ボランティアについての考え方

     【崇高な理念?】
      何で私は、マジックの無料出前なんてことをしているのか。
      そもそも、これは、ボランティアなのか。
      簡単に言えば、人が喜ぶのを見て、自分も喜ぶ。
      多分それがメインではなかろうか。人が喜ぶのを見て頭に来るタイプ
     の人には、全く務まらない話ではある。
      他にも、仕事以外にできることがない人間にはなりたくない、とか、
     休みの日ぐらい、仕事以外の人間関係で楽しみたい、とか、学生の頃
     せっかく苦労して覚えたマジックを忘れるのはもったいないなど、いろ
     いろある。
      しかし、ボラナビの人気など、ボランティアをめぐる情勢の変化の
     兆しもあり、こんな生き方を認知する土壌ができあがりつつあると
     考えている。

     1 「ボランティア=福祉」の公式が崩れてきたこと。
       この発想が、長い間、ボランティアに関する考え方の主流をなして
      きたように思う。
       こうなると、福祉に関心のないひとは、ボランティアとは極めて縁
      遠い生活を送ることとなってしまう。
       イベントのお手伝いも立派なボランティア。私みたいな人は「一芸
      ボランティア」
と言うらしい。災害のあった地域へのお手伝いは新聞
      紙上で注目を集めた。
       ボランテイアは多様なものが含まれると考えていいのではないか。

      * 「マジック出前」の名付け親はボラナビの森田さんと考えられます。
       私自身、それまで、「出前」という発想を持ち合わせていなかった。
        「一芸ボランティア」という言葉も、ボラナビスタッフの松本さんに
       初めて聞かされたものであり、実在する言葉かどうか知りませんが、
       私の活動をうまく紹介できる言葉と考えています。

     2 「金で解決する」考え方の限界
       日本の景気の先行きは依然として明るいものではない。
       そうした世の中にあって、一部のお金のある人を除けば、極めて
      限られた財源の中で全てをまかなう必要がある。
       そうした中にあって、ほとんど無償でそれなりのサービスを受け
      られる場合、そちらに流れていく人が行くのは自然なことである。
       私達は、モノ、サービスなど、何を手にするにもカネと引き替える
      という考え方がものすごく脳裏に定着している。
       私は、「仕事とは、対価を得る社会貢献」と認識している。民間
      会社も同じ。経営方針には必ず社会貢献若しくは同義の言葉が盛り
      込まれているはずである。
       しかし、一方で、対価を得ない社会貢献(=ボランティア)
      あってもいいわけであり、例えば社会人男性が、平日は仕事で、
      休日はボランティアで活動するという生き方が普通に認められる
      ような世の中になって欲しいものだと切に願う。

      * 釧路支庁にいたとき、マジックのサークルでちょっと早めに
       帰る時に「地域振興もほどほどに・・・」と言われ、残念な思いを
       した。
        こうした発想が、早く世の中から駆逐されて欲しいものである。
       ちなみに、この頃、夜は早く帰っても11時というくらい仕事を
       し、土日もどちらか出ていた。何か、私は、仕事をおろそかにした
       証拠でもあるのだろうか。

     3 新たな生き甲斐の創出
       年輩の方を例に取る。
       それまでの人生の中で、いろいろな蓄積をしてきておられること
      は想像できる。
       中には、それを世の中に発揮できる場合もあるであろう。
       民間企業ほどではないが、ある程度のことは出来ます、という人
      にお手伝いしていただくことは、その方の生き甲斐対策にも恐らく役
      に立つ。
       年輩の方で「一芸ボランティア」の素質を持つ方は多いと予想
      される。
       私は、いくら頑張っても、所詮、夜と土日だけ。リタイヤされた方
      が、家にじーっとするよりは、平日も含め、是非世に出ていって
      欲しいものだと思う。        

     【マジック出前の需要】
      私のボラ探しのルートは、ほとんどボラナビ経由であるが、かなり
     潜在需要があると踏んでいる。   
      施設等にはレクリェーション等の需要がある。ただし、財源の乏しい
     施設が多く、障害者等はなかなか外に連れていくのは容易でないことを
     考えると、「無償で来てくれる人」となってしまう。
      ボラナビでご縁の会った人と話をすると「こういうの探してました」
     と言われる。
      「こういうの」を探したくても方法論がわからない人が大量にいる
     のであろう。一方、私は、彼らを見つけだす手段に一苦労していた。
      そういう意味では、ボラナビは、互いの目標を達成しうる媒体となっ
     ており、後は、ボラナビの存在の周知ではないかと思う。
      もちろん、ボラナビと趣旨の近いミニコミ誌もあるようであり、そう
     した情報が、多くの人のところに届けられることが今、求められている。