三二九二年春、月に地球歴史博物館が開設された。
地球歴史博物館 ── その呼び物の一つに、地球の「過去」を覗くことができる、いうなれば目で見るタイムマシンの画面、といったものがある。
つまりはこうだ。
地球から太陽を眺めているとしよう。私たちは常に太陽の「過去」の姿を見ている。太陽が光を発してから八分後、その光は宇宙空間を駆けて地球に達する。もしも今この瞬間に太陽が白色わい星と化したとしても、私たちがそれを視覚的に捉えることのできるのは、太陽が本当に消えてから八分を待たねばならない。
同様に地球よりも太陽から遠ざかった地点では、もっと時間がかかる。
光は一定の速度で離れていく。刹那の場面を焼き付けながら、さながら古い時代のフィルムのように。その光を適当な瞬間で捉え、焼き付いた場面を解読再生する。地球からの時間の流れを距離で測り、高度にミクロのワープ機関と超高細密映像分析の技術が生んだ特殊カメラが光を追跡する。カメラは折り返し、映像データを博物館へ送り、閲覧者の待つ画面に再生する。閲覧者はモニターから過去の地球の出来事をつぶさに観測できる。
もとは宇宙司法局の犯罪捜査を目的として作られた設備だが、この地球博物館として、一般公開にも及んだのだった。宇宙司法局の資金集めのためとも噂されている。
ともあれ、博物館には物珍しさも手伝って、開館とともに全宇宙からたくさんの人々が「過去」の地球を見物しようと集まった。
しかしこの年の地球の特筆すべき話題は、博物館の開館だけではなかった。初夏に予定されたユーラシア日本地区元首の火星訪問は、博物館開館の興奮もさめやらんうちに、ニュース・ヴェーブの第一面を飾っていた。三〇〇年以上もの長きに渡って超経済大国を維持し、地球において絶大的な力を持つユーラシア日本地区が、いよいよ宇宙に進出するという段となり、その下準備として元首の火星視察訪問が組まれたのだ。大国として、全世界に名を轟かせているにも関わらず、その国柄は神秘のヴェールに包まれ、季節ごとに行われる皇族主催の大祭や秘事は国外にはあまり知られていない。水面下の権謀術数を得意とするユーラシア日本地区が、やはりなんの予備動作もなく火星進出を決定したことは、世界に衝撃をもって流れたのだ。
初夏のきらめく太陽の光の中、報道陣や軍の護衛者たちなどに見守られ、ユーラシア日本地区元首を乗せたVIP用豪華客船は、数船の護衛艦を伴って無事宇都宮宇宙港から地球を飛び立った。
それから間もなく、後を追うようにしてひっそりと小型船が宇宙港を飛び立った。 ── 後にその件は軍及び宇宙港管制塔局の事故記録にひっそりと記されることになる。
事件の概略はこうだ。
小型船は、制御コンピュータに欠陥があったのか、操作ミスなのか、管制塔局の努力もむなしく、非常事態の発生を示す赤色を悲鳴のように点滅させたまま、急速に加速を始め、光の速度に限りなく近い超高速で宇宙の彼方へ向けて飛んで行ってしまった。
宇都宮宇宙港管制塔局はそれでも、航路の予測測定を行い、無駄とは思いつつ該当宙域の軍当局に救助願いを出した。
軍は小型船の通過を確認することはできたが、救助を行うことはできなかった。
── そして五〇年の月日が流れた。
当初の新奇さも薄れ、地球歴史博物館には人々に飽きられた今日、大学の研究生や昔を懐かしむ老人、幼年学校の社会科見学やたまにやって来る辺境宙域からの団体客しか訪れなくなっていた。
そんな閑散とした館内で、一人のうら若い女性が「過去」を食い入るように見つめていた。
「違う……どこにいるの、わたし……」
彼女は独り言を呟きながら、画面を切り替えた。
閲覧用のスクリーンには、上部左に時間と所在地、右には画像の閲覧許可事象ランクの青、すなわち一般分野のリボンがかかっている。ランクによっては閲覧に特別な資格がいるのだ。
下のステータスバーには、時間軸と、位置コードがあり、彼女の操作に合わせて、めまぐるしい速さで動いていた。それによって、画面の映像も瞬きのスピードで切り替わっていく。
やがてがっくりと頭をうなだれ、堰を切ったように叫んだ。
「わたしは一体誰なの!?」
彼女は画面の上に突っ伏して肩を震わせた。
がらんとした館内に彼女の慟哭はむなしく吸い込まれていく。博物館の案内席から、彼女を見守る男の視線だけが、彼女の叫びを静かに受け止めていた。
燃料切れで、深宇宙を漂っていた小型船から救助され、医療ポットの中で目覚めたときには彼女は過去の記憶をすでに失っていた。自分の生い立ちも、住んでいた場所も名前も、どうして宇宙船に乗っていたのかも、何一つ思い出すことはできなかった。
……何一つ、というのは正確ではないかも知れない。彼女はそのことについて誰にも話さなかった。が、ただ一つ、どうして宇宙船に乗ったのかについて、感じるところがあったのだ。
彼女が唯一覚えていたのは「自分がなにか重大な使命を帯びて宇宙船に乗った」ということ、そして「このことは保身のために誰にも知らせてはならないこと」の二つだった。故にこのことを誰にも話さず、覚えていないことにしたのである。そして彼女は使命の完遂を切ないまでに望んでいた。あるいは深層意識に埋め込まれた、命令だといってもいい。
だから彼女は軍によって、自分が五〇年前に地球から飛び立った宇宙船の故障で、光速に近い航行を行い、見た目にはほとんど年を取ってはいないのだ、と教えられてもぴんとこなかった。
しばらく病院で静養した後、彼女は自分がいつどこの宇宙港から飛び立ったのか聞いてみた。
けれども五〇年前の記録は、近頃行われた資料整理の際に処分されてしまい、残っていないとのことだった。彼女の境遇に同情した軍の担当官は、過去の記憶が気になるのなら根気がいるが、五〇年前の地球ということはわかっているのだから、月の地球歴史博物館で調べてみてはどうかと教えてくれた。
もう二週間も博物館に通っていた。過去の記憶を取り戻すため、使命を思い出すために日々画面を切り替え続けた。しかし過去を何一つ覚えていない彼女にとって、地球はあまりに広く、時間と場所を片っ端から検索していく作業は非常に根気のいることだった。
「まだ過去を探しているのですか? こんなにたっても思い出せない過去なんて、きっと思い出したくない悲しいものなのかも知れませんよ。過去は思い出さない方が幸せなこともあります。それより、これからを楽しく生きることを考えた方がいいのではないですか」
博物館の案内係をしている穏和な男は、彼女の切符を切りながらそういった。
二週間通い詰めたおかげで彼と親しく口をきく仲になっていた。彼は彼女の身の上を知ると、同情し、なにかと力になってくれた。彼女はそんな彼を心強く思っていた。
彼女は曖昧に微笑み、切符をバックの中にしまうと、機械の駆動鍵を受け取る。
「たとえそうでも、わたしには大切な記憶なのだもの。知らずにはおれないわ」
「そうですか? それなら仕方がありませんね。私も貴女の過去が悲惨なものではないことを祈っていますよ……なにか手伝うことがあったら、遠慮なくおっしゃって下さい。いつものところにいますから」
「ありがとう」
彼女は慣れた手付きで駆動鍵を差し込むと機械を立ち上げた。
画面がユーラシア日本地区宇都宮宇宙港に合わされたとき、突如として彼女の中に一片の記憶が蘇った。画面の中にはユーラシア日本地区元首の火星訪問の際の厳かな式典の様子が映し出されている。事象ランクは公式事象のオレンジ。一般公開を許可されている公式行事を意味する。一般公開事象の最高ランクでもあった。
彼女は元首の顔を知っていた。
「思い出したわ!」
彼女は画面を最大に拡大して式典の進行を見守った。ユーラシア日本地区元首の顔に見覚えがあるのは当然のことだった。
『そうよ、わたしはこいつを殺そうとしていたのだった……!』
今や彼女はすべてのことを思いだした。
『わたしはユーラシア日本地区の宇宙進出反対派テロ組織の工作員で、元首の乗った宇宙船を爆破するために小型船で後を追うはずだった……でも、そう、わたしの航路設定ミスで急に速度が上がったものだから、そのショックで計器に頭をぶつけて気を失って……気がついたら病院の医療ポットの中だったんだわ』
そのとき初めて彼女は過ぎ去ってしまった五〇年に思いを馳せた。
宇宙船が光速に限りなく近いような速度で飛んでいる場合、地上に光が届く時間と船に光が届くまでの時間に差ができる。光は宇宙船の中でも、地上でも速さは変わらない。変わらないのに、宇宙船の方がよけいに距離を飛んでいるということは、時間がのびた、つまり中の人間は地上の人間に比べ、年をあまり取らないということだ。これをウラシマ効果という。
彼女は五〇年前、地球を離れたときとほとんど変わらぬ姿をしていた。
「そうか……わたしが宇宙船の中で気絶している間に五〇年も……」
彼女ははっと我に返った。自分には果たさなければならない使命があった。例え、それが五〇年も昔の使命だとしても、今の彼女にはそれしか残っていないのだ。
「わたしは元首を殺さなくてはならないんだ」
決心すると彼女は、元首の行動の追跡調査を始めた。
「こんな事って……」
しばらく画面を操っていた彼女は狼狽した。
地球を飛び立ってから火星訪問中は博物館の所蔵データ外にあるので分からなかった。それで、地球のニュースで足取りを確かめようとしたが、なぜか細かいところで情報が機密扱いになっていて、要領を得ない。ただ何か事件があったことは理解できた。
そして ── 。一瞬後の画面には……。
画面には、ユーラシア日本地区元首の盛大な追悼式典の模様が映し出されている。
銀で縁取られた棺桶に、いろとりどりの花に囲まれた元首が眠るように横たわっていた。政府官庁舎の中央通りを喪服の軍楽団に先導されて、棺は数十人の人々に担がれてゆっくりと行進している。道の両側では報道陣の衛星カメラが式典を撮影し、旗と剣を掲げた兵士が棺の通過と同時に手にした剣を下ろしていた。
五〇年前、ユーラシア日本地区元首は訪問先の火星で地元の風土病である風邪ウィルスに罹患し、この世を去った。このため、ユーラシア日本地区の宇宙進出は見送られ、白紙に戻された。
「思い出してしまったのですね」
背後から声をかけられて、彼女はびくんと体を震わせた。振り返ると、そこには博物館の案内係の男が立っていた。言葉遣いこそ、いつものようだが、身に纏っていた穏和な雰囲気は微塵も感じられない。濃紺のスクリーングラスがそれを助長していた。
彼女は彼が軍人であることを疑わなかった。テロリストであった頃の感が蘇る。
「ええ、思い出したわ。これでわたしも安心して生きていける。あなたが危惧したほど、ひどい過去でもなかったわ」
声が震えていなければいいがと思った。自分が何者であったか思い出した今、彼は彼女の敵だった。
彼を騙さなければならない。わたしがテロリストであることを隠さなければ……。
男は口の端をつり上げた。
「無駄だよ、お嬢さん。私は精神感応者なのでね。貴女の考えを読むことなどわけもない」
テレパシスト……! 彼女は絶望に真っ青になった。無意識に顔を手で覆う。
「こうして記憶を取り戻してしまった以上、貴女を自由にしておくわけにはいかなくなった」
口調すらもがらりと変えて、男はそう宣言した。
「どういうこと?」
「貴女がユーラシア日本地区元首暗殺に失敗したことを知った組織は、改めて新しい刺客を火星に送った。火星の風土病であるウイルスは火星生まれのものにはなんでもないのだが、地球生まれの元首には免疫のないものでね、元首一行は訪問中気密服を着ていたのだが、なぜか罹患した。
なぜかは言うまでもなく、貴女の仲間が仕事に成功したまでのことだ。我々はこの事件を重く見て、組織の壊滅に乗り出した。そして、貴女が最後の一人なのですよ。貴女には元首殺害未遂の起訴準備が進められている。
── しかし、もし失われた記憶に頓着せず、新たに生きることを選んだとしたら、我々は貴女を観察保護下に置くだけで手は出さない予定だった」
そこまで一気に話し終えると、男は溜息をついた。
「私としても非常に残念に思うよ、お嬢さん」
男は歩み寄ると、茫然としている彼女の腕をつかんで拘束錠を下ろした。
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