【文字版】テレメンタリー2001 「 独りぼっち パパの叫び 〜メールにつづられた被害者の声〜 」


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Posted by 管理人 on 2001/06/02 08:55:17:

In Reply to: 【文字版】<予告>「犬夜叉」&「テレメンタリー2001」 Posted by 管理人 on 2001/05/26 21:44:18:


    【皆さまへ】
    こんにちは。☆宮下あけみ☆と申します。 akemizo@beige.ocn.ne.jp

    関東地区では2001年5月31日(木)午前10時00分〜10時30分に
    放送されました、テレビ朝日(系列)テレメンタリー2001『独りぼっち パパの叫び 〜メールにつづられた被害者の声〜』の、【文字版】作成いたしましたので配信します。
    (全国で放送されますが、日程が地域によって異なります。)

    「聞こえてくる限りのもの」を「文字化」させていただきましたので、会話もそのままです。また、聞き取りにくい声や音は、自分に聞こえた
    まま打たせていただきました。不明な点は「+++」、補足解説は< >で記しております。

    【制作・著作権】は、【山口朝日放送】様です。
    聴覚障害者の方々がこの番組を視聴なさる時は、ご活用下さいませ。

    この文字版は【山口朝日放送】様、【テレビ朝日】様より、私、宮下が
    個人的に了解を得たものです。

    【文字版】の個人、団体等への【インターネットを利用しての転送・転記、ホームページへの掲載、及び、FAX・プリントアウトしての配信・配布】等、「自由」です。

    最後になりましたが、【文字版】として文字化する事に対して、快くご了承して下さいました、【山口朝日放送】様に、心から御礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。

    尚、【文字版】に対するお問合せ、ご意見、ご感想がございましたなら、宮下まで、直接ご連絡下さいませ。

    また、この【文字版】は、「Word」にて作成しております。プリントアウト等のため、「Word」、又は「テキスト」のままでの配信をご希望される方は、宮下までD.M.にて、ご連絡下さいませ。

    今後とも、宜しくお願い申し上げます。

    【放送予定表】
    ◆ 全国で放送日時、時間帯が異なります。こちらで、ご確認下さいませ。
      http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/

                <文字版制作&配信>  ☆宮下あけみ☆
            【E-mail】     akemizo@beige.ocn.ne.jp


    ・・・・・・<ここから下 ↓>・・・・・・・・・・・・・

    平成13年5月31日
    (映像:「テレメンタリー 2001」)

    (映像:パソコン画面「山口朝日放送@島袋夏子様」)
    テレビ画面「ニュース中継」 / 「白昼(はくちゅう)、排水検査を装い(よそおい)、何ら落ち度もない主婦と赤ちゃんを殺害する犯行は、冷酷(れいこく)、かつ、残忍(ざんにん)。しかし、少年の年齢をなどを考慮(こうりょ)すると、更生(こうせい)の可能性もあるとして、求刑(きゅうけい)の死刑(しけい)に対し、無期懲役(むき ちょうえき)を言い渡しました。」
    (宮下→後半は、次のナレーションに声が重なっている。)

    ナレション 島袋夏子(しまぶくろ なつこ 以下、「ナ」と記す。) / 私が記者になって2年目の春、若い主婦と赤ちゃんが殺害される事件がありました。

    (テロップ:今回の番組は、テレメンタリー2000年度最優秀受賞作品の再放送です。)

    ナ / 事件のあと、ひとりぼっちになった夫は、24歳。取材を続ける中で私と本村さんが交換した電子メールは、70通にものぼっています。被害者がメールの中だけでしか語らなかった孤独(こどく)や苦しみ、心の叫びを聞きました。

    【タイトル:独りぼっち パパの叫び 〜メールにつづられた被害者の声〜 】

    (映像:本村洋さん)
    本村 洋(もとむ らひろし)さん(24歳) / えーとですね、まず、私が4月14日にですね、会社で残業を終えて9時半ごろ帰宅しました。そして、まず部屋を見るとですね、駐車場から部屋が見えるんですが、明かりが消えてました。で、いつもよりちょっと、寝る時間が早いんで、「おかしいなぁ?」と思いながらですね、ま、階段、上がって、4階なんですが、4階に行ってドアに手をかけたところ、カギがあい
    ていて、すごい、不吉(ふきつ)な予感がしてですね、慌てて部屋の中に入ったんですが。

    押入れを開けてですね、細かく見たらですね、妻の足が…。見つけました。靴下をはいた足がですね、2つ、座布団(ざぶとん)の間から出てたんで、慌てて反対側の障子(しょうじ)を開けてですね、座布団を払いのけると、妻の変わり果てた姿がありました。

    ナ / 事件から2ケ月後のこのインタビュー取材で、私ははじめて、本村さんに会いました。

    (映像:1999年4月14日 山口県光市 )
    ナ / 事件がおきたのは99年4月、山口県光(ひかり)市の社宅アパートで、本村洋さんの妻、弥生(やよい)さんと、娘の夕夏(ゆうか)ちゃんが殺害されたのです。4日後に逮捕(たいほ)されたのは、現場近くに住む、18歳の少年でした。

    少年は主婦に乱暴(らんぼう)しようと、アパートに侵入(しんにゅう)。しかし、弥生さんに激しく抵抗(ていこう)されたため殺害し、母親にすがるようにして泣いていた夕夏ちゃんにも、手をかけたのです。

    (映像:写真=本村弥生さん/当時23歳 夕夏ちゃん/当時生後11ケ月)
    ナ / 当時、弥生さんは23歳、夕夏ちゃんは生まれて11ケ月でした。

    (映像:1999年8月11日 初公判)
    ナ / 事件から4ケ月後の8月、初公判(はつ こうはん)が開かれました。本村さんはこの日から、一度も欠かさず、裁判(さいばん)を傍聴(ぼうちょう)する事になります。

    当時のニュース中継 / 「若い主婦と幼い子どもが殺害されるという、残忍(ざんにん)な事件でしたが、今日の初公判で、はじめて、被告(ひこく)の少年が公(おおやけ)の場に顔を出しました。少年は淡々(たんたん)と、『被害者の遺族(いぞく)にお詫(わ)びします。』と、謝罪(しゃざい)の言葉を述べました。」
    (宮下→後半は、次のナレーションに声が重なっている。)

    ナ / そして、私もこの1年、裁判の行方を見届ける事になります。


    本村 洋さん / 事件後、はじめて私は、犯人の顔を見ました。犯人は反省しているのかどうか、一生懸命、見極め(みきわめ)ようと思いましたが、彼の表情からは反省は伺われませんでした。そして犯人は、自分の国籍、自分の住所すら、はっきり言えません。そして、謝罪すらきちんとできなかったと、私は思っています。

    罪状認否(ざいじょう にんぴ)のあと、<犯人は>ぼぉーっと立っていると、弁護士から合図(あいず)をされ、慌てて謝罪をしました。私は、あれは「謝罪」とは認めません。

    あぁいう、情けない、私から見たら、かなり、おろかな人間だと思います。そのような犯人に、あんなに一生懸命生きてきた弥生とか、夕夏とかが殺された事は、非常に残念に思います。

    ナ / 私たち記者は、毎日の事件や事故を取材(しゅざい)していますが、渦中(かちゅう)にいる被害者と接する事は、ほとんどありません。被害者の側(がわ)から事件を報じてみたいと思い立ったのが、この取材のきっかけでした。

    (映像:コンビニでお弁当を買う、本村さん)
    コンビニのレジ係り / いらっしゃいませ。1,514円になりますね。

    (映像:本村さんの自宅 家族の写真が飾ってある。)
    ナ / 事件のあと、本村さんは社宅(しゃたく)を引き払い、会社の男子寮で、ひとり暮らしをしています。ある日、本村さんから私のもとに、一通のメールが届きました。


    本村さんのメール(読み上げは、男性アナウンサーの声) / 『島袋夏子様。マスコミの方々が本事件を真剣(しんけん)に取り上げてくださる事に、感謝(かんしゃ)しています。今となっては私が妻と娘にしてあげられる事は、もう、何もありません。ただ、二人の死を、無意味(むいみ)なものにしないためにも、私が本事件を通して体験(たいけん)した事、感じた事を、社会に反映(はんえい)させなければならないと、切(せつ)に感じています。それこそが、今の私の存在価値(そんざいかち)のように思います。』


    (映像:1999年11月17日 第4回公判)
    ナ / 裁判には必ず訪れていた本村さんでしたが、つらかったのは、事件のことだけではありませんでした。容疑者(ようぎしゃ)が逮捕(たいほ)されて裁判がはじまっても、遺族(いぞく)は事件の真相(しんそう)が書かれている「公判記録(こうはん きろく)」を見る事もできなければ、法廷(ほうてい)内に遺影(いえい)を持ち込むことすら許されていない事を、はじめて、知ったのです。

    本村さん / 「『遺影を持ち込んではいけない。』と言う理由については、一切(いっさい)コメントできません。」<と、言われた。> で、「私<本村さん>が裁判長に会って、直接理由を聞く事はできますか?」と確認したんですが、「そういう権利(けんり)は、一切、ない。あなたが裁判長に会う事はできない。」<と、言われた。>

    もし、仮にですね、弥生(やよい)と夕夏(ゆうか)が生きてるとしますよ。生きてたら、傍聴席(ぼうちょう せき)に入れないんでしょうか? そんな事はありません。生きてればですね、傍聴席に入れるわけですよ。「死んだから入れない。」という理由には、まず、納得(なっとく)できません。


    本村さんのメール / 『返事、ありがとうございました。どれだけ私が“二人のために”と思って頑張って(がんばって)も、二人を守れなかった罪(つみ)は償え(つぐな え)ません。私は二人に許される時が来るのでしょうか?』


    (映像:1999年12月22日 論告求刑公判)
    ナ / 季節は移り、論告求刑公判(ろんこく きゅうけい こうはん)の日、山口は大雪に見舞(みま)われました。事件の残忍性(ざんにん せい)を重く見た検察側(けんさつ がわ)は、18歳の少年に対しては異例(いれい)の、「死刑(しけい)」を求刑(きゅうけい)しました。

    本村さん / 「少年法」が適用されてもですね、やはり、罪は罪ですから、このような厳罰(げんばつ)な処置(しょち)が出ると言う事を、国民は認識(にんしき)すべきです。私も、「少年法が適用される。」と聞いた時は、正直(しょうじき)、「極刑(きょっけい)、無期刑(むき けい)も出ないのではないか…。」と、あきらめてましたが、私はこの日まであきらめずに、いろいろ、週刊誌に投稿(とうこう)したり、法務局(ほうむ きょく)に抗議文(こうぎ ぶん)を出したりと、世間(せけん)の関心が薄れないように、何とかこの事件を風化(ふうか)させないように、私なりに、できる限りの事はしてきました。

    それが、どれだけ、この判決(はんけつ)に寄与(きよ)したかわかりませんが、私が今までやってきた事が、間違いではなかった… と、思います…。


    本村さんのメール / 『実は、結構(けっこう)、肉体的にも精神的にも、疲れています。だけど、もう少しだけ、頑張ってみますので、本村洋の生きている姿を残してください。』


    (映像:東京)
    ナ / 事件から、およそ9ケ月がたった頃、本村さんは、ある活動(かつどう)をはじめました。

    (映像:2000年1月13日 『犯罪被害者の会』会見)
    弁護士 / えぇ、本日はお忙しい所をお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。えぇ、私たちは、あぁ、このたび、「犯罪被害者(はんざい ひがいしゃ)は訴える」と題(だい)しまして、1月の23日に、シンポジウムを開催(かいさい)する事になりました。

    弁護士になって38年目の事件でしたけれども、「こんなに被害者の権利(けんり)がないのか?」 と言う事をはじめてしったわけでございます。加害者(かがいしゃ)の弁護をしている時は、全く思いもよらなかったことで、自分自身、大変、恥ずかしく、申し訳ない生活を送っていたなぁ…と、思っているわけでございます。

    本村さん / 妻と娘の裁判であるにもかかわらず、遺影(いえい)すら持ち込めない。夫である私が、裁判…、事件の詳しい(くわ しい)内容ですら、知る事ができない。これに大変、大変、怒り(いか り)を覚えました。そして、妻と娘が、自ら(みずか ら)の死をもって教えてくれた、こういう、「被害者」という者の立場。これを、社会に反映させなければならないと思いました。


    (映像:電車の中で、インタビューに答える、本村さん)
    本村さん / 別に、「自分を救済(きゅうさい)して欲しい。」なんて、ほんと、思ってない。裁判の記録は見たいとかは思うけど、そういう権利(けんり)は確立(かくりつ)しなくてはいけないと思うけど、例えば、「精神的にケアをして欲しい。」だとか、「経済的に、何か、国から援助(えんじょ)して欲しい。」とか、そんな事は全然、思わないんですよ。

    僕は、「自分が悪い。」と思っている所が、どっかにあるから…。

    だから、「あなたは、何かして欲しいですか? 国から救済措置(きゅうさい そち)、して欲しいですか?」と、言われると、「うーん…。べつに、ないなぁ…。」“ないなぁ…。”っていうか、「そんな事、言えるのかなぁ…。」と、思ってしまう。

    インタビュアー(女性) / うん…。でも、それは、伝わってくるっていうか、「自分のためにやってる事じゃないだろうなぁ〜。」って言うのは、なんか、私も、そう、思う。って言うか、いつもねぇ、結構、ねぇ、本村さん、こう、若いのに、結構、理屈(りくつ)っぽい人だから。(笑)

    ナ / マスコミの前ではいつも険しい(けわ しい)顔の本村さんが、少し、表情を和らげた(やわ らげた)瞬間(しゅんかん)でした。


    <C.M.>


    (映像:花屋で花を買う、本村さん)
    花屋 / 大丈夫ね。今度はね、+++、いっぱいね、+++つれてきて。

    本村さん / (笑)ありがとうございました。

    花屋 / どうも。ありがとうございました。


    本村さんのメール / 『先日はお世話になりました。昨日(宮下→“きのう”と、読んでいる。)、徳地(とくぢ)経由(けいゆ)で山口市まで、単車で走っていました。弥生もすごく単車に乗るのが好きでした。弥生は、「バイクは、くっつけるから好き。」と言ってました。そんな事を思い出しながら、走っていました。

    弥生は、どんな事を感じながら、単車に乗っていたんだろう?』


    (映像:福岡県 北九州市 墓地。お墓に手を合わせる、本村さん)
    ナ / この頃になるとメールの交換は、ほぼ毎日、行われました。本村さんは、普段(ふだん)、決して語らない孤独(こどく)や苦しみを、メールの中で打ち明けてくれるようになりました。


    本村さんのメール / 『今から変な事を書きます。取材をする上でも、本当の私を知っておいてもらいたいと思います。真夜中に、一人でゆっくりと心を追求(ついきゅう)していくと、本性(ほんしょう)が出てきます。
    「疲れた、辛い(つらい)、悲しい、寂しい(さびしい)」とか、「生きる意味ってなんだろう?」「死ぬ意味ってなんだろう?」とか、弱音(よわね)や、素朴(そぼく)な疑問(ぎもん)が湧(わ)いてきます。

    月日がたつにつれて、弥生と夕夏の事を、よく、思い出します。「弥生の声って、どんな声だったろう?」「夕夏の笑顔(えがお)って、どんな感じだったろう?」必死(ひっし)に写真を見ながら考えるのだけれども、思い出せません。』


    ************

    テレビニュース、アナウンサーの声(女性) / 「殺人事件で家族を失った夫の闘い(たたかい)の日々を、カメラが追いました。」

    テレビのナレーションの声(男性) / 「被告人は両手の親指で、弥生の頸部(けいぶ)を押さえつけて、殺害しようとしたが、弥生が激しく体を動かして抵抗した事から、全体重をかけて、思いきり絞(し)めつけたところ、やがて、弥生の抵抗がおさまり、身動き(みうご き)しなくなった。」

    テレビのナレーションの声(女性) / 「裁判で次々と明らかになっていく事実。それは、本村さんの知らない事ばかりでした。本村さんにとって裁判は、唯一(ゆいいつ)、事件で何があったのか、知る手がかりでした。」

    テレビの本村さんの声 / 「どうしても(妻と娘の)二人に対して、罪悪感(ざいあく かん)っていうか、自責(じせき)の念っていうか、拭(ぬぐ)い去れないんですよ。してあげられる事は全部、してあげたいと思っています。」

    テレビニュース、アナウンサーの声(女性) / 「この裁判は今日、少年側の最終弁論(さいしゅう べんろん)が行われ、結審(けっしん)しました。少年の弁護人(べんごにん)は、「まだ、更生(こうせい)の余地(よち)がある。」として、死刑を回避(かいひ)するよう、裁判官に求めました。」

    ************

    (映像:上記の番組を見終わって…。)
    本村さん / …とにかく、こういうのを見ると、たまに、「本当に弥生と夕夏は存在していたんだろうか?」だとか、「本当に自分に家族、あったんだろうか?」だとか…。 …んー…。 どこかで自分の心が壊れてしまわないように気を置くとか…。んー…。曖昧(あいまい)にしている所があると思うんですよ。本能的に…。

    ただ、こういうテレビとか見たりすると、「あぁ、やっぱり二人は殺されて、自分は、その夫だったんだ…。」っていう。こういうのを見て、改めて再認識(さい にんしき)するところがあったりして。

    うん…。やっぱり、再認識すると、どうしても、悲しみとか、そんなんが、わいてきちゃいますよね…。その時の気持ちみたいなのが、すぐに思い出されて…。

    (映像:2000年3月3日)
    ナ / 3月3日は、弥生さんの24回目の誕生日でした。この日、本村さんは、事件の現場、同時に、かつて家族三人が暮らした社宅アパートを訪ねました。

    本村さん / あ、お菓子買ってあげるの、忘れたな…。

    インタビュアー(女性) / ん?

    本村さん / お菓子、買ってあげるの、忘れたなぁ。

    インタビュアー(女性) / うん。

    本村さん / 食べられないから、いいか。怒ってるかなぁ…。

    弥生と夕夏、二人ぼっちなのかな。ここで。

    インタビュアー(女性) / ん?

    本村さん / ここでカギ、閉められてさ。…嫌(いや)なのさ。「お涙ちょうだい」じゃなくてさぁ…。ちゃんと理論(りろん)的にさ、理論的に世の中に訴えて(うった えて)行きたい。感情で訴えて行くんじゃダメなんだよ。

    インタビュアー(女性) / 理論的に?

    本村さん / うん…。うん…。じゃないと、ダメでしょ?

    インタビュアー(女性) / まぁ、ねぇー。

    本村さん / メソメソ泣いたらさぁ…。

    インタビュアー(女性) / うんうん。

    本村さん / 社会が変わったりさぁ、法律が変わったりするんだったら、いくらでも泣くよ。
    (−沈黙(ちんもく)− そして、−涙−。)


    (映像:2000年3月22日 判決公判)
    ナ / 事件から間もなく1年になる、3月22日、被告(ひこく)の少年に判決(はんけつ)が言い渡される日が来ました。

    裁判長は、被告が犯行(はんこう)当時18歳で、内面が未熟(みじゅく)であると言う事を理由に、死刑を避け、少年に、「無期懲役(むき ちょうえき)」を言い渡しました。

    本村さん / 「無期懲役」という刑。少年法が適用される中では、7年で仮出獄(かり しゅつごく)が可能です。もしかしたら7年後、彼が26歳になった頃には、もう、社会復帰(しゃかい ふっき)しているかもしれません。そう言った事を考えると、やはり、少年に対する憎しみ(にく しみ)や殺意(さつい)は残り続けますし、司法(しほう)に裏切られたと言う気持ちも残り続けますし、何より、妻と娘に何も報告してあげる事ができません。(宮下→涙をこらえて、言葉をつまらせている。声がふるえている。)

    判決(はんけつ)により少年の人生がどう変わるかは、私はわかりませんが、遺族(いぞく)のこれからの人生と言うものも判決により左右(さゆう)されると言う事を、裁判長は考えて、判決を出して欲しいと思います。

    今日は少年の可塑性(かそ せい)の可能性に重点をおかれて、判決を読まれていましたが、遺族だって回復(かいふく)しないといけないんです!! 被害から!! 人を恨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また、優しさを取り戻すためには、死ぬほどの努力をしないといけないんです。
    (ため息…)
    そういう事も、少しは「判決文」の中で読んでいただいて、遺族の応報(おうほう)++(宮下→「管理」、或いは、「感情」かもしれない。)、遺族も立ち直らなければならない、遺族が立ち直るためには、どういった判決が必要か?っていう事も、そこまで視野(しや)に入れて、判決を出して欲しいと思いました。


    ナ / この日から6日後、検察(けんさつ)側は判決の内容を不服(ふふく)として、高等裁判所に控訴(こうそ)しました。


    本村さんのメール / 『愛する人を失うと、その死者に対して何かしてあげたいと、強く思うのですね。それは、「何かしてあげたいなぁ。」という感じではなくて、「何かしてあげなくてはならない。」という強い気持ちで、強迫観念(きょうはくかんねん)のような感じです。だからこそ、己(おのれ)の罪を感じ、それに対する罰(ばつ)を探(さが)してしまいます。

    いつか、天国で二人に再会し、「パパ、お疲れさま。パパ、ありがとう。」という、家族の言葉を聞けるように、生きなければならないと思います。』


    ナ / 本村さんは今、法律を学びたいと思っているそうです。これから先、本村さんから、どんなメールが届くのか。

    本村さんが、いつか、被害を乗り越えられる日がある事を願い、メールを待ちます。


    平成13年5月31日(木)放送
    「タイトル : 独りぼっち パパの叫び 〜メールにつづられた被害者の声〜 」
    制作・著作 : 山口朝日放送


          <文字版制作&配信>  ☆宮下あけみ☆
         【E-mail】     akemizo@beige.ocn.ne.jp


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