なぜ人権は尊重されなければならないのか
なぜ人権は尊重されなければならないのか
ここまで来ると、ようやく「なぜ、どんな人に対しても、人権は尊重されなければならないのか」、「なぜ、どんな人に対しても、パワーハラスメントはしてはいけないのか」ということを考えることができます。
それは、パワーハラスメントや人権侵害は、たとえその人がどんなにひどい人であっても、その人の「安心、自信、自由」を奪う行為だからです。それは結果として、その人の「生き生きと生きる力」を奪うことになります。その人がたとえどんな人であれ、その人の生きる力を奪っていい人はこの世に一人もいないはずです。
毎年、何人もの子どもたちが、いじめを受けて自ら命を絶っていきます。多くのおとなは、「なぜ、死を選んでしまうのか。死ぬ勇気があれば、なんでもできるはずだ。学校なんて行かなきゃいいじゃないか。」と思ったりします。しかし、それは間違った判断・感想だと思います。いじめを受けた子が、死を選んでしまうのは、「安心、自信、自由」を徹底的に奪われ、自らの生きる力を徹底して奪われるからです。学校に行けば、「お前、まだそんなことしているのか。恥ずかしくないのか。よく学校に来られるな。」などと言われ、歩いて行けば足を引っかけられ、背中をど突かれ、恥ずかしいことを無理やりやらされて、「安心(自分はここにいていいという思い)」など持てるはずはないのです。そして、いじめる方は、例えば女の子に対して、「あんた臭いよ。」みたいなことを平気で繰り返し言ってきます。そんなことを言われて、「自信(わたしはこれでいいという思い)」を持ち続けていられるでしょうか。まして、「(生き方や生活の仕方の)選択の自由」などどこにもありません。こうやって、徹底的に毎日、「安心、自信、自由」という「生きる力」を奪われていけば、もう死ぬしかないと思ってしまうのも無理はないことです。
いじめに限らず、パワーハラスメントを始めとするすべての人権侵害は、その人の「安心、自信、自由」を奪う行為です。だから、してはいけないのです。逆な言い方をすれば、自分の「安心、自信、自由」(つまりは、自分の人権)は、自分にとって何よりも大切なものです。それは、生きる力の源だからです。ですから、自分の「安心、自信、自由」を傷つけたり、奪ったりする行為に出会った時は、どんな場合でも、ためらわずに、「つらいです。やめてください」と言っていいのです。
このようなことを言うと、「それが言えないような環境だから困っているんだ。」という意見が出そうです。どのような環境であっても、遠慮せず、「つらいです。それはやめてください」と言っていいということを今、お話しているわけですが、現実には、相手の言動をつらく感じる時に、「こんなふうに感じるのは、もしかしたら自分が悪いのかもしれない。」、「つらいなんて言えば、周りからどんな目で見られるかわからない。」、「やめてくれなんて言えば、わがまま勝手なやつ、所詮、力のないダメなやつと思われるだけだ。」と思う人も多いでしょう。なぜ、そう思ってしまうのでしょうか。それはひと言で言えば、つらいと感じている自分に「自信」が持てないからです。ここで話は堂々巡りに陥ります。自分の「感じていること」、「思っていること」を、人の目や人の評価を通してしか、見られない、評価できない人は、「つらいです。それはやめてください」という声を出すこともできないのです。残念ながら、それくらい自分に対して「(本当の)自信」が持てない、守るべき「自分」そのものがないということになります。そして、これは日本という社会に住む者にとって、例外的な状態ではありません。むしろほとんどの日本人が多かれ少なかれ、そのような状態にあると言ってもよいかもしれません。ひと言で言えば、日本人には「自分に自信のない人」、「自分がない人」があまりに多いのです。