怒りと憎しみ
怒りと憎しみ
怒りはなぜ起きるか
人権侵害は怒りとともに行われることが多いものです。例えば、パワハラで相手を怒鳴りつけるとか、児童虐待や高齢者虐待で、親が子どもを、介護者が高齢者をカッとして殴ってしまうことなどがその典型的な例です。
怒りは心理学においては、2次感情と呼ばれます。正義感からくる継続的な怒りを除けば、多くの場合、怒りは突発的なもので、このような怒りは必ず怒りの前に別の感情(1次感情)があるものです。具体的には、まず「心配、不安、焦り、恐れ」のような感情(1次感情)があり、それがあることをきっかけに一瞬で「怒り」(2次感情)に姿を変えます。ここで頭に置いておいていただきたいことは、人は2次感情である怒りにとらえられた瞬間に、それまで自分が感じていたはずの1次感情をきれいさっぱり忘れてしまうことです。つまり、最初から自分はその人(そのもの・こと)に対して怒っていたかのように思い込んでしまうのです。
このようなことは、日常生活の中で頻繁に見られます。例えば、だれかとどこかに行くために駅で待ち合わせをします。しかし、約束の時間が近づいても全然、その人がやってくる気配はない。だんだんわたしは、焦ってきます。もしかしたら、何かあったんじゃないか。困ったなあ。今日の待ち合わせ時間、相手の都合を考えてぎりぎりにしちゃったから、少しでも遅れるともう間に合わないかもしれない。スマホにも連絡がないのは、何か事故でもあったんだろうかなどとも思います。そして、約束の時間に1分ほど遅れて、「ごめん、ごめん。」と笑いながら走ってきた相手を見た瞬間、一気に怒りが爆発します。「何やってたんだよ。いいかげんにしろよ。」と怒鳴ってしまったりします。しかし、よく考えてみると、相手が来るまでの間、わたしの中にあった感情は、不安や焦りや恐れ(一次感情)であって、怒り(二次感情)ではありません。それが、相手の姿を見た瞬間、一瞬で怒りに変わってしまうのです。
子どもに対する暴力も、実は同じようにして起きます。もともと親には子どもに対する愛情があり、そのために、多くの場合、親はこの子にはぜひこうであってほしい、こうあるべきだという思いも持っています。しかし、実際には子どもはなかなかその通りに振る舞わないので、親はそのような子どもの様子を見て、このままではどうなるんだろう、大丈夫かな、来年は受験なんだから少しは勉強しなきゃ不合格になってしまうぞ、というような心配や焦りや恐れを嫌でも感じています。そんな状態の中で、親が子どものためを思って言った言葉に対して、子どもが口答えしたり、無視したりした時に、抱えていた不安や焦りが一気に怒りに変わって、子どもを怒鳴りつけたり、場合によっては子どもを殴ってしまったりするのです。
憎しみはなぜ起きるか
人権侵害や差別をする人の心の中に強く巣くっている感情に、憎しみがあります。在留外国人に対するヘイト・スピーチ(ヘイトは「憎しみ・憎悪」という意味です)はその典型的な例です。
人間関係における憎しみや恨みの感情は、自分自身が抱えている「満たされない思い」から生まれます。逆に言えば、満たされている人は、人をうらやんだり、ねたんだり、憎んだりしません。つまり、このような憎しみは自分自身に自信(「わたしはこれでいいんだ」という思い。自尊感情、自己肯定感。)が持てない人が抱える感情です。
憎しみを抱える人は、あらゆる人(もの)に憎しみを感じます。ひと言で言えば、自分を含めて世界のありとあらゆるものがおもしろくないのです。しかし、現実の中では自分の憎しみの感情を表出することができる対象は、自分より「弱い立場の人」に限られます。(自分より「強い立場の人」への憎しみを表出してしまった場合は、復讐される可能性が高いからです。それは避けなければなりません。)ただし、たとえ自分より「弱い立場の人」に対してでも、憎しみを堂々と表出する、つまり、自信を持って相手に自分の憎しみをぶつけ、攻撃し、滅ぼすためには、自分を「正当化」する必要があります。単に、憎いから攻撃するのではなく、相手が間違っていて、それを許しておいてはいけないから、みんなでやっつけようという理屈を作らなければ、周りの人に対しても自分に対しても都合が悪いのです。
その時、使われる理屈が、「あの人(たち)は、こうやってみんなに迷惑をかけている。だから許せない。」という理屈です。「みんな苦労しているのに、あの人(たち)は苦労もせずに、他の人たちよりも良い目にあっている。だから、許せない。」という理屈を作り出します。このような理屈の典型が、「在日特権」です。「在日特権」なるものがほとんど中身のない、根拠のないものであること、言い換えれば「特権」などという言葉を使うのはまったくふさわしくないのが事実であることは、少し調べてみれば誰にでも明らかなことです。しかし、ヘイト・スピーチを行う人にとっては、そんなことはどうでもいいことなのです。「在日『特権』」という言葉だけ作り上げれば、自分のたちの主張を「正しい」と思い、自分より「弱い立場の人」である在日コリアンなどの人たちを激しく攻撃するには充分なのです。「弱い立場の人」は、もともと「強い立場の人」である自分たちに反撃することは不可能ですから、正しい理屈に基づいて「弱い立場の人」を説得したり、自分たちの主張を理解してもらったりする必要など最初からないのです。
さらに言えば、このような場合、自分が攻撃する「弱い立場の人」は、自分とは外的な違い(将来、立場が替わる可能性がないような「違い」)によって区別できる人が選ばれます。自分は「日本人」だが、あの人たちは「在日」だとか、あの人たちは「被差別部落の出身」だが、自分はそうではないとか、自分は「異性愛者(ストレート)」だが、あの人たちはそうではないとかです。こういう「外的な違い」を持つ相手を攻撃対象として選ぶことによって、自分は反撃される可能性がない「安全な」場所から相手を攻撃して、自分の憎しみをぶちまけることができるのです。