長崎の明治村
長崎の観光地でも最もメジャーな存在のグラバー園。もともとこの辺りは外国人居留地だったところです。
現在はグラバー邸を中心に、市内各地の洋館が移築されています。
原爆の被害からは免れただけに貴重な存在です。
意外と知られていないグラバー園の入口(笑) 有名なわりにこぢんまりとしています。 入口をくぐると、なんとエスカレーターがあります。 屋外でエスカレーターがあるのはなんか変な気分です。 |
最初に見える洋館がここ、「旧長崎地方裁判所長官舎」。1883(明治16)年築。官舎らしく質素な建物です。 |
そのすぐ隣りにある「旧ウォーカー邸」。明治中期の建築。正確な建築年は不明。 建主のロバート=ニール=ウォーカーは弱冠22歳の時に日本政府が買い入れたロータス号の船長として来日。 1898(明治31)年にはウォーカー商会を設立、初期の日本海運業界に大きな業績を残しました。 のちにグラバ−と相談して日本初の本格的清涼飲料水の会社を長崎で始め、製品に バンザイサイダ−、 バンザイジンジャエ−ル、バンザイレモネ−ドなどと名付けたほどの親日家でした。 この邸宅は息子の代にも引き継がれ、息子は1958(昭和33)年に亡くなるまで住んでいました。 |
グラバー園の目玉の洋館の1つ、「旧三菱第二ドックハウス」。1896(明治29)年築。 ドックハウスとは船を修理するためにドック入りした船の修理が終わるまでの間、船員が宿泊するための建物のこと。外国船もドック入りするので外国船員でも使えるように洋風に設計されています。 グラバー園で一番高いところにあり、また前の池に映る美しさからここで記念写真を撮られる方も多いです。 |
そのベランダからの眺め。長崎港が一望できます♪ |
「旧リンガー邸」。正確な建築年は不明。角石の列柱、吹き放ちベランダが特色。英商フレデリック・リンガー氏の遺邸。外壁石造りの木造住宅で、日本に例のない重厚優雅な南欧風建築です。
リンガーは1864年頃長崎に来てグラバ−商会に勤めていましたが、 1868(明治元)年にグラバー商会にいたライル=ホームとともにホーム・リンガー商会を設立、そこで外国貿易, 商社代理店, 製茶, 製粉など幅広く活動し、明治・大正期の長崎の経済発展に大きな功績を残しました。 なお、ホーム・リンガー商会は今も続いていて、門司港に事務所があります。 |
リンガー邸の先にある「旧オルト邸」。江戸末期の建築。リンガー邸によく似たつくりです。 家主のフォリアム=オルトは1868(明治元)年までの4年間、ここに住んでいました。 1879(明治12)年に活水女学校が設立したときには、本校舎ができるまでの仮校舎としてし使用されていました。 この日はバラ展をやっていてとても華やかな雰囲気でした。 |
その真向かいにある「旧スチイル記念学校」。1887(明治27)年築。もともとはここに英国領事館が建っていましたが、アメリカ新教系の伝道団体が買収、新たに学校をつくりました。 スチイルの名は学校の改築費用の大部分を寄付したアメリカ人スチイル博士の名前からとられました。 |
旧自由亭。1878(明治11)年築。西洋料理店「自遊亭(のち自由亭)」として諏訪神社下に建築されました。
当時、 長崎には西洋料理店が三軒あり、 そのうちのひとつが自由亭で、
長崎を訪問したVIPたちも訪れています。
わずか10年で廃業の後、 長崎地方裁判所が建物を購入し、1973(昭和48)年まで検事正官舎として使用されていました。 現在はグラバー園唯一の喫茶店が営業されています。 |
自由亭の傍らにはこんな碑が。 |
ようやく「旧グラバー邸」に到着。 竣工は文久3年・・・江戸時代です。西暦1863年。 長崎に現存する最古の建物です。 正面玄関のないバンガロー形式でとても開放的な邸宅です。 家主のトーマス=グラバーはイギリス・スコットランドの生まれで、1859(安政6)年の長崎開港直後に来日、早速グラバー商会を設立し、薩摩, 長州, 土佐, 肥前の藩士と手を握り、 武器, 弾薬等の売り込みで、 短期間のうちに発展しました。のちに炭坑や造船などの事業にも着手し、明治初期の長崎の発展に尽力しました。 なお、グラバーは長崎を離れた後にジャパン・ブルワリ−・カンパニ−を設立、この会社が現在のキリンビールとなっています。 |
もはや定番のアングルです♪ 修学旅行で全員の記念写真を撮られることが多いです。わたしもその1人です(笑) オペラ「蝶々夫人」の舞台になっているのも分かるような美しさです。 |
グラバー邸の食堂。当時の調度品がそのまま残されています。 |
グラバー邸にはこのようなテラスハウスもあります。 |
テラスハウスの様子。ここからの眺めもなかなかです。 グラバーお気に入りの場所で、ここでのガーデンティーのひとときがしのばれます。 |