藤井あきら |
「それでは先生、直ぐ校正しますので」 敦子が慌ただしく玄関の扉を閉めると駆け出すようにして去っていった。 締め切り日から既に二日間が去っていた。 追いつめられないと筆がすすまない、申し訳ないと思いながらもこればかりは治らぬ癖である。 だがその提出も今、無事にすんだ。 関口は大きく伸びをするとそのまま流れに任せ、後ろに倒れ込んだ。 強張っていた背筋を伸ばしながら視線を走らせた左右には、散らかったままである書き損なった紙の屑。 「おい…ゆ…」 雪絵と呼ぼうとしたその言葉を飲み込んだ。 そうだ居ないのである、そのまま古びた天井を見上げそして台所に視線をやった。とうとう関口に愛想を尽かせ去っていった…わけではない、単なる里帰りである。 しかも、本来なら関口と一緒に雪絵の実家に帰る予定であった。 実家と言っても同じ都内である、今から行くことも可能であるが不眠不休空けに、流石の雪絵もそれを求めなかった。 風鈴の音が耳に届く。 関口家の風鈴は年中軒先に掛けられっぱなしである。 夏の終わりに何の躊躇も無しに用の無くなった風鈴を片づけようとして止められた、京極堂に。 風鈴とは本来魔よけのために用いられた物だ、 その言葉にそのまま伸ばしたままであった手を元に戻した。 魔よけ 果たして効果はあるのであろうか? 秋も冬もそして春も越し、再び夏を迎えようとしている魔よけ。 先だっての記憶がぐるぐると音を立てて蘇る。 ちりん 風鈴が鳴る。 雪絵の予定よりも前に、実は京極堂に付き合って山梨の方に行くはずであった。 何でも山梨の方で武田信玄にまつわる古書が出たらしい。時代物も好むのかと意外に思ったが、どうやら宗教色の濃い古書らしい。そして関口の興味はその書物よりもその場にある秘湯である。 尋ねられたとき、その場にて二つ返事で答えた。 修羅場で肩の凝りや腰の冷えは半端ではない、薄暗い部屋に閉じこもっていた関口にとってその行き先はユートピアであった、近場に秘湯があるに違いない。 関口の目に揺れる風鈴が映し出される。 だが京極堂は一人で行ってしまった。 それは故意に… 原因は一つ 蘇る先だっての出来事… 拉致という言葉が適切かどうかは最早分からない、だがここで夜寝ているときに酔いがかなり回っていた木場と榎木津に突如連れ去られのは事実。 そして無理矢理、体を開かされた。 いや言い訳だ、最終的に自ら開いたことになるのであろうか? 瞬きを少なげに見開いていた目をギュッと閉じる。 思い出したくもない。 だが瞳を閉じても、未だ鮮明に目の裏に焼き付いている。 榎木津の事務所での出来事を察知した京極堂が、慌てて駆けつけ扉を開けたとき… 再び開けそして天井を一瞬睨み付けた関口の眼がそれ以上に固く閉じられた。 そして頭を掻きむしる。 蘇る、滅多に動じない京極堂の驚愕で見開かれた眼が。 それもそうであろう…… 旧知の間柄の仲間を前に、本来なら中禅寺の前しか晒さない、白い裸体を惜しみなく晒していたのだから。 古びた長椅子から垣間見えたはず……悦の表情…相手に絡みつく細い腕。 決して強制ではない、自ら望んで落ちた渦。 そのまま無言でパタリと戸が閉められた。 待ってくれ!声にならない叫び。 京極堂を追おうとした手が空を切る。 「関タツ」 そして木場の力強い力で再び組み敷かれ、榎木津の巧みな愛撫が意識を遠のかせる。 「…ぁあ…」 三体の裸体がもつれ合う中、京極堂は朝焼けの中、一人静かに去っていったのである。 「もっと…もっと強く…」 「おい着いたぞ」 人々が活動を始めた朝靄の中、一台の車が関口の家の前に静かに止まる。 一体どうやってあの渦から解き放たれたのかすでに記憶していない、ただ自分は今、ふらつく脚で地面を踏みしめる。 「これでゲーム終了だ」 榎木津の車が着いたときとは違い、うるさい音を立てながら走り去っていった。 そしてその目の前に、何も知らない雪絵が微笑みながら迎え入れた。 それが終わりの合図、それはゲームの? いつもなら遠慮なく家に上がり込んでくるはずの榎木津、流石に気まずいのか、雪絵が玄関口に立つよりも早く去った後であった。今日はそれが忌々しい。 でも終わったのである。 「お帰りなさい」 「あ…あの…雪絵…」 「朝ご飯は如何します?でも本当の驚きましたよ、朝起きたらあなたが横に居ないんですもの」 不審感も怒りも感じさせないその声。 「それは…済まなかった」 「そんなに丈夫な方じゃないんですから、お遊びも程々にしてくださいね」 「いや…その…」 決して遊んでいたのでは、なら何をしていた?無邪気に首を傾げる雪絵に言えなかった。 告げたくても告げられなかった、酒がかなり回った後の木場、榎木津による深夜の拉致劇。 まさか自分の夫が深夜悪戯目的で連れ去られていたとは夢にも思わないであろう。 しかし雪絵はどうして・・・ 「中禅寺さんがわざわざ教えて下さらなかったら、今頃警察ものですよ?」 ギクリとする。 「きょ…京極堂が来たのか?」 動揺を悟られないようにゆっくりと聞いてみる。 声が喉に絡みついて旨く聞けなかった、だが雪絵は気にせず言葉を続ける。 「丁度、私が起きて雨戸を開けたら来られたわ。本当に起きたら直ぐでしたわ。だから、あ、貴方が居ない…どうして?と焦らずに済みましたけど」 「京極堂が?」 京極堂は妻が起きるのを待っていたのである、じっと外で、そうに違いない。 「あら、あなた、巽さん、顔色が優れないんでは?布団をもう一度敷きましょうか?」 そう言われてみれば、頭の中も渦を巻き始めているような気がする。 「すまないが…そうして貰えるか?」 寝不足、そして体力消耗、そして京極堂、許容範囲を超えていた。 情けなくも関口はそのまま熱を出し寝込んでしまった。 その時も鳴っていた風鈴の音 やっと起きあがれ、そして原稿の締切が間近に来ていることに気が付いたとき、雪絵から京極堂から預かった伝言を関口に伝えた。 山梨行きは自分一人で行く 一語一句違わないに相違ない、奈落の底に突き落とされたような気がした。 「きっとタツさんの体を心配してくださったんですよ、ほら締め切りも間近だし…」 予想以上に落ち込む関口に雪絵はそう声を掛ける もしかして自分の今の窮地を思って、気を遣って先に行ったのかもしれない、縋る思いでそうプラス的な考えを浮かべようとした、だが違う、明らかに関口との間に一線を引いたのである。 自分一人で行く、一人で… 呆れられることは多々ある。そしてなじられ、貶され、言葉が出てこないほどに酷い目にあったことはある、だが、だが距離を置かれたことは一度もない。 距離・・・ いやそう、あるのはただの一度だけ、南方から戻ってきたときに波止場まで迎えに来てくれたその瞬間であった。学生の時の密時を思い出せないほどの辛い経験、そして清らかではない自分の汚れた体、その時中禅寺は何を考えていたのか知らない、だが互いに一線を画していた。 あの夜、再度、体を絡ませるまでは… 中禅寺も狂っていた、そして中禅寺の狂気に飲み込まれていった関口。 切っ掛けは… ちりん それ以上の思考に警告をならすかのようになる風鈴。 やめよう… 茫然自失しながらもそれでも思う、今、中禅寺は何をしているのであろうか? 一人夕暮れにたたずむ中禅寺の背中、それは学生寮の時の? 京極堂という呼び名が中禅寺と移り変わっている自分、自分の心は遠くに飛び始める。 微かに揺れるだけの風鈴をじっと見つめる。 どうして自分はあの時・・・二人を・・・拒めなかった? 木場との戦乱時での出来事を思い出す、そして榎木津との不思議な洋館での出来事思い出す。 その居るのは自分であって自分ではない関口巽。 いつも傷ついている自分を中禅寺はそっと抱きしめる、時には苛立ちながらもそれでも抱きしめる手は優しかった。 にも係わらず、あの奈落での出来事は自ら墜ちていったのであろう、いや違いない。 どちらかが耳元で囁いたゲームという言葉がリフレインする。 自らそのゲームの駒になった。 ふと、見えもしない光景が脳裏を過ぎる。 気むずかしい顔をして古書を捲る中禅寺の顔が・・・ 憎らしいほどの集中力、きっと空腹も眠気にも気が付かないのであろうひたすら頁を捲るその姿。にもかかわらず、唯一気が付く、それは関口が空腹の時、眠気の襲われている時、そして孤独感に苛まれている時、いつも気が付いてくれた。 だが狭い部屋が突如広く感じてしまう、物体として二人存在しているのにその中に今、自分が独りぼっちで存在しているのである。一人で居ることが当たり前であったのはその昔。 そして自分は裏切ってしまったのだ、中禅寺を。 虚脱感が一気に胸を締め付け始める。 締め付けられ気が狂わんばかりに痛む胸に拳を置く、そして叩く、最初は弱く、そして強く拳を胸に打ち付ける、だがその苦しさに痛さに涙すら流れない。 乾ききっていた己を思い知らされた。 平和だったのだ、平和になれていなかったのだ、だから無意識のうちに刺激に飢えていたのだ。そしてそれを周りは知っていた。 何故なら周りも平和になれていなかったから、たった一人を除いて。 そう中禅寺秋彦、彼だけが本国に残りそして木が生い茂る山奥に生死の境を行き来することなくあの地獄の日々を乗り越えていった。 彼の周りは静…平和なのである。 きっと関口たちの度重なる狂乱に中禅寺は気付いている、その鍵を。 風鈴が狂ったように鳴り響く。 そう、踏み込められない領域に苛立ち狂った中禅寺、その時、体を交わらせたのだ、互いに妻を持つ身ながら、何度も今までの時の間を埋めるかのように。 あの夜に…。 その時からである、その共有する事の出来ない鍵を解き放つためにも、中禅寺はずっと我慢をし見守り続けていたのだ。 だが、だが・・・ つつっと熱いものが頬を伝った。 乾ききっていた涙がこぼれ落ちてきた。なぜ平和じゃいけないのであろうか?あれ程願っていた終戦、戦争回避、降伏、諸々の戦時中なら牢獄行き確定の思想が渦巻いていたはずだった。 自分でも気が付かぬ心の奥底にあの体験が、根付きそしてまだ根を張り続けているのだ。 胸の上に放置されたままの拳が弱々しく開かれる。そして見えない暗闇が潜む胸を掴む。 だがその根は解き放たれる時を迎えられるのであろうか? 関口も木場も…そして榎木津も…その他のみんなも… みんな昔と変わらずに今を生きている、笑って怒ってそして泣き…そして笑う。 だけど消え去れない暗闇は持っている。 血に飢えた体 突如、関口は起きあがった。 そして気が付いた。 孤独であったのは関口ではない、中禅寺であったのだ。 鳥の鳴き声と共に再び風鈴が鳴る、弱々しく。 理解し難い内に秘めた渦巻き、榎木津も木場も分かるのである、だからこそ過ちを犯し続けるのである、そして偶然にも今回、それが三人という顔ぶれで今回起こったのである。 もしかして木場と榎木津の間でも関口の知らない狂気が混じり合っている時があるのかもしれない、形を変えて。 だが関口には理解できる、そして中禅寺には理解できない、だがそれでも中禅寺は理解をしようとし、そして黙認し、我慢し続けていたのだ。 それは孤独というのでは無かろうか? 学生時代みたいに、旅に誘った中禅寺。 それは昔互いにあった糸を確かめる為なのでは? 体を重ね合うのも、愛情以上に互いに愛し合った昔を確かめる為では? 優しく慈しみ彼の愛撫、それは初めて体を逢わせたときのままである、震える関口の背にそっと手を伸ばし抱きしめた中禅寺。 戦火の戦場に置いて、手ひどい蹂躙を受けた体はその手に敏感に答えた。 声には出さない、自分は今、中禅寺に抱かれて居るんだという安堵感に浸される事実。 だがちょっとでも力を込められると恐怖に怯えるその顔に、中禅寺は言葉にせずとも分かったのであろう、関口が戦場で受けた精神的痛手、そして肉体的痛手を。 もう迷うことはない。 関口は立ち上がった。軽い立ちくらみを覚えながらも部屋着を脱ぎ捨て、白いシャツに袖を通しズボンを履く。 そして机の奥深くに眠らせていた一枚の紙切れを出す。 中禅寺の字がそこには書き殴られていた。 山梨 石和町 某旅館 実際にそこにいるのかどうかすでに関口には分からない、だがその紙を握りしめた。 今、関口に出来ること、それは中禅寺を追っていくことなのだ。 中野駅を出てから一体どれぐらい経ったのであろうか? 揺れる車体。 迷わずに買った石和町までの切符、それを掌で遊ばせながら板間の座椅子に辟易しながら窓の景色をじっと見つめる。 平日の昼前、客室は疎らにしか席は埋まっていない。 そして徐々に緑が深くなっていく。 実家に帰るのか、それとも実家から帰るのか着物姿の女性とその女性の子供であろう童が楽しげに外の景色を見ながらこそこそと話している。 子供は嫌いだ。 それを理由に理由に子供を作っていない。 そして思い出した。 また雪絵に何を言わずに家を飛び出してしまった事を。 旅館に着いたら電話を借りよう、溜息をつく。 仲良く話す親子を再び見る。 そして重なる顔が二つ…雪絵と中禅寺であった。 子供を作らない理由は…彼が大きく係わっているのであろうか? もし雪絵と中禅寺、二人が並んだ場合自分はどうなるのであろうか?どっちを選ぶんだ?移り変わる景色を関口は睨み付けるようにしてみる。 自分が庇護しなければならない雪絵、そして自分が庇護して貰う中禅寺。 自分にはそれを選択する勇気はない、無いのに今こうやって汽車に揺られるのだ。 自分は意気地なしである。 汽車の鳴らす振動を感じながら、それは徐々に戦場に置いての爆撃を受けていた振動にとシンクロしていくのを遠くで感じる自分が居た。 にもかかわらず、景色は長閑な緑生い茂る山梨にさしかかろうとしている。 緩やかなカーブの先に峡谷に線路が危なげに掛かっているの見える。そして垣間見える集落。 だが戦場も本来なら緑多き大自然の集落であったはず。 意気地がない、勇気がない、それによって自分は部隊を全滅に追い込んでしまった。 自分の目の前に広がる屍の山々… 色褪せていた絵、広がる現状に耐えきれず、頭を抱え込む。 敵の砲弾に無惨に投げ飛ばされる体、兎に角後退の命令を出すのに必死であった関口。 それでも敵地に突進していくみんな 「関口隊長!」 突如、視界が暗転した。 「え!」 慌てて顔を上げる、その関口の目は恐怖に怯えていた。 全てが暗闇に包まれている。 クスクスクス ただトンネルに入る汽車、遠く離れて座っていた親子の子供がこっちを見て笑っていた。抱え込んでいた手を恐る恐る外し、そして強張った頬で子供に笑い返す。 「僕は弱虫なんだよ」 そう小さく呟きながら… 現実に戻りながらも目で映し出されている風景は昔の風景。だがそれは現実の風景、不思議な空間に身を任せる。 一羽の鳥が汽車に驚いたのか、突如森から飛び出し、そして空高く去っていった。 そして僅かに開けた景色。 遠くに川が見えてきた。 あれは笛吹川である。 確か下流の方は夏になると鵜飼いが盛んになると言う。 清らかなせせらぎが此処まで聞こえてきそうである。 木場と一緒に部下達の遺族に回った日々はもうかなり前の話し。 そして最後の女性に遺品を渡せたのはほんのつい先ほどの出来事。 女性の涙に濡れた顔、口元が小さく有り難うとかたどっていた。 せめてもの償いと持ち帰った遺品。 その時、自分は救われたのだと思った、これで解放されるのだ、全てをあの濁りのないせせらぎに流せるのだと。 だが流せない、絶対に流せないのだ。 死者の思いは消えない、そして使者を待ち続けていた人の思いも消えない。 その思いから狂気で逃げようとしているのである、関口も木場もそして榎木津も、表面は何一つ日常から逸脱せずに… 汽車の速度がゆっくりと落ちてきた。 そして寂れた駅舎。 中禅寺にあって自分はどうしたらいいのであろうか? 誰一人下りることのない鄙びた町。 近隣の町から温泉を掘り当てるたびにこの町は過疎化が進んでいくらしい。町ぐるみで源泉探しに盛り上がっていると聞く。 朽ち果てようとしている観光案内が目の前にある、戦国時代は甲斐の中心的な役割を果たして居た地、見る影もない。 立ちすくむ関口、微かに川のせせらぎが彼の耳に届いた。 雲一つない空を見上げ、そして遠くの山々を見…何か憑かれたかのように関口はその音がする方にと足を向けた。 急な山道を下ると、僅かに残る川岸に到達できた。 後数年するとこの場は浸食されなくなるであろう、その場に立ちつくす。 自分を庇護してくれ、そう中禅寺に言うのか?それともあの夜の出来事を謝るのか? 自分は何をしに来たんだ? あの時、孤独に思えた中禅寺、それを癒そうとしたのか?この自分が? 自嘲を浮かべる関口。 思い上がるにも程がある…彼も孤独、自分も孤独、二人を足すことによってそれは満ち足りるモノに変わるとでも? 「阿弥改作の謡曲「鵜飼」を知っているかい?」 関口は振り返ることが出来なかった。 揺れる川の表面に映る着流しを着た中禅寺の姿。 「ここは昔、殺生禁断の川だったらしい」 殺生…もし人間界にもその方が有れば、今の自分たちは昔のまま甘い蜜時に身を任せていられたのだろうか?それは非建設的な考え。 「親孝行で鵜使いの男が病気の母のため漁をしたのを役人に見つかり、簀巻きの刑で殺されたそうだ。それ以来ここいらの里に、火の玉が飛び交い、そして幽霊が彷徨った」 関口は後ろを振り返った。 先ほどまで背中をじっと見つめていた中禅寺は対岸の山を見つめる。 「旅のお坊さんがその幽霊と出会い、身の上話を聞いてあげ、気の毒に思った彼はお経を唱え、そして幽霊は出なくなったそうだ」 そう話を終えると中禅寺は関口に視線を戻す。 幽霊…それにはあらゆるモノが当てはまる、自分たちの部下、そして自分の狂気、そして孤独。 「その幽霊は姿を見せなくなっても、思いはこの地にまだ残っている」 関口の言葉に中禅寺は頷く。 「そう、どう供養しても思いは残る」 ゆっくりと関口も立ち上がった。二人並んで川を見つめる。 「憎しみは消えても、思いは残る」 今、自分は何をしなければならない? 中禅寺も足掻いている、消えない思いに、消せない思いに。 後もう少しで解き放たれる…そんな錯覚。 どうしたらいい?何を話すのだ? 幽霊・成仏・思い・残る… ならいっそう…そう、なら 僅かに瞳に光りが戻る関口。 「中禅寺…」 関口のその呼び掛けに中禅寺は僅かに目を細める。 「聞いてくれるかな…僕が経験した戦争を」 間接的に木場から聞いているかもしれない、南方での修羅場を、だが関口は一度たりとも口にしたことがなかった、口にすることによって忘却から遠のく、そう思えたから。 だが忘却はあり得ない…有ってはイケナイのだ。 自分たちの部下のためにも、国が犯してしまった罪の為にも、そしてその時を生き抜いた自分のためにも。 「あぁ教えてくれ」 自分が受けた学校での出来事…戦地での出来事…自分の部下へ思い… 全て、全て話す、中禅寺に話すのだ… そして…話し終わった時こそ… |
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