第六十六話「謀議」
彼らには、命乞いどころか、悲鳴をあげる暇さえ与えられなかった。
最後の首が地面に落ちたあと、辺りを支配していた改造バイクの爆音はやみ、静寂がそれにとって代わった。
けばけばしいペイントと派手なアクセサリーパーツで飾られたバイクは、今や地面に転がる血まみれの鉄塊と化した。
点灯したままのヘッドライトの中、もはや動かぬかつての乗り手たちとともに浮かび上がるそれらは、その装飾が派手であればあるほど、かえってこの地獄絵図の陰惨さを際立たせた。
悪魔が催す、狂気の晩餐会。
そのただ中に、全身を黒衣で包んだ少女――のように見える何者か――は、元通り、元の場所にたたずんでいた。
まるで、何事も起きなかったかのように、無表情なままで。
両手の甲から生えていた、死神の鎌のごとき白刃は、いつの間にか消えていた。
全身に返り血を浴びたはずだが、黒衣のおかげで目立たない。
ただ、その頬と、両手からしたたり落ちる血だけが、ヘッドライトの光を浴びて赤く浮かび上がっていた。
「狷巳(けんみ)、出(いで)よ」
それは、「少女」の姿に似つかわしくない、低く、枯れた声だった。
「少女」が足元に向かってつぶやくと、アスファルトで舗装されている地面が、まるで粘度の高い液体と化したかのようにごぼごぼと不気味な音を立てて泡立ち始めた。
「これらの首を龍珪(りゅうけい)さまのもとへ」
ゲル化したアスファルトから、人の腕ほどもあろうか、巨大なミミズのようなものが無数に這いだしたかと思うと、それらはうねうねと匍匐(ほふく)しながら地面に転がる斬首を探り当てては、次々と地下へ引きずりこんで行った。
触手たちが首と一緒にアスファルトの下に消えるのを見届けたあと、
「乱荊(らんけい)」
再び、「少女」の薄い唇が動き、低い声がもれた。
「それで隠れているつもりか」
「ちぇっ、ばれてたのかよ」
少年のような高い声が、ばつの悪そうな調子で応えた。
と、次の瞬間。
「少女」のいる位置からごく近くにあったバイク十台余りのヘッドライトがいきなり弾け飛んだ。
鋭利な破片の雨が、降り注ぐ。
ところが、それらの破片はどれ一つとして、「少女」に傷をつけることはできなかった。
破片はすべて、その身体をすり抜けた。
あたかも、「少女」の姿が実体のない影絵ででもあるかのように。
そして実際、かすかにではあるが、そのときの「少女」は陰影が薄くなって、向こう側の景色が透けて見えていた。
「何のまねだ」
「少女」が氷のような視線を向けた闇の中から、同い年くらいの小柄な「少年」が姿を現した。
それは、怪異な容貌の「少年」だった。
鼻から下が前にせり出した、毛深い顔。
落ちくぼんだ眼窩(がんか)におさまる、黄みがかった酷薄そうな目。
身につけているのは、黒のフード付きパーカーと迷彩柄のカーゴパンツだから、街を歩いても、全身黒ずくめの「少女」ほどには人目を引くまい。
しかし、全身から発散する、暴力を好む者特有の空気と、野犬のような強烈な臭いとが、「少女」とは別の意味で悪目立ちしそうだった。
「わりぃなァ」
乱荊、と呼ばれた「少年」は、片手に握りこんだ豆粒大の小石をもてあそびながら言った。
その小石のうち一つを指で弾き飛ばし、自分のすぐ足元にあるバイクのライトを、また一つ割って消す。
「おいら、あんたより光が苦手なモンでよォ」
伽陵(がりょう)――彼は「少女」のことをそう呼んだ。
相手の返答に、伽陵は冷たく鼻を鳴らした。
「また主上(しゅじょう)の上前をはねるつもりでいたのを、あてがはずれた腹いせか」
へっ、と乱荊は厚顔な笑みをもらした。まくれた薄い唇からのぞく犬歯が長い。
「封印が解けたって、力が戻らなけりゃ意味がねぇ。あんただって、どうせ一つ二つ、おこぼれにあずかってんだろ?」
「私を貴様ごときと一緒にするな。反吐(へど)が出る」
伽陵は吐き捨てるように言った。
「主上のご覚醒ご回復こそ、我らが目下最大の急務なのだぞ」
「へいへい、あんたはご立派だよ」
小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべたまま、肩をすくめる。
「だがなァ、もちっと力さえありゃぁ、蜀蝓(しょくゆ)も媚瑞(びすい)も、やられずに済んだんじゃねぇか?」
「あの頭の足りぬ莫迦(ばか)どもなど、いなくなってむしろせいせいしている」
「ま、蜀蝓はともかく、媚瑞はあんたの恋敵だもんなァ?そりゃせいせいするだろうよ」
乱荊がそう言ってからかっても、伽陵の白い顔はぴくりとも動かなかった。
「愚かな。男でも女でもない私に、恋情など無縁」
そう一言のもとに吐き捨てると、彼女――あるいは「彼」――はきびすを返し、乱荊に背中を向けた。
「失せろ。無駄話は終わりだ」
「おいおい、水くせぇなァ」
乱荊の獣じみた顔に小ずるい笑みが浮かぶ。
「今夜のお楽しみはこれからなんだろ?おいらもいっちょう、かませて」
と、そこまで言ったとき。
乱荊は、自分の首元に突きつけられている死に神の鎌に気づき、その先の言葉を呑み込んだ。
「これ以上、私につきまとうならば、その首が胴から離れることになるぞ」
すぐ耳元に、氷のような声と吐息が突き刺さる。
いったいいつの間に、相手は己の視界から消え、背後に回り込んでいたのか。
乱荊の口元には、相変わらず軽薄なニヤニヤ笑いが貼り付いていたが、その目は、明らかに動揺していた。
「へへっ、まさか……本気じゃねぇよなァ?」
「試してみるか?私が本気か、否か」
白刃が、目の前でぎらりと光る。乱荊の笑みがひきつった。
「め滅相もねぇ!失せる、おいら今すぐ失せるよォ!」
伽陵が刃をおさめると、乱荊は獣じみた敏捷さでその場から飛び退き、そのまま跳躍を繰り返して闇の中へ消えていった。
――下種(げす)が。
乱荊が姿を消した闇にむかって、伽陵は声に出さずにひとりごちた。
が、それきり頭を切り換えると、目の前の、なすべき「仕事」に意識を集中させる。
死体の群れに背を向けたそこには、ひとけの絶えてない、無味乾燥な変電設備があった。
伽陵はそのとき、脳裏に「炎珠の神女」が蜀蝓、媚瑞を倒したときの光景を呼び起こしていた。
蜀蝓のときは、単に力を暴発(ぼうはつ)させただけにしか見えなかったが、媚瑞のときの闘い方は、つたないながらもそれなりに力を使いこなしていた。
そして、魂縒の波動を感じたのが、本日早朝。
「炎珠の神女」は、おそらく、二つ目の魂縒を受けた。
伽陵は心中に焦燥を覚えていた。
これ以上、神女の力が高まる前に、叩きつぶしておかねばならぬ。
我らがもはや二度と、封滅の憂き目を見ぬために。主上にとって脅威となる前に。
施設の四方を囲む高い金網には、有刺鉄線がめぐらされ、「高圧線注意」「立入禁止」の赤い文字が警告を発している。
だが、少女の姿をした死に神は、一度の跳躍でその囲いを乗り越えると、両手の甲から生えた鎌をふるった。
己が敵に、死を与えるために。
2009.12.25一部改筆
2015.11.25修正
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