1945年 ・ドイツ空軍、オランダとベルギーとフランスの連合軍飛行場を急襲(ボーデンプラッテ作戦) ・アメリカ軍、ジークフリート線を突破 ・ベルリン空襲 ・ドレスデン、大空襲で壊滅 ・連合軍、ケルン占領。ライン川渡河へ ・イギリスに向けて大陸間弾道弾V2による最後の攻撃 ・アメリカ軍、占領下のアーヘンで最初の切手を発行(3月19日) ・ソビエト軍、ウィーン占領、ダンチヒ(現ポーランド、グダニスク)奪回 ・アメリカ軍、ニュルンベルクを占領(4月20日) ・ソビエト軍、ベルリン包囲(4月24日)、ベルリン市街戦へ ・総統自殺(4月30日) ・北イタリアのドイツ軍降伏(5月2日) ・ヨードル将軍、フランスのランスで降伏に関する予備議定書に調印(5月6日) ・カイテル元帥、ベルリン郊外のカールスホルストで無条件降伏文書に調印(5月8日) ・クールラントのドイツ軍降伏(5月9日) ・チャンネル諸島のドイツ軍守備隊降伏(〜5月12日) ・チェコスロバキアとオーストリー領内のドイツ軍一掃(〜5月19日) (以後、ドイツは4カ国の連合軍に分割占領。ベルリンは連合軍の共同統治に) |
昭和 20年 |
・アメリカ軍、マニラ占領 ・本土空襲激化 ・アメリカ軍、沖縄上陸 ・ソビエト、日ソ中立条約更新拒否 ・ビルマ方面軍、撤退 ・スペイン、対日国交断絶 ・東京大空襲 ・ドイツ降伏でも戦争遂行、との声明発表 ・アメリカ軍、広島と長崎に原爆投下 ・ソビエト軍、突如参戦 ・ポツダム宣言受諾(8/14) ・玉音放送(8/15) |
※色の表示は目安です。
1944年以降に発行された切手は、「DEUTSCHES REICH」ではなく「GROSS DEUTSCHES REICH」という表示になっています。
1945.1.6 (土曜 Sonnabend, Saturday)
1.オルデンブルク都市法600年 付加金付き
6+14Pfennig | 濃紫 | 馬上のアントン・ギュンター伯爵(1583-1667) |
オルデンブルク(Oldenburg)は古い町で、すでに1108年から分献上で「Aldenburg」の表記で現れています。切手の記念となった都市法は、コンラート1世が1345年に認めたものです。切手に描かれているのは、1603年〜1667年の間オルデンブルクの摂政であったアントン・ギュンター伯爵です。
なお、オルデンブルクは5月3日にカナダ軍に占領されました。
・有効期限はありませんが、終戦で自動的に使用禁止になりました。以下同じ。
1945.2.
2.市民軍 付加金付き
12+8Pfennig | 紅 | 銃を持つ若者から壮年までの市民と鷲 |
前年に16〜60歳の全男子を徴兵する民族突撃隊結成法が公布されましたが、切手にはそれが象徴的に描かれています。この頃になると、連合軍侵攻で郵便網が寸断され、実際に使われた使用例(切手が貼られた封筒など)は大変少なくなります。
この切手の発行日は不明です。
・有効期限はありません。
1945.4.20 (金曜 Freitag, Friday)
3.突撃隊と親衛隊 付加金付き
12+38Pfennig | 赤 | 突撃隊隊員 |
12+38Pfennig | 赤 | 親衛隊隊員 |
ベルリン市街戦を目前に控え、ベルリン中央局などで発行されました。ベルリン市内には市民が175万人いたといわれますが、防御施設もなく市民が疎開もしていないベルリンへドイツ軍兵士が大挙して逃げ込み、それをソビエト軍が包囲するという混乱と絶望のさなかでの発行でしたので、実際に使われた使用例としては、収集家が残したわずかな書留便を見かける程度です。
現在残されている使用済切手は、多くが後消し(戦後に消印の日付をさかのぼって押したもの)で、封書に貼られたもの以外は真偽の判別が困難です。
どちらの額面にも無目打ち切手が存在します。こちらは、使用済がありません。
・有効期限はありません。
ウィーンの印刷局で製造され敗戦で不発行になった切手が2種類あります。いずれも12Pfennig切手で38Pfennigの付加金が付いており、1枚は行進する隊員達、もう1枚は戦闘機が描かれています。極端に枚数が少ないため、市場で見かけることはまずありません。
お断り
1933年11月1日(水)発行の慈善切手から、切手のすかしに当時第一党であった特定の党のシンボルが入れられるようになりました。戦後70年を経過したとはいえ、今も当時を思い出される方々が多数いらっしゃるという事実をふまえ、このシンボルの入った切手の図版を当サイトでは一切公開いたしません。なお、これらの切手の図版を公開しているサイトを何ら否定するものではありません。 |
ドイツの町(現在ドイツ国外含む)がいつ連合軍によって占領されたかを、いくつかピックアップします。ただし、占領の定義の違いにより、日付には諸説があります。
レートゲン(アーヘン近郊) | 1944年9月12日 |
カルターヘアベルク | 1944年9月14日 |
ランマースドルフ | 1944年9月14日 |
モンシャウ | 1944年9月14日(15日の説あり) |
アイレンドルフ(アーヘン近郊) | 1944年9月15日 |
ビュスバッハ | 1944年9月15日 |
ヴィヒト(アーヘン近郊) | 1944年9月16日 |
コーネリミュンスター(アーヘン近郊) | 1944年9月19日 |
ガンゲルト | 1944年9月19日 |
フレレンベルク(アーヘン近郊) | 1944年10月5日(6日の説あり) |
ヘルツォーゲンラート | 1944年10月5日(7日の説あり) |
ベッゲンドルフ(アーヘン近郊) | 1944年10月6日 |
ブライル(アーヘン近郊) | 1944年10月6日 |
アルスドルフ | 1944年10月7日 |
フェルラウテンハイデ(アーヘン近郊) | 1944年10月8日 |
バルデンベルク(アーヘン近郊) | 1944年10月11日 |
ノッペンベルク(アーヘン近郊) | 1944年10月11日 |
ハーレン(アーヘン近郊) | 1944年10月12日 |
エーベンローデ(東プロイセン) | 1944年10月16日(25日の説あり) |
オイトカウ(東プロイセン) | 1944年10月16日(18日の説あり) |
アーヘン | 1944年9月15日南側を、20日北側を米軍が攻撃し、突入後6週間の市街戦の末、 10月21日12時5分ドイツ軍が降伏。連合軍が多大な犠牲を払って最初に占領したドイツの重要都市 (戦力:連合軍10万、ドイツ軍1万3千、10月12日から国民突撃隊5千投入 死傷者:連合軍側5千、ドイツ軍側6千) |
マリアドルフ(アーヘン近郊) | 1944年11月16日 |
シュトルベルク(ラインラント) | 1944年11月16日(19日とする説あり) |
ブロイヒヴァイデン | 1944年11月17日 |
エシュヴァイラー(アーヘン近郊) | 1944年11月22日 |
メッツ(現フランス、メス) | 1944年11月22日 |
ミュールハウゼン(現フランス、ミュルーズ) | 1944年11月24日 |
ランゲアヴェーエ(デューレン近郊) | 1944年11月28日 |
ランマースドルフ(デューレン近郊) | 1944年11月29日 |
リンニヒ | 1944年12月2日 |
ザールゲミュント(現フランス、サルグミーヌ) | 1944年12月10日 |
ピール(デューレン近郊) | 1944年12月12日 |
ジンメラート(アーヘン近郊) | 1944年12月13日 |
ビルゲル(デューレン近郊) | 1944年12月14日 |
ヴァーラーシャイト(モンシャウ近郊) | 1944年12月16日 |
クラカウ(ポーランド) | 1945年1月19日 |
ティルジット(現ロシア、ソヴィェツク) | 1945年1月19日(20日の説あり) |
アレンシュタイン(現ポーランド、オルシュティン) | 1945年1月21日〜23日(諸説あり) |
オッペルン(同、オポレ) | 1945年1月24日(26日の説あり) |
ヒンデンブルク(上部シレジア) | 1945年1月24日〜26日(諸説あり) |
ニコライケン(東プロイセン) | 1945年1月26日 |
プッペン(東プロイセン) | 1945年1月26日 |
メーメル(現リトアニア、クライペダ) | 1945年1月28日(29日の説あり) |
マリエンヴェーダー(西プロイセン) | 1945年1月30日(31日の説あり) |
ゲルリッツ | 1945年2月4日(5日の説あり) |
エルビンク | 1945年2月10日〜12日(諸説あり) |
デューレン | 1945年2月25日(27日の説あり) |
ロイト | 1945年3月1日 |
クレッフェルト | 1945年3月2日(3日の説あり) |
トリーア | 1945年3月2日(2月28日〜3月4日の諸説あり) |
グラウデンツ | 1945年3月5日(7日の説あり) |
ケルン | 1945年3月6日(7日、8日の説あり) |
シュタールガルト | 1945年3月6日(7日の説あり) |
レマーゲン | 1945年3月7日 |
クサンテン | 1945年3月8日(2月26日〜4月16日の諸説あり) |
ボン | 1945年3月9日(8日、10日の説あり) |
コブレンツ | 1945年3月18日(17日の説あり) |
ザールブリュッケン | 1945年3月19日〜21日(諸説あり) |
ヴォルムス | 1945年3月20日〜26日(諸説あり) |
マインツ | 1945年3月22日(21日の説あり) |
ナイセ | 1945年3月24日(25日の説あり) |
シュパイヤー | 1945年3月24日(25日の説あり) |
ダルムシュタット | 1945年3月24日〜26日(諸説あり) |
ヴォルムス | 1945年3月25日(20日、26日の説あり) |
ルートヴィヒスハーフェン | 1945年3月25日(23日、24日の説あり) |
オッフェンバッハ | 1945年3月26日 |
フランクフルト・アム・マイン | 1945年3月27日〜30日(諸説あり) |
ダンチヒ(現ポーランド、グダニスク) | 1945年3月27日〜31日(諸説あり) |
バート・エムス | 1945年3月28日 |
ギーセン | 1945年3月28日 |
マンハイム | 1945年3月29日 |
バート・ホンブルク | 1945年3月30日 |
レックリングハウゼン | 1945年4月1日 |
フルダ | 1945年4月2日 |
アッシャッフェンブルク | 1945年4月2日〜4日(諸説あり) |
ミュンスター(ヴェストファーレン州) | 1945年4月2日〜4日(諸説あり) |
ビーレフェルト | 1945年4月4日(6日の説あり) |
カールスルーエ | 1945年4月4日(5日、10日の説あり) |
オスナブリュック | 1945年4月4日(3日、6日の説あり) |
カッセル | 1945年4月4日〜6日(諸説あり) |
ミュールハウゼン(チューリンゲン地方) | 1945年4月5日 |
ヴュルツブルク | 1945年4月5日〜7日(諸説あり) |
バンベルク | 1945年4月5日〜15日(諸説あり) |
アイゼナハ | 1945年4月6日(7日の説あり) |
ハーメルン | 1945年4月7日 |
エッセン | 1945年4月7日〜12日(諸説あり) |
ホルツミンデン | 1945年4月9日 |
ケーニヒスベルク(現ロシア、カリーニングラード) | 1945年4月9日(10日の説あり) |
ツェレ | 1945年4月9日〜13日(諸説あり) |
ゴスラー | 1945年4月10日 |
ハノーバー | 1945年4月10日(11日の説あり) |
ブラウンシュヴァイク | 1945年4月10日〜14日(諸説あり) |
グンマースバッハ | 1945年4月11日 |
ワイマール(ヴァイマル) | 1945年4月11日〜13日(諸説あり) |
アポルダ | 1945年4月12日 |
デュースブルク | 1945年4月12日 |
エアフルト | 1945年4月12日〜14日(諸説あり) |
バーデン・バーデン | 1945年4月13日(12日の説あり) |
ドルトムント | 1945年4月13日(15日の説あり) |
イェーナ | 1945年4月14日(15日の説あり) |
バイロイト | 1945年4月14日(16日の説あり) |
ケーテン | 1945年4月16日 |
ブッパータール | 1945年4月16日 |
イーゼルローン | 1945年4月16日(17日の説あり) |
ゾーリンゲン | 1945年4月16日(17日の説あり) |
デュッセルドルフ | 1945年4月17日(18日の説あり) |
アンスバッハ(ニュルンベルク近郊) | 1945年4月18日(19日の説あり) |
マグデブルク | 1945年4月18日(19日の説あり) |
リューネブルク | 1945年4月18日〜20日(諸説あり) |
ルートヴィヒスブルク | 1945年4月19日 |
ハレ | 1945年4月19日(20日の説あり) |
ライプチヒ | 1945年4月19日(17〜21日の諸説あり) |
ニュルンベルク | 1945年4月20日 |
フライブルク・イム・ブライスガウ | 1945年4月21日〜23日(諸説あり) |
シュトゥットガルト | 1945年4月22日(21日の説あり) |
ブクステフーデ | 1945年4月22日(23日の説あり) |
ウルム | 1945年4月22日〜26日(諸説あり) |
ベルリン ヴァイセンゼー | 1945年4月22日 |
ベルリン フリードリヒスフェルト | 1945年4月22日(23日の説あり) |
ベルリン マリーンフェルデ | 1945年4月23日(24日の説あり) |
フランクフルト・アン・デア・オーデル | 1945年4月23日(24日の説あり) |
ベルリン ケペニック | 1945年4月23日(24日の説あり) |
ベルリン パンコウ | 1945年4月23日(24日の説あり) |
ベルリン テーゲル | 1945年4月24日 |
ベルリン リヒターフェルデ | 1945年4月25日 |
ベルリン トレプトウ | 1945年4月25日(26日の説あり) |
ベルリン ダーレム | 1945年4月26日 |
シュテッチン(現ポーランド、シチェチン) | 1945年4月26日(27日の説あり) |
ブレーメン | 1945年4月26日(27日の説あり) |
ベルリン ノイケルン | 1945年4月27日 |
ベルリン シュテグリッツ | 1945年4月27日 |
ベルリン テンペルホーフ | 1945年4月27日 |
レーゲンスブルク | 1945年4月27日(26日、28日の説あり) |
コンスタンツ | 1945年4月27日(26日、28日の説あり) |
ベルリン シュパンダウ | 1945年4月27日(28日の説あり) |
ポツダム | 1945年4月27日(28日の説あり) |
ベルリン フリーデナウ | 1945年4月28日 |
ベルリン シャルロッテンブルク | 1945年4月28日 |
ベルリン グリューネヴァエウト | 1945年4月28日 |
ベルリン シューネベルク | 1945年4月28日 |
アウクスブルク | 1945年4月28日(29日の説あり) |
ダッハウ(ニュルンベルク近郊) | 1945年4月29日(30日の説あり) |
ミュンヘン | 1945年4月30日 |
ベルクスドルフ(ベルリンの北) | 1945年4月30日 |
フーデ | 1945年5月1日 |
ブランデンブルク | 1945年5月1日(2日の説あり) |
ベルリン | 1945年5月2日制圧 |
パッサウ | 1945年5月2日 |
ボイツェンベルク | 1945年5月2日 |
ローゼンハイム | 1945年5月2日 |
ロシュトック | 1945年5月2日(4日の説あり) |
ノイミュンスター | 1945年5月3日 |
ハンブルク | 1945年5月3日(4日の説あり) |
トラーフェミュンデ | 1945年5月3日(4日の説あり) |
ザルツブルク(現オーストリー) | 1945年5月3日(4日の説あり) |
クックスハーフェン | 1945年5月3日(7日の説あり) |
バート・ゼーゲベルク | 1945年5月3日 |
オルデンブルク | 1945年5月3日 |
バート・ライヒェンハル | 1945年5月4日 |
エムデン | 1945年5月4日〜8日(諸説あり) |
キール | 1945年5月5日 |
フーズム | 1945年5月5日 |
ドレスデン | 1945年5月5日〜8日(諸説あり) |
ノルデン | 1945年5月6日 |
レンズブルク | 1945年5月6日 |
ブレスラウ(現ポーランド、ブロツラフ) | 1945年5月6日(7日の説あり) |
フレンスブルク | 1945年5月8日(13日の説あり) |
ブレーメルハーフェン | 1945年5月8日 |
エルムスホルン | 1945年5月8日 |
エッケルンフェルデ | 1945年5月8日(9日の説あり) |
ハイデ | 1945年5月8日(10日の説あり) |
シュレスヴィヒ | 1945年5月9日 |
バート・テルツ | 1945年5月10日 |
フレンスブルク | 1945年5月13日(8日の説あり) |
ヘルゴラント島 | 1945年5月14日 |
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