一面真っ黄っ黄だった。
ここもそこも、どこもかしこも、至る所黄色かった。
それがもう二十分ばかり続いている。
自分がどこにいるかわからない。
道は獣道のような、心もとないものだけだ。もっとも、この獣道は人間が歩いてできたものだったけれど。
人間の大人が歩けるぶんだけ、背高泡立ち草が根元から折れている。
黄色の主は、この草だった。そもそもはアメリカから渡ってきた、繁殖力の強い雑草だ。あっというまに日本全国津々浦々、どこでも見れる草になってしまった。
スギ花粉に次いで、花粉アレルギーの人から嫌われている草でもある。
その名の通り、人の背丈ほども高さがあるので、視界も悪い。都会に生えていれば、そんなにでもないのだが、ここのは優に二メートルくらいはある。
いったいどこまで続くんだろう、と思ったとき、背後で盛大なくしゃみが聞こえた。
「いやーん、美奈ちゃん花粉症なんですぅ。もう耐えらんなーい。所長、まだ着かないんですかぁ」
くしゃみに続いた言葉に、思考が一瞬白くなる。実に場違いな音程だった。
「うるさいわね。いい年した女が自分のこと、名前で呼ぶなっていつもいってるでしょ。カマトトぶりっこもいきすぎはただの馬鹿なんですからねっ」
「はーい、美奈ちゃんこれから気をつけまーす」
「わかってない。自分のことはわたしっていうのよっ」
「えーん、所長のいじわるぅ」
「泣くんじゃないっ、……ぎゃっ」
俺の胸に盛大にぶつかった。相手は今まで連れの方ばかり見ていたから、前に注意を払っていなかったのだ。
俺はといえば、雑草の森に現れた場違いな身なりをした二人の女性に見惚れてしまって、避けるどころではなかった。
いやいや、どちらにせよ、俺は受け止めるつもりだったけどね。
「大丈夫ですか」
俺は情けなくも、ワイシャツの胸についた真っ赤なキスマークを見ながらいった。
品よくついたものであればうれしかったのに、話しながらぶつかったせいで、口が開いた形でついてしまっている。みっともないことこの上なかった。
「きゃーっ、チカンっ、スケベー!」
おいおい、なに考えてるんだよ。
見れば、かなりの美人だが、あまりつき合いたくないタイプの人のようだ。見るぶんには目の保養でいいんだけど、つき合うにはきっと忍耐や気力や体力やらがいりそうだ、と俺は思った。ちなみに直感は当たる方だ。
「所長ー、大丈夫ですよぉ。この人、所長のことつき合いたくないタイプだっておっしゃってますからぁ」
なに、俺は口に出してはそんなこといってないぞ。
ぽわんとした、この美人の連れは、ぼうっとした眼差しで俺を見つめた。きっと花粉症を患っているのだろう。鼻の頭が赤くなっているし、目も涙目だ。こちらは美人というのではなく、かわいいといわれるタイプだろう。なんとなく、とろそうなところが男心を誘う。
「いやだぁ、所長、この人わたしのこと襲おうとしてますぅ」
そういうと、この子は美人の後ろに隠れた。
「いっておきますけど、私、柔道、剣道ともに五段ですのよ。女と思って甘く見ないで下さいね」
ざっと身構える美人。俺はあわてて頭を振った。冗談ではない、俺の方は転職道、挫折道なら五段くらいまでいくかも知れないが、体育界系の才能はこれっきしもないんだ。
「ま、待ってくれ。俺は別にそんなつもりじゃ……」
「往生際が悪いですわよ。男子たるもの、潔く私の鉄拳をお受けなさいっ」
ひえええぇ!
美人は気合いのかけ声とともにハンドバッグを繰り出してくる。これは当たると結構痛いんだ。でも俺には受ける才能もましてや避ける才能も持ち合わせていない。
「参りますわよ!」
「助けて!」
情けない悲鳴が口から出てしまう。そのとき、救いの声がかかった。
(ミギ)
声に対する条件反射で体が右に流れる。すごいことに、彼女の攻撃をかわしていた。
(ミギ)
(ヒダリ)
(カガンデ)
声のおかげで、なんとかハンドバッグの直撃を受けないでこれた。かすったりしてしまうのは、俺が鈍いためだ。
それにしても、これは誰の声なんだろう? ……あっ、そうか。
「なかなかおできになるようですわね。みんなかわせる方には、滅多にお会いしませんもの」
美人は先ほどとはうって変わって、尊敬さえにじむ目で俺を見ていた。
恥ずかしいことに顔が火照る。だって、ほんとに美人なんだものなぁ。そんな人に正面から見据えられたら、俺みたいな小心者は上がってしまう。
「まあ、うぶなのねぇ」
ぽわんとした子が呟いた。
「申し遅れましたわ、私、鳴沢探偵事務所の所長をしております、鳴沢華恵と申します。この子は所員の河原美奈子。よろしかったら貴方のお名前をお聞きしたいですわ」
「え、俺ですか、一条啓介っていいます。でも、みんな背高泡立ち草のおかげですから」
うっ、なにいってんだ俺は! また精神病者扱いされちまうじゃないか。
でも彼女たちはいい方に解釈してくれた。つまり、俺が謙遜しているのだと。
ま、その方がなんぼかマシではあるんだけどね。だからってこれからもそんなことを期待されちゃうと困るんだ。あのとき、背高泡立ち草が助言してくれなかったら、俺はハンドバッグでぼこぼこになっていたに決まっている。
……俺のちっとも役に立たない超能力については、もう知っているだろう? 声なきものと話せる能力。でも今回は、そのおかげで助かった。
そうだ、助けてくれた草はどれだろう?
彼女たちがおしゃべりに夢中になっている間に、見つけたかった。二人に聞こえないように小声で「ありがとう、誰が助けてくれたの」と聞く。
(ワタシ、オレテル、コンド、ワタシ、タスケテ)
声の主を見つけるのはたやすかった。話の通り、花房のすぐ下が折れてしまっている。水がとぎれているのか、少々花もしなりとしきていて、見るも哀れな風情だ。
俺はハンカチで折れたところを支えてやった。
(アリガトウ、アリガトウ)
「まあ、なにするのかと思ったら、優しいのねぇ」
言葉とは裏腹に、ぼうっとした瞳には疑惑の色があった。結構この子は鋭いのかも知れない。さっきから、俺考えを見透かすようなことばかりいうし……。
「うふふふふ」
「美奈子っ、気をつけなさい」
???、なにを気をつけるというのだろうか。なんかおかしいよなぁ、このひとたちも。
「道はこれ一つしかありませんし、行き先は私たち同じでしょう。御一緒に参りませんか」
「はぁ」
疑問は双方で抱きつつ、俺たちは当たり障りのない話をしながら、再び、背高泡立ち草の黄色い森を歩き出した。
前半部分はさておくにしても、二人の若い女性と、背高泡立ち草のファンタスティックな空間を歩くという夢のような時間は、あっという間に終わってしまった。
美人は育ちのいい人で、丁寧な話し方をするのも、まるでお見合いでもしている気分になっていいものだ。終わりの方では鳴沢さん、と呼べる間柄になれた。おっとり美人の子は、しょっちゅうくしゃみをしていたけれど、これは花粉症なのだから仕方がない。
話によると、鳴沢さんたちは、東京で探偵事務所をしていて、ここへは依頼でやって来たのだそうだ。
こんな遠方からも依頼があるとは、思ったよりも探偵という商売は金になる、などという感想を持つ俺の心はすさんでいる。
だが、その意見に賛同してくれる人も多いだろう。アメリカと違って日本の探偵なんてものは、浮気の現場写真を撮ったりって感じの、薄っぺらい職業だと思うのが普通。
その依頼は、実は俺がここへ来た理由にも絡んでいる。
例によって、俺は編集長からネタを貰ってここへ来た。忘れているかも知れないが、俺の職業はルポライターだ。
「よう一条ちゃん、ヒマそうだね」
月並みだが話の前置きとして、高島編集長もこの言葉を使っていた。
「前の記事、良かったよ。今度もあんな感じで仕上げてほしいんだ。今度のとこはね、お化けが出るらしいんだ」
「お化け、ですか。ちょっと時期はずれな気もしますけど」
「以前ならそうなんだけどね。でも今はさ、いつでもオカルトネタならみてくれるんだよ。もうちょっと勉強しなきゃなぁ、一条ちゃん」
そういって編集長は俺の背中をばしばし叩いた。いや、痛いのなんのって、冗談の域を越えた痛さだ。だからこの人は、結構油断のならない人なのだ。今だって、本気でもっと勉強しろと怒っているのかも知れない。
「はぁ、努力します」
俺は神妙にうなだれてみせた。編集長は頷くと話を続ける。
「それにさ、お化けっていっても、UMAなんだな」
秘密の言葉を口にしたとでもいうように、編集長はいたずらっぽい視線を投げた。
UMAというのは、日本語でいえば、未確認動物という意味だ。動物学者の実由達郎が名づけた。具体的に例を挙げると、ネッシーとかツチノコとかカッパとかがこれにあたる。
それにしても、いったい俺はなにを取材してこいといわれるのだろう。予算なんてわずかなものだから、ツチノコとかいう蛇のお化けだろうか。そういえば日本にはクッシーなんていうのもいたよな。
「ほんというとさ、どんな奴なのかわからないんだ。証言もまちまちでね。だからもしかしたら一条ちゃんがはじめて発見する未知の生物かもしんないわけ。ね、がんばってきてよ」
……これだもんなぁ。いうことがふるっている。ぜんぜん新発見なんて期待していないくせに、おだててのせようっていうんだから。
素直にのせられるには材料が淋しいけれど、断れないことだからせめてのせられてるフリでもしないと気力が育たない。
表面上はやる気満々の体で、俺は編集長に見送られて部屋を出たのだった。
叩かれた背中がまだ痛かった。
つまり、俺はここへ正体のわからないUMAを探しに来たのだ。
そういうことが明らかになると、俺たちはこの件に関して手を結ぶことになった。
……いい加減じりじりした気持ちになってるんじゃないかな?
俺がちっとも事件の内容について話さないから。
しかもUMAなんて、耳慣れない奴もでてきているし。
けれども俺が話さないわけは、至って単純な理由からなのだ。自分でもばかばかしく感じていて、おおっぴらに語るのがいやだったから、という。
でも、話をしないと、先に進まないところまできてしまった。
開き直って話すから、笑わないで聞いてくれ。俺だって、そう思っているんだから。
事の起こりは、井ノ原町の町役場で起きた。
役場の茶色い壁面に、チョークのようなもので稚拙な落書きが一面に描かれた。発見者は、毎朝一番に役場に出てくる木村さんだ。
チョークのようなもの、といったが実際は似て非なるもので、ほら、その辺に転がっている石の中にチョークほど描き味が良くなくても、線の引ける石があるだろう、それが使われていた。描き味が良くないだけに、壁面を傷つけるので、塗り直すほかない。
たちの悪いいたずら、と当初は思われていたが幾日も立たないうちに次の事件が起きた。
舞台は町役場から果樹園に移る。
この町特産の柿園の柿が誰かに荒らされた。鳥の仕業、ともいわれたが、地面に落ちた柿の食べ残しなどを見ると動物のようだった。しかしこの辺りは自然環境がいいせいか、果樹園をねらう動物なんて出たためしがないそうだ。
それはさておき、この事件が先の事件とつながった理由は、地面の落書きだった。固い地面に先の尖った石で描かれたそれは、町役場の壁に描かれたものと非常に類似していたのだ。
「これが例の落書きですのね」
鳴沢さんは真っ赤なツーピースをビシッと着こなして、挑むように地面を見下ろした。
町役場へはここへ来る前に鳴沢さんと二人で行った。もう、落書きはペンキで修復されて、跡形も残っていないから、落書きはここにあるものだけになる。
おっとり美人の美奈ちゃんとはこの果樹園で落ち合う約束だった。花粉症がひどくて、少し宿で休んでいたらしい。
役場では町長の話を聞いた。事件のことだけでなく、いろいろなことに話は飛んで、長くなってしまった。もう夕方になる。
実際、町長は愉快な人だった。白髪、長い白髭を生やしていて、タートルネックのセーターに白のスラックス、白い靴。全身白づくめで仙人みたいな雰囲気がある。
「わたし、白が好きなんですよ。身も心も清められるようでしょう。蛇足ですが、私は絵を描くのが趣味でしてね、その絵にも白をよく使うんです。白を多量に使うのは、あまりよろしいことではないそうですが、まあ、趣味ですしね。好きなように描いているのです」
事件の話の合間にそんなことも話していた。
お茶をくれた若い人のいうには、町長が絵画を趣味にしているのは誰でも知っているのだが、その絵を見たことのある人はいないのだそうだ。見せてくれといっても穏やかに断られてしまうらしい。
普通、絵をやっているのなら、自分の絵を他人に見て貰うのも楽しみの一つではないだろうか。それなのに、見た人がいないというのも、変な気がした。
ま、そんなこと、どうでもいいけど。
話を元に戻そう。
鳴沢さんが威勢良く、啖呵を切ったのはいいが、いかんせん、彼女の服装や言動はこの場において、かなり浮いていた。
たとえば、ここが東京のビル街のアスファルトの上で、下にあるのが頭から血を流した死体などであったなら、そして、観客も俺たちみたいなのではなく、洗練された刑事やグラマラスな美女たち、というのであれば鳴沢さんはそこにぴたりとはまったかも知れない。
けれども現実は、ここはど田舎の町で、相手にしているのも死体じゃなく、たんなる落書きだったし、聴衆も町役場の人に農園の持ち主、それに花粉症がいよいよひどくなったのか、見てくれを投げ捨てた完全防備の美奈ちゃんに俺なのだ。
「第一発見者は、どなたですの」
「わしじゃ」
第一発見者は、農園のおかみさんだ。
「どうしてこの辺りにいらっしゃったのですか」
「そりゃあ、ここら辺の木を見て回ってたんよ。朝のわしの仕事じゃもんなぁ」
「最後に、こんな事をする方に心当たりはございませんか」
「ねぇのう」
鳴沢さんは考え込むように首を傾げた。ちらりと美奈ちゃんに目配せする。
美奈ちゃんはわずかに頷いた。
やけにあっさりした質問と目配せ。それを一人一人に繰り返して、ものの数十分で聞く人もいなくなった。
「もう伺うことはなにもありません。お忙しい中、お時間をさいていただきありがとうございました。皆様、もう戻られて結構です」
にっこり笑みを浮かべて宣言する。美人だ。目の保養だ。
なんとなく未練と不安を抱きつつ、町人たちは帰って行く。
しんと辺りが静まり返るまで、残った俺たち三人は微動だにしなかった。
これからどうするんだろう。浮かぶのは疑問ばかりだ。
「さて、どうでした」
人の気配がなくなると、鳴沢さんはおもむろに質問した。
「えっとー、誰も犯人じゃないみたいでした」
美奈ちゃんが無邪気に答える。
「どうしてそう、わかるんですかっ!」
俺は叫んだ。二人は今、俺がここにいるのを気づいたみたいに、こっちをかえり見る。
どちらの顔も気に入っているから、こんな状況にもかかわらず、幸せだなぁと感じてしまう。俺って案外、小さな事に幸せを見いだすタイプかも、と考えていると、美奈ちゃんが吹き出した。
「やっだー、一条さんたら。そんなこと考えるのやめてくださいよぉ」
けらけら笑い転げる。
俺はぎょっとして、美奈ちゃんを見つめた。確かに俺は、口に出しはしなかった。
ってことは……。
「まっ、まぁ〜、驚いた顔をされて、どうしたんですの? うちの美奈子は重度の花粉症で、症状が進むと突然笑い出してしまうんですのよ。それで驚かしてしまったのかしら。ほほほほほ」
鳴沢さんが、美奈ちゃんの口許を必死で押さえて弁解する。
その様子がすでに、俺の疑惑が正しいことを証明している。
「騙されませんよ、もう。昨日会ったときから、十分、疑わしかったんですから」
ふう、と彼女は溜息をついた。そんな仕草も妙に艶めかしく感じられて、俺は欲求不満なんじゃないかと不安になる。
しかし、そんな場合じゃなかった。
「仕方ないですわね。ほんとに、美奈子、貴女が悪いんですよ」
美奈ちゃんはぺろりと舌を出した。かわいい。
「こんな事をいっても、信じて下さらないでしょうけど、美奈子は超能力者なんですの。お疑いの通り、人の心が読めてしまう精神感応者ですわ」
やっぱり。でもそれって、立派な超能力だ。俺の持ってるのと違って。ちょっぴりうらやましくなってしまう。
黙ったままの俺の態度をどう取ったのか、美奈ちゃんが慌てて弁解し出した。
「でもぉー、そんなたいしたもんじゃないんですよ。力の使えるのって、美奈ちゃんが花粉症してるときだけだしっ。テレパスだからって、得したこともないしぃ」
美奈ちゃんは瞳をうるうるさせて、迫ってくる。
「だからっ、美奈ちゃんのこと、嫌いにならないで、一条さんっ」
「そんな……嫌いになんて、ならないよ。実をいえば、俺だって力みたいなの持ってるし……」
「やっぱりっ!!」
叫ぶと二人は片手ずつで、俺の胸倉を掴んだ。女性とは思えない迫力だ。
「美奈子のいうとおりですわ。私は半信半疑でしたけど、貴方にも力があるんですのね」
「うれしいー。美奈ちゃん感激ですぅ」
なんなんだ、これはっ。……いや、俺ははめられたんだ!
俺は、自分のいだいた第一印象を思い出した。
俺の勘は本当に良く当たるんだ。それが悪ければ悪いほど。
「さあっ、貴方の能力を教えて下さいな」
鳴沢さんが凄みのある顔で脅迫する。
「わかりましたからっ、放して下さい」
「教えて、教えてぇ」
「あんまり、自慢できるようなもんじゃないんですよ。俺の力は、言葉を話せないものと話ができるってことです」
「どういうことですの」
「えーとですね。どれとでもってわけじゃないんだけど、例えば、ここに転がっている石とか、鳴沢さんがしている時計とか相手が意志を持ってれば、話ができるってことです」
ちらりと鳴沢さんは、腕時計に目を落としたが、それ以上はなんのリアクションも見せずに、美奈子ちゃんと顔を見合わせて、頷き合っている。
この対応には感心する。ま、信じてないだけなんだろうけど。
「それじゃあ、この落書きしたのが誰なのか、聞けるのねぇ」
俺は不承不承頷いた。嘘はついていないが、簡単にできると自慢はできない。
「それでは、聞いてみていただけませんこと」
「え、まあ、いいですけど……」
どうも、いまいち理解してくれたとは言い難いみたいだな。ま、でもいいか。
俺は、そこらを歩き回って、ぼそぼそ独り言をいってる奴がいないか耳をすませる。ここのものたちは皆無口なのか、辺りはしんと静まり返っている。時々鳥の羽音が聞こえてくるばかりだ。二人は俺の行動を固唾を飲んで見守っている。
ちょっと気恥ずかしさがこみ上げてきた頃、地面の方から声がした。
(甘イ、甘イ、ワタシ。モウ少シデ甘クナッタノニ、モギラレチャッタ。カワイソウナワタシ)
あっ、これだ! 歌うように話している。
(風ジャナイノ。森ノ人デモ。見タコトモナイ、オ化ケニ、モギ取ラレチャッタ。モウ少シデ甘クナッタノニ、カワイソウナワタシ)
あまり人の来なさそうな場所なのに、言葉は達者だ。これはスムーズに話が聞けるだろう。
声を頼りに見つけたのは、まだ青い色を残したあんずだった。そっと拾い上げる。
「そのあんずがしゃべるのぉ?」
美奈ちゃんが気味悪そうに尋ねてきた。
手のひらに乗ったあんずを指先でつついたりもしている。
だが他人にとっては正真正銘ただの熟し切らないあんずにしか見えない。美奈ちゃんにつつかれたりして、あんずが悲しみの声を上げているのも、彼女には聞こえない。
「こらこら、そのへんにしといて。なんだかこのあんず、ナイーブな性格してるみたいだから」
「ええーっ、ナイーブな性格のあんず !? 美奈ちゃんには普通のあんずにしか見えなーい」
途端に、変人だ、という目つきで見られる。
同じ超能力者からも、こんな目つきで見られてしまうのだから、俺は自分の能力を他人に話したくないのだ。ほとんどの人が、いや、すべての人が俺の頭がおかしいと思う。
ずーんと落ち込んだ俺は、それでもあんずに話を聞こうと口を開きかけた。
「一条さん、ごめんなさい」
「えっ?」
たじろいでしまう。どうしたんだろう、急に……あっ、そうか。美奈ちゃんはテレパスなんだっけ。
「あー、泣かないで。俺、平気だから」
必死でなだめる。鳴沢さんも察したのか、ぽんぽん美奈ちゃんの背を叩いた。
「美奈子、もう一条さんも怒っておりませんから、泣きやみなさい」とかいってる。
「ほんとに泣きやんで。ほら、あんずに犯人のこと聞いてみるから」
美奈ちゃんはうつむいたまま頷いているが、そう簡単に涙は引っ込まないものらしい。
「えーっと、あんずさん、君を木から落とした奴について、なにか知ってる、かな?」
(……モギ取ラレチャッタ。オ化ケニ。白イ、白イオ化ケ。森ノ人ニ似テル。カワイソウナワタシ)
うーん、「森ノ人」っていうのは、ここにオランウータンがいるわけないから、多分農家の人のことなんだろうな。じゃあ「オ化ケ」は? 「森ノ人ニ似テル」んだから、人間か。白い人間!? なんだそれ。
「どうですの、なにかわかりまして?」
「ええ。でも意味がわからなくて。鳴沢さん、白い人間が犯人らしいんですが、誰だかわかりますか」
ちょっと小首をかしげる。どうやら、それは彼女の考えるときの癖らしい。
「ここには外人さんなんかも、いそーにないよねぇ」
「あ、そうですわ。白といえば、この町の町長さん、全身白づくめじゃありませんか」
そういえば。ここへ来る前、町役場で話を聞いたときに会った町長は、そういう服装をしていた。
「そうか! でも町長さんがどうして……」
「ここは、豊かとはいいましても、町とは名ばかりの過疎の町ですもの。UMAが出る、といって人々を集め、町おこしをしようとなさってるのじゃないかしら。この落書きにしても、たしか町長さんの趣味は絵画でしたわ。町長さんがこれを描いたのでしょう。誰も町長さんの絵を見た方はいないと聞いていますし」
なるほど、非の打ちどころがない。
それにきっと、これは町長の独断でやっているのだろう。犯人が町長だとみんなが知っていれば、さっき美奈ちゃんがみんなの心を覗いたとき、わかったはずだ。
俺たちは町役場に戻り、町長に面会を求めた。
「バレてしまいましたか」
町長は悪びれずにそういった。なんともいえない微笑みを浮かべる。
「うまくいけばいいな、と思っていたんですがね。ツチノコにしろネッシーにしろ、迷信の力を借りて人の期待が作り上げた偶像でしょう。しかし、それで町おこしをしているところもある。わたしも新しいお化けを作ろうと思ったのですが、やはり世の中思うようにはいきませんな。 ── それで、このことをみんなに話してしまいますか」
俺たちは首を振った。町長は驚いたようだ。
「このまま、なにも起こらなければ、みんなもいたずらとして忘れてしまうでしょう。やり方は間違っていたけれど、町長さんの気持ちもわかりますから。ですから、もっと違う風にがんばって下さい」
「そうですわ。ここはこんなに自然があるところですもの。あんず園も背高泡立ち草の原っぱも、素敵です。そういう素朴なものに、都会の人は弱いんですのよ」
「……すみません。どうもありがとう」
感極まって、町長は俺たちの手をいつまでも握りしめた。
帰り。
背高泡立ち草の金色の空間を三人でとぼとぼとと歩く。
時々、美奈ちゃんのくしゃみが聞こえる。
中程で、ハンカチに支えられた一本の背高泡立ち草が、通りすがりに(アリガトウ)といっていた。