しながら散策。距離にすると5kmくらいか。



宿の食事。最も気になる点の1つである。
しかし全くの杞憂だった。とにかくおいしい。画像を撮り忘れたのが残念だ(笑)
見たい方は「とぅもろう」のサイトを参照してほしい。→ 「出会いの郷とぅもろう」
デザートまで出てくるからたまらない。アイスクリーム・・・いや、フローズンヨーグルトか。
それにハスカップの実がよく合う。甘党のわたしはそれだけでも満足だった(笑)

夜。

日が落ちてからの気温の下がり方が地元とはやはりちがう。でもとても心地よい。
風呂あがりで外でしばらく涼む。みょーになじんでしまうみたいだ(^^)

しかしさすがに疲れたのと、明日の本格的散策を前に早々に床に就く。
とにかく晴れてくれ、と祈るように眠る。


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