1935年のドイツと日本の出来事
1935年
・ザール地区返還
・ドイツ・イギリス艦隊協定(戦艦保有数はイギリスの35%、Uボートは45%に決定)
・国防軍再建法公布
・労働奉仕法案可決(19〜25歳は強制的に労働奉仕)
・ニュルンベルク諸法公布
・軍事費、国家予算の30%に
・ベルリンでテレビ試験放送
(イタリア、エチオピア侵攻で経済制裁。これに対抗するためドイツに接近)
昭和
10年
・最初の年賀切手発行(渡辺崋山の富嶽の図)
・思想統制強化

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1935年に発行されたドイツ切手

※色の表示は目安です。

1935.1.16 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

1.ザール地区返還

3Pfennig 帰ってきた子供(ザール地区の象徴)を抱きしめる母(ドイツ本国の象徴)
6Pfennig 同上
12Pfennig 同上
25Pfennig 同上

 第一次世界大戦後の1919年から、ベルサイユ条約に基づき、フランスはドイツによるフランス鉱山破壊の賠償として、15年間ザールの鉱山を独占使用していました。これは事実上のザール地区占領でした。この期限が切れるため、1935年1月13日(日)にザール地区ではドイツ帰属投票が行われ、90.5%の賛成を得てドイツに帰属が決定しました。これを記念する切手として4種類が発行されました。

・有効期限は1936年12月31日です。


1935.3.15 (金曜 Freitag, Friday)

2.第一次世界大戦戦没者慰霊祭

6Pfennig ヘルメットをかぶった兵士の横顔
12Pfennig 同上

 ドイツの敗戦後、初めて戦争をテーマにした切手が発行されました。1934年の体制の危機を乗り切った総統は、以後強国ドイツを目指していましたが、ちょうどこの切手が発行される頃に、そうした動きが活発化します。まず、3月9日に空軍保有をアピールするため観測気球を打ち上げ、さらに切手発行の翌日の3月16日には「国防軍再建法」を公布して、一般兵役義務の復活、1939年までに36個師団の陸軍を保有を宣言しました。この動きに、早くもフランスは、ソビエトと相互援助条約を結びます。

・有効期限は1936年12月31日です。


1935.6.21 (金曜 Freitag, Friday)

3.シュッツ、バッハ、ヘンデル フェスティバル

6Pfennig ハインリヒ・シュッツ(1585-1672)
12Pfennig ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)
25Pfennig ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)

 ドイツの著名な3人の作曲家がちょうど生誕350年と250年を迎えるに当たって3種類の切手が発行されました。
 初日の6月21日はライプチヒで行われていた帝国バッハ フェスティバル(会期6月16日〜26日)の会場で発売されたもので、一般の郵便局は6月24日(月)から発売されています。なお、次に紹介する切手展会場でも6月23日に先行発売されています。

・25Pfennig切手の50番切手(5列目の一番右)に、1685の年号の6が欠けて1585に見えるエラーがあります。
・有効期限は1936年12月31日です。


1935.6.23 (日曜 Sonntag, Sunday)

4.ケーニヒスベルク切手展(OSTROPA)

3Pfennig 東プロイセンの地図とアレンシュタイン城 左記の4種類が田形に配置された小型シート
6Pfennig タンネンベルク記念碑と鷲
12Pfennig 東プロイセンの紋章とケーニヒスベルク城
25Pfennig ハイルスベルク城と柏の葉

 ポーランドを挟んで飛び地のようになっていたドイツの東プロイセンで6月23日から7月3日(水)まで開かれた切手展会場で発売された小型シートです。すかしは、他の切手と違って党のシンボルではなく、勲章と同じ形の十字架が各々の切手に入っていて、小型シートの耳紙に当たる部分の上に「OSTROPA」、下に「1935」のすかしが入っています。売価は1Mark70Pfennigで、16万2700枚製造されました。
 なお、この小型シートの糊には硫酸の成分が含まれていて、未使用のシートが保存中に変色することが分かったため、未使用=糊落ちになっているのが普通です。

・有効期限は1935年12月31日です。


1935.7.10 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

5.ドイツ鉄道100年

6Pfennig ニュルンベルク=フュルト間を走ったドイツ第1号機関車アドラー号
12Pfennig 当時の高速機関車03系
25Pfennig ベルリン・ハンブルク間急行列車VT 03系
40Pfennig 流線型急行列車05系001

 バイエルン王国で開業したドイツ最初の機関車から、当時の最新鋭機関車までを取り上げた記念切手です。

・有効期限は1936年12月31日です。


1935.7.25 (木曜 Donnerstag, Thursday)

6.青少年集会

6Pfennig ラッパを吹く少年
15Pfennig 同上

 全国労働奉仕法が6月から施行されて、19〜25歳の青少年が強制的にキャンプに集められ、各種労働(開墾から道路工事まで)が行われましたが、これより若年層(15〜18歳)を対象に、総統の名前を関した青少年団体(略称HJ)がすでに結成されており、その集会のための宣言切手です。この団体は、家庭と学校以外のあらゆる訓練と教育が行われ、1939年3月からはさらに拡大強化され、10〜18歳のすべての男女が入隊させられることになりました。
 切手の糊が塗られる過程で切手の裏面にわずかに筋がつきますが、この方向がどの額面にも2種類あります。どちらも入手しやすいものです。

・有効期限は1936年12月31日です。


1935.8.30 (金曜 Freitag, Friday)

7.第7回ニュルンベルク党大会

6Pfennig 鷲と党のシンボルとニュルンベルク城
12Pfennig 同上

 恒例の党大会の切手です。

・どちらの切手にもすかしの向きが逆(用紙が裏返し)のものがあります。
・有効期限は1936年12月31日です。


1935.10.4 (金曜 Freitag, Friday)

8.冬期慈善

3+2Pfennig 東プロイセン地方の女性
4+3Pfennig 灰青 オーバーシレジア地方の女性
5+3Pfennig 黄緑 ラインラント地方の女性
6+4Pfennig ニーダーザクセン地方の女性
8+4Pfennig クールマルク地方の女性
12+6Pfennig シュヴァルツヴァルト地方の女性
15+10Pfennig ヘッセン地方の女性
25+15Pfennig オーバーバイエルン地方の女性
30+20Pfennig オリーブ フリースラント地方の女性
40+35Pfennig オーバーフランケン地方の女性

 恒例の冬期慈善用の付加金付き切手です。すべて民族衣装を着た女性を描いています。

・有効期限は1936年6月30日です。


1935.11.5 (火曜 Dienstag, Tuesday)

9.ミュンヘン一揆12年

3Pfennig 旗手と党の旗
12Pfennig 同上

 1923年11月8日(木)から9日にかけてミュンヘンのビアホールで起きた一揆をテーマにした切手です。このとき、首謀者(現総統)は逮捕され有罪判決が言い渡されました。

・3Pfennig切手に糊の塗られた方向が2種類あります。
・有効期限は1936年12月31日です。


1935.11.25 (月曜 Montag, Monday)

10.第4回冬季オリンピック 付加金付き

6+4Pfennig アイススケートの選手
12+6Pfennig ジャンプの選手
25+15Pfennig ボブスレーの選手

 1936年2月6日(木)から16日(日)にかけてガルミッシュ=パルテンキルヒェンで開催される冬季オリンピックの付加金付き切手です。

・有効期限は1937年6月30日です。


お断り

 1933年11月1日(水)発行の慈善切手から、切手のすかしに当時第一党であった特定の党のシンボルが入れられるようになりました。戦後70年を経過したとはいえ、今も当時を思い出される方々が多数いらっしゃるという事実をふまえ、このシンボルの入った切手の図版を当サイトでは一切公開いたしません。なお、これらの切手の図版を公開しているサイトを何ら否定するものではありません。

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