第七十話「死の接吻」
日可理の宣告を、少女姿の黒珠は、やはり能面のような顔のままで受け取ると、言った。
「ならば、その首、もらうまで」
その言葉の終わらぬ間に、日可理の顔のすぐそばで、硬質な物同士がぶつかる、鈍い音が聞こえた。
足元に広がる、白銀に輝く法円。
そこから、日可理を包み込むようにのびた蔓植物が、黒珠の凶刃を防いだのだった。
事前に巡らせておいた、この防御の法円がなければ、今頃、自分の首は胴体を離れて床に転がっていただろう。
黒珠は、己が長大な鎌を、食い込んだ蔓からはがすと、すばやく間合いを取った。
と、思うや否や、蔓植物の間隙を縫うようにして、長大な鎌を次々と滑り込ませてくる。
日可理は防御で精一杯だ。
ふくれあがる殺気。相手は、彼女を捕らえるのではなく、本気で殺すつもりらしい。
なぜ、と日可理はいぶかしんだ。
「わたくしを殺しても、神女の居場所はわからないのに」
思わず声に出すと、少女のような白い顔が、このとき初めて変わった。
その頬が、かすかに――ほんのかすかに、緩む。
死に神の嘲笑。
それはすなわち、この黒珠には――あるいは、黒珠の者たちには――死んだ人間から記憶を引き出すことが、できることを意味していた。
いったいそれは、どんな方法なのか。
だが、そのときの彼女には、そんなことを悠長に考えている時間はなかった。
休むことを知らぬ攻撃をしのぐたびに、彼女の和服のあちこちに、ハサミを入れたような裂け目ができていく。
このままでは、皮膚を切られるのも、時間の問題だろう。
初めて味わう、死の恐怖。
何とかして、反撃に出なければ――
そんな焦りが、彼女の心を支配していく。
だから、黒珠の長い刃が、二本同時に蔓に食い込み、ほんの一瞬、攻撃が止まったときは、日可理にとって千載一遇の好機と思われた。
少女姿の黒珠は、あまりにもあっけなく、蔓に捕らえられた。
太さは大人の腕くらいの、木質化した強靱な蔓が、黒衣に包まれたか細い身体を容赦なく締め上げる。
みしみしという骨の悲鳴が聞こえてくるようだ。
「封殺!」
日可理は蔓植物の式鬼に命じながら、目を伏せた。
中身は黒珠の化け物ではあるが、人の、それも華奢な少女の姿をした者を殺めるところを正視できなかったのだ。
しかし。
次の瞬間、聞こえてきたのは、骨がへし折れる音ではなかった。
「遊びは終わりだ」
冷ややかな声が、日可理の耳朶を打った。
視線を上げると、すぐ間近に、死に神の白い顔があった。
そして、日可理の首には、左右からひたと据えられた、三日月型の二本の鎌。
黒珠は、それらを今にも交差させようとしていた。
死を覚悟するどころか、目を閉じる暇さえなく、日可理の命が最期を迎えるかに見えた、そのとき――
どこかに雷が落ちたような轟音が響き渡り、屋敷全体がびりびりと震えた。
それが、何かを――おそらくは、紅子の居場所を、黒珠に教えたのだろう。
死に神は、日可理の白い首の左右に、赤く細い傷をつけただけで、ぴたりと鎌を止めた。
「一つ、面白い趣向を思いついた」
面白い、というその言葉とは裏腹に、日可理の視界に写る死に神の白い顔は、やはり無表情なままだ。
その顔が、こちらにゆっくりと近づいてくる。
「何を……!」
そう言おうとしたが、声が出ない。
身体も、指先のひとつさえ、動かせない。
袂にはまだ、呪符が残っているのに――!
絶望が、日可理を支配しようとしていた。
そしてそれは、暗闇の中に沈む、黒衣の死に神の顔をしていた。
やがて、少女のような赤い、薄い唇が、日可理のそれに重なる。
死よりもさらに冷たいくちづけ。
得体の知れない何かがぬるりと喉を通過し――
全身が総毛立つような感触を最後に、日可理は意識を手放した。
2009.12.27一部改筆
2016.01.27加筆修正
このページの文書については、無断転載をご遠慮下さい。