第百三十四話「凍結・7」


「はぁーっ、心臓に悪い!!」
 部屋の扉が閉まり、廊下の足音が遠ざかるのをたしかめてから、鷹彦はおおげさにため息をつきながら大きな声でそう言って手近にあったパイプ椅子にどっかと腰を下ろした。


 迎えの車は約束の時間きっかりに来た。
 マンションの一階エントランスホールで竜介と鷹彦の二人を待っていたのは、ものものしい迷彩服に身を包み、直立不動の姿勢でたたずむ二人の自衛官。年の頃は竜介たちと同じくらいだろうか。
 彼らはエレベータから降りて来た青年二人が自分たちの目標対象物であることを確かめると素早く敬礼し、一人は相馬(そうま)、もう一人は加地(かじ)と名乗った。
「お迎えにあがりました。車にどうぞ」
 そう言って案内された先には、ボディの色が国防色であることとナンバープレートが特殊であることの二点を除けば、ごく一般的なRV車があった。
 勤務中の自衛官に、自衛隊の車で送迎されるなど、一般人が滅多に経験することではない。普段ならさぞ人目についたことだろう。
 竜介は、人の往来が絶えてないというこの非日常的な状況に心中で密かに感謝しつつ、鷹彦とともに車の後部座席に乗り込んだ。
 エンジンをかけたままの車内は暖房が効いていた。
「目的地は、通常ですと車でおよそ一時間の場所ですが、道路がこの状態ですので倍以上かかると思われます。ご了承ください」
 助手席に乗り込んだ加地という自衛官が、上体をひねるようにして後ろを振り向き、手短に竜介たちに説明する。
 加地が姿勢を前方に戻すと、車はゆっくりと発進した。

 竜介は座席に深く身体をあずけ、他にすることもないので見るともなしに窓の外を眺めていた。
 どんよりと薄暗く、白く凍てついた、異世界のような街並み。
 聞こえる音といえば、ダッシュボードに埋め込まれた無線機から断続的に流れる暗号めいた通信音声と、車のエンジン音だけ。
 二日前までの自分なら、きっとうとうとしてしまったに違いない。何しろ、慢性的な寝不足だったから。

 東京に戻ってきて、玄蔵から紅子が生きている可能性があることを知らされてからというもの、古文書の解読や、そこに書かれていた「天零術」の習得と、たしかに忙しかった。
 が、むしろその忙しさは彼にとって、睡眠時間を確保できない格好の言い訳だった。
 疲労で意識を失うほどでなければ、眠りに落ちることができなかったからだ。
 眠るなら、深く。夢も見ずに眠りたかった。
 もっとも、彼の願いが夢の神に聞き届けられることはそう多くなかったのだけれど。
 たいていの場合、訪れるのは不快で不安な悪夢だった。とくに、広大な迷路の中で出口を求めてさまよっている、というようなものは何度も見た。
 目が覚めたときの疲労感といったらなかったが、こんな夢は自分の心象を単純に視覚化したものだと思えばすぐに忘れてしまえる。
 やっかいなのはむしろ、たまに現れる幸せな夢だ――それも、記憶の断片をつぎはぎしたような。
 場面は夜。あの月の夜を彷彿とさせるような、明るい夜である。
 竜介は紅子と並んで、紺野家の廊下に座っているか、あるいは中庭をゆるゆると歩いている。
 何を話すわけでもなく、ただ時折、視線を交わし合うだけで互いの想いが手に取るようにわかる。
 満たされた心。
 だが、当然ながら夢はいずれ覚める。
 冷たい現実に立ち戻ったとき、胸にわきあがるのはただ後悔と孤独と喪失感ばかり。
 夢が甘ければ甘いほど、その苦さは耐え難い。
 せめて、今見た夢が近い未来のどこかを切り取ったものであるようにと祈らずにはいられないほどに。
 だから昨晩、今日のためいつもより早めに床についたときは、正直なところ、何か夢を見てしまってすっきり眠ることができないのではないかと不安だった。
 ところが、案に相違してあっという間にやってきた眠りの波は静かで、朝まで夢を見ることもなかった。
 おかげで今朝の彼の頭はさえざえとして、体調も申し分ない。
 このあとに待っている明らかに分の悪い戦闘のことを考えれば、これは願ってもないことだ。
 もっとも、コンディションが良好だからといって自分が生きて帰れる保証などどこにもないのだけれど。しかし、たとえわずかでも希望はないよりあるほうがいいに決まっている。

 前方にいる自衛官二人が二言、三言、何か言葉を交わす。彼らの短い会話が終わると、また沈黙が戻ってきた。
 頭がさえているせいだろうか、エンジン音など機械的な音声しか聞こえない静寂が何となく落ち着かない。
 何かが抜け落ちたような――でも、何が?
 そこで竜介はようやく気づいた。鷹彦が何も話しかけてこない。
 今朝、一緒にごく簡単な朝食を食べたときは――くだらない冗談が多いことも含めて――いつも通りだと思ったが、今の彼は気味が悪いほど静かなのだ。
 眠っているのかと思ったが、横目で確認してみると、鷹彦は起きていた。
 両脚で小刻みに居心地の悪そうな貧乏揺すりをしながら、どこを見るでもなく視線をきょろきょろとさまよわせている。
 その様子はしかし、自衛隊の車という滅多に乗らない乗り物の内装がめずらしいから、というわけでもなさそうだ。
 その視線の先が何秒かおきに助手席のヘッドレストのあたりをちらちらと往復しているように思えたのは気のせいだろうか。
 何か困ったことがあるのだが、声をかけられずにいる――そんなふうに見えなくもない。
 竜介は小声で尋ねた。
「……どうかしたのか?」
 すると、鷹彦はビニールレザーの座席の上で文字通り跳び上がった。ちょっと話しかけられただけで何をそんなに驚くことがあるのかは知らないが、鷹彦はよほどびっくりしたらしい。
「なっ、何だよっ!?」
 声は押し殺しているが、表情は明らかに怒っているようだ。
 竜介は過剰とも思える弟の反応にたじろぎつつ言った。
「いや、なんか落ち着かないみたいだから、どこか具合でも悪いのかと……」
 その途端、唐突に鷹彦の顔から怒りの色が消えた。
「あ……ああ、そっか、竜兄はあんとき……」
何か腑に落ちた様子で、つぶやく。
 竜介がその独り言の意味を尋ねようとしたそのとき、助手席にいる加地という自衛官がくるりとこちらを振り向いた。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、何でもないんです」
と、すかさず鷹彦が両手をワイパーのように動かしながら答える。
「そうですか」
自衛官というとどことなくしかめつらしいイメージがあるが、この加地という男のものごしは終始やわらかだ。
「もし何かありましたら、遠慮なくおっしゃってください。途中で何かトラブルが発生したときのために、時間にはそれなりに余裕を持たせてありますので」
 竜介たちが礼を言うと、加地は「いいえ」とうなずき、再び前方を向いた。
「なぁ」
ややあって、竜介はまた低く弟に尋ねた。
「”あんとき”って、何?」
「……何でもね」
鷹彦は一旦そう答えてからちょっと考えてこう言い直した。
「つか、あとで話す」
 それきり、目的地に着くまで鷹彦が口を開くことはなかった。


 二時間あまりの少々気詰まりなドライブのあと、彼らを乗せた自衛隊の車両が到着したのは、氷雪の中で廃墟と化しつつある国際空港だった。
 ほんの一ヶ月ほど前までは国内・国外を問わず多数の航空定期便が就航し、昼夜を問わず行き交う人や物があふれかえっていたはずの場所。
 それが今では、広大な敷地のほとんどは雪に埋もれ、明かりも点いていないターミナルビルは凍りつくままに放置されている。無論、人影などどこにもない。
 ただ、管制塔を含む建物のごく一部は例外で、少なくとも照明と暖房だけは確保されているようだ。竜介たちが案内されたのも、この極寒の空港で居心地よく整えられた希少な一室だった。
 無味乾燥な白っぽい壁、簡素な長机にパイプ椅子数脚、ホワイトボード――おそらく普段は会議室として使われている部屋なのだろう。
 室内には先客がいた。
 白鷺家の双子――日可理と志乃武である。
 二人は竜介たちが入ってくると、立ち上がって「お久しぶりです」と軽く会釈し、竜介たちも同様に返す。
 紺野家の二人を案内してきた加地は、四人のあいさつが終わるのを待ってから、
「対策本部の者が今回の実験計画について説明に参りますので、少々お待ちください」
そう言って、ドライバーを務めたもう一人の自衛官と一緒に立ち去ったのだった。
 こうして、場面は冒頭へ戻る。

2011.1.22


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