第1回
頭の片隅で、コンピュータが数字をカウントするのが聞こえる。一定の間隔は、催眠効果を持つもの。音は、覚醒を妨げない程度に気に障るようにできている。これが夢の中だと忘れさせないために。その音を数えながら、心の奥へダイヴする。お決まりの手順。
黒い闇の中にちかちかときらめくヴィジョンの光。その一つ一つが過去の記憶へとつながっている。
自分の深層意識に潜り込むのは、あんまり気分のいいものじゃない……これまたいつものセリフを思い浮かべて、ミハルは苦笑のパルスを辺りに漂わせた。
けれど、これは訓練の一環だった。惑星ラエドメル、植民星として開放されて以来、九つの「浮島」と呼ばれる船を海に浮かべ、それぞれの島で市政をひいた。
その九つの都市の一つ、植民星として開放される以前は生物化学研究所として使われていたクレアドル市の西側、学園領域の片隅、鬱蒼と茂る木々の中に埋もれるようにして建つ、軍所属の研究所 ── 主に潜在能力の育成を行っている、リィン・シェスラム研究所。偉大な心理学者にして、軍の元帥であったリィン・シェスラム卿によって設立された研究所だ ── そこで、いわゆる第六感の育成を行っている。学園の小学部の初期に行われる能力テストで見込みありとされた生徒は、この研究所の授業も取ることになっている。
早熟だったミハルは3歳の頃から通っている。しかし一般に言われているように、非常にデリケイトな力のため、大人になっても能力を維持できるほど強い力を有している者は少ない。十八になるミハルと同じ年頃の子供は、他に二人いるだけだった。
「心拍数、目標値に入りました」
コンラッドはモニターの画面を見ながら呟くように告げた。しんと静まり返った室内には、それだけで全てが伝わる。ガラスで仕切られた小部屋の中には、様々な計器に接続された少女が、ベッドの上に横たわっている。
神経質そうな口元が、かすかに笑みを作っている。東欧的に謎めいた微笑みはアルカイック・スマイル。深層心理ダイヴの状態がいい証拠。白い肌に痩せた体、肩まで伸びたクセのないブルネット、それがミハルだ。
「第二目標値まで、あと少しってところです」
背後に歩み寄ってくる気配を感じて、コンラッドは聞かれる前に答えた。
「榊教授、近頃ミハルはこの辺りでいつも、ウドカイラに会うって言ってるんですよ、知ってました?」
「もちろん」
榊はモニターを覗き込みながら答えた。
「ウドカイラにテレパシー能力があるってのは本当ですか」
「さあ? ウドカイラの優美で猛々しい姿形は知れ渡ってるけど、生態はよくわかっていないもの。今上陸してる調査隊の研究がまとまるのに数年かかるらしいし」
「ミハルの養い親ですね」
「知ってるの」
「彼女に聞いたことがあります」
ミハルは幼い頃に養子に出されていた。それは幼い頃に遭った悲劇が二度と起こらないように、彼女の父が執った手段だった。その時、ミハルは母を亡くしたのだ。
父、ダナエット・クレバーの職業はクレアドル市情報局諜報課の情報部員だ。また、きわめて強力な超能力者で、その筋では彼が行動する度に伝説を生むとまで言われている。一人娘であるミハルも、彼の血を継いでいる。しかしその実力のため、彼に対する嫌がらせとして、妻を亡くした。
ダンのことは、かわいそうだったと思うわ……。
ミオンの顔は既におぼろげだが、父のことを語る母のイメージはいつも温かい光に満ちている。そのせいかダンは仕事のためにほとんど家にはいなかったけれど、幸せだったとミハルは思う。その母が死んだとき、ダンは本当に後悔していた。涙も見せなかったし、態度にも出さなかったけれども。冷たい人間と罵る人もいたけど、違うとミハルは知っている。
『……どうして、妻にしたのか、本当に愛しているなら、見ているだけにしておけばよかった。危険だとわかっていて、側におくことはなかったのに。愛していた……失いたくなかった……美音……』
言葉にされない想い。一瞬の隙をついてミハルに流れてきた言葉。生まれて初めて読んだダンの心は、後悔と愛情と哀切に満ちていたっけ……。
ミハルはその時のヴィジョンに捕まりそうになって、あわてて意識を引き剥がした。
ヤバイヤバイ。なんでこんな事考え始めちゃったのかなぁ。
── ああ、そうだ。ダンから帰るって連絡が来たからだ。
そうとわかったら、ヴィジョンのかけらを追っ払うのも簡単だった。集まってきていた、虹色に輝くウィジョンの光球に触れないようにして払う。風で押されたみたいにあっけなく流されて、どこかへ行ってしまった。ミハルはほうっと溜め息をついた。
ここでは油断大敵。気を引き締めないと……。
耳の奥に響いているカウントに一時心を沿わせ、心も体も無心に保つ。準備オーケー。いざ深淵へ向かって彼女は下降を再開した。
目的地まではまだ少しかかる。深層心理の底辺に立って、ミハルは心の安定を図るのだ。精神的に不安定になりがちな超能力者の心には必要なケアなのだが、あまり気持ちのいいものではない。
ミハルはその底辺に草原地帯をおいていた。大型の哺乳類であるウドカイラは草原に住む。養い親のライン夫妻の影響で、彼女も生物学には興味があった。
黄金に輝くウドカイラ……ライン夫妻の研究対象はそのままミハルの憧れとなった。惑星ラエドメルの生物界食物連鎖の頂点にたつこの獣には、エンパシィ能力があるといわれている。なぜなら、この獣は鳴かないからだ。いかなる波長の音も振動も出さない。人間でいう言葉がないようなのだ。といって身体言語を使っているのでもないらしい。では意思の伝達をどうしているのか? 長年、それが学会の話題となっていたが、近頃有力な説がエンパシィ、あるいはテレパシー能力を持つのではないかということだった。今度の大陸へのフィールドワークはその実証を得るのが目的だ。
今頃、どうしているのかしら? テントを張って、ウドカイラを間近に見て、大陸の大地の上で楽しくやっているんだろうなぁ。
本当だったらついて行ってもよかった。けれども、実父であるダナエットから同居しようと誘われ、一緒に暮らしてみたいと思ったのだ。毎年、誕生日や祝祭日には必ずカードやらプレゼントやらをくれたが、姿を見せたことは一度もなかった父。写真もなかった。あったのは小さな頃の朧気なぬくもりと、ライン夫妻からたまに聞く父の若い頃の話だけ。それも積極的には語ってくれなかった。母の死のことを思って。ミハルは彼方の陸地にいるライン博士に思いを馳せた。
途端に、ライン博士の話し声が聞こえる。
(……あすこにいるのが……今、変わった仕草をしなかったか? ほら、また。聞き耳を立てているようじゃないか……)
きゃあ、またやってしまったみたい。接続を切らなきゃ。
(……ああ、どうしたんだろう、我々のことなど気にもしていなかったのに。こっちを見ているな……)
さっきも危ない場所にいるんだからって思ったばっかりなのに!
(……見ているだけだ。こちらに近付いてくる様子はない。だが、どうして突然我々を気にしだしたんだろうな……)
どうして、ライン博士の声が聞こえるの? これは、現実? どっちにしろ、聞かないようにしなくちゃ!
先ほどから、誰も何も口にしなかったが、緊張状態が続いていた。ガラスケースの中の少女は相変わらず身じろぎ一つしなかったが、その内部では変調をきたしていた。それぞれオペレータの座る計測機の画面には、平常値とは違うラインが引かれている。
「第三目標値、入りました。でも、ちょっと気が乱れてる。どう思われます、榊教授」
コンラッドは報告のついでに質問を投げかけた。
「気になるわね。さっきも乱調だったし……ほんとはすぐに決断しなきゃならないけど、 ── コニー、カウントの音を高くして。もう少し様子を見るわ」
「了解」
彼はすばやく指を動かして、スピーカーの音を上げた。
榊とコンラッドはじっとモニターを睨んだ。ミハルの神経はアルファー値を微妙にずれて振動している。
ミハル、なにに気を取られてるの。数を数えなさい。
榊はそう心の中で念じた。うまくいったことはたいしてないのだが、ミハルは聞くかもしれない。彼女のすべての意識は自身の無意識に向かっている。しかし、無意識というものは、考えようによってはすべての生き物の中にある、共有されうる精神世界でもある。ただ、わからないだけだ。普通の感覚ではその世界に触れない。どういう風になっているのか、凡人には想像するしかない世界。……ほんの少し世の中に存在する、聞く耳、見る目を持つもの以外には。ミハルはその一人だ。
榊が知っている中では、ミハルは三番目に強い力を持っている。一番はミハルの父、ダナエット・クレバー、二番目は息子。
( ── 取られてるの。数を数えなさい)
教授? この声は榊教授だわ。どうして? どうして今度は教授なの。わたし、教授のことを考えたかしら。
── 。
あたしが、聞いてるの?
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