第二十四話「火炎の(あるじ)・1」


 それより少し前。
 障気(しょうき)残滓(ざんし)を道標として、紅子がいると思われる校舎にたどり着いた竜介は、そこで思いがけない足止めを食っていた。
 人、人、人の群れ。
 多くはこの学校の生徒らしい制服を着た少年少女たちだが、中には私服の大人も混じっている。教師か、あるいは学園祭を見に来た父兄だろう。
 彼らは竜介の姿を認めるや、一斉に彼につかみかかってきた。
 その顔はどれも一様に青ざめ、目はうつろ。彼らが黒珠の傀儡(くぐつ)と化しているのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。
 だが、数が数だけに、犬たちのときのように全員をたった一度の術で眠らせることは不可能だ。
 逃げる暇こそあれ、瞬く間に彼は人の群れに押さえ込まれた。その上にさらに人が次々と折り重なっていく。
 このままでは圧死してしまう――!
 竜介は全身を包む青い光輝を高めた。
 バリバリッという音と共に金色の雷が走り、彼を捕らえていた人の群れを弾き飛ばす。
 それは、まるでドミノ倒しのように彼を中心とする同心円状に群衆なだれを引き起こした。おそらく何人かはひどいケガをしただろう。が、今はかまっていられない。
 早く、紅子を見つけなければ。
 だがそのとき、竜介は紅子を連れ去った黒珠の気配が校舎内に充満した濃密すぎる瘴気にまぎれてしまっていることに気づいて愕然とした。
 無関係な人々を傷つけてまで血路を開いたのに、自分が進むべき方向がわからない。
「くそっ!」
 彼は腹立たしげに毒づくと、起き上がろうともがく人の群れの間を縫うように飛び越え、階段へ向かった。
 確信があるわけではない。
 だが、体育館の地下で対峙したとき感じた相手の力の気配から推し量るに、あの黒珠が操ることができる人間はおそらくこの場にいる数で精一杯に違いない。
 だとすれば。
 邪魔が入らないよう一階に足止めを用意し、安全な上階で捕らえた獲物をどうにかしようという算段だろう。
 おそらく、最上階。階段から最も遠い端の教室。
 竜介はまるで重力の制約を受けていないかのような身の軽さで階段を駆け上がっていく。
 上の階に人の気配がないことが、彼の確信を深める。
 紅子はこの上にいる。
「間に合ってくれ……!」
 だが、祈るような気持ちとともに四階にたどりついた彼を待っていたものは――

 建物を揺るがすほどの凄まじい爆発と、炎の海だった。

 彼女を連れ去った黒珠とは比べるべくもない、凄絶な力の気配。それが竜介を慄然とさせた。
 まさか、新手か――?
 脳裏をよぎる最悪の憶測を振り払い、彼は力の気配に向かって炎の中を駆け抜けていく。
 熱い。
 爆風で吹き飛んだ窓から、激しい雨が降り注いでいる。それなのに、炎の勢いは止まらない。
 早く紅子を見つけなければ、このままでは焼け死んでしまう。
「紅子ちゃん!どこだ!」
 返事はない。
 つのる焦りの中、彼はようやく、彼女を見出した。
 そしてそこには、彼の想像を全て上回る事態が待っていた。
 おそらくかつては教室があったと思われるその一角には、壁も天井もなかった。
 廊下と教室とを(へだ)てるものは、柱一本が残っているばかり。
 薄闇の中、激しい風雨と灼熱の炎が逆巻く、そこはまるで地獄。

 その中に、紅子はいた。

 幻、ではない。
 凄まじい炎の中で、彼女はただ呆然と立ちつくしているだけのように見えた。大きなケガもなさそうだ。
 しかし、彼女から感じるこの凄絶な力の気配はいったい――?
 いや、今はそんなことよりも、早く彼女を火の中から助け出さなければ。
「紅子ちゃん!」
竜介は少女に向かって叫んだ。
「今、そっちに行くから。じっとしてるんだ」
 その声は紅子の耳に届いたらしい。
 彼女はゆっくりと振り向き、そして――
 その唇が、奇妙な韻律(いんりつ)を帯びた、(うたい)のようなものを低く口ずさみ始めた、次の瞬間。
 オレンジ色の灼熱の波が、竜介に襲いかかったのだった。

2015.08.28加筆修正


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