高齢者の人権

高齢者の人権について

ここでは現在、高齢者の人権に関わる問題として、最も大きなものと思われる、認知症の高齢者に対する虐待のことを中心にしてお話します。まず、認知症とはどういうものかを簡単にお話します。


認知症とは、脳の細胞の変化によって、記憶の障がいや認知機能の低下が見られる症状を言います。中心的な症状としては、記憶の障がい(ついさっきのことを忘れてしまう等)や判断力の低下(見たものや聞こえたことを、「○○だ」と理解したり、判断したりする力などが衰える)、時間や場所がわからなくなったり(今はいつなのか、自分がどこにいるのかわからなくなる等)、言葉が理解できなくなったりすることが挙げられます。


実際の生活の中では、視力が落ちたり視野が狭くなるために、すぐ目の前に人が来るまでその人の姿に気づきにくくなります。また、左右や背後、室外など、今、自分が見ていないところからの声や音を聴き取ることがむずかしくなるため、自分の横や後ろから声をかけられた場合は、それがすぐ近くからのものであってもなかなか気がつきません。一つのことに集中していると、他のことには注意を向ける余裕がなくなくなるからです。また、つい最近の出来事についての記憶(短期記憶)は、一番消えやすくなるため、1、2分前の出来事も忘れてしまうということが起きてきます。その結果、何度も何度も「今、何時だっけ。」と頻繁に繰り返し聞いてくるということが起きます。その結果、何度も聞かれた人は、さすがに腹が立って、「いいかげんにしてください。」と怒鳴ってしまうというようなことも起きてきます。さらに認知症が深まると、もう仕事をやめてから10年以上も経つのに、突然、「仕事に行ってくる。」と言い出して出かけようとしたりすることが起きてきます。本人に「あなたは、今、何歳ですか。」聞くと、むっとして、「30歳だ。」と答えるようなことも起きてきます。


介護の現場(病院や介護施設や家庭など)では、こんなことが起きます。看護師や介護士や家族が、認知症の高齢者が紙おむつの中に便などを漏らしているのに気がついて、紙おむつを取り換えようとします。「きれいにしましょうね。」と声をかけて、やさしくパジャマ等を脱がそうとしても、高齢者がどうしても言うことを聞かずに抵抗することがあります。「だって、このままじゃ気持ち悪いでしょう。」と言って脱がそうとすると、暴れたりして激しく抵抗します。そういうことが起きると介護する側は、「ああ、この人も認知症がひどくなって、こんなこともわからなくなったんだ。でも、このまま放っておいたら、お尻のかぶれがもっとひどくなってしまう。」などと考えます。複数の人で押さえつけて、無理やりおむつを脱がせてきれいにしようとすると、それに抵抗して、高齢者はさらに暴れて、引っかいたり、殴ったり、噛みついたりすることが起きます。家庭においても、同じようなことが起きて、がまんできなくなった介護者が高齢者を怒鳴りつけたり、殴ったりすることも起きます。こんなふうにして、高齢者への虐待が起きてきます。


このような高齢者への暴言や暴力においても、それがどのようにして起きてくるかを考えると、パワーハラスメントの時に述べた人権侵害の構造がほぼそのまま当てはまることがわかります。この場合、強い立場の人は介護する人です。弱い立場の人は介護される人です。強い立場の人は、「こんなに一生懸命、この人のためにやっているのに、なんでわかってくれないんだろう。」と思い、そのいたたまれない思い(みじめさ、不安、焦り)が、ある時点で怒りとなって爆発します。では、介護される認知症の高齢者の方はどうかというと、実は、視野が狭くなったり、別のことに気を取られたりして、介護者が部屋に入って来たことにさえ気づいていないことが多いのです。そのため、このような場合の認知症の高齢者は、突然、誰かが自分のそばに立って、無理やり自分のパジャマのズボンを脱がそうとしたという経験をしているのです。当然、本人はパニックになり、「何をするんだ。やめろ。」と叫びます。それでも、介護者がそれを続けようとするなら、恐怖心でパニックになった高齢者が大声を上げたり、暴れたり、ひっかいたりするのはある意味で当たり前のことです。つまり、このような場合でも、強い立場の人(介護者)と弱い立場の人(認知症の高齢者)がいて、強い立場の人が「これが正しい。これが相手のためになることだ。」と思ってやっていることが、実は全然相手に伝わっていないのです。また、逆に高齢者が、何もわからないまま無理やり体にさわられ、裸にされるという恐怖や不安を味わっていることに、介護者はまったく気づいていません。ここでも、「気持ちや思いのズレ、断絶」が起きていることがわかります。


ユマニチュードについて

ここでユマニチュード(Humanitude)をいう取り組みをご紹介します。ユマニチュード(Humanitude)は、フランス語の造語で、フランスのイヴ・ジネストさんとロゼット・マレスコティさんが考えた新しい介護の考え方と方法のことです。(ユマニチュードという言葉は、「人間らしさ」を意味するフランス語の造語です。(『「ユマニチュード」という革命』誠文堂新光社、p4))イヴ・ジネストさんは、ユマニチュードは半分は哲学であり、半分は技法なのだと書いています。とかく、テレビなどではユマニチュードの技法(介護の方法)の面だけが取り上げられることが多いのですが、ユマニチュードの哲学の側面こそが、今、お話している人権と深く結びついているので、これを忘れてはならないと思います。


ユマニチュードの哲学の中心は、わたしが考えるには、「人間にとって一番大切なことはなにか」ということです。人間にとって一番大切なことは、「誰かから必要とされ、『あなたは人間です』『あなたのことが大事だ』と尊重されること」(前掲書、p5)だとユマニチュードでは考えます。


そしてこの考えに基づいて、ユマニチュードは、4つ柱(「見る」「話す」「触れる」「立つ」)と5つのステップ(「出会いの準備」「ケアの準備」「知覚の連結」「感情の固定」「再会の約束」)に基づいて実践されます。これらすべての技法は、相手と自分の「失われた人間としてのつながり」を回復するためのものです。


具体的なユマニチュードの実践として、介護の始まりの場面を取り上げてみましょう。ユマニチュードを身につけた介護者は認知症の高齢者の部屋に入る時は、必ず大きめに3度ノックをします。日本家屋であっても必ずふすまや障子を3回たたきます。これは、中にいる高齢者に人が来たことに気づいてもらうためです。ノックをしたら、3秒待ちます。返事があれば、中に入っていきます。返事がない場合は、同じことをもう2回繰り返します。これが「出会いの準備」です。3回繰り返しても返事がない場合は、中に入っていきます。


中に入ったら、必ず相手の顔の向いている方から近づきます。相手の視野が狭くなっていることを考え、できるだけ視野の中心に入るようにします。ノックで返事がなかった場合は、相手の近くにあるベッドボードや椅子の肘掛けをたたくことによって、相手に自分が来たことを伝えます。相手の目の中に自分の顔が映るくらいまで顔を近づけて、視線を水平に合わせて、じっと見つめ、相手が自分に気づいて目が合ったらすぐに話しかけます。最初からケアの話はせず、相手に会えてうれしいという思いを語ります。


認知症の人の中には、こちらが何を話していてもわかっていないような感じがする人もいますが、低めの声で、穏やかにやさしく、できるだけ前向きの言葉(「お元気そうですね」、「笑顔がすてきですね」等)で、とぎれなく話します。それと同時に、手のひらを使って相手の背中、肩、腕などをやさしくなで、相手の目を見つめながら、話しかけるようにします。これが、「ケアの準備」「知覚(視覚、聴覚、触覚)の連結」です。ちょうど親が赤ちゃんの目を見つめ、ずっと話しかけながら、その体をなでたり、さすったりするような活動になります。


ケアの間に、このような活動を続けることによって、相手に「あなたは人間です。」、「あなたはわたしにとって大切な人です。」、「あなたと一緒にいて、わたしはとてもうれしいです。」というメッセージを伝え続け、それによって、相手と自分との間の人間としての絆を確かなものにしていくのが、ユマニチュードです。


このようにして、ユマニチュードはそれまで失われていた「人と人のつながり」を、このような実践の中で取り戻していきます。自分の存在を認められ、人としてのつながりを取り戻した認知症の高齢者は、それまで失っていたと思われるさまざまな力をどんどん取り戻していきます。その具体的な様子については、ユマニチュードの本やユマニチュードを紹介した動画などを参照してください。