藤井あきら |
今年も文学部のキャンパスの桜は咲くのであろうか? 心配になっていつも見上げる。 櫻の君、誰であろう、僕がそう陰で呼ばれていると教えてくれた。 今年でもう26歳なのにね。 本当は可笑しくてネタにしたいのに、親しい人達には言えない。 だってきっとそれを告げたら皆、寂しそうに遠くを見るから、そうまるで今の僕みたいに。 「どうしたの?」 教育学部の院で知り合った女の子。もう女の子といっては失礼なのかな? 「何かこの桜の木に思い出でもあるの?いつも見ているね、まだ蕾なのに」 「そうかなぁ……気にしたことが無いな」 「あ、もしかして遠恋って噂、マジなの?」 そう肩をぶつけてくる。 自分がこうやって成長するごとに、高校での1年、大学入学時1年、そして1年の休学等の寄り道した時間が気にならなくなる。 不思議なことに、それは歳を重ねるごとに…… 「まるでかぐや姫のようです」 真剣な眼差しにぶつかりちょっと動揺する。 「何言ってるのよ!」 だけど女の子が元気よく、先ほどの発言者で、他大からW大の院に入学してきた男の子の背を叩く。 思わず咽る様子を笑いながら眺め、そして先ほどの言葉を噛み締めてみる。 かぐや姫か…… もし迎えに来てくれるのなら、かぐや姫でもいいと思う。月にでも何処にでも僕は行くよ? でもやっぱり……姫は変だけどね。 ねぇ僕は何時まで待てば良いの? 期待しては駄目、でも期待しても……良いのかな? 今年も満開の桜の木。 京介が僕の前が姿を消して二年、そして日本からの葉書を貰ってから半年。 いつも一月か二月間隔で出してくれた絵葉書が途絶えて半年。 意味することは? 良い事なの?悪い事なの?でもやっぱり良い事なんだよね? だけど周りは誰一人そのことを口にしない。 口にしたら言霊となって何処かに逃げてしまうかもしれない。 普通なら、言霊となって本当になってしまう、のに、どうしてだろう、逆の事を考えてしまう。 前向きが僕の十八番なのに、この頃変だ。 複雑な胸に手をそっと当てる。 目の前で桜の花びらが散る。 ねぇ、桜の花の命は短いんだよ?それぐらい知っているよね? 「また、見ているんですね」 「え?」 さっきまで一緒に居たゼミ仲間の男の子が、知らぬ間に僕の背後に立っていた。そして同じように満開の桜を見上げる。 すでに二部の時間帯に入っており、人は疎らである、そして静かに佇む桜の木が帳に包まれそうになっていた。 時の流れにこの頃無頓着。 「綺麗ですね」 同じ院二年生なのに、この子だけ年の差を理由に敬語を使ってくる。一線を引かれているのかな?そう最初は思ってしまったけど、もう今は慣れた。 一線を越えてこられるよりは、一線を引かれたほうが楽。 そして僕の順応性の高さはぴか一である。 「本当に綺麗だよね」 そう同意してみる。 「いえ、薬師寺さんが」 え?と思わず振り返る。 「何処かに消えてしまいそうで……」 「え……」 背後から抱きしめられ、項に顔を埋められる。 「行かせない……」 だが、驚きは目の前に突如現れた細いシルエットに奪われた。 もしかして…もしかして? 「……きょ…すけ?」 僕の項に埋められていた顔も、僕の視線の先に移される。そして抱きしめる腕に力が籠められる。 だがそれすらも今の僕は気付かない。 「京介……京介!」 今まで無かった風が吹く。 すでに満開を迎えたソメイヨシノの花びらは宙に舞いあがる。 駄目!花吹雪が京介を奪ってしまう。 気付いたら、自分に纏わり着く腕を信じられない力で振り払い、櫻の木の元に走り寄っていた。 相変わらず、草臥れた服装に無精に伸ばされた前髪、そして伊達めがね。 僕を見て、そこから覗く口元が動いた。 声は聞こえないけれど、僕には分かる。 あお そう、蒼と。 僕は薬師寺香澄でもあり、美杜杏樹でもある、だけどそれは仮の名前。 僕は蒼、京介だけの蒼が本当の名前なんだ。 日々毎日楽しく過せた、だけどそれは本当の自分ではない。 本当の自分、蒼は楽しくはなかった、いつも不安に押し潰されそうであった。 でも、でもそれはもう終わったの? 本当に終わりで良いの? 僕は背後で必死に呼び止める声も全く耳に入らない。 消えそうな幻想を本当にする為に。 僕は飛び込んだ。 そして…… 暖かい、暖かい、温かい。 夢ではないのだ。 僕を受け止めてくれた温もりの主を確かめる。 別れた時に比べて深みのある顔立ちになった、それでも類まれなる美貌は変らない持ち主、僕の世界の創造主、桜井京介。 何度、夢の中で逢瀬を果たしたであろうか? 何度、起きた時に涙を流したであろうか? 信じることがこんなにも辛いことだって……知らなかった、いや忘れていたのだ。 「京介、京介、京介」 そして涙が溢れそうになるけど必死に堪える。 だって、視界がぼやけたら京介の顔が見られない。見られない瞬間に、また消えてしまうかもしれない。 「待たせたね、蒼」 そう言われても信じられない、待ち焦がれていたのにも拘らず、現実だと信じているのに、それでも居なくなりそうで。 姿を消してからの月日の長さが僕を臆病にさせる。 「蒼、場所を変えよう」 すこし困り声でそう言われるまで、僕はじっと京介の顔を見つめ続けた。 そして手を握られるまま、身を任せた。 少し手が汗ばんできた。 流石の僕も途中でやっと正気に戻った。そして今、此処に、本当に、京介が居るという現実を受け入れられるようになった。 幻ではないのだ。 京介の冷たかった手も今は汗ばんでいる。 でもきっと明日はキャンパスで物凄い噂が広まっているんだろうな。 ちょっと冷や汗をかく、今更だけど。でもそんなのは贅沢な悩み。 ぎゅっと手に力をこめる、そして握りかえされた。 返ってくる喜び。 それを何度も繰り返す。 聞きたいことは山ほどあるのに、あるけど、今ただ手を繋ぎ歩くだけで、その空間を壊すのが勿体無くて。 そして連れてこられたのは広尾のマンション。 今は使っていないけど、門野さんが時々手入れをしてくれていて。 主の居ない温室の植物達は元気に育っている。 久方に開けた扉、温かい風が二人を包み込む。それはまるで植物の精が喜んでいるよう。 そしていつものベンチに腰を掛けた。 此処は僕達の場所。 深春すらも遠慮をする、僕達の聖域、無心論者の僕らが言うのは可笑しいけど。 そう思うのは僕だけじゃないよね?京介の包み込んでいた空気が変ったのは絶対気のせいじゃない。 だから謂えたのであろう、京介が言いたかった言葉。 「待たせたね」 うん、待ったよ?本当に待ったよ? だけどまだ僕は言葉に出来ない。 それでも自分の感情の箍も外れた。 本当だよ、どんだけ僕を待たせれば気が済むんだよ! 無言で京介の胸を拳にした手で叩く、26歳の健康な男子に真剣に叩かれれば京介だってそれなりに辛いだろうに、ただ黙って叩かれてくれた。 そしてそれが止み、今度は泣きじゃくるとそっと大きな目から零れ落ちる涙を唇で啄ばむ様に吸い取り、そして頭を胸元に抱え込んだ。 「全てが終わった、蒼」 蒼、そう囁かれるだけでまた涙が溢れ出す。 神代先生や深春に呼ばれる度に本当は身が切り裂かれる思いであった。 この名前を僕にくれ、そして外の世界で生きることを教えてくれた大事な人は呼んでくれない。 そこに居ないのだから当たりまえなのだけど…… でももう忘れる、だから 「勝手に居なくならないでよ!」 いつもいつも、いつもいつも、京介は僕が居ない時に居なくなる。 何にも言わずに居なくなる。 「もう…もう居なくならないでよ」 「あぁ居なくならないよ、蒼、終わったんだ」 暫くきつく抱きしめあう。 まだ春先の夜は肌寒いけど、ここの温室は外の世界とは関係なく暖かい。 「京介」 お互いの体を離し見詰め合う。 京介のメガネが胸ポケットに仕舞われるのをじっと見る。 美しい顔が眩しくて目を細める。 だけど、ぼさぼさの前髪に手を伸ばしそして掻き揚げる。もっと眩しい。 更にゆっくりと微笑んでもくる。 自然に笑っている、それは僕だけの微笑み。 ゆっくりと唇が重なる。 驚かないよ、だって待ち焦がれていたその温もりだからら、といっても緊張で、お互いカサカサで冷たかったのが笑える。 初めてキスを交わしたのは何時であったろう? まだ僕は本当に少年だった。 猫に口付けるかのように、そんな軽いキスであった。きっと深い意味だって無かった筈、する方もされる方も。 だけど、僕が大人になって色々それが深い意味に変っていって……儀式でもあり…… でも暫くは普通の二人の関係で……でもそう距離を置かれたのには理由があった事を知る。 もともと、その行為自体に執着しているわけでもなかったけど、寂しかった。 そしてその理由を知った時、もっと寂しかったけど。 あの忌まわしい、でもそれが無ければ今が無いあの一時。 額に唇が押し当てられる。 「蒼?」 京介が不思議そうに見る。京介の乏しかった感情が豊かになっている、表情は無いけれど僕には分かる。 「……蒼?」 でも戸惑うのは致し方がないよね、京介の両頬に手を当てて僕の体から押すようにして引き離したのだから。 そして僕はゆっくりと立った。 僕は京介から目を離さず、自分のシャツのボタンを一つ一つ外した。 そして白いシャツが床に落ちる時、京介の視線が外されそのシャツに吸い寄せられていく。 「駄目……」 僕だけを見て、今だけで良い、今だけで良いから。 そして前屈みになり、座ったままの京介のくたびれたパーカーを肩まで脱がし、そしてシャツに手を伸ばす。 だけどズルイよ京介。 僕の一世一代の勇気を踏みにじって。 でも嬉しい、死ぬほど嬉しい。 引き摺られるように腕を引かれ、ベンチに押し倒され、此処まで掃除をしなくても……曇り一つない天井。 僕の視界に都会の明かりから浮かび上がる星空が広がった。 此処まで熱く自分に感情をぶつけたことは無かった。 京介の目は熱く火照っていた。表情は相変わらずだけれども、若干目の縁が赤くなっている。 やはり気のせいではない、心が顔に直接表れているのだ。 僕に興奮している、僕に欲情している。 ジーンズの固めのホックを外すと細長い指を忍び込ませる。僕も昔なら考えられなかった協力を惜しまない。 ゆっくり腰を浮かし、京介が脱がしやすいようにと手伝う。 そして外気に一瞬身震いをする、けど寒いのではなく、きっとこれから訪れるであろう行為に期待をして…であろう。 「……京介!」 「蒼」 互いの汗が交じり合い飛沫となって飛び散る。 入り口に置かれたベンジャミンの精たちが僕らを見守っている。 一糸纏わぬ姿で何度も抱き合う。 何度も気遣って声を掛けるたび、大丈夫、だからもっとって言ったけど、痛かったよ、久々に受け入れるからね、でも嬉しかった。 熱の篭った睦言、何度も何度も言ってくれた。 「好きだ、好きだよ」 うん、知っている、でもねこれは知らないだろうね? 僕のほうがもっともっと京介の事を好きなんだよ? 何度目かの大波が襲ってくる。京介の眉間にも皺が寄る。僕は気持ち良いよ、京介も気持ち良いよね。 「もう離さない」 ずるい、僕が一番欲しかった言葉、言うんだもん。 突き上げられながら、涙が止まらなくなる。 喘ぎ声なのか、しゃっくりのか分からない。 温室のガラスに反射して映る僕達。 非常灯に照らされ二人絡まる白い裸体、何度も仰け反り、ぶつかり重なり合い。 気がついたら結露でそれも見えなくなった頃、僕達もやっと自分達のしてしまったことに気がつく。 僕らが此処に来たことをきっとセキュリティで門野のおじさん達には知られている筈。 でもきっと許してくれるよね? ゆっくりと僕の手を引き立たす。 そして誘われるまま外を見る。 背中に胸を密着させ、抱きしめる。 まだ僕の鼓動も、京介の鼓動も駆け足の状態。 「痩せたね」 頷く、確かに痩せた、食べているつもりでも、周りから言わせれば、平均以下だと騒がれた。 でも今ならいっぱい食べられる気がする、図々しいよね。 「京介は逞しくなったね」 そう後ろを見る、欲しかった接吻がすぐに降りてくる。 「あぁ、蒼の為にそして僕自身の為にね」 僕の知らない二年の間、京介はきっと想像を絶するような大冒険をしてきたのであろう。 「いつか話してくれるよね?」 主語が抜けている、そうくすりと笑いながら京介の手が僕の体を抱きしめる。 「そして僕も連れて行って」 「あぁ、一緒に行こう」 僕を抱きしめる手の甲に、僕の手を重ねる。 「そして一緒に分かち合おう」 「あれ、薬師寺さんは?」 「なんだか休学して何処かに放浪しているみたい」 「なにそれ?」 「知らない〜でも神代教授がそう言っていたよ?」 一人の学生が、殆どの花びらが散り緑がついてきた桜を見上げていた。 「かぐや姫だったんですね」 突風が吹き、最後の花びらがその学生の周りで舞った。 今何処で何をしているのであろう、あの男の人と…… |
20110131 |