父の外泊


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Posted by papassan on 2008/04/29 08:14:21:

    父の昔話ですが、父が子供の頃の話です

    父の、ひ婆様の、おカク婆様は
    安政5年11月19日生まれ、西暦では1858年です
    今から150年前の生まれました
    ちなみに、おカク婆様の旦那様は源造爺様です

    おカク婆様が19才の時、1877年に長男の清三郎爺様が生まれました
    で、1882年、長女のおアサ婆様、この方はtortoise さん関係
    1883年、ニ男の理三郎爺様、この方は業平関係
    1885年没の某、1887年没の某女がおられました
    で、1888年にミツ婆様、1891年-直次郎爺様、1894年-玉四郎爺様
    1894年-千代五郎爺様、1896年-トメ婆様
    で、父の母上である1901年-おイチ婆様
    1905年-ソメ婆様、1907年-清爺様が生まれました
    男が7人、6人の13人になりますよ

    さて、おカク婆様のお話ですが
    1935年、77才でお亡くなりになる頃の話です
    昭和10年10月30日とのことで、父は8才でした
    おカク婆様は納戸に寝たきりになりました
    その頃は長男の清三郎爺様は58才です

    寝たきりの、おカク婆様は夜になると納戸から いろり場まで
    這いつくばって来たそうです、今のように電気がコウコウと
    輝いている室内ではなく、薄暗い状態での その行動に
    父はビックリしたそうです

    おカク婆様は長男の清三郎爺様に
    「清三郎、墓場まで送っていけっ」とのことです
    すると、清三郎爺様は困った様子で
    お婆様を背中に負ぶうと部屋の中をうろうろした後
    「おばっ、墓場に着いたぞ」っと申すと
    お婆様は、体の力が抜けて落ち着いて寝たそうです

    このような事が何度が起きて、お亡くなりになりました

    父の最近の様子ですが
    papassanのお昼の段階では
    24日は無し、25日はドラ焼き半分とサンドイッチを味見しただけ
    26日はママ手作りの鰻弁当でしたが
    お通じと悪戦苦闘の最中で食べれません
    原因は丁度、お通じの時間だったのです
    で、父は2時頃、もう一度来い、とのことで
    2時頃、ママとお見舞いすると、今度はカンチョウの時間で
    1時間30分待ちましたが、お通じが出ません
    結局、うなぎ弁当は持ち帰り

    父にお腹は空かないかっと尋ねると
    点滴をしているから空かない、とのこと、
    まっ、点滴で水分は補給しているので少しは安心ですが
    食事を取れないと、先生の話では末期になると申してました
    しかし、父の場合は食道を通過しないだけと判断していますので
    胃に直接、食物を入れれば、っと思いますが
    これは素人考えで父への負担が大きいと、先生は申してました

    また、最近は、特に機嫌が悪く
    父は、「papassanにだまされた」っと申すようです
    何をだまされたのか尋ねても、口ごもる父の話では
    原因が聞き取れません

    で、しきりに、自宅へ帰りたいと申します
    先生もゴールデンウィークに外泊許可が出ましたが
    実現していません、理由ですか
    理由はpapassanに直接、お尋ねください

    外泊の可能性ですが、4/15日に先生の許可がでました
    で、今回、4/28日に許可がでました
    先生の話では、「一度自宅へ帰れは機嫌が良くなるだろう」
    とのこと、点滴は不要で、水分の補給に勤めてくださいとのこと
    外泊中に体調が悪くなれば、夜中でも救急車を呼びなさい
    で、私の病院へ連れてきなさい、とのことでした

    現在までpapassanは父をだましていません
    だましたつもりはありませんが
    外泊が実現できない現在は
    当時58才の清三郎爺様がおカク婆様をだましたように
    papassanも父をだますしかありません

    では、また、






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