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砂の薔薇



 砂嵐が去った砂漠には、静寂が戻っていた。
 風紋が刻まれた地表面。月光のもと、絶え間なく風に流される砂の波紋は刻一刻と姿を変える。それは、苦しい状況にあるわたしの心にも美しい眺めだった。
 砂漠には波があるのだ。水ではなく、砂の波が。砂でできた海、そうもいえる。
 いうなればわたしは、砂の海で遭難してもいるというわけか。
 朦朧とする頭で、そんなことを思った。
 そして苦笑する。死にかけている者としては、冷めた感情だと思ったから。
 わたしは、砂の海の中に半ば埋もれて倒れていた。水が底をついてから、まる三日が過ぎている。
 ふと目の前に、砂の薔薇が落ちているのに気がついた。海の妄想から現実に引き戻される。目眩のような感覚。わたしは瞬きをし、薔薇が幻ではないことを確認すると、まだそこにある砂の薔薇に手を伸ばした。
 嵐で砂の中から洗い出されてきたに違いない。たとえ砂でできていようとも、この薔薇は美しい。
 見れば、そこここに薔薇が見られた。
 水のない砂漠には、砂でできた薔薇が咲くのか? それはいかにも砂漠らしいことのようだが、実はこの薔薇も水なしにはできない。これがあるということは、遙かな昔、ここには湖かなにかがあった証拠なのだ。
 そんなことにとりとめもなく想い巡らすうちに、ようやく自分の現在の境遇について考える気力がわいてきた。
 砂漠で水もなしにどのくらい生きられるものなのか、見当もつかなかったが、生き残る努力はすべきだ。それが信条であったので、わたしはきしむ身体を他人のように感じつつ、起きあがった。
 砂の薔薇をポケットに突っ込み、身体中にまとわりついた砂粒を払い落とす。案外、水場に近いところまできているのかもしれない。
 星の位置で、方角を確認する。数日前になくした地図を頭の中に呼び起こし、井戸の方角を目指して歩き始めた。


「……と、まあそのあと運良く救助ヘリに拾われまして、無事こうしてあなたと酒を飲んでいるわけです」
 僕は、小さな砂の薔薇をもてあそびながら、「それでは、これがその時の薔薇なのですね」と言わずもがなの質問をした。
 相手は僕の年上の友人で、探検家として著名な人物である。時折こうして居酒屋で、彼の冒険譚を聞かせてもらうのは、僕の楽しみの一つだ。
「そうです。結局肝心の遺跡にたどり着けずじまいで、なんとも無念ではあったのですが、あの極限の状態で手に入れたこの薔薇はわたしのよき思い出の品なのです」
「死にかけたのに、よき思い出なのですか?」
 僕は意外に感じて聞き返した。
 友人は晴れやかな笑顔を浮かべ、「そう、わたしは死にかけの状態でこの薔薇を手に入れました。美しいって気持ちと一緒にね。おもしろいでしょう? つまりこれはわたしの生の美しさなのですよ」という。
 ──なるほど。つまりそれは命の輝き、尊さの炎に触れたときのおみやげなのか。
 僕らは、この神秘の薔薇に乾杯をした。



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