死ぬなら闘え、闘うなら生きろ!
第三章



木場がみんなの所に戻ったときにはすでに夕食は始まっていた。
それを咎めるものは此処には誰もいない。
「森田、悪いが関口曹長に晩飯を持って行ってくれないか」
「はい!」
森田は快く返事をし具の殆どない鍋から甲斐甲斐しくよそい始めた。
木場はどっかりと定位置に座った。
「木場さん、奴に取りに来させればいいじゃないですか」
「は?」
箸を止め小森を見た。
その言葉に膳を運ぼうとしていた森田の足も止まる。不安げに双方を見る。
木場は顎をしゃくると森田に行けと指示をし小森を見据えた。
「小森のおやっさんよ、奴はまだ此処に来たばかりだ。ちょっと虐めるの早すぎないか?」
「虐めではない。けじめだ。入ったそうそう、我々と共に飯を食べないということは、我々に対する侮辱ではないか」
何がけじめだ、何が侮辱だと心の中で唾を吐いた。
「しかも奴は新米だ、ならここで一緒に飯を食うべきだ。我々に失礼であろう」
「しかし奴も今日は疲れているから、今日ぐらい大目に見てやってくれ、まぁ、俺の顔を立てるって言うことで、なぁ?おい、森田、早く運んでやれ」
未だ、次の行動に動かせないで居た森田に再度を指示を下した。そしてようやく彼は本営のテントに足を向けた。
「何でそこまで新米の肩を持つ?」
「別に肩を持つ訳じゃない。一応、国からの大事な預かりものだ、粗末には扱えない」
「そうですか?結構、此処で恩を売って自分のアレにしようと目論んで居るんじゃないですか?」
そう他の兵士が小指を立てた。
木場の凄みのきかせた視線に気づかず他の兵士が続く。
「確かに男と言うより女だな。もしかしてあいつ、男を知っているかも知れない」
「何だよそれ!」
「お稚児さんって事だよ」
ふと先程の関口を思い出した。
自分の片頬に手を当てて呟く言葉。それに対し乱暴に声をかけてしまった自分。
中禅寺…そう奴は呟いていた。幾らそう言うのに疎い木場でも、恋人の名前を関口が呟いたことぐらい容易に推察できた。
ただ余りにも艶っぽかった。
「おいおい、木場さん、本気になるなよ?」
同期である内村に肩を叩かれ正気に戻った。
「なに思い詰めた顔してるんだよ」
「あ?」
そう言われ慌てて自分の顔を無造作に手でなぞった。
「俺、そんなに危ない顔していたか?」
「あぁしていた」
「今にも押し倒しに行きそうな気配でしたよ」
そう他の兵士が続けるとまわりにどっと笑いが起こった。
「木場軍曹は下に行けば一番人気だ。不自由してないって」
色黒のために、今、自分の顔が赤くなってしまっていることに気が付かれずほっとしていた。
「それにしても森田遅いな」
森田の食べかけの碗に膜が張り始めている。

関口は当惑していた。
食事を運んできてくれた少年が、先程荷物を運んできてくれた少年と同一人物であったために、少々気を許してしまったのは否めない。
だが彼に、関口は食事をとっている間も、横に頬杖をつきじっと見つめられた。
「もう下がって良いよ?後片づけは自分でやるから」
「良いよ別に。待っている」
「でも…」
愛嬌のある顔でにっこり笑いかけられれば、もう何も言えなかった。
本来食欲が無いにも関わらず、手に取ったお椀。
「こんなもんしか無くてすみません」
「え?」
こんなもんなんであろうか?
米もあれば汁もある、関口の居た隊の飯は殆ど麦飯で汁など、塩のみの味付けはざらであった。時々何処で抜いてきたか分からぬ菜っぱが浮いていた。
しかしそれが当たり前だと思った。
転属となって此処に着くまでに何度、米軍からの艦隊を避け港港に停留したか。
すでに海は彼らに占領されたと言っても過言ではないはずだ。
つまりは救援物資の切断に繋がる。
「この近くに集落でもあるの?」
「あります。時々食料を頂いたりしています」
「…そう」
「みんないい人達で、片言の日本語なら話せるんですよ」
そっと、箸を付けてみた。
本当は暑さに食欲は減退していたが、何故か汁が旨かった。
つられるように流し込むようにして飯をかき込んだ。
「ねぇ曹長、学校って何を教えてくれるの?」
「え?」
「曹長って、学徒なんでしょう?みんな言っていた。俺、学校と縁がない生活でさ」
「別に、ためになるような事は何も教えてくれない所だよ。少なくともこの戦争には何一つ役に立たない。むしろマイナスになる」
「ふ〜ん」
「ご馳走様。では悪いけど…」
つまらなそうに頷くと、食器を重ねるとそのまま敬礼もせずにテントを後にした。
関口の口から大きなため息が漏れた。
明日からは平常時に戻り訓練をしなければならない。近いようで遠いこの隊は関口が今まで所属していた所とは大きく違う。
不安が再び関口を襲う。
机に突っ伏したまま、明日行うべき事を頭の中でシュミレーションする。



そして早朝の号令に誰も集まらなかった。

その後処理は木場は手際よくしてのけた。
ある程度の予測はしていたが、全ての兵士に虐めに近い無視に合うとはさすがに予測できなかった。
たぶん木場の方でも予測していたのであろう。
動じることなく朝の訓練を関口に代わりにこなした。
そして関口の心の片隅に、もしかして彼もグルなのかもしれない、そんな思いが微かに芽生えもする。
何でも前の隊長が戦線離脱して以来、ずっと指揮を取ってきた男だ。
「関口くん調子はどうかね」
途方に暮れながら、兵士たちの訓練を見ていた関口の肩が大きく揺れた。
目の前に飛び込んできた階級章が三ツ星を告げる。
口髭を蓄えた男の目が細められた。
「お早うございます!」
慌てて敬礼した関口の前に、大佐が複数の下士官を従え立っていた。
慌てて横に立っていた木場も続いて敬礼をした。
「まぁそう固くなるな」
転属を受け司令本部で初めてあったときは、薄暗い裸電球の照明も手伝って、人を刺し殺すのではと思えるほどの鋭い目つきで関口を威嚇した。
生まれながらの軍人。
そう直感した。苦手である。
だが、今日隣の居る大佐は幾分表情が和らいでいた。
「今日は君が指揮を採らない日なのか?」
「いえ、それは…」
答えが見付からぬまま、口籠もってしまった。
そんな関口に大佐は軽く肩を叩く。
「これから直にみんなと打ち解けられる。焦るな」
関口の目が驚きにかすかに見開かれる。
それは木場も同じである。むしろ、木場の方がそれ以上であった。
貧困のあまり畑からものを盗んだ部下がいた。
見付かり処刑された。
厳罰が下ることは覚悟できていたが、まさか死を下されるとは誰もが予測できなかった。
軍人という規律を厳重に守る木場の目から見ても、彼は本物の軍人であった。その大佐がこの低落した訓練風景を笑って見逃そうとしている。
不安がよぎる。
何か裏がある、そうに違いない。
「ふむ、君には期待がかかって居るんだ。無理せず頑張りたまえ」
「はい!お心使い痛み入ります」
「うむ、近いうちにまた来る」
木場も敬礼をし、訓練中の兵士達も一時行進を止め、敬礼をし大佐達を見送った。
そして静けさが戻ったとき、敬礼姿勢のままの兵士からざわめきが起こった。
分からないでもない。

「練習再開!」

関口の声はやはり聞き入れられなかった。
木場がすかさず号令を再度かける。
「お前ら聞こえなかったのか、晩飯抜きにするぞ!」
もしかして、この関口という兵士は実はとんでもない兵士なのかも知れない、そんな危惧が生まれた。
「ちょっと良いでしょうか?」
複雑な顔をした木場を、また複雑な顔をした関口が見た。


「おい、見たか?」
「見たよ見たよ、あの大佐が何も起こさずに帰っていったよ」
「しかも隊長に笑いかけてもいたぜ?」
「その横の木場軍曹の顔見たか?俺、吹き出しそうになって焦ったぜ?」
二人が奥に消えた瞬間、この訓練は終了である。
各々、使った武器の片づけに入る。こんな訓練はいざ実戦になると大した役には立たない。
銃撃する相手は決して棒立ちになっていない。要は度胸の問題である。
実践に出たこと無い若僧に支持を受けたくなかった。



関口は本営のテントに入った瞬間、木場の方に振り向いた。
「あの…この部隊はああやって大佐が見回りに来るのでしょうか?」
「何でですか?」
上官から尋ねられたら、はいか、いいえで答えろ、そう教わったな、ふと遠い昔を思い出した。
「いえ、ああやって来るのが当たり前なら、困るからです」
「困る」
「木場軍曹は困りませんか?もし今日みたいな日にまた来られたら、僕だけでなく皆さん方も何だかの処分を受けてしまいます、たぶん、大佐はあそこまで寛大な人には見えない」
ふん、見ているところは見ているではないか、そう思いながらも、気に入らなかった。
「曹長殿は我々の心配もなされるのですか?」
木場の言葉の刺に気づいた関口は口を閉じた。
「罪を受けることを考える前に、あんたは先に違うことを考えなくてはいけないだろう」
木場の剣幕に関口は一歩後に下がる。
「ここの部隊を纏めようという気概はないのか?ここ部隊は指揮官の力一つで最強になれるんだぜ?」
「僕だって…僕だって纏めたい」
「は?だったらなんで纏めようとしない。まだここに来て二日目だぞ?」
「でも僕は…」
「自信を持てと言ったはずだ」
「自信なんて僕は…」
「甘ったれるな!」
そう叫ぶと関口の襟元を締め上げていた。無意識での行動であった。
後戻りできない状態にいながらも木場は動揺していた。
ここまで、ムキになって関口を追い詰める必要性はまるで無かったはず、だが今更手を弛めるわけには、いかなかった。
「お前の手に、俺達、隊員の命が預けられているんだ、分かっているのか」
「苦しい、離して」
関口の呻き声が、余計に木場の精神を逆なでする。
「分かっているのか!?」
ギリギリと首もとが締まっていく。
木場の手に絡む関口の手が、徐々に力を失っていく。
死を感じた。
だがこんな処で死にたくなかった。
自分には待っていてくれる人がいる、死ぬわけにはいかない。
「助けて…中禅寺助けて…」
無意識に関口の口からこぼれていた。
「貴様、根性まで腐っているな。女に助けなんか求めるな!」
乱暴に投げ捨てるように木場は関口を解放した。
「け、女以下だな。女に助けを乞うなんて。きっとお前の女だ、ろくでもない奴に違いない」
心にもない言葉であった。だが、ムセリながらも関口の心に突き刺さった。
「女なんかじゃない、中禅寺は男だ、僕の唯一の友人だ!」
叫び声をあげると関口は木場に突進してきた。
「中禅寺の悪口を言うな、中禅寺の悪口を言うな!」
驚きで、されるが儘の木場は数回、関口に頬を殴られた。
痛くも痒くもない威力であったが、木場を驚かせ、腹立たせるには十分であった。
「やりやがったな、」
今度は木場が関口に襲いかかった。

「な!何をやっているんですか!」

様子を見に来た兵士が止めに入るまで、この乱闘は続けられた。
19981004