第六十四話「昏睡(こんすい)


 儀式は一瞬で終わった。
 少なくとも、かたわらで見ていた者たちの目には、そう映った。
 紅子の指先が彫刻の怪物に触れたと彼らが見るより先に、白珠から強烈な光が放たれ、洞内すべてを白く塗りつぶしてしまった。
 時間に直せば、それはほんの一秒程度のことだったと思われる。
 四人の観衆たちがそのまばゆさに思わず顔を背けたり目をつむったりした次の瞬間には、閃光はかき消えていたのだった。
 次に目を開けたとき、儀式の前よりも辺りが暗くなったように彼らが感じたのは、たった一瞬でも明るすぎる光を目の当たりにしたせいだったのだろうか?
 否、洞内はたしかに儀式前より薄暗さを増していた。
 唯一の光源である白珠の輝きが落ちてしまったからだ。
 燃えさかる白い炎のようだったその光輝は、今や物憂(ものう)げな燠火(おきび)ほどにまで、その明るさを減じていた。
 そして、紅子の身体は、白珠の強烈な閃光が消えた後、ややあってからその場にゆっくりと崩れ落ちた。
 まずは、最もそばにいた日可理が紅子の上体をどうにか起こしたものの、その細腕ではさすがに抱えて運ぶのは無理がある。
 日可理は竜介を呼ぼうとした。が、そのとき、横からのびてきた二本の腕が、意識のない少女の身体を軽々と抱え上げた。
 顔を上げると、紅子を抱えて立ち上がる鷹彦と目が合った。
「俺が運ぶよ」
 彼はにっこり笑ってそう宣言した。
 竜介はと見れば、彼は日可理と目が合うと、仕方ない、というように苦笑してかすかに肩をすくめてみせる。
 日可理は、彼ら三人のあいだにできつつある微妙な関係に、言いしれぬ胸騒ぎを覚えた。
 予感なのか。
 それとも、いまだ自分の中に残る、竜介への思いから来るものなのか。
 わからない。
 それは結局、言葉にされることもなく――
 日可理一人の、胸の奥深くにしまわれることとなった。



 幸いなことに、その日の上天気は日暮れまで続いた。
 日が西に傾くころには、白鷺家当主とその客人たちにとって最大の懸念だった白珠の霊力もほぼ元にもどり、闇を好む輩(やから)の襲撃に戦々兢々(せんせんきょうきょう)としていた彼らをひとまず安堵させた。
 残る懸念は、紅子のことだ。
 紅子は儀式後の呪的な眠りからいまだ醒めていなかった。

 竜介が言った。
「ちょっと、長すぎやしないか?」
 それは、夕日の残照も消えたころ。
 少し早い夕食を終えたあと、彼ら四人は全員、紅子の部屋に集まって、部屋の主人が目覚めるのを待ちながら、しばし互いの家族の近況など和やかに話し合ったりしていた。
 そのときにふと会話が途切れ、彼は、恐らくその場にいるだれもが儀式後の紅子の眠りについて抱いているであろう懸念を、言葉にしたのだった。
「魂縒のあとの昏睡から目覚めなかった者はいない、と我が家に伝わる古書にもありますが……これだけ長いと、少々心配ですわね」
と日可理が同意する。
 竜介たちの経験上、魂縒のあとに続く眠りの時間は、たいてい一時間程度。長くても二時間を超えることはなかった。
 そのことだけを考えると、紅子はレアケースといえるのだが――
「今回、紅子さんが魂縒を受けたのが、自分の血統の御珠ではないからかもしれないよ、日可理」
志乃武が言った。
「それに、紅子さんの場合、力を九年間封印されていたという特殊な事情もあるし……人為的に覚醒させる方法がない以上、見守るしかないね。歯がゆいことだけど」

 かつて、白鷺家と紺野家が行った医学的な調査によって、魂縒のあとの昏睡は、実は普通の睡眠と全く似て非なるものであることがわかっている。
 二つの状態で共通しているのは、脳幹と脊髄が司る、ごく基本的な生命維持機能が正常に保たれているということのみ。
 魂縒による昏睡では、人としての高度な精神機能を束ねている大脳新皮質のみならず、感覚をつかさどる辺縁系の活動が著しく低下するのである。
 魂縒を受けた者が、その後の眠りの中で、一族の歴史を夢として垣間見ることを考慮に入れると、この検査結果は全く矛盾する(人の脳の活動は、睡眠中、夢を見ているときが最も活発になる)のだが、科学的にはこれが一般的な睡眠状態ではないという結論のほかは、何もわからなかった。
 大脳の活動が低下するために、昏睡者はいわば植物状態に限りなく近づくことになる。
 それはつまり、感覚器へのいかなる刺激も、この呪的な眠りを妨げることはできないことを意味していた。

 鷹彦が言った。
「今夜、来るかな」
「来るでしょう。さきほど、星の動きにそう出ていました」
 日可理が即答した。静かだが、決然たる声で。
 室内に、かすかな緊張が走る。
「それは、ここの結界が破られるということかい?」
 志乃武が尋ねると、彼女はうなずいた。
「かなり手強い相手のようです……紅子さまを含めて、私たちの誰も、命を失うようなことはございませんけれど」
「ケガはありうる、ってことか……」
 竜介は紅子のほうを見ながらつぶやいた。
 彼女のまぶたはまだ固く閉ざされたまま、ぴくりとも動かない。
 彼女の周りに鷹彦のかまいたちで障壁を作れば、たいていのことはしのげるだろうが、敵もそれを想定した上で仕掛けてくると考えたほうがいい。
 ヘリポート同様、やっかいな戦いになりそうだ、と彼は思った。

2009.12.24一部改筆

2015.11.17加筆修正


第六十三話へ戻る

第六十五話へ続く

このページの文書については、無断転載をご遠慮下さい。

ねこまんま通信/掲示板/ 小説
/リンク集/ SENRIの部屋