
その時少年は、ひどく悲しい気持ちだった。
ひとりである、ということ。
目の前には燦然と美しく輝く星があるというのに、希望を抱くことすらできないこの星に、今存在するということ。
悲しかった。
けれどどちらも自分にはどうすることもできない問題だった。
ふ、と、今日幾度目かのため息をつく。
考えても仕方の無いことだ。
そんなことは遠い昔に理解しており、だから、なぜ今になって、という想いの方が強かった。
なぜ今になってこれほど焦がれるのかあの星に?
さわさわと、足元の月見草がさわいだ。
―恋しいならば、呼べばいい―
それは永きに渡り、自分の想いを押し殺してきた少年にとって、とても魅力的な未来。
だから少年はそれを願ってしまったのだ。それがどれほどに虚しいものかを知らずに。
そうして、物語は地上に降りたつこととなる。
(あとちょっとか・・・。)
日和(ヒヨリ)はシャープペンを置いて、ぼんやり外を眺めた。
闇の色に染められた雲が風に流されて、月が見え隠れする。
時は着実に過ぎていく。
夏休みというものに暇を見つけられるものなら、今すぐに知りたかった。
けれど、既に思い出となりつつある記憶に、そんなものは見つからない。
(はやい、なぁ)
もう九月も半ばだというのに、夏休みにあった総ての出来事を瞬時に思い出せてしまう自分が恨めしい。
そんなことをつらつらと考えている少年と、時計の音と。
ふと、月がその全貌を現す。
(満月か、)
ボーン、と廊下の時計が真夜中をさす。
月が再び雲に隠れる。
(宿題、やんなきゃ)
日和は机の上に目を落した。
「?! なに、これ、」
驚いた日和が机の上から拾い上げた物は、一輪の花の蕾み。
(こんなもの、あったかな)
どう考えても無かった、よな。
どこからこんなものが、と思いつつ周囲を確かめた。
否、確かめようとした、のだ。
「うわあぁぁぁぁっ?!」
視線の先は見慣れた部屋を捉えることをせず、視界の隅々まで広がる闇を捉えていた。
「な、んのじょうだ、ん」
それ以上言葉は続かず、目の前に現れた闇に圧倒されてしまっていた。
凄く突然だった。
恐怖さえ、なかった。
「すみません、驚かせてしまいましたか・・・?」
不意に後ろから声がかかる。
「誰だよっ?!」
パニックに陥ったまま振り返ると、もうそこには机など無く、そのかわりとばかりに、少年が立っていた。
赤い瞳が印象的な少年だった。
恐らく自分より1つか2つ年上だろう。
「どうやら驚かせてしまったようですね。私はレト、レト=ルーヴェル。そしてこれは月見草」
す、と足元を指してレトはふわり、と微笑んだ。足元には今まで気づかなかったのが不思議なほど、地面をびっしりと蕾のままの月見草が覆っていた。気のせいか、咲いてもいないのに、ほのかに光を放つようだ。
「あ・・、と、お、僕は、青野日和です」
何自己紹介してんだよ、俺、と自分で突っ込みつつ、日和はそれでもやはりレトの笑顔から目を離せないでいた。
(なんだか、不安な瞳)
理由も無くそう思った。
きっと彼は何かを待っている。
「初めまして日和さん。」
「はっ、初めマシテ、」
くすり、と、レトが再び微笑む。赤い瞳がちら、と閃く。さわ、と、風も無いのに足元の月見草が揺れた気がした。
不思議な、月見草。レトのほうは、まあ、悪い人ではないようだ。
一通り挨拶などを終えると、さすがに冷静になるというか、現実主義がのそのそと頭をもたげてくると、日和は、はた、とわれに返った。
「え、と。ところでここは何処ですか?あなたは・・・」
「レト、でいいよ、」
「あ・・・と、レトは知ってるの?」
初めて会った人に対して呼び捨てもどうかと思ったが、それをレトが望んでいる気がして「さん」をつけるのはやめた。
どうしたのか、今日は直感ばかりが先立っているような気がして、自分でも少なからず驚いた。
どちらかといえば、石橋を叩いて渡るタイプの人間だと自分を理解していたが、これは少し考え直さねばなるまい、などと呑気なことを考えていた矢先だった。
レトが告げた答えは、日和を、「やはり石橋は叩いて渡らねばなるまい」と考え直させるに十分な威力を持っていた。
「ええ、ここはあなた達が『月』と呼ぶ場所」
「・・・は?なに、いってんの?」
全く理解ができなかった。レトのつむぐ言葉の総てが上滑りで、意味が、なかった。だからおもわず、レト自身を疑う。そうすることで、日和は自分を守るしかなかった。
そんなことを考えたのを、レトは知ってか知らずか、すぅ、と悲しげな瞳になった。
きっと、気づいてしまったのだ。
日和の心の奥底にあるどろどろとした感情が、レトの存在自体を現実から抹殺しようとしたことに。
日和は、レトがそれに気づいたことに気づかない振りをするしかなかった。そんなことをしても、意味が無いことはわかっていても。
彼は―レトは、未知の人だった。他人、だった。
ざわ、と月見草が揺れた。見紛えることも無いほどに、強く。
「今日は本当に突然で、すみません。・・・またお会いできれば良いのですが、ね、」
悲しげな瞳のまま、痛々しく微笑むレトをみて、日和は初めて、レトが何を待っていたのかわかった気がした。けれど、それは気づいたとたんに跡形も無く消え去り、かわりに怒涛のように押し寄せる後悔の念が現れた。
「ま、まって・・・っ」
きっと自分はもう二度とレトに会えない―そんな予感がして日和は叫んだ。
「さようなら」
けれどレトは、赤く輝く目を悲しげとも絶望ともつかぬ色に染めて、別れの言葉を、告げた。
レトは細く白い腕を、虚空に線を描くようにすっ、と横に振った。
どういう仕掛けか、それまでは蕾のままだった月見草が黄色い光を放ちながら、一斉に咲き始めた。
(眩し・・・っ)
足元からの鋭い光に視界を奪われ、日和は瞳を閉じた。
再び目を開くと、そこは見慣れた自分の部屋だった。
「・・・なんだったんだ、一体」
やっぱり夢だったのか、と思ったが、今度はすぐに違う、とわかった。
日和の机の上には、置いた覚えの無い月見草が2輪、美しい黄色い花を咲かせていたから。
月を見ようと、窓にしがみついた。
先刻まで闇色の雲に覆われてた空が、今では素晴らしい星空だ。
月も出ている。
「レト、」
呼びかけてももう返ってくる微笑は無いけれど、日和は呼びかけずにはおれなかった。
レトはきっと自分を呼んでくれるひとが欲しかったのだ。だからきっと、自分を呼び寄せたのだろう。
日和がつぶやくと、あの微笑とと共に、さわ、と揺れる、あの不思議な月見草の音がしたような気がした。
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