第六十三話「澱(おり)」


 白珠が石柱の中から姿を現したこのとき、紅子は不思議なものを見た。
 白く輝く御珠のそばに立つ、二人の人影である。
 一人は、見たところまだ少女といってもよさそうな、若い女。
 ほっそりと華奢(きゃしゃ)で、白磁のような肌をした美人である。
 もう一人は、玄蔵と同年代くらいの男。  背はさほど高くないが、がっしりとした体躯(たいく)の持ち主で、気むずかしそうな顔にひげをたくわえ、女が柱の饕餮紋(とうてつもん)に向かって右手をさしのべるのを、そこから数歩ばかり離れたところで腕を組み、じっと見守っている。

 だれ?

 紅子がそう思う間もなく、二人の姿はかき消えた。
 理屈で考えれば、つい今まで、石柱の中に封じられていた空間に人間がいるはずがない。
 紅子は、今見た奇妙な幻を、そばにいる日可理に伝えたいと思った。が、身体がいうことをきかない。
 日可理を含むほかの四人は、ただ黙って、意識をこちらにむけている。

 だれも何も言わない……ということは、あれを見たのはあたしだけなんだ。

 足が、独りでにゆっくりと、白珠にむかって進み始める。
 紅子は揺らぐ意識の片隅で、たった今垣間(かいま)見た若い女の顔を思い浮かべた。写真でしか見たことがない母によく似た面影。

 あれが母さんだとしたら、あの男の人は――

 もしも女が紅子の母その人で、男がその父親だとしたら――紅子は生まれて初めて、母方の祖父の顔を見たことになる。
 紅子は父方の祖父母だけでなく、母方の祖父のこともよく知らない。
 家には彼の写真は一枚もなかったし、祖母は自分の連れ合いについて、「病死した」ということしか語ろうとしなかった。

 今見たものは、過去の幻影。
 閉ざされた空間が、過去の記憶をとどめていた。

 紅子は、自分の意識を侵食しているものから伝わってくる言葉を感じながら、母と思われる女性が立っていたのと同じ場所に来た。
 白珠の放つ光と力が支配する空間。
 白珠をいただいている台座には、炎珠のそれと同じく饕餮紋が刻まれていたが、炎珠のものに比べて新しいのか、それとも保存状態の問題なのか、彫り込まれた怪物の顔をはっきりと見て取ることができた。
 この世のすべてを睥睨(へいげい)するかのようにつり上がった大きな目。
 世界を呑み込もうとするかのように開かれた口と牙。

 この旅は、過去をさかのぼる旅。
 そして、己の真実を知る旅。

 そう紅子に語りかけてきたのは、目の前の饕餮か、それとも紅子の意識を侵食しているものだったろうか。
 彼女は自分の右手がゆっくりと上がっていくのを感じ、そして――
 御珠を守護する伝説の怪物に触れたのだった。

2009.12.24一部改筆

2015.11.12加筆修正


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