残業で遅くなった晩に、家近くの公園にさしかかると、近所の子供らが花火をしていた。
薄暗い闇の中で、彼らの白や黄色やピンクのシャツがぼうっと浮かび上がっている。手にはそれぞれ花火がパチパチと煌めいており、じっとその光を見入っている子や、走り回って火花の弧を描いて楽しんでいる子などが十人ばかりいた。
はて、うちの近所にはこんなに小さい子らがいたのかと漠然と思った。うちには子供がいないし、昼間は出かけているのだから気がつかないのも無理はないかもしれない。
「おっちゃん。おっちゃんもやる?」
気づかぬうちに足を止めて見とれていたのに子供らが気づいて声を掛けてきた。白いシャツに半ズボンの男の子だ。
「やらせてくれるのかい?」
わたしは少し子供にかがみ込んでこたえた。
「おっちゃんは大人だから、コレ」
少年はにっこり笑って、左手に掴んでいた線香花火の束を差し出してくる。
いい笑顔だ。こんな子供の笑顔を見たのは、何年ぶりだろう? ふと、流産した子供が育っていれば、このくらいの年だったと思った。妙なことを思い出したものだ。
少年の意外に冷たい手から一つ二つ受け取って、子供に袖を引かれつつ、ろうそくから火をつけた。
とたんにパチパチと勢いよく火花が飛び出す。
緋の色をした花弁は頼りない紙のこよりの先に咲くにはひどく大きいように感じる。
少しでも長く続かせようと、わたしは手元を揺らさぬように気を使う。隣にかがんで花火に見入る少年を楽しませたかった。
「きれいだね」
「うん。きれい」
やがて火華は小さくなり、か細くなって、中心の珠がぽとりと落ちた。ほう、とため息が漏れる。あとには火薬のにおいが残った。
先程の少年が、もう一回とせがんだので、わたしはまた火をつけた。
再び、大輪の火華が咲き、それは徐々に姿を小さくして、終いには一つの珠を残す。
気がつくと、てんでに花火を楽しんでいたはずの子供たちもわたしたちのまわりに集まって、線香花火を眺めていた。
「おじさん、もう一回」
少年とは別の子がせがんだ。一人がそういい出すと、ほかの子らも口々にせがむ。
わたしは苦笑しつつ頷くと、花火に火をともした。
シュッと火薬の燃え上がる音がして、火華が飛び出す。
「あっ」
子供たちから声が挙がった。わたしもハッとする。
この線香花火の火花は青かった。こんなのは見たこともない。近頃はこんな線香花火も出回っているのだろうか。
「青いよ」
「青いね」
「今年は誰の番?」
「わからないよ、君はどう?」
「わからない」
子供たちは急にそわそわし出し、互いと花火の間に視線を彷徨わせる。わたしはそんな子供たちの反応が理解できなくて、困惑した。
「いったい、どうしたんだい?」
「青いのは……」
「それは内緒だよ」
「そうだった、内緒なの」
ますます訳が分からない。青い線香花火で、なにか占いのような遊びでもしているのだろうか。
「まあ、今年はあの子よ!」
正面の少女が叫ぶ。少女の指す方向を見ると、少年が青い炎に包まれていた。それは、最初にわたしに声を掛けてきた少年だった。
わたしは驚いて飛びすさると同時に、近くに水がないか探した。見つからない。慌てて上着を脱いで、少年の身体をはたく。
「なんてことだ! 水はっ? あの子のお母さんを呼んできて!」
そんなわたしの様子に子供たちはくすくす笑い、服の袖を引っ張って、「心配ない」という。
そんなことがあるものかとわたしは憤慨したが、当の少年が青い炎の中で揺らめきながら、わたしの手に触った。
反射的に手を引っ込めたが、熱くないことに気がつく。
「ね? ぼくは大丈夫。今年はぼくの番なんだ。おっちゃん、ありがとう」
にこりとまたあの笑顔を見せる。
「本当になんともないのか? どうして?」
信じられない。
「ぜんぜんヘイキ。だってぼくは……」
いいかけると、他の子が止めた。
「それは内緒でしょ」
少年は、ハッとした顔になって、「そうだった」と呟く。
「なにが内緒なんだ? 教えてくれよ」
「だめ。いったら、おしまいだから」
硬い表情で少年は拒絶した。けれどもまた笑顔を見せて、わたしの手を握ると、
「おっちゃん、ありがとう。また会おうな」
といって、すうっと消えた。
言葉が出なかった。少年は、本当に消えてしまった。まわりで見守っていた子供たちは歓声を上げる。
こんな摩訶不思議な出来事が起こったのに、泣いている子はいなかった。どちらかというと、わたしの方が泣きたい気持ちだった。
「おじさん、びっくりしたのね」
少女がぽつりという。
「大丈夫だよ」
見栄を張ったが声がかすれていた。
少女は、わたしの手に触れ、子供特有の真摯な眼差しを向けた。
「あの子は、次に行ったの。いいなぁ」
ちらりと、消えた少年への羨望が瞳に宿る。
「……あたしたちは、もう帰る。おじさんも帰るでしょう?」
少女の手は、冷たかった。そういえば、あの子も冷たかった。……そんな、まさか。
少女は、わたしの表情を見て取ると、微笑んだ。そんな。本当に、そうなのだろうか。
「おじさん、今日はありがとう」
最後にそういうと、少女も消えた。
「ありがとう。さよなら」
「ばいばい。ありがとう」
「ありがとう」
子供たちは口々に礼を述べ、わたしの身体に触れると消えていった。どの子も冷たい手をしていた。
そうして、わたしだけが取り残される。
子供たちのいた気配も、花火の跡も消え、しんと静まり返った公園には、花火のあとの寂しさにも似た寂寥感が漂っている。それだけが、残されたものだった。
わたしは夢を見ていたのだろうか?
子供たちはいない。花火を一緒にしたのは、わたしの夢なのだろうか?
呆然と、わたしは立ちつくした。なにか、なにか彼らのいた証がここらにないものか……。
風がふわりと吹いた。少し、火薬のにおいがしたような気もしたが、気のせいかも知れなかった。
狐に包まれたような気持ちで、帰宅した。玄関の扉の閉まる音を聞きつけて、奥から妻が飛び出してくる。なにかいいことがあったときの行動だ。
「どうしたの?」
「ふふふ。ねえ、きいて。わたし、今日病院へ行ったの。……赤ちゃんができたのよ」
嬉しそうに、妻が告げた。わたしは、そっと、次第に力強く、妻を抱きしめた。