藤井あきら |
「全く呆れるよ」 内村はそう言いながら傷に消毒液を乱暴に塗る。 「おい、もっと優しくしろよ」 隣からも呻き声が漏れてきた。横を見ると関口も同じように消毒液を塗られ痛みで顔をしかめていた。 目があった。 一瞬にして目を逸らしたが、躯の震えは止まらなかった。 「おい、木場?」 「すまん、すまん、我慢できない」 そう叫ぶと大声で笑い始めた。 そしてそれにつられるように、関口も笑い出した。 何だか、そこにいた兵士達もおかしくなった。 理由なんか無い、ただおかしかった。木場の頬の痣も、関口の切れた唇も全てがおかしかった。 内村がとうとう我慢出来ずに声を上げて笑い、そしてその後に他の兵士達は続いた。 「こんなに骨のある奴とは思わなかったよ」 腹の底から笑ったのは久しぶりのことであったが、誰も気が付く者は居なかった。 昼飯の席に関口は現れた。 「お邪魔して…良いかな」 相変わらず、人の機嫌を伺うような弱々しい口調であったが、今朝の出来事はすでに隊員達の間に広まっており、木場と正面切って戦いを挑んだ関口にかなりの好意を抱いていた。 小さな体で結構やる、そう囁かれている。 あの木場軍曹に引けを取らなかったらしい。 事実はただのヒステリーだと、木場は思っているが事がこういう方向に転ぶなら静観して見ようという気になり、黙秘を行使していた。 「ここ、座っても良いかな」 「喜んで!寧ろ感激です」 関口のまわりは、いつの間にか森田を筆頭に若い隊員達で犇めいていた。 離れたところで飯を食いながら監察する木場に、関口が一生懸命彼らの問いかけに答えようとする姿が映っている。 学校に来た若い教師を感じさせる。 男臭さを感じさせない関口に若い兵士達は惹かれている。 きっと、今朝の事件が無くてもいずれこうなっていた様な気がする。奴は同棲の気を惹く何かを備えている。 それこそ、本当に男を知っているのかも知れない、そんな考えが浮かぶのを消しきれなかった。 もし事実ならそれは非常に、厄介なことかも知れない。 入隊したときにすでに囁かれいたほどである、男色を好む輩に直ぐにばれてしまう。無論、それを受け入れられる玉なら、見て見ぬ振りもしよう、しかし、違うような気がする。 −中禅寺 友人だと叫んだ名前。 うっとりと、愛しそうに呟いた名前。 その名が当分、忘れそうにない予感がした。 「しかしどうして俺が」 夜間、見回りしている自分が酷く滑稽であった。 「何をやっているんだか…」 忍び足で懐中電灯の光を極力絞り各テントテントに耳を澄ます。 虫の音といびき以外、聞こえてこない。 当たり前だという突っ込みと、まだまだ安心できないと言う惚けが交互に木場を襲う。 一旦は眠りについた木場だが関口が気になって仕方がなかった。 軍隊指折りの不良軍人が群をなして生息しているこの隊に、彼がどうしてもお姫様的存在の思えてきてしまった。 それ以上に、関口の男色を潜在的に勝手に肯定している。 その姫は不埒な奴の手込めにあっていないか、馬鹿げた話に行き着いてしまった。 その確認だけの見回りであったが、他の隊員に気が付かれたとき体裁がつかぬ事に気が付き、隊全体に一応対象を変えていた。 そこまでしなければ、落ち着いて寝ることもできない。 「ちっ、こっちも異常なし」 異常ない事とが、まるでいけないかのような乱暴な独り言を愚痴ながら、各テントを通り過ぎていった。 そして最後になった、更には一番の原因でもある関口が眠る本営のテントまで来た。 「異常、なさそうだな」 ようやく安堵の溜息を吐くことが出来る。ついでに寝ることも出来る。そっと、懐中時計を取り出す。すでに十二時を回っていた。 「よし、明日の朝の訓練は無しだ」 そう決め、念のためテントに近づいたとき、木場の足は止まった。 弛んできた表情は一気に堅くなった。 色々考えることはあった。 机の上に地図が広げっぱなしのまま、関口はベットの上に寝ころんでいた。 明かりが絞られていないランプに、音を立てて虫がぶつかり落ちそして羽ばたいて行く。 すでに米軍がこの島を占拠するのは時間の問題のような気がする。 海軍の完敗は、下士官達には極秘になっている事項である。 つまり、この島に立てこもっている日本兵は孤立無援、四面楚歌ではないか? まさか上の人達は、海軍が再び体勢を持ち直すことを信じているのか?そんな不安がよぎる。 だが、堂々巡りの考えは関口を睡魔の引き寄せていった。 暫く不眠であった彼は静かにその眠りに身を任せた。 夢だ、そう真っ先に思った。 何故なら、中禅寺が関口に向かって笑いかけているから。細長い手をゆっくりと伸ばす。 だが一瞬の躊躇はあっと言う間に消え去った。 夢なら夢でも構わない、なら一層醒めて欲しくない。 関口はその腕の中の飛び込んでいった。 「会いたかった…会いたかった」 「あぁ、僕もだ」 首筋にヒンヤリと彼の唇が伝わる。 「もっと強く」 その言葉に、関口を掻き抱く腕に力が込められる。 「強くなったな」 囁かれた言葉に関口は顔を上げた。 「うん」 そう頷くと啄むように唇が触れ合い、何度も繰り返していく内に深いものにと変わっていった。 手が徐々に下に降りてくるのを躯で感じ、興奮や期待で震えが始まる。 恥ずかしさに、そっと中禅寺の肩に顔をことりとつける。 「久しぶりだ」 あの寮で、あの旅館で、まるで書を捲るような手つきで、関口の躯を上りつめさせていた。 関口の口から、自ら欲しいという言葉を何度言わせたことか。 突如、強まる手の動き。 「…いや…ぁ」 微かに海老ぞりになる関口。 それを押さえ込むようにして再び掻き抱く力がこもる。 変貌した荒々しい手つきに戸惑いを感じながらも、それでも関口は身を任していた。 違和感はあった。 もしかしたら中禅寺ではないかも知れない。 だが、彼であって欲しい、そんな切ない思いから顔が上げられなかった。一瞬でもかまわない、彼に抱かれている、そんな幸せに浸かりたかった。 だがたった一言で無惨にも打ち砕かれた。 「小僧」 それはまだ予備士官学校時代、呼ばれていた。関口に対して、侮蔑の意味を込められて。 古兵達は学徒である関口達を最初から目の敵にされていた。 学があるだけであっと言う間に士官に上がる我々に対して致し方ないことであり、その実態を大学の親しくしていた教授から聞いてはいた。 しかし実際はそれ以上であった。 当番制であるはずの雑用は無論、理不尽な言いがかりでの暴力、更には古兵の失態の尻拭い、それは日常茶飯事当たり前のようにして、降りかかってきた。 だが、関口は更に過酷な虐めが降りかかってきた。 お伽、そう巫山戯て呼ばれていた。 深夜、班長の部屋に呼び出しを食らった。 そして複数の古兵に羽交い締めにされ、そして輪姦された。 小僧、よくそう呼ぶ古兵の名は保谷。 極道をやっていた、嘘か本当か分からぬ事を嘯いていた。 保谷に気に入られた関口はほぼ毎日、押さえつけられた、訓練中、教官の前で倒れるまで。 「小僧」 再びそう、耳元で囁く。 海を渡ってから、忘れるように心がけていたその声に全身の血が一気に下がる。 「奴やもういない…もう居ないんだ!」 だが顔を見るのが怖かった。 いつもにやけた顔で、関口の俯く顔に接吻を好み、強要してきた保谷。目が合えばいつも卑わいな言葉を平気でかけてきた保谷。 「もう居ないんだ!」 闇雲に暴れた、自分の体に小指一つ触らせたくなかった。 だが、手はなかなか放れない、まるで手だけ別の生き物のように付きまとい、双尻を鷲掴みにする。 知らぬ間に裸になっていた自分。暴れているのにも関わらず耳元で囁き続ける言葉。 「久しぶりだろ?」 「今日はどう料理してやろうか?」 「お前、縛られるのが好きだよな」 悲鳴を上げていた。 あの時と一緒だ。 気が狂ったように叫び続け、頭を抱えた。 誰も寄せ付けない程のヒステリックな叫び、あと一歩踏み込めばそこには狂気の世界が待ちかまえている。 「落ち着け!」 「触るな、触るな、触るんじゃない!」 それでもまとわりつく手。 耳を塞ぐ手を無理矢理引き離そうとする。 「落ち着け!」 そう再び、今度は怒鳴る。 それでも、がむしゃらに振りかざす手には確かな手応えを感じる。 にも関わらず、関口は捕まる。 自分の頬が手のひらに押さえつけられる。 「いやだ、僕はものなんかじゃない!触るな!触るな!」 「目を覚ますんだ!」 |
19981009 |