1915.5.12 (水曜 Mittwoch, Wednesday)
1.第1次発行 Russisch-Polen加刷
ドイツ軍は、1915年5月からオーストリー軍とともに中部ポーランドに駐留していたロシア軍に対して大攻勢を仕掛けて、9月までにはポーランドとリトアニアからロシア軍を駆逐しました。ロシア軍を撤退させた5月に早くも占領地用の加刷切手が発行されています。加刷の文字は「Russisch-Polen」、つまり(旧)ロシア領ポーランドです。通貨はドイツのものがそのまま使用されました。
なお、ドイツが郵便業務を行ったのは、ワルシャワ(以下ドイツ名Warschau)、ソスノビエツ(Sosnowice)、ウッジ(Lodz)、チェンストホバ(Czenstochau)、ザビエルチェ(Zawiercie)と、その周辺地域です。
3Pfennig 50gまでの占領地区内およびドイツ宛印刷物 |
|
5Pfennig 占領地区内およびドイツ宛葉書、20gまでの占領地市内用書状(ワルシャワとウッジ)、50gを超え100gまでの占領地区内印刷物 |
|
10Pfennig 20gまでの占領地区内およびドイツ宛書状 |
|
20Pfennig 20gを超え250gまでの占領地区内およびドイツ宛書状、書留料 |
|
40Pfennig 20gを超え250gまでの占領地区内およびドイツ宛書留書状 |
1916.8.1 郵便料金改訂
1916.8.1 (火曜 Dienstag, Tuesday)
2.第2次発行 Gen.-Gouv. Warschau加刷
1916年8月1日のドイツ国内の料金値上げに呼応する形で、追加額面を加えた新しいシリーズが発行されました。加刷もGen.-Gouv. Warschau(Geneal Gouvernement Warschau:ワルシャワ総督府)に変更されています。
・加刷の濃淡と切手の刷色のバラエティがあります。
・戦後、この切手にポーランド郵政がさらに加刷を行って発行したシリーズがあります。
1917.5.
3.第2次発行 Gen.-Gouv. Warschau加刷 追加
本国で台切手の刷色が変更されたため、発行されました。これは、1916年8月発行の7 1/2Pfennig切手と15Pfennig切手を見ても分かるように、両者の刷色が似ていて、特にランプの下では区別がしにくいためです。
15Pfennig 20gまでの占領地区内およびドイツ宛書状 |
・加刷の濃淡と切手の刷色のバラエティがあります。
Copyright © S.Stein 2001-2020