Posted by papassan on 2008/04/17 22:56:25:
割り当てとは、人は一生でイッセイではありません 人は、一生に食する分の割り当てがあるそうです 父いわく、「病院の食事に飽きて喉も通らず、毎夜の夢は、あの おかゆばかりなり、何が楽しみだったか今は忘れ、春も忘れし」 っと、申しておりました また、父の時世の句は2008年3月12日にこんなのがありました 「親子でも金は仇でも冥土まで」ヨシノリ papassanはこの句の意味は分かるようで分かりませんでした 現在では、分かります、父と父の父親とのお金に関す仇なのでしょうか 仇は憎しみか恨みか縁者の方々は承知でしょうか でも、この時世の句に下の句がありません 父が父の父親を今でも恨んでいるのでしたら 下の句は父の父親を許す下の句でお願いいたします でも、あの世で、冥土で、許してもらうつもりも無く その時、父は 「どうせ冥土で、閻魔様が裁く、行方はその時、思案して今は案ずるなかれ」 などと申していましたから、父は覚悟しているのです 父は生前では許せないのでしょう ですから父は父の父親の葬儀は出席していませんからね まっ、許したいけど許せないのでしょうね ですが、その時世の句の下の句を父に尋ねるも 父はその句の存在すらも今は忘れています では、また、
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